虎穴あるいは墓穴
多分きっと、穏やかな小春日和のせいだ。
昼下がり、ふと何気なく足を伸ばした川べりの長椅子に腰掛け、土方はぼんやりと煙草をくゆらせていた。暑くも寒くもない丁度いい気候に気がゆるんでしまいそうになる。
やべーな、などと思いながらもぽけーっとしていると、視界の端に見知った人影が入った。
できればこんなのどかさを享受しているときに会いたくない人物である。
こっち来んなこっち来んな、という願いもむなしく、その人物――銀時は土方を認めると、どっかりと隣に腰掛けた。
「なんだァコラー、サボリですかーこの税金泥棒ー」
「うっせー、サボリじゃなくてひと休みだ。年中無休でサボってるてめーと一緒にすんな」
「年中無休じゃねーもん。そーだったらいいのにな、って思うけど、たまには仕事もするもん」
「もん、とか言うな、気持ち悪ィ」
交わす内容はいつもの如くだが、自分も銀時もどこか気が抜けているのだろう、穏やかな天候が染み込んでしまったかのように、拍子抜けするほど声が腑抜けている。
とてもじゃないが言い争いになど発展しそうもない腑抜けっぷりだ。
くああ、とあくびをひとつこぼした銀時が、もさもさと天然パーマの髪を掻き回す。
「まァこんだけ天気いいとな、なんかもーどーでもよくなるな。仕事がねーのも神楽の胃袋のおかげで金がすぐ底尽きんのも俺の天パも」
「や、おめーの天パはどーでもいいっつーより、どーにもなんねーだけだろ」
「この天パさえなけりゃー、俺の人生常にモテ期だったのになァ」
「ねーからソレ。ありえねーから」
普段この男を相手にしているときのような苛立ちも訪れず、むしろくだらない会話が楽しくなって、思わず笑ってしまったほどだ。
その土方の様子に銀時などは、珍しいものを見たかのように目を丸くする。
そんな、のほほんとした穏やかさを心地良く思っていたとき。
す、となにやら影が落ちてきた。なんだ、と見上げると同時に、唇にやわらかいものが触れる。
やわらかくて、あたたかいもの。
あまりにもありえなさすぎて、それが銀時の唇だと思い至るのに数拍要した。
状況を理解した土方が驚いて突き飛ばすと、銀時はその衝撃で我に返ったのか、うわああああ、と情けない悲鳴をあげた。
この場合、悲鳴をあげるべきは自分の方ではなかろうか、と土方は思う。
「オイ、よろ――」
「悪い!」
土方が何か言うのを遮るように勢いよく頭を下げると、銀時は間髪入れず――逃げ出した。
それはもう、見事な逃げっぷりだった。
たとえあとで逃げたんじゃねェ、などと反論しようが、あんな逃げ方をしておいてそれは通らねェだろう、ってなくらいの逃げっぷりだ。
――アレだ、脱兎、ってのはあーいうのを言うんだろうな。
などと、いっそ感心してしまうくらいの逃げだった。
キング・オブ・逃げ、そんな称号を捧げてもいいんじゃないかと思うくらいの――
「――って、なんだったんだコラァアアア!」
逃避に走った意識を現実に戻してみれば、土方があげたのは悲鳴ではなく怒声だった。
* * *
仕事を終え屯所に戻ってからも、ぐるぐると頭の中を巡るのは、昼間のことだった。
銀時の行為とその後の行動――その意味がわからなくて苛々とする。
驚いて突き飛ばしてしまった自分は棚にあげるが、たかだか唇が触れただけじゃないか。ああも挙動不審に逃げを打つようなことでもあるまい。
――斬りつけられるとでも思ったか。
それはありえる。だが、土方が斬りかかったところで、あの野郎ならかわせるだろう――物凄く悔しいし不本意だが――とも思う。本気で命を張るような、そんな戦での斬りあいなら手傷を負わせられるかとも思うが、少なくともあの場でのことは、そんな本気を出すようなものでもない。
おまけに、
――悪い!
