夜はお静かに
ふと目が覚めたのは、まだ夜の帳に包まれた時間だった。障子越しに入り込む月明かりがいやに眩しく感じる。
――水。
不意に覚えた喉の渇きにそれで目が覚めたのだと知り、土方は酔いの残る頭でふらりと廊下に出た。
台所で水を摂り、部屋へ戻る道すがら何気なく見上げると、真円に程近い月が浮かんでいる。
道理で明るいわけだ、と、茫と眺めていたとき、ふと廊下の奥に気配を感じた。
なんだ――と目を向けた先に、若い女の姿がぼう、と浮かびあがる。
「――ッッ!」
咄嗟に悲鳴を押し殺せたのが奇跡的なくらい、肝を抜かれた。思わず足が一歩下がってしまったことなど可愛いものだ。
バクバクと暴れる心臓を押さえながら恐々と窺うと、女はふらふらと覚束なく揺れているが何をするでもない。怪訝に思いよくよく見ると、知った顔だった。
「――万事屋のチャイナ娘じゃねェか」
髪を下ろしているからいつもと雰囲気が違うが、間違いなく見知った少女だ。
がくりと全身の力が抜ける。
驚かすんじゃねェ――という言葉は、それを認めてしまうことになるからぐっと飲み込んだ。
なぜチャイナ娘――神楽が真選組の屯所に、と一瞬疑問に思ったものの、遠くから聞こえるいびきの大合唱で何事があったかを思い起こし、そーいやそうだった、と納得する。
隊内では、なにかにつけて宴会が行われる。酒を飲んで騒ぐのが大好きな連中が揃っている上、その筆頭が局長の近藤なのだから、当然とも言える。あるいは仕方ないとも。
今回は、納涼会という名目でバカ騒ぎが繰り広げられた。
宵のうちから広い座敷に一升瓶が転がり、陽気な馬鹿笑いが響き渡る。
その中に、どこで聞きつけたのか、万事屋の一行がまざっていた。いつのまにかしれっと酔っ払い連中に溶け込んでいるその光景が、最近ではそう珍しくもないのが腹立たしかった。
だが、新八にはいい顔をしたい近藤が良しと言ってしまえば、土方には逆らえない。
そうなれば、銀時と張り合うようにして酒量が増えるのも仕方のない話だろう。
自分たちだけでなく他の隊士たちも巻き添えにしたのは、半ば八つ当たりだという自覚はあった。
そんな調子でいつも以上にハイペースで酒を空けていたら、早々に脱落者が生じていった。屍の如く累々と広間に横たわる光景に、ここは戦場か、と首をかしげてしまったほどの有様だ。
そんななか、気づいたら神楽も他の屍ども――もとい、隊士たち同様、畳の上で寝こけてしまっていた。それを見た銀時は、そのまま放っておけ、などと言ったが、子供とはいえさすがに女の子――たとえそれが普段凶暴なチャイナ娘であろうとも――を野郎どもと一緒くたに雑魚寝させるわけにもいくまい。
気が引けるとか、性分だとか言うより以前に、真っ当な大人として。
だから仕方なくまだ意識のはっきりしていた隊士に手伝わせて客間に布団を敷き、そこに寝かせておいたのだ。
破格の待遇と言っても過言ではない。
そんな厚遇で扱った少女は寝ぼけているのだろう、ゆらゆらと土方ににじり寄ると、
「私の酢昆布どこにやったネ〜」
がばりと飛び掛ってきた。
「――ッて!」
突然のことに神楽もろとも床に倒れ込んでしまい、したたか頭を打った。
痛みに呻く土方をよそに、神楽は土方の夜着を掴み、茫洋とした声で酢昆布、と繰り返している。
「返せコラ〜〜」
「誰も取りゃあしねーから寝てろ!」
「…そーか」
土方が叫ぶと、神楽はそのままこてんと眠りに落ちてしまった。土方の胸の上で、早々にすこやかな寝息をたてている。
なんなんだ、と呆れる思いで目の前の朱色を見つめた。
――どんだけ酢昆布にとりつかれてやがんだ。
せいぜい酢昆布まみれの夢でも見てろ――と、何の気なしに目の前の頭をなでたら、神楽は土方の手にすり、と頭を寄せてきた。
猫みてーだな、と思っていると、ぽつりと小さな声が落とされる。
「――マミー…」
え、と見やると、神楽の閉じられた瞼からじわりと涙が溢れている。その姿に思わず土方は固まってしまった。
普段は闊達な――というかデンジャラスでバイオレントな言動ばかりを見てきたから、こんな見慣れない様子の神楽にどうしていいかわからなくなる。
星海坊主の妻――神楽の母親は既に亡くなっていると聞いている。だから神楽はひとり、故郷の星を出たのだとも。
