其ノ肆「胡蝶」 01



屯所の一角にある座敷に今、奇妙な緊張感が流れている。

その空気を生み出す元凶──上座に座った松平を横目で見やり、土方はこれから何が始まるのかと内心眉根を寄せた。

この日、真選組屯所を突然訪れた警察庁長官、松平片栗虎が名指しで呼びつけたのは、副長・坂田銀時、一番隊隊長・沖田総悟、神楽隊隊長・神楽の三名だった。その三人は現在、松平の正面に正座させられ、不満げな表情を浮かべている。

脇に控えた近藤と土方が何事かと見守るなか、煙草を吸い終えた松平は重々しく口を開いた。

「なァんでおめーら三人が呼ばれたかわかるかーオイ、わかるかァ?」

ガラも悪く言っておきながら「かーぐらちゅあーんは可愛いーからホントは巻き込みたくないんだけどねェ、ゴメンねェ」などと続ける松平に、全員のしらっとした目が向けられる。
だが松平は気にした様子もなく、どこか芝居がかった素振りで両手を広げてみせた。

「正解はー、おめーらが破壊三大魔神だからでーす」

イエーイだかウェーイだかいう歓声と共に松平が手を叩く。それに対し、はァ!?、と頓狂な声をあげたのは銀時だった。

「ちょ、待て待て!コイツらはともかく俺ァ関係ねーだろ」
「なァに言ってやがる。おめーが指揮した捕り物の被害総額知ってっかァ、オイ」
「だからッ、それァコイツらが破壊活動しただけじゃねーか!」
「オイオイ、責任者がひとり逃げられるとでも思ってんのかァ、あァん?」

じとりと松平が睨むと、銀時は思い切り顔をしかめた。
実際、一番隊と神楽隊を率いての捕り物が続いていた──それに関してはシフトを組んだ土方も少しばかりすまなく思った──だけに、言い逃れできないと諦めたのか、ただ口惜しそうに歯軋りする。

その姿をフンと鼻で笑うと、やれやれとばかりに松平はため息を落とした。

「おめーらよォ、アッチもコッチも好き勝手ぶっ壊すんじゃあねーよ。俺が他の奴らからうるさく言われんだろーォ」

おめーの都合じゃねーかよ、と銀時が忌々しげにこぼすのを無視して、松平はびしりと三人を指さした。

「そんなワケでー、おめーらにゃあお仕置きとして特別指令を下しまァっす」

松平の宣告に、うわーと三大魔神の顔が歪む。それを順に見回し、にやりと笑った松平が告げたのは、予想外の指令だった。

「ちぃと山ァ入って、蝶々探してこい」

一瞬、松平が何を言ったのか理解できなかったのは、土方だけではないだろう。しばしのあいだ、沈黙が奇妙な間をつくり出す。

「…なんでい、そりゃ」
「オイオイ、俺たちゃ虫捕り職人じゃねーぞジジイ。よそ当たれ、よそ」
「ちょーちょなんて追いかけるのは子供のすることネ」
「だーまらっしゃーい!」

ややして三者三様の異存があがると、松平の喝が落とされた。

「おめーらに否やを言う資格はねーんだよォ。いいから黙って行って来やがれコンチクショー共が」
「オイオイ、ちょっと待ってくれよとっつぁん!」

黙って事の成り行きを見守っていた近藤が、慌てたように口を挟む。
この勢いでは局長である自分にも責任がある、とばかりに近藤まで任を請け負いかねない──そう感じて、土方は近藤が何かを言う前に口を開いた。

「コイツらにバカやった始末取らせるってのは結構だがな、とっつぁん。それがなんで蝶々なんだよ」

土方が問うと、途端じとりとした三大魔神の目が向けられる。それを無視して松平を見やれば、長官は決まってんだろォ、と新しい煙草に火を点けた。

「将ちゃんのためよ」

その言葉に、松平を除く全員が、は?、と目を丸くする。
何故ここで将軍の名が出てくるというのか──首をかしげると、松平は節くれだった指をつい、と動かした。

「江戸からちょいと西の方に、将ちゃん家の山があんのは知ってるか?そこの見張りからよォ、最近キレーな蝶々を見かけるってェ報告が入ってなァ、将ちゃんはそりゃーもう気になって仕方ねーワケよ。見てェとか言いだしゃしねーが、それがまたいじらしいじゃねーかチクショーめ」

