その手も、その声も



いつからか、お互い気づいていた。

刃を向けるような出会い以降、土方と銀時のあいだに流れていたのは、好意的とは程遠い空気だった。
それが、腐れ縁――と呼ぶしかないような関係で続いた時間のなかで、いつのまにかゆるやかに変化していた。

顔を合わせれば変わらず顔をしかめて憎まれ口を叩く。それでいて、いつからか一緒に酒を呑んではくだらないことを言い合い、馬鹿馬鹿しいと笑いあうような時間を共有するようになっていた。

そんな他愛もない時間を心地良く思い、ふと見せる銀時の穏やかな笑顔に鼓動が跳ねあがるのを感じ――気づいたら心惹かれていた。

否、惹かれていたというなら、もっと前――反発しあっていたときからそうだっただろう。
死んだ魚のようにやる気のない目をして、だらしなくふざけた態度をとってばかりの男の中に、揺るぎない真っ直ぐな魂を見てしまったときから、ずっと惹かれていた。ただ、認めたくなくて――認めるのが悔しくて、封じ込めていただけだ。
自覚してしまえば、そんな意地も諦観に変わる。

銀時の想いに気づいたのは、土方が自分の感情を認めたのと同じころだった。

最初はただの期待からくる勘違いかとも思ったが、戯れごかしに想いを口にしたり、さりげない接触を繰り返しては嬉しそうに笑う様子から、そうでないことはすぐに知れた。

好いた相手から想いを向けらて、嬉しくない訳がない。銀時もそうだったろう。
お互い、わかっていた。
自分の想いが気づかれていることも、相手の想いに気づいているのを知られていることも、わかっていた。

だというのにはっきりとした言葉を口にせず、この中途半端に心地の良い状況を甘受していたのは、土方も銀時もいい年した大人だからだ。
駄目な、とか、臆病な、とか、卑怯な、とか。
色々と不甲斐ない形容が頭につくが、仕方あるまい。勢いだけで突っ走れるような、青い時期は疾うに過ぎている。

荒事ならいくらでも先頭切って飛び込むというのに、こんな恋情には足が竦むだなんて、と、確かに自分でも呆れ果てる思いだった。
だが、今が心地良ければ良いほど、踏み出すことなどできなかった。

それはひとえに今の空気を壊したその先が怖かったからに他ならない。
変にぎくしゃくするのも、いやに甘ったるい空気になるのも、自分の感情を御しきれないような関係になるのも。
そのどれもが自分たちの有りようと乖離しているようで、空恐ろしく感じられたのだ。

だから。それくらいならこうして秘めやかにこそばゆい感情をあたためて、穏やかな時間を共有できればそれでいいと思っていた。
ずっと続けばいい、とも。


けれど。

そのさらに先を思い、土方は、捨てる覚悟を決めた。


* * *


屯所の自室にこもり事務仕事に没頭する日々が続いて早五日になる。

まだ仕事をするな、体を休めていろと周りには諌められたが、無理矢理押し切ったのは、土方の都合からだ。
仕事をしていた方が余計なことを考えずに済む分、気が紛れて丁度良い。
あまり無理をするな、と近藤は渋い顔をしていたが、「してねェよ」と涼しい顔で返せば結局は好きにさせてもらえた。

先日の捕り物に関する報告書を読み、顔をしかめていると、からりと障子の開く音がした。

「――なんだ、急ぎの報告か」

山崎あたりなら開ける前に声をかけるはずだが、そうもいかない火急の用件か――と目を向けたその先にいたのは、銀時だった。
瞬間、跳ねた鼓動には気づかないふりをして、何故ここにいるのだ、と睨みつける。
土方を見て、銀時が一瞬息を呑んだのがわかった。その様子に、今の自分の姿を思い返す。
袖口から見える腕だけでなく、額にも白い包帯が巻かれている見てくれだ、この男には痛々しく映っていることだろう――どこか自嘲気味にそう思った。

「なにしに来た」
「…最近姿見えねーから、どーしたのかと思ってたら、怪我したって、さっき沖田に聞いて」
「そうか。だったら見ての通りだ。べつに大した怪我じゃねェ。気が済んだら帰れ」
「お前な…」

土方のそっけない返答に、銀時が眉をひそめる。
そのまま愛想を尽かして帰ればいい――そう願う土方の心中をよそに、銀時は頭を掻きながら室内に足を踏み入れた。後ろ手に障子を閉めてその場に腰をおろした銀時が、窺うような目で土方を見やる。
土方の態度に距離を測りかねているようだった。