このご時世、親を亡くした子供など掃いて捨てるほどいる。土方自身、親の記憶などないに等しい。特別なことでもないし、可哀相にとは思えど特別視するようなことでもない。
当の神楽も、普段はそんなことを気にとめているようには見えなかった。
だがやはり――と目の前の朱色を見つめていたら、コラー、と気の抜けた声が頭上から届いた。
「ちょいちょいちょーい、けーさつがこんなところで女の子相手になにやってんですかー」
ハッとして見れば、銀時がいつものやる気のない顔で土方たちを見下ろしていた。
いつのまに現れたのか、と内心驚愕する土方を尻目にしゃがみ込むと、ぺしぺしと神楽の頭を叩きだす。
「ったく、うらやましーぞーコンニャロー」
どこか拗ねたような銀時の言葉に、なら代われ、と言いたかったはずなのに、口をついて出たのは違う言葉だった。
「――こいつ、幾つだ?」
「あ?なに突然。言っとくけどなァ、嫁に出すにゃあまだ早ェぞ!」
「そんな話じゃねーよ!」
思わず声を張り上げてしまい、しまった、と神楽を窺う。だが、土方の心配をよそに、起きる気配は微塵もない。ぎゅう、と土方の着物を握ったまま、すやすやと眠っている。
そうしていれば、ただのあどけない子供でしかなくて、やはり――と再び思う。
「…やっぱ淋しいんじゃねーのか。母親亡くして、父親はアレだろ」
――今まで淋しい思いをして生きてきたのかもしれんな…。
以前、近藤がぽつりと呟いた言葉が脳裏に蘇る。
普段の姿が強がっているだとか虚勢を張っているなどとは思わないし、銀時に懐いているのも一緒にいて心底楽しそうなのも知っている。
だが、それでもやはり淋しいものは淋しいだろう。
そう言うと、銀時は肩を竦めた。
「さーな。酢昆布がありゃあご機嫌だ、ってのは知ってるけどな。淋しーのかもな、意外と」
全く心のこもっていない言いっぷりに、土方はため息をついた。
「親代わりみてーな奴もろくでなしのダメ人間だったな、そーいやァ」
「ろくでなしのダメ人間って、どんだけのダメっぷり、俺!?――っていうか俺に父親求めんのやめてくんね?」
ゾッとしねェよ、と両腕を抱いて顔をしかめる銀時に、土方はだろうな、とあっさり納得する。
神楽がどうこうではなく、自分が人の親に――というのが居た堪れないのだろう。土方がそうであるように。
話を変えるように、銀時は「それより」と土方を見やった。
「どーすんだ、ソレ」
「あ?布団に戻すしかねーだろ」
「いや、それもだけど――ソレ」
言って、銀時は土方の胸許――正確には、胸許を掴んだ神楽の手、だ――を指さす。
神楽の両手は土方の着物を掴んだまま、離そうとしない。寝ているというのに、物凄い力だ。
先ほどからこっそり外そうと試みているものの、悔しいが勝てる気がしない。
引き剥がせそうにない以上、着物を脱ぐしか方法はなさそうだが、正直気が進まない。
なんで俺が、という思いと、目の前に銀時がいるために。
「しゃーねーなァ」
土方が逡巡していると、ため息をついた銀時は両手を伸ばし、土方ごと神楽を抱えあげた。突然の浮遊感に驚き、思わず銀時の胸座を掴む。
「オイ!」
「暴れんなって、神楽落ちんだろ」
事も無げにふたりを抱えた上、正論を吐くかのような銀時が面白くなく、土方はチ、と舌打ちした。ならば土方が神楽を抱えて起きあがればいいだけの話だろうに。
どこよ、と問う銀時に宛がった客間を示すと、ふらついた様子もなく運ばれて、それもまた面白くない。
不愉快な土方をよそに、銀時は布団に土方ごと神楽を降ろすと、添い寝でもするかのように自分も横になった。
「ホイ、これでよし」
などと、満足げにポンポンと神楽の頭を叩く。そんな銀時の姿に土方は目を眇めた。
「――なんの解決にもなってねーだろ、コレ。バカだろお前、やっぱ」
「しょーがねーだろー、こいつの馬鹿力はどーにもできねーんだからよォ。せめてあやまちがないよーに一緒にいてやろうって、気ィ遣ってやってんだろ、こっちはよー」
「あやまちってなんだそりゃ。ありえねーことほざいてんじゃねーよ」
聞き捨てならないセリフに土方も横を向き、神楽をあいだに挟んだかたちでじろりと銀時を睨みつけた。
「うっせーなァ、そんなに嫌なら着物脱ぎゃいーだろ」
