レイニーデイ
やわらかく響く雨音で目が覚めた。
室内の暗さと外の喧騒が絶えていることから、夜明けが近い時間なのだろうと寝起きの頭で当たりをつける。
道理でさほど大きくもない雨音がよく聞こえるはずだ。
昨夜、この万事屋を訪れたときには雨の気配など全くなかったのだが、いつから降っていたのか。
まあコトに及んでいる最中に降りだしていたとしても、体も感覚も自分を抱く男で一杯になっているあんな状態では気づく余裕などないだろう――苦笑しながら土方は半身を起こそうとして、体に負荷を感じた。
見れば、隣で静かな寝息をたてている銀時の腕が、土方の腰にしっかりと回されている。起きる気配はないのに土方が動いたためか、離さないとでもいうかのように、その腕にぎゅ、と力がこめられる。
その仕草はまるで、何ものにも執着しないと思っていた男のそれを向けられているようで、土方は目を細めた。
それを嬉しいと思う反面、勝手に推察してそんなことを喜ぶ自分が馬鹿馬鹿しくて自嘲が浮かぶ。
お互い後腐れがないから体をつなぐ――その程度の関係でいい、と思う。
その先を望んでしまえば、この男の全てを自分のものにできない現実に苦しくなるだけだ。
縛るのも縛られるのも、ガラではない。自分も、この男も。
だから、全てを満たすことのない、そんな関係でいいのだ。
のそりと銀時の腕から這い出し、土方は畳の上に放られていた黒の袷を羽織った。障子と窓をそっと開けると外はやはり未だ暗く、幾つか点在する街灯や建物の明かりがぼんやりと辺りを照らし出している。往来を行く人の気配も感じられない。
江戸きっての歓楽街であるこの町も、わずかな眠りについたのだろう。ただ静かな時がゆるやかに流れていた。
敷居に腰掛け、木枠にもたれかかりながら茫と外を眺める。さあさあと降る雨が風に流され、ベランダの床板に幾つもの波紋を生み出していた。
すいと手を差し出せば、軒下にまで入り込んでくる雨が皮膚を濡らした。手のひらに水滴が弾けるかすかな衝撃と、それが広がり肌を滑り落ちていくのを感じる。
湿度は高いがまだ気温があがっていないため、空気はひやりと冷たい。
今日は一日雨模様なのだろうか、と落ちる水滴を見ながら土方はため息をこぼした。
特にどうしても出かけなければならないような用事がある訳でもないが、せっかくの非番の日が雨というのもなんだかつまらないように思える。
非番の日は大抵、未だ寝こけている男と昼ころに定食屋にでも行って食事をするのが常だった。そうしてその後町なかをぶらつき、気分が乗ればホテルか連れ込み宿にしけ込んだりもするのだが、天候ひとつでそのどれもが煩わしく思える。むしろ、外出する気すら起きない。
かといって、何をするでもないのにただ万事屋に居るというのも、なんだか居た堪れない気がする。
いっそ屯所に戻って書類仕事でもするか、と脳裏の片隅に書類の山が浮かんだが、それもまた問題が違うだろうと土方はかぶりを振った。
大体休みの日にまで屯所に居ると、隊士たち――特に沖田あたりが、やれ休みの日に行くところもないとは淋しいったらない、などとうるさくてかなわないのだ。
喧しいそれらを思い返し、土方は小さく笑った。
雨を鬱陶しく思っていたというのに、あの騒々しい日常を思えば、たまにはこんなのもいいか、という気になるから不思議だ。
しばらくはこの静かな時間を享受するのも悪くない。今日一日をどうするかは、朝になってから考えればいいだろう。
穏やかな心地で雨音に耳をかたむけていたら、背後でふう、と空気が動いたのがわかった。
起こしたか――と思ったときには、土方の腰にしっかりと両腕が回されている。
「――なにしてんの」
横から抱き込むようにして、銀時が訊ねる。どこか拗ねたような口ぶりなのは、寝ているあいだにその腕から抜け出したせいだろうか、と考え、土方は苦笑した。
勝手に銀時を推し量っては一喜一憂するのにも大分慣れたが、やはり馬鹿馬鹿しいと思う。
「べつになにもしてねェよ」
雨に濡れた手を振って水滴を払いながら答えると、その手をやわらかく掴まれた。
「冷てェ」と咎めるような声と、触れられた箇所からじわりと染み込んでくる銀時の体温で、大分冷えてしまっていたことを知る。
「冷てェな」と返したら、銀時は呆れたようなため息を落とした。
「ったく、風邪ひいたらどーすんだよ。おめーんトコのムサッくるしい連中が泡食うだけだろーが」
それはそれで面白そうだけどな、と続ける銀時の小言を聞き流して、土方は再び軒から落ちる水滴を見やった。