「そりゃねーだろ。こっちがどんだけ心配したと思ってんだおめー」
「だから。こうして生きてんだ、それで充分だろ。つーか勝手に入ってくんじゃねーよ、帰れ」
「土方」

冷たく言い放つ土方に銀時は訝しげな目を向けていたが、ややして何かを諦めたかのようにため息を落とした。

「普通、好きな奴が怪我したってのに、生きてましたハイ良かったですねー、で済ませられるワケねーだろ。バカだろお前」
「…んなもん、気の迷いだ。忘れろ」

好きな奴、などと。
何故、今になってそんなことを言うのか――どこか恨めしく思う気持ちを押し殺しながら、土方は銀時の言葉を斬り捨てた。銀時が目を瞠る。
信じられない――そう言っているかのような銀時の顔を、冷然と見返す。

覚悟なら、できている。
白い天井を見ながら、心を決めたばかりだ。

ちらりと机上の書類に目を向けた。
先日の捕り物を報告するためのその用紙には、土方の名前が書かれている。指揮を執った責任者の欄と、被害報告を記す欄に。

土方負傷――その文字を見、心を決めた瞬間を思い出す。

壊した先が怖い――そう思っていたのに、それよりもさらに先に待ち受けるものの方が、よっぽど怖いことを思い知った。


* * *


それは、五日前の捕り物でのことだ。
不逞浪士が爆弾テロを行うという計画を掴み、土方は二隊を率いてアジトである廃墟へと突入した。

てこずるかと思われた捕り物だったが、真選組の登場に慌てふためく不逞浪士たちを難なく捕らえてあっさり終わり、どこか拍子抜けしたのを覚えている。
手応えのなさに内心首をひねりながらも、捕らえた浪士たちを連行し引き上げようとしたそのときだった。
死なばもろとも――とでも思ったのか、それとも最初から土方たちと刺し違えるのが目的だったのか。

大きな爆発が起こった。

報告書によれば、その爆発で廃墟が倒壊したほどだという。
だが土方は建物が崩れる様を見ていなかった。
爆心の近くにいた土方は強烈な爆風に吹っ飛び、地面に叩きつけられ――意識を失っていたのだ。

目が覚めたのは、病院のベッドの上でだった。

意識もないし血は止まらないしで心配したんですよ――土方の覚醒に喜び安堵の息をついた隊士が口々に喚くのを、なに言ってんだ、と一笑に付したが、見れば確かに、爆風で飛ばされた金属片やガラス片による傷があちこちに出来ていた。

とは言え、手や顔の傷は大したことなく、数日で塞がるようなものだ。
こめかみの近くを切った傷に関しても、場所が場所だけに多量の血が出ただろうが、数針縫ったくらいで命に別状はない。

大げさだ、と土方は呆れたが、医者も隊士たちも渋い顔をしていた。

あと数センチ土方の体が右に傾いでいたら、その金属片は土方の頭を吹っ飛ばしていただろう――医者から脅すようにそう言われた。

そりゃ運が良かったな――と土方はその事実を安直に受け入れた。それくらいには図太くできている。
だが、ふと改めて思った。
たった数センチの差で生死が分かれるような道なのだ、土方の歩む道は。

再認し、愕然とした。目の前が真っ暗になったかのようだった。
脳裏に浮かんだのは、ふたりで呑むときにふと見せる銀時のやわらかい笑顔で、それが酷く胸を締めつけた。

いつ命を落とすかわからない――そんな道を良しとしているのに、何を血迷おうとしていたのか。ミツバのときは、もっと早くに思い至り、突き放せていたというのに。

執着することよりも、執着させてしまうことが怖くなった。
いつだって、何かの拍子にあっけなく途切れる命だというのに。
遺していくのは土方の方だというのに、銀時にそんなものを植えつけてどうしようというのか。

だから――捨てると決めた。
自分の想いも、心地よかった穏やかな時間も。

なにもかも蓋をして封じ込めようと、心に決めた。


* * *


土方が心を押し殺しながら冷静を装い見つめるなか、しだいに銀時の顔がしかめられていく。そこにはあきらかに怒りの色が滲んでいた。

「気の迷いって、ンだそれ。勝手に決めつけんじゃねーよ」

低く唸るように言い、銀時がずい、と身を近づける。
来るな、帰れ――土方は再び思い、腕を突き出した。

「――やめろ」

銀時の想いを突っぱねるように、それ以上近づくのを許さないと示す。
諦めるでも呆れるでも怒るでも、なんでも構わないから、土方など見限って、今すぐここから立ち去って欲しかった。

「嫌だ」

だが、銀時はその腕を掴み、土方の拒絶を跳ね除けた。今さら踏み込んでくるような真似をする銀時に憤りが込みあげる。

歯噛みする土方の顔を、銀時は正面から覗き込んだ。

「好きだ、惚れてる。気の迷いなんかじゃねーよ」

凛然と言い放つと、銀時は掴んだ土方の手を自分の胸に押しつけて、困ったように笑った。

「――みろ、おもしれーくらいバクバクいってんだろーが」

手のひらに伝わる鼓動は、確かに銀時が言うように早鐘を打っている。
命の音を愛しく思いながらも土方が拒む言葉を探していると、銀時は土方の手を掴むのをそのままに、もう一方の手を伸ばした。
それは土方の胸許――心臓の上に辿り着き、わずかに身が竦んでしまった。慌ててその手を除けようとしたが、びくりとも動かない。

