伍ノ外「承継」
ずっと思考に沈んでいたらしい。
外の通りから酔客の喧しい馬鹿笑いが聞こえてきて、銀時は我に返った。そこでようやく、室内がほの暗くなっていることに気づく。
疾うに陽は沈んでいるのだろう。それは通りや階下の店から漏れ聞こえてくる賑やかさからもわかった。
障子越しに入り込むネオンだけが頼りの、電気もつけていない室内は、薄っすらと辺りが見えるくらいの明るさしかない。それでも銀時は灯りを点ける気にはなれず、傍らで眠る土方を、飽くことなく眺め続けた。
土方が気を失うようにして眠りについてから、結構な時間が経っただろう。けれど、もう少し――せめて彼が自然と目を覚ますまで、その眠りを邪魔したくなかった。無茶をした、という自覚があるだけに、尚さらだ。
起こさないよう、そっと手を伸ばして土方の髪を梳く。泣いていたせいで土方の目許は赤くなっていた。それを目にすると、罪悪感でちくりと胸が痛む。
優しくしたい、と――そう思っていたのに、それが叶わなかった。
* * *
ソファの上で唇を貪りながら、もどかしく服を脱がせあった。
土方の目があらわになった銀時の胸許――そこに巻かれた包帯にそそがれ、眇められる。眉根を寄せたその表情は、痛みを堪えているかのようで、銀時は苦笑した。
土方が何を嫌がり、恐怖を抱いたのか――それがわかっただけに、ただきつく抱きしめる。言葉にして何かを言うより、皮膚越しに感じる互いの心音が、すべてを伝えてくれると思えた。この心臓はまだ止まっていない。生きてこうして抱き合っているのだ、と、言葉以上に、強く伝える。
口づけながら肌を撫であげ、その体をほぐしているあいだ、土方は肌を赤く染めながらも銀時に全てをゆだねていた。感じる箇所を探りながら愛撫を施せば、素直に体を震わせる。土方がこの行為に対して逃げ腰だったのを知っているだけに、それだけで胸が熱くなった。
けれど、後ろを慣らそうとするとさすがに土方の体がすくんだ。息を呑み、小さく体を震わせる土方が感じているのは、快感だけではないのだろう。銀時の腕を痛いほど掴む指は、力をこめすぎて白くなっている。
体の力を抜くよう促しても、土方は無理とばかりにかぶりを振るだけだった。
――土方君、コッチ初めて?
――うっせェ!黙れ、ッ!
ならば、とからかうように言えば、土方は死ね、と羞恥もあらわな赤い顔で罵った。
純粋に恥ずかしいのと、行為に対する戸惑いや不安もあるのだろう。ギッと銀時を睨みつけるその双眸は、わずかに揺らいでいた。だがそこには恐怖や嫌悪といった色は見られない。
土方のその様子から、彼が男との経験がないと確信し、銀時は内心、ホッと安堵の息をついた。
それは、以前土方が浪士たちに捕らわれたとき、その手の拷問を受けてはいない、ということを示している。
あのとき――高杉と繋がっていた過激攘夷派に土方が捕らわれた、あのときに。
銀時にしたら、どんな責め苦を受けていようと、土方が生きていてくれればよかった。それよりも土方が下手に暴れて命を落とすような真似をしやしないか、という方が遥かに気がかりで、怖かった。
だから、たとえあのとき、土方が男たちから辱めを受けていたとしても、銀時は構わなかったし、ましてや責めるつもりもない。銀時の想いは何ひとつ変わらず、土方に向かっている。
そう思っていても、初めてだと知るとやはりホッとしたし、嬉しかった。
――なら優しくしねェとな。
緊張をほぐすよう、笑い含みにそう嘯いたが、その言葉に嘘はなかった。
初めてだから、優しくしたい――確かにそう思ったのだ。
けれど、その肌に触れてしまったら、余裕など綺麗に掻き消えた。
どれほどこの男を想い、焦がれ、かつえていたのか――そんな自分の内面を叩きつけられ、思い知らされたようだった。
飢餓を一番強く覚えるのが、ほんのわずか飢えを満たされたときのように、その肌に触れ繋がったことで、底のない欲に火が灯された。
その体を抱き、精を吐き出しても、そのはしからまた飢えていくように、何度も何度も求め貪った。
初めての行為と過ぎる快楽に、土方が怯えているのがわかっても、止められなかった。
土方がもういやだ無理だと銀時の体を押しやろうとしても、泣きながらやめろと懇願しても、聞いてやることなどできなかった。
途中から半ば意識を飛ばしていた土方がついには気を失ってしまっても、それでも手離せなくて、意識のない体を揺さぶっていた。
* * *
こんなにも情欲を御しきれなかったことなど初めてで、銀時は自分の中の底知れぬ欲にゾッとする思いだった。疲労の色濃い土方の寝顔を見れば、よけいにだ。
確かに、早くその体を繋げたいと焦っていた。
それは、情欲からもあるが、それ以上にずっと不安だったからだ。
