其ノ伍「荒天」 02



あの雨の日と同じようにかぶき町を歩きながら、土方は既にそらんじられる住所を目指した。

スナックお登勢二階――銀時が以前暮らし、そして今日の約束を交わした場所だ。銀時はそこに居ると、もはや確信どころか断言できる。

だが、間違いなくそこに居る、そうわかっているのに――否、わかっているからか、近づくにつれ歩みが遅くなった。

銀時の入隊にあたり調査させた監察の報告によると、その家で銀時が過ごしたのは三月ほどだという。
その家で暮らした何倍もの時間を、真選組副長として過ごしているのか、と、ふと銀時が来てからの時の長さを数えて驚いた。
だがそれ以上に、今までずっとその家を借り続けていたという事実に気が塞いでいく。

外に部屋を借りている隊士もそう珍しくはない。だが、あの男が、と考えると浮かぶ仮定はひとつしかなかった。

きっと銀時は真選組に居つくつもりなどなかったのだろう。いつでも辞める心積もりだったはずだ。
少なくとも入隊当初の様子からはそう感じていたし、辞めたければ辞めればいい――土方の方もそんな風に思っていた。

だから銀時は、いつでも帰れる場所を残しておいたのだ。

またぐるぐると渦巻く嫌な感情が込みあげかけて、土方はゆるくかぶりを振った。たとえそのつもりで賃貸し続けていたとしても、実際にはまだ隊に属しているではないか、と自分に言い聞かせる。

――何故、白夜叉は真選組などに身を置いているのです?

不意に以前浪士から言われた言葉が脳裏に蘇った。

――天人に迎合した憎い幕府の狗などに未だやつしているのは、

土方がとどめているからではないのか――憎憎しげにそう言われた。

土方にはそんな覚えはない。だから、そんなことは本人に訊け、と取り合わなかった。
だが、こうして改めて考えてみると、何故あの男がとどまっているのかがわからなくて、困惑に眉根を寄せるしかない。

銀時が国や幕府を護るつもりなどないことは、知っている。その点は土方も同じだが、根本的に異なるのは、銀時が真選組に頓着していないということだ。もちろん、土方たちのように近藤に対して傾倒している訳でもない。

――何故、白夜叉は――

銀時には帰る場所がある。以前営んでいたという胡散臭い仕事だって、生計を立てるには困らないだろう。

辿り着いたスナックお登勢の店先に立ち、上階を見あげる。

自分の知らない銀時の居場所かと思うと、どんどんと暗鬱な気分が膨らんでいった。

近藤と真選組に全てを捧げている土方と違い、銀時には別の生き方ができるのだ――それを改めて実感する。
それは、銀時が自分の隣からいなくなる――そんな、今では想像もつかない光景を突きつけるかのようで、ぞっとした。

――ダメだ。

良くない感情が千千に乱れて御しきれなくなりそうで、土方は無理矢理それらを押し殺した。



玄関の戸に手をかけると、鍵が掛けられていないそれはすんなり開いた。三和土に置かれた見慣れたブーツに、思わず舌打ちが出る。
断定していたとはいえ、やはりか、とどこか腹立たしく思ってしまう。

短い廊下の先が部屋だろうと当たりをつけて、そこに通じる引き戸を開けると、

「――おせーよ」

飄々とした気の抜けた声が飛んできた。

土方は怒気を噛み殺しながら、声がした方――意外と広い室内に置かれたソファを睨みつけた。

そに寝転がっていたのは、果たして病院から抜け出し土方が捜索を請け負った男――銀時だった。隊士が病院に持って行ったのだろう、制服のベスト姿でジャンプなど読んでいる。

その暢気な姿に土方の中で何かがぶち切れた。

「ふざけんなバカヤロー。てめ、なに病院抜け出して来てんだ!」
「なにって、約束したじゃねーか」

半身を起こし、当たり前のことのように銀時が言う。

何故怒鳴られるのか心底わからない、とでも言わんばかりの表情に、土方はアホか、と吐き捨てた。

「誰が怪我人なんかとやるか!さっさと病院に戻れ!」
「ちょッ、なに言ってんのお前、なに言ってんの!?俺が今日のこの日をどんだけ楽しみにしてたか知ってのことか!!」

銀時が慌てたように手を伸ばし土方の腕を掴む。

思い切り振り払いたいところを怪我人だと思って加減すれば、向こうは馬鹿力で引き寄せようとするものだから、最終的には結構な力での抗戦となった。

「うるせェ!悔しかったらさっさと怪我治せバーカ!」
「治ってる!もうとっくに治ってるからコレ!」
「嘘つけェェェ!」

引く力に全力で抗っているうちに、勢い余ってふたり揉み合うようにしてソファに倒れ込んだ。土方が上になり、マウントを取る格好になる。

銀時に跨ったままギリと睨みつけると、いつもの人を食ったような笑いを浮かべているかと思った男は、どこか困ったように眉根を寄せていた。

押しやったまま銀時の胸許に乗せていた手のひらが、ざらりとした感触を捉える。シャツ越しに伝わるそれは、包帯の感触だ。

それをはっきりと認識した途端、押さえ込んでいた感情がぶわりと噴き出て――爆ぜた。

「――ふざけんな」

頭の中も胸の中も暴風雨のように乱れているというのに、口からこぼれ落ちた声はとても低く冷ややかなのが、自分でも不思議だった。

「勝手にこんな怪我して来やがって。こっちが心配しようがてめーにゃあどーでもいいんだろ、どうせ訊いたってなにも言わねェんだろ、てめーは。なにも言わねェくせにてめーの都合ばっか押しつけんじゃねェよ!」