ごまかしきれない鼓動を確認して、銀時が笑う。

「おめーが俺に惚れてんのも、気の迷いじゃねーだろ」
「――惚れてねェ」
「嘘だ」

土方の心臓、その上に手を乗せ鼓動を聞く男は、あっさりと土方の言葉を言い消す。
やめろ、と土方は銀時の肩を押した。
そんな、心臓に直接訊くような真似をされては、捨てるための欺瞞も虚勢も、すべて暴かれてしまう。

「嘘じゃねーよ、触んな離れろ!」
「おめーもバクバクいってんじゃん」
「違う、俺は…俺は、お前より近藤さんや真選組の方が大事だ。天秤に掛けるまでもねェ、なんかありゃあ、お前よりそっちを選ぶ」

優先順位が低いのだと告げた言葉は、同時に土方の選ぶ道が死と隣りあわせだと示している。どんなに心地良くても、銀時との時間を優先させることなどなく、土方は剣を取り、血塗れた道を往くのだ。

そのことの意味を考えろ、と睨みつける土方に、けれど銀時は呆れた表情を浮かべただけだった。

「今さら言われなくても知ってるっつーの」
「だったら――」
「だったらなんだよ、なめんじゃねェぞ。こちとらそんなん百も承知の上で、全部ひっくるめて惚れてんだよ」
「やめろ」

聞きたくない、と土方は顔を背けようとするが、顎を掴まれてしまい、叶わなくなる。
いいか、と宣言するかのように低く告げる銀時の、その真っ直ぐな視線に射抜かれる。

「お前が近藤や真選組大事なのも、そのために命張んのも、いつかくたばんのはそのためだってのも、全部だ全部」

その目に、その声に、ああ――と思い至る。
全部、と言い放ったそのなかには、「そのとき」も含まれているのだろう。銀時は、それすら覚悟しているのだ。

泣きたいのか笑いたいのか怒りたいのか――もはやそれすらも不明瞭で、土方はただ顔が歪むのを抑えきれずにきつく目を閉じた。

「…ふざけんな」

覚悟を、決めたというのに。
この想いもなにもかも、蓋をして、封じ込めようと決めたのに、何故くつがえすのか。

遺していくことになるだろう自分が、未練たらたらで逝くのはいい。
遺される銀時が、余計な想いに囚われ、悲しむのが嫌なのだ。

だから、決めたというのに。
なのに、それを踏み越えて告げられたのでは、心が揺らいでしまう――手を、離したくなくなってしまう。

「…バカだろお前」

なんでそんな愚かな行く末を選ぶのか。
悔しくて、握り締めた拳で銀時の肩口を叩いたが、その手もやんわりと握られた。銀時がへらりと笑ったのがわかる。

「え、なに、さっきバカっつったからそのお返し?つーかオウム返し?オウム返しは芸がなさすぎだろ、お前。ちったァ捻れよ」
「うるせーバカヤロウ」

罵りながらも、土方にはもう突き放すことができないとわかっていた。
感情は千千に乱れているというのに、どこまでも馬鹿なこの男が悲しくて、腹立たしくて、愛しいと、心が告げるのだから、どうしようもない。

悲しませるのが嫌だ――手離したくない。そんな矛盾の末に生じたのは、たったひとつの願いだった。

叶うかわからない、けれど叶って欲しいその願いを心に浮かべていると、不意に唇に温かいものが触れた。

ちゅ、と音をたてて離れたのは、間違いなく銀時の唇だろう。
だがそれは、口づけと呼ぶには艶事めいた色はなく、こっちを見ろという合図のように感じた。土方が渋々瞼を上げると、銀時のやわらかな笑みがすぐ近くにある。

あのよォ、と言い聞かせるような声も、土方の手を包む手も、泣きたくなるほど温かい。

「人間、いつかはおっ死ぬんだ。俺もおめーも。それが遅いか早いかの違いだろ?だったら――」

そんな笑顔でそんなことを言い、銀時は握ったままの手を口許に寄せた。
指先が銀時の唇に触れ、息がかかる。

「それまでのお前の時間を、俺にくれよ」

その手からもその声からも、じわりと温かいものが染み込んでくるようで、最後の意地までとかされてしまう。

諦めにも似た思いで、土方は声を絞り出した。

「――くれてやらァ」

もってけドロボー、と付け加えたのは半ば自棄だ。ドロボーはねーだろ、と銀時が笑い、顔を寄せる。
再び触れ合わされた唇が、今度は熱を帯びて口づけの様相を呈する。
目を伏せ、その口づけを受けながら土方は、頼むから叶えてくれ、と心の中でひっそりと祈った。

せめて、自分が息絶えたそのあとも、こうして笑っていてくれ――と。

そんな、たったひとつの願いを。

(10/11/06)

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