土方に想いを告げ、そして彼からも返してもらえた。俺も、と応えてくれた土方の言葉を疑うつもりなどない。
だが、銀時は今までの自分の言動を思い返すと、とてもじゃないが手放しで喜ぶことなどできなかった。
銀時が初めてちゃんと「好きだ」と言葉にしたとき、やはり土方はそれまでの銀時の言動――何度となく口づけたり、あからさまな噂を流布させたり、といったそれらを、深くは捕らえていなかったと知った。
単なる銀時の悪癖か、あるいはからかわれているだけだと思っていた――あとから土方はそう言ったのだ。
銀時からの過剰すぎる接触が、土方にとって当たり前のものになるように――と、確かにそう目論んで、それまで土方に色々と致していた。そして実際土方は、銀時が口づけても「悪癖」で済ませるほどに慣れていた。
そう土方に刷り込んだのだから、そこまでは銀時の目論見どおりだ。
だが、ふと嫌な想像が浮かび、銀時はそれまでのやり方を後悔した。
好きだと告げた銀時に、土方は俺も、と返してくれたが、土方はただ、銀時の感情に釣られてそう思い込んでいるだけではないだろうか――土方に刷り込んだ、という自覚があるだけに、その想像は拭いきれなかった。
いつか冷静な思考を取り戻した土方に、勘違いだった、と言われる日が来るのではないか――そう考えると、不安が湧き起こる。早くその体を繋げて既成事実を作ってしまいたい、と最低なことを思うほどに、銀時は焦っていたのだ。
だからこそ、今日、あの嵐のような感情の発露で土方が見せた悋気が、とても嬉しかった。
珍しく感情をあらわにしてその胸の内を銀時にぶつけた土方は、何をどう伝え聞いたのか、女のためにでもくたばってろ、などと、やきもちとしか取れないようなことを言ったのだ。
おまけに、
――死ぬなら、目の前で死ね。
――俺の目の前で。
土方はそう言った。
痛みを堪えるような表情と震える声から、土方の感情が痛いほど伝わってきた。
銀時が、土方や真選組とは関係のない事態で命を落としかけたことが、嫌だった――怖いのだと。
それを悟ると、銀時は心臓が止まりそうになってしまった。
もう無理だと思った。
惚れぬいた相手からこんな感情をぶつけられて、平静でいられる訳がない。
心臓を握り潰されるような衝撃に、もう手離せないと、そう思った。
――辞めたっていいと思ってたくせしやがって。
そう言い、歪んだ笑みを浮かべた土方の姿がよみがえる。
気づかれていたことに驚きはしないが、土方がそんな表情で憎らしげに詰ったのが、銀時には意外だった。そして、そんな表情をさせてしまったことが、心苦しくもあった。
土方が言うように、真選組を辞めてもいい――否、辞めようと、思っていた。それは、他の誰でもない、土方のためだ。そしてひいては銀時自身のためでもある。
自分の過去が組織にとって弱点になることは、火を見るよりあきらかだ。
土方や山崎たちがどれほど尽力し策を練ろうと、銀時の過去にまつわる全てが消えることなどない。真選組や松平の失脚を望む幕吏たちが嗅ぎつけることもあり得るし、そうなれば結果など目に見えている。
攘夷戦争に参加していた、というだけでも危ういだろうに、加えて銀時には未だついて回る異名があるのだ。
幕府を牛耳る天人どもにとって、その名は忌まわしい存在のものだろう。未だに遺恨を抱いている輩は皆無ではないはずだ。
そんな連中が今の銀時のことを――「白夜叉」が副長として真選組に身を置いていること知れば、組織など簡単に潰されるに決まっている。
粛清の憂き目にもあいかねない。
だから、もし自分の存在が真選組にとって不利益となるなら――自分のせいで土方の大切なものが消されかねないことになるのなら、そのときは離れようと密かに心に決めていた。
そうしようと、決めていたのだ、そのときまでは。
けれど――と諦観にも似た思いで銀時は目を閉じた。
――死ぬなら――
無理だと思った。
生きるも死ぬも、自分の目の前で――土方はそう言ったのだ。
そんなことを言われて、離れられる訳がない。
無理に決まっている。
ずっとその隣に居ると決めた。
だから――決めた。
その瞬間に生まれた覚悟を噛み締めながら、そっと土方に手を伸ばした。この気持ちが指先から伝わり、染み込めばいいと、そんな願いをこめながら、すべらかな頬を撫ぜる。
どんなことになろうと――そして土方がどう思おうと、今のこの想いが銀時の答えだった。
だから――。
絶対に離れない。
離れられない。
最期まで隣に居る。
そのためにも、決めたのだ。
「それ」がきっと土方を苦しめるだろうとわかっているが、それでも――離れないと決めた。
勝手に――決めた。
(12/09/08)
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