「やみそうにねェなと思って」
「ああ、そういやァ今日は一日雨だっつってたなァ、お天気お姉さん」
雨なァ、と落とされた銀時の固い声音を不審に思って目を向け――土方は息を呑んだ。
土方が見つめる先で、銀時は感情の読めない目で軒から流れ落ちる水を眺めている。
きっと、男の脳裏を占めているのは、土方の知らない「何か」なのだろう。その姿は、踏み込んでいけないと思わせる空気をまとっている。
否、踏み込める訳がない。
やはり、この男の全てなど手に入れようがないのだ――土方が仄暗い感情を噛み殺していると、静かな声が鼓膜を揺らした。
「…嫌な記憶しかねェわ髪爆発するわ外出んのもメンド臭ェわでうっとーしいだけだけど」
言いさして、銀時が視線を外から土方へと移した。赤い瞳が土方を見つめ、やわらかく細められる。
トン、と跳ねた鼓動を無視して渋面をつくり、土方は先を促した。
「…けど、なんだ」
「一日中布団の中でイチャイチャすんのも悪くねェなァ、って」
は?、と聞き返すよりも先に、土方の腰に回されていた腕が動いた。肩を抱き寄せられ、あっというまに布団へと連れ込まれる。
「ちょ、万事屋――」
のしかかる銀時の肩を押しやり、土方は制止の言葉を飲み込んだ。
先ほどまで情欲の欠片も見えなかったというのに、見上げた先の瞳には確かに熱が滲んでいる。欲を帯びた熱と、それとも違う別の感情――それがなんなのかわからなくて動けずにいたら、疾うに肌蹴てしまっている袷を剥ぎ取られた。
するりと肌を撫であげる手のひらに、落とされる唇に、土方も欲を掻きたてられる。ほんの数時間前――だろう――までさんざんしていた体だ、反応を返すのも早い。
身の内でくすぶり始めた熱を逃がすように、土方は深く息をついた。
「アホかてめェ。俺のいい気分を返せ、コノヤロー」
「代わりに気持ちいいことしてあげるから」
「どこのオヤジだ」
呆れを隠すことなく返せば、首許に埋められた唇から笑みを含んだ息がこぼれる。その感触にすらぞくりと肌が粟立つのがなんだか悔しくて、土方は銀髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。
ちょっおま、と笑いながら銀時が顔をあげる。
雨など嫌な記憶しかないと言った男の中で、何がどう変わったのかなどわからない。
だが、土方を見つめる赤い瞳には、確かにやわらかな色がある。情欲以外の色が。
「いいじゃねェか、たまにはよ。おめーを一日中独り占めできるのなんて、そうそうねェんだから」
土方の髪を梳きながら、銀時が穏やかな声で言う。その言葉を脳裏で反芻し、土方は目を瞠った。
独り占めしたい、と。そう思っているのは自分だけではないのか。
この男もまた、そう望んでいるのか。
ならば――土方が望んでも、いいのだろうか。
目を丸くする土方に、銀時が触れるだけの口づけを落とす。
「どこにも出かけねェで、一日中イチャイチャしてやりまくんの。サイコーじゃねェ?」
雨の日万歳、などとふざけたことを言いながら、銀時が頬をすり寄せる。ゆるゆると動き出した思考で、土方はいいのか、とぼんやり繰り返した。
この男の全てを自分のものに、など、できないとはわかっている。
だがそれでも、欲しいと望んでいいのか――独り占めしたいと思っても。
いいのか、と。ポンと落とされた答えがするりと心の内に広がり、土方の口許にやわらかな笑みが浮かんだ。
「…じゃねーよ。やり殺す気か、てめェ」
「いや、むしろ俺が腹上死?うわっ、それってよくねェ?」
「だから、どこのオヤジだ、てめェ」
なんだか妙に目を輝かせる銀時の額を軽く叩き、土方はその手を銀色の髪に滑らせた。
一日中布団の中で、だなんて、冗談ではない。志村家に泊まりに行った神楽が、いつ新八とともに帰ってくるかわからないというのに、そんな恥ずかしい真似はしていられない。
朝になったらさっさと布団を畳んでしまおう――土方はこっそり決めた。
そうして、だらだらと過ごせばいい。
事務所のソファででも畳の上ででも、雨の音を聞きながら他愛のない話でもして、だらだらと一日過ごすのだ。
たまにはこんな一日があってもいいだろう――土方は銀色の髪を手遊びながらひっそりと笑った。
(11/01/29 clap up)
(11/12/09 改訂)
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