先ほど土方が逡巡したことを銀時が言い放つ。ぐ、と土方が口ごもると、銀時は手を叩き囃し始めた。
「スートリップ!スートリップ!」
「うっせェ誰がするかボケ!」
面白がっているとしか思えない銀時に反射的に怒鳴り返し、土方は内心頭を抱えた。おかげでこの状況を享受するしかなくなってしまったではないか。
土方が後悔の嵐に見舞われていると、そーだなァ、と銀時が呟いた。
先ほどまでとは打って変わって静かな声に目を向ければ、意外なまでに穏やかな目とかち合い、トトン、と鼓動が跳ねる。
「おめーがハハオヤ、ってんなら、やってもいーかも」
「…誰が母親だ。ってかやるってなにをだよ」
普段見せない銀時の雰囲気に若干戸惑いながらも平然を装い訊ねたのは、内容が内容だからだ。
「チチオヤ」
「――は?」
言ってる意味がわからなくて、土方はまじまじと銀時を見つめた。
「俺が父ちゃんで土方君が母ちゃん。アララ、これって夫婦だね、夫婦茶碗の夫婦善哉だね、やっだーどうするー?」
先ほど自分に父親など求めるな、と言った男が、飄々とたわけたことを口にする。
なんで俺が母親だふざけんな――と、怒りが湧くよりも先に、
「――随分殺伐とした家族だなァ、オイ」
想像した光景に噴き出してしまった。
万事屋とチャイナ娘と自分が揃って食卓を囲む姿など、奇っ怪以外の何物でもないだろう。
だが銀時は、したり顔でうんうんうなずいている。
「そーでもねーぞ、父ちゃんと母ちゃんがラブラブでいい家庭じゃねーか」
「なにがラブラブだ。ふざけたこと言ってるとそのふざけた髪の毛全部抜くぞ」
「おめーこそふざけてんじゃねーっつの。なんで神楽の親父とお揃いの髪型しなきゃなんねーんだよ。つーかソレもう髪型って言えなくね?頭皮じゃね?ソレ」
「父親なんだろ?ちったァ似せる努力しやがれ」
「努力じゃねーよソレ。そんなん努力たァ認めねーよ俺ァ」
神楽を起こさないよう、小さな声でボソボソと言い合う。
これもまた随分と奇っ怪な光景だが、なんだか段々楽しくなってきた。
互いに声を荒げないだけで、言っている内容は普段と大差ないのに、まるで共にくだらない悪巧みでもしているかのような気分だ。
他愛なく続く穏やかな遣り取りに、しだいに眠気が押し寄せる。
しぱしぱと目をまたたかせる土方に、苦笑まじりのやわらかな笑みが向けられた。
「ムリしねーで寝ろ寝ろ」
「…んか、お前、へんじゃね…」
お前らしくない、と思いながらも、それが不快ではなく、むしろ心地良いのだから、自分もどこか変なのだろう――そう納得し、土方は言われるがまま眠りの淵に意識を手放した。
すう、と眠りに引き込まれる直前のまどろんだ意識のなか、ふわりと頭を撫でられたような気がした。
朝になり、土方が起き出さなければならない時刻になっても神楽は目を覚まさなかった。
結局は着物を脱ぐことになり、土方は朝から疲労感を覚えた。ホレ、と銀時が脱いで差し出した単衣を借りたおかげで、部屋まで下着一枚の姿などという羽目にならずに済んだことだけが救いだ。
自室に辿りつき、敷かれたままの布団を目にすると、夜のうちにこうしておけばよかった――と些か後悔が湧く。
だが、あの穏やかな遣り取りを思い返すと、まあいいか、とも思えてきた。
まるで秘め事のようなあの時間を楽しく思ったのも事実だ。
そう思っていたというのに。
目が覚めた神楽は何をそそのかされたのか、
「母ちゃん、酢昆布おくれヨ」
と土方に言い放ち、一気に血管を二、三本ぶち切ってくれた。
「てめェ、なにくだらねーこと吹き込んでやがる!」
思わず神楽の後ろでにやにや笑っている銀時に掴みかかったが、当の本人はしれっとしている。
「えー、俺らの家族計画?」
「ふざけんな腐れ天パが!」
「母ちゃん、朝からうるさいアル」
「母ちゃんじゃねェェェ!!」
悪ふざけに便乗する神楽に、昨夜の感傷を返せ、といっそ泣きたくなる。
一時でも可哀相、などと思った自分がむしろ可哀相だ。
面白がっているとしか思えないふたりに翻弄され、羞恥と怒りとで煮えたぎる頭の片隅で土方は思った。
こんな家族あってたまるか――と。
(10/10/10)
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