将ちゃん珍しー虫とか好きだからなァ、と煙を吐きながら松平がしんみりとこぼす。

常々から将軍の親父代わりだと豪語する松平だ、将軍がそんな様子だったのなら、なんとかしてやりたいと思ったとしても不思議ではない。

土方はこのふざけた指令に得心がいった。
もっとも、将軍家所有の御留場を「将ちゃん家の山」などと称するのはどうかと思うが。

「だから、おめーら行って捕まえて来ーい」

再び松平が三大魔神にずびしと指を突きつける。

破壊活動の咎な上に将軍の名まで出されたのでは、否やなど言えるはずもない。
不服もあらわに顔を歪める三人を、諦めろ、と憐憫を滲ませた目で見やっていると、ふいにオォイ、と松平が呆れたような声を投げかけてきた。見れば、にんまりとした嫌な笑みを口許に浮かべている。

「トシぃ、おめー他人事だと思って安心してたら大間違いだぞ」

突然向けられた矛先に、土方は眉をひそめた。
嫌な予感がする。

「──なんだよ、俺こそ関係ねーだろ」
「甘ェな、次点なんだよおめーはよォ」
「は?俺ァべつに被害出したりなんざ──」

言いさして、土方はげんなりと顔をしかめた。銀時の気持ちがわかった──気がする。
一番隊を率いた回数は銀時よりも多い。つまりは土方も責任者として逃げられない立場、ということだ。

土方が口を噤んだことで諦観したと察したのだろう、松平が鷹揚にうなずいてみせる。

「コイツらだけ野放しにできるワケねーだろォ。おめーはお目付け役だよ、お目付け役」

五日で勘弁してやらァ、と続けられた言葉に、ため息がこぼれる。

かくして五日間の特別指令を受けた四人は、揃って渋面となったのだった。


* * *


松平から特命を受けた翌日、土方たちを乗せた車は江戸から外れた山の中を走っていた。この辺りは一帯が将軍家の所有地となっている。

「この辺全部将軍家の土地とはねェ。結構持ってんじゃん、将ちゃん」

ハンドルを握る銀時が左右を見回しながら気の抜けた声をあげる。将ちゃん言うな、と土方は助手席から運転手を睨みつけたものの、その感想にはおおむね同意だった。

「昔から鷹狩場として利用していたらしいがな、今の将軍は一度も来たことがねェそうだ」

かつては代々の将軍が鷹狩に興じていた御留場であるこの山も、先々代あたりからその遊興の回数自体が減っていき、将ちゃんこと現将軍・徳川茂々に至っては一度も訪れたことがないのだという。

土方が言うと、銀時はへェ、と眉を上げた。

「別荘まであんのにか。もったいねーなァ」
「まったくな」

一般の立ち入りを禁じている、だだっ広い──なにせ山丸ごとだ──土地と別邸を所有しながらも、訪れたことがないとは無駄に贅沢な話だとも思う。
おまけに今回はその別邸を好きに使っていい、というのだから、大盤振る舞いもいいところだ。

たかだか蝶を捕らえるためだけに──そう考えて、土方は何度目になるかわからないため息をこぼした。

蝶捕獲──考えるだけでうんざりする。

昨夜、気を利かせたのか心配したのか、山崎が蝶に関する資料を持ってきたのだが、それを読んだだけで四人は早くも嫌になっていた。
種類が多過ぎるのだ。キレーな蝶々、という松平からの曖昧な情報しかない状況で目当てのものを捕まえるなど、無謀な挑戦に近いものがあるだろう。

土方が暗鬱とした気分に沈み込んでいると、ややして木々ばかりの視界が開け、低い塀と広い庭に囲まれた建物が見えた。それが将軍家の別邸であることは一目瞭然だった。

やっと到着した──と車中の誰もがホッと息をついたのだが、建物へと車をつけて降り立った四人はしばし呆然としてしまった。いやいやいや、と銀時が頬を引きつらせる。

「別荘とかいうレベルじゃねーだろ、コレ。普通に豪邸だろ、コレ」

江戸の町に残されている旧藩邸などと比べても遜色のない広さと壮麗さを併せ持っているあたり、さすが将軍家の別邸としか言いようがない。

「広いアルな!めっさ豪華ヨ!」

早くも興味をひかれたらしい神楽がキャホー!、と楽しげな歓声をあげ、ひとり先に突入して行った。
その背中に「物ォ壊すなよ!」と叫び、土方も玄関から中へと入る。

先に人を遣わせて掃除などは済ませてある、と松平が言っていたとおり、屋敷内は綺麗に磨かれていた。
雨戸を開けた先に見える庭も、丹念に手が入れられているとわかる、風情のある眺めだ。隅の方に枯葉が山と積まれているが、それくらいはご愛嬌だろう。