なんだかコレが一番腹立たしい――気がする。
何故、謝った――否、謝るくらいなら何故、あんなことをした。
ひとつ。寝ぼけて他の誰かと間違えた。
――寝ぼけて、はともかく、間違えたというのはありえなくもない。ムカつくが。
ひとつ。何者かに催眠術でもかけられていた。
――ありえない、と思う。もしそうだったら、かけた奴死ね。
ひとつ。土方に対する嫌がらせ。
――ならば謝らないだろう。というか死ね。
ひとつ。実は電波に操られていた。
――死ね。
しだいに苛々が増してきて、土方は一旦思考をリセットした。
悪い、と言ったからには、「土方に対して申し訳ないことをした」と、奴が思っているのは間違いない。そして「申し訳ないこと」とは、いきなりキスなどかましてきたことだ。
そもそも、あの流れで何故そんな行動に出たというのか――と思考がループしかけたとき、
――あ、
不意に、とてもシンプルな答えが浮かんだ。
ありえなさすぎて思いもつかなかったが、それが一番しっくりくる。
突然キスしてきたのも、謝ったのも、土方の言葉を聞かずに逃げ出したのも。
全部合点がいって――土方は呆れてため息をこぼした。
* * *
翌日、銀時をとっ捕まえるためかぶき町に足を伸ばすと、万事屋の三人はスナックお登勢の店先で何やらぎゃあぎゃあ言い合っていた。
手にしているのは竹箒とちりとり。店先の掃除でも押しつけられたのだろう。
それならメガネとチャイナ娘で事足りるだろう――そう判断して、気配も足音も殺して近づいた。
さすがに手の届く距離にまで来ると、察知した銀時がビクリと身を竦ませて振り返ったが、今度は逃げ出すより先に捕まえる。
「――ちょっと借りるぞ」
銀時の襟首を掴んで子供ふたりに言えば、土方の声音に含まれている怒気を正確に感じ取ったのだろう、メガネが張子の虎の如くブンブンと首を縦に振った。
チャイナ娘は不服そうだがサックリ無視して、了承も得たとばかりに身を強ばらせたままの銀時を引きずり、階段を登る。向かったのはもちろん、万事屋の中だ。
半ば脅して開けさせた室内に銀時を放り込むと、土方は横柄な態度でソファに腰掛けた。
床にべたりと座り込んだままの銀時は、往生際悪くえーと、だの、あのー、だの口ごもっていたが、土方の不機嫌丸出しな態度をちらりと見やると、諦めたようにガックリと肩を落とした。
「怒って…るよ、なァ…」
はは、と力なく笑う銀時に、土方はまた苛々とした。
怒っているのは正解だが、決めつけられるのは頭にくる。
「…俺が怒ってんのは、おめーの態度だ」
足音も荒く銀時の前に歩み寄り、ぐい、と胸座を掴みあげた。殴られるとでも思ったのか、銀時がわずかに怯む。
その隙に、土方は思い切りよく口づけた。
ぽかん、と開いたままの口に舌を差し入れ、奥に引っ込んでいる銀時の舌を絡めとる。
目を丸くする銀時に、ああ、そういやあンときもこんなバカ面晒してたなこのバカ、と思い出した。
バカが――と、内心毒づく言葉がそれしか出てこないくらいに、バカだ。
あんな触れるだけの、いっそ可愛らしい口づけひとつで謝られたりそんな神妙な態度をとられても、むしろバツが悪いだけだバカ。尻の座りが悪くてかなわない。
謝るくらいなら綺麗サッパリ忘れるか、なかったことにするか――
「――それでも謝んなら、こんくらいしてからにしろや」
謝ってしかるべきな濃いィのをしろ――と、土方は銀時の体を突き放した。
ぽけ、と放心状態で土方を見上げていた銀時が、ややして「ハイ」と手をあげた。
「…意味がわかりません先生」
「うっせェ、てめーで考えろ」
あとは自分で考えろとばかりに放り投げる。
なんでキスしたか、なんで謝ったか、なんで逃げたか――恐らく銀時は自覚してないだろう、と思われた。だが、当の土方が先に気づくのもおかしな話ではないのか――というより、なんで自分がこの男のためにアレコレ考えてやらなければならないのかと、忌々しくすら思う。
再びソファにどかりと座った土方に、ずりずりと銀時が這い寄ってきた。
えーと、と弱々しい口調で、それでもなんとか言葉を紡ごうとする。
「俺、お前のこと、好き…みたい?」
「んだその疑問系は。あいまいなモン告げられても迷惑だ」
「ンなこと言ったってよォ、今さっき気づいたんだぜー」
カンベンしろよー、と銀時が情けない声をあげる。
その姿に、ちょっとだけ溜飲がさがった。否、勘弁してやってもいいかな、と思うくらいには、結構さがった。
よしよし読みどーりだ、などと内心得意になっていたら、で?、と銀時から窺うような目を向けられた。
「おめーは…?」
銀時のその言葉に、はたと土方の思考が止まる。
おっと困った、自分から促しておいてなんだが、
「――そこまで考えちゃいなかったな」
銀時の分析にかまけて、自分の感情にまで目を向けていなかった。
さてどーだろう、などと首をかしげていたら、へーえ、と銀時の低い声が落とされた。ぎくりと土方の体がこわばる。
なんだかとてもドS全開な空気を感じる。
「…よくそんな相手にキスできるなーおめー」
「まあ、嫌じゃなかった、し…」
にこりと微笑む銀時の無言の迫力に、語尾が弱くなる。
おかしい。いつのまにやら形勢が逆転している。これはやばくないだろうか。
じりじりとソファの一角に追い込まれ、土方は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
正面はめちゃくちゃ不穏な銀時の笑顔に、残り三方も背もたれと銀時の両腕によって退路を断たれ、気分は追い込み漁にかかった魚の如しだ。
「嫌じゃない、ってーことは、少なくとも嫌われてない、ってことだよな?」
「あ、ああ…?」
「それが好きになる可能性も、あるってことだよな?」
「さあ、それは――」
どうだろう――と所在なく視線を彷徨わせていると、両頬を銀時の手に包まれた。顔を合わせるようやんわりと力をかけられ、仕方なしに従えば、銀時の熱を帯びた目に視線を絡め取られる。
その目の奥に滲むものを悟ってしまったら、もうダメだった。
身動きひとつ、できなくなった。
近づいてくる顔に、あ、やばい、と脳内で危険信号が点滅する。先ほど自分からやったことは完全に棚あげの脳内もある意味結構やばいんじゃなかろうか、とも思う。
もっと早く危険を知らせろ、脳内危険信号。
息がかかるほどの距離。その距離で、あ、と銀時が何かを思い出したように呟く。
「謝んねーから」
目を見据えて、宣言して――噛みつくように口づけられた。
舌を絡め取られ強く吸われ、舌の裏側や口蓋の上の感じる部分を舐めあげられ、頭の奥が痺れる。
銀時の手がするりと服を割って肌に直接触れてきても、やばいやばいと思うのに抵抗らしい抵抗ひとつできやしない。
羞恥だとか困惑だとか酸欠だとかで茫とする脳裏に、ふととある言葉が浮かんだ。
曰く、君子危うきに近寄らず――。
土方は先人の教えが正しいことを、身をもって知ることとなった。
(10/10/10)
【Novel Top】【Top】