何も言わないことが銀時なりのけじめだというのは、わかっている。
言わない以上、それは土方が知る必要のないこと、あるいは知られたくないことだということも。

巻き込みたくないと思っているだろうことも、わかっている。

だが、

「とっくに巻き込まれてんだよ、こっちは。聞きたくもねェ名前をさんざ聞かされてんだよ。どいつもこいつも白夜叉白夜叉うるせェんだよ!ンな昔のこと俺が知るか!」

わかっていて――腹が立つのだ。

「知るワケねーだろ、なにも言わねェのにわかるワケねーだろ!知らねェトコで知らねェ女のために怪我して、それでよくやりてェとか言えるな、あァ!?つーかてめーなんか勝手にその女のためにでもくたばってろ!!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待てちょっと待てッッ!」

時間軸も関係なく入り乱れる憤りのままがなる土方を、それまで黙って聞いていた銀時が突然遮った。シャツの胸許をきつく握り締めていた手に銀時の手が重ねられ、赤い瞳が動揺を浮かべながら土方の顔を覗きこむ。

「あのー、土方君? それって、あのー…やきもち、に、聞こえるんだけど、銀さんの気のせい…?」
「悪ィか」
「マジでか!?」
「悪ィか!!」

本当に悋気かどうかも――自分の感情なのに――わからずに、それでも怒鳴り返すと、銀時の顔がサアと赤く染まった。

何か言いたいのかぱくぱくと口を開閉する銀時を見おろしながら、土方は自分の胸中にどす黒く醜い感情が未だ渦巻いているのを覚える。

「…辞めたっていいと思ってたくせしやがって」

ぽつりと呟くと、銀時がぐ、と言葉に詰まった。やはりな、とその様子に土方は唇がいびつに歪むのを感じる。

やはり、辞めてもいいと思っていたのだ、銀時は。

土方に好きだのなんだの言っておきながら――いつだって、好きなときに、辞めるつもりだったのだ。

「なんでか居ついたと思いきや、居ついたくせして好き勝手ふらふらして、厄介事に首突っ込んでばっかで。どこぞで暴れて来たかと思えば…勝手に、死にかけて…」

もう自分が何を言いたいのかもわからなくて、語尾が弱くなる。

土方が唇を噛み締めると、重ねられた銀時の手に、ぐ、と力がこめられた。男のその手をぼんやりと見つめる。

この手に剣を握り、土方の知らぬ場所で戦ってきたのだ、この男は。

――護るために剣を――

知っている。
この男が振るう迷いのない剣が何かを護るためのものだということなど、一年に満たない時間でも、ずっと見てきたのだから知っている。

それがたとえ、土方の知らない場所で振るったものであっても、変わらないことも。

たとえ、自分が命を落としかねないことになっても、剣を振るい続けることも。

「…なにも言わねェくせに。知らねェトコで死にそうになってんじゃねェよ」

せめて、と、じっと土方を見つめる赤い目をひたと見返す。

「死ぬなら、目の前で死ね」

俺の目の前で――と震える声で続け、土方はああ、と他人事のように理解した。

きっと、銀時のこの怪我が捕り物で負ったものだったら、こんなに混乱して取り乱したりしなかっただろう。
それが自分の見ていないところでのものでも、真選組の副長としてこの男が負傷したのなら、受け入れられる。

自分の知らないところで剣を振るっていたのが面白くないのではない。

自分の知らないところで、自分が関与できない事情で死ぬかもしれない――と、唐突に目の前に突きつけられた現実が、酷く怖いのだ。

今までぐるぐると乱れ、自分でも訳のわからなかった感情が一点に収束すると、気が抜けたように放心してしまった。
シャツから透けて見える包帯を土方が茫乎な目で眺めていると、銀時があーもー、と頓狂な声をあげて上半身を起こした。

「勘弁してくんね?なにその熱烈な告白。もーホント、心臓潰れっから勘弁してくんね?」

深々とため息を落とすと、銀時は土方の手を掴み、ゆっくりとシャツから離させた。そのまま両手で握り込んで「こっち見ろって」とやわらかい声で促す。

のろのろと視線をあげた土方に触れるだけの口づけを落とすと、銀時は先ほどの声音同様やわらかい笑みを浮かべた。

「死なねェ――とは言えねェし、これからも俺ァ好き勝手に動くと思うけどよ」

それでも――と強い光を湛えた赤い眼が、真っ直ぐに向けられる。

「俺はお前の隣に居る」

誓うかのように言う銀時に、土方は軽く瞠目した。
呆然と見やる土方に、銀時が続ける。

「おめーがどんなに出てけっつっても、もうとっくに決めてっから。俺が出てくときは、お前も一緒だから」
「…俺が真選組出て行くワケねーだろ」
「んじゃあ、俺も出てく理由ねェな」