だが──と屋敷内を振り返り、土方は眉をひそめた。
誰かが使っていた──そんな気配を感じる。

銀時や沖田も感じているのだろう、怪訝そうな表情を浮かべていた。

「どう思いやす?」
「入っちゃダメだっつー山に入る物好きが居るのはまァわからねーでもねェけどよ、こんなどっからどー見てもどこぞの屋敷だろ、ってな家に勝手に入るよーなのはロクな奴じゃねーだろ」

低く問う沖田に、銀時が呆れたように返す。

犯罪に絡んでいやしないだろうな、と土方が思案していると、ばたたた、と廊下を駆ける足音が近づいてきた。
ひとしきり見物してきたのだろう神楽が、銀ちゃあん、と駆けて来た勢いのまま銀時の首にしがみつく。

「お腹空いたアルヨー。ご飯まだアルか?」
「…おめーはお気楽でいいな、チャイナ…」

半眼になった沖田が呆れたようにこぼすと、なんだよ、と神楽は頬を膨らませた。

「どこにも誰も居なかったアルヨ。とっくに逃げてたネ」

やはり気づいていたらしい神楽が言う。誰よりも気配に敏い神楽がそう言うのだから間違いないだろう。

その結論に銀時は、そーかい、と暢気な声を出した。

「──ならいいんじゃねーの?俺らは蝶々探しに来ただけってことで。不法侵入にゃあ気づかなかった、ってことでいいんじゃねーの?」
「オイ──」
「そーですねィ、わざわざ面倒なこと増やす必要はねーや」

諌めようとする土方を遮り、沖田もまた不精なことを言う。

コイツら──と土方が眉根を寄せると、まァまァ、と当の沖田に宥められた。

「どこの誰かもわからねー奴相手にやきもきしたって仕方ねーでしょう。アンタは食欲魔神の面倒見てればいいんでさァ」
「そーネ!お腹へったアル!!」

しれっとした沖田の言葉と神楽の主張に、土方はがっくりと肩を落とした。



結局、銀時の意見が通り、土方たちは不法侵入の件を黙過し蝶の捕獲に専念することにしたのだが、初日のこの日は昼間の探索でそれらしい姿ひとつ見つけられず、夕暮れを迎えて時間切れとなった。
明日から少しずつ範囲を広げていくしかないだろう、という結論に達したのは騒々しい夕食を終えてからだ。

朝食後、散開して各自捜索。昼に一度屋敷に戻り、再び夕暮れまで探索する──そう取り決めた途端、沖田と神楽が枕を手に開戦したが、土方は見てない振りを決め込んだ。
関わるのが億劫な位には疲れていたのだ。

ああ屯所に連絡を入れなければな──などと、沖田たちの闘いそっちのけでそんなことを考えながら、土方は風呂へと向かった。


風呂からあがり座敷に戻ると、襖を開けた途端すこやかな寝息がふたつ聞こえてきた。見れば、散乱した枕の中で沖田と神楽が突っ伏している。

なんだこりゃ、と視線を向けると、隅の方で酒を呷っていた銀時は肩を竦めてみせた。

「同時に電池切れ」

どうやら、枕を投げ合い争っていた──枕投げとは既に呼べない域だった──沖田と神楽がほぼ同時に撃沈したらしい。

オイオイ、と土方は呆れながらふたりを見下ろした。沖田はともかく、神楽をこのままにしておく訳にもいくまい、と暢気な寝顔に眉をひそめる。

人数の倍以上の部屋があるというのに結局ひとつところに全員が集まったのは、貧乏性ゆえだと皆自覚している。

だが、さすがに神楽まで同室というのは認めがたかった。お前は神楽のおかーさんですか、などと銀時がからかおうが、うなずけないものはうなずけない。部屋がひとつしかないというならまだしも、これだけ空き部屋がある状況ではなおさらだ。

「オイ、チャイナ。おめーは隣の座敷で寝ろっつったろ」

畳の上でべしゃりと潰れている神楽を揺さぶるが、目を覚ます気配はない。
起きたところで、私だけ仲間ハズレかヨ!、と膨れていた神楽がひとりおとなしく隣室に移るとは思えなかったが、それでも少しばかり嘆きたくなる。

そんな土方に、頓着しない銀時は放っとけ、などと手を振った。仕方なしに銀時に手伝わせて寝入ったふたりを布団に押し込む。それでも一向に目を覚まさないふたりに、どんだけ暴れたんだ、と思わずため息がこぼれた。

なんだかどっと疲れが押し寄せて、とさりと畳に座り込む。

「ったく、珍しく喧嘩してねェと思ってたが、結局はこうなんのかよ」
「こいつらにとっちゃあ修学旅行と大差ねーんだろ」

ガキだからなァ、と呆れたように言いながらも、銀時の顔には笑みが浮かんでいる。
コイツらが修学旅行の学生なら、自分たちはさしずめ引率の教師か、と土方も苦笑した。

そんな土方の顔を、そんじゃあ、と銀時が身を乗り出すようにして覗き込んでくる。

「こっからアダルトタイム?」

至近距離から向けられた笑みを浮かべた目に、どくりと心臓が跳ね上がった。
やばい──それだけが頭に浮かぶ。

土方は強ばった体を無理矢理動かし、ガタリと慌てて立ち上がると、

「──屯所に連絡入れてくる」

逃げるように座敷を後にした。

勢い良く閉めたせいで跳ね返った襖の隙間から、銀時のため息が聞こえたが、気づかない振りをする。──自分のために。

寝入ってしまったとはいえ、沖田も神楽も居るような場で銀時が何かを仕出かしてくるとは思わない。だが、あの件以来ふたりきりになることを避けていた土方には、あんな空気をまとう銀時と共に居るのは心が落ち着かなくて居た堪れなかった。

自分の中に生じたのか、それともただ気づいてしまっただけなのか──それすらわからないけれど、それでもあのとき、自分の感情を自覚してしまった。あの、傷跡のような月の下で。

そうなると、それまでの銀時の言動を思い返して酷く胸が苦しくなった。真意が読めなくて訳がわからない、というのが正しいのかもしれない。自分の感情を自覚したからといって、どうしていいのか──どうしたいのかもわからないというのに、そんな銀時の内まで推し測っている余裕など、土方にはなかった。

だから、敢えて考えないようにしていた。それがいつまで持つかはわからないが、今はまだ自分の感情にすらついていけないのだから仕方あるまい──そう嘯くように自分をも騙し続けていたのだ。

静まらない鼓動を自覚しながら、足音も荒く玄関近くの板の間を目指す。屋敷に着いてすぐ、携帯電話の電波が入らないと気づき、電話の位置は前もって確認していた。

頃合を見て連絡を入れなければならない──そう思っていたのは事実だ、と残してきた言い訳じみたセリフを自己弁護し、辿り着いた先の受話器を持ち上げる。

深く息をつき、頭を切り替える。
ワンコールで通話に出た相手は、ことさら土方の機微に敏いから、気取られる訳にはいかなかった。

「そっちは変わったこたァねーか」
『特になにもありませんよ。相変わらず局長はキャバクラに出かけましたし。暢気なもんです』

笑いながら山崎が返す。相変わらずか、と呆れながらもその変わらなさに、ホ、と土方は息をついた。

「…そうか」
『──そっちは、なにかあったみたいですね』

土方の声音から何かを察したのだろう、山崎が断言する。聡い奴はこれだから、と土方は苦笑した。

「…何者かはわからねーが、別邸を使ってやがった奴が居る」

銀時とのことなど言えない以上、そんな問題が起こっていたことに少しばかり感謝してしまう。──すぐに不快感へと変わったが。

『御留場に入り込んだうえに将軍家の別邸を無断使用、ですか』

そりゃまた豪儀なことで──山崎が呆れたように言う。

『わかりました。不法侵入の件はコッチで調べます。だからアンタは働かんでくださいよ?精々羽伸ばしてきてください』
「そーいうワケにもいかねーだろ」

何言ってんだ、とばかりに土方が言うと、やれやれ、とため息が返ってきた。

『なんのためにとっつぁんが単なるお目付けとして副長まで連れてかせたと思ってんですか。いいから五日間、なんもしないでのんびりしてきてください。いいですね』

念を押し、山崎はそれじゃあ、と通話を切った。

のんびりしろ、などと言われても──土方は眉をひそめ、受話器を見つめた。

本当に松平が土方を遣わせた理由が、体を休ませることだとして、だ。
銀時とのことがある以上、気が休まりはしないだろう──土方は途方に暮れる思いでため息をついた。

(10/12/19)



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