ありえない、と土方が返せば、銀時はあっさりと告げる。その言葉にたまらず土方は眉をさげた。

「…俺なのかよ…お前が真選組に居続ける理由って」

土方が引き止めている訳ではないが、結果としては以前浪士に言われた通りのものになるのかコレは、と土方は訳もなく頭を抱えたくなった。

当の銀時は、当たり前だろ、ときょとと目を丸くしている。

「それ以外ねーだろ。つーか今さら訊かれるとは思わなくてビックリなんだけど。結構バレてると思うんだけど、色々と」

色々と、ってなんだよ――と、むっとする土方に、銀時はまあな、とため息をこぼした。

「おめーが変なトコで意外と鈍いのも、ひとりでぐるぐる悩んで思考暴走させたあげく勝手にヘコむ奴だってのも知ってるけどな、それにしたって今さらそりゃねーだろ」
「ンだとてめェ」
「俺の愛を舐めんじゃねーっつってんの。ついでにしつけェからな、覚悟しろ」

真面目な顔で言い切る銀時に、土方は言葉をなくした。舐めた覚えもなければ、そんな脅しめいたことを言われる覚えもないのだが。

呆れるやら困り果てるやらで押し黙っていると、銀時は握ったままの手をすいと持ちあげ、土方の指先に口づけた。

「死なねェとは言えねーけど、簡単に死ぬつもりもねェからよ。俺が死んだら土方君泣いちゃうから、看取らせるのもなんだし」
「誰が泣くか」
「それにどうせなら、おめーの上で腹上――」
「今死ね」

静かな口調で、それでも土方が突っ込みを入れると、銀時がくつくつと喉の奥で笑う。するりと銀時の手が動き、今度は手のひらどうしを合わせてつなぐように握られた。

指を絡ませ、手の甲に口づけられる。

「なァ、俺今すっげェおめーとやりたい」

直截的なことを言いながらも、銀時の笑みは嬉しそうにやわらいだ穏やかなものだった。

「死にそーなやつ、やろうぜ」
「黙れ怪我人」
「怪我人だけど、生きてるだろ?」

ホレ、と銀時の腕が動き、その胸許に抱き込まれた。規則正しく刻まれる鼓動が、布地と包帯越しに伝わる。

感じる心音に、知らず土方の口から息がこぼれた。

生きてる――こんな大怪我を負いながらも生きて、ここにいる。

そのことに深い安堵感を覚えていると、それによ、と悪戯っぽい声が耳許で落とされた。

「あんな強烈な愛の告白されたら、やらねェって言われても無理だから。こちとらずーっとおあずけ食らって我慢の限界だからね、コレ」
「どこが愛の告白だよ」
「無自覚かよオイ」

怖いわー、などとおどけながら、銀時は体重をかけてのしかかってきた。ソファに押し倒され、ふざけんな怪我人、と睨みながらも土方が抵抗しないのを見抜いているのだろう、だからよ、と銀時が微笑む。

「生きてるって実感しようじゃねェの、お互いによ」

わずかに情欲を滲ませた男臭い笑みでそんなことを言い、銀時が唇を寄せる。

勝手な奴だ、と内心罵るものの、ぬるりと侵入してきた舌に絡め取られ吸いあげられ、口内の感じるところを舐められると背筋が震えた。

たまらなくて銀時の背中に腕を回すと、重なった胸からも縋るように抱きついた背中からも熱が伝わってきて、なんだか泣きそうになる。

鼓動に、熱に、生きていると実感し――これを失くしたくない、と強く思った。

「…次勝手に死にかけたら俺が殺すからな」
「え、腹上――」
「違ェ!」

わざとらしくふざけてはなんだか目を輝かせる銀時をべしりと叩く。
懲りるということを知らない男に何か有効な手はないのか、と苦々しく思考を巡らせ――土方は口の端をあげた。

「――わかった。次勝手に知らねェトコで死にかけたら、二度と触らせねェ」
「え、ちょ、いやいやいやいや!待て待てマジそれ待てってオイ!」

慌てふためく銀時をフン、と鼻で笑い、するりとその首に腕を回す。

「外で遊ぶのは構わねェが、精々肝に銘じとくんだな」
「なにそれどんな拷問!?」

つーかマジ無理だからそれ!、と喚く銀時に知るか、と溜飲をさげ、土方は銀色の頭を掻き抱くようにして引き寄せた。



未練がましく生に縋るなど、自分もこの男も柄ではないことはわかっている。
銀時がまた厄介事に首を突っ込んでは危険な目に遭うだろうことも、容易に想像できた。

それでも。

隣に居ると言ったこの男にとって、自分の存在が少しでもこの世に踏みとどまれる小さな枷になればいいと願い、土方は銀時に口づけた。

(11/02/20)



Novel Top】【Top