揺れる視界のなか、これで何回目だよ、と朦朧とした頭でうっかり数えてしまい、土方はうんざりした。
まだ意識がはっきりしているあいだに、同じタイミングで二回射精したことは覚えているが、それからさらに二、三回なかに出された気がする。そうなると四、五回はいたしてることになる。そらもう、うんざりもする。
――なんかの記録にでも挑戦する気か、この腐れ天パは。フザケんなこの野郎。……つーかセックスの連続回数世界記録って何回なんだこの野郎。ちょっと怖ェぞこの野郎……。
ぼやけた頭でそんなことを考えていたら、勃ちあがり体液まみれの性器をいきなりぐりりと強く弄られ、体が跳ねた。
「いっ……!」
突然生じた痛みにあがりかけた悲鳴をなんとか呑み込むと、「んだァ?」とからかうような声が降ってきた。
「ぼんやりしちゃって。土方君はもうギブですかー?」
「ふ、ざけんな、ッ」
にやにやと見下ろしてくる銀時をギッと睨みつけると、その反応に赤い瞳がじんわりと笑んだ。
「え、まだまだ余裕だって? さっすがー」
「違ッ……! てめーが、しつけ、だけ、ッあ!」
いきなり強く突きこまれ、土方の非難は途中で絶えた。それまでのゆったりとした緩慢な動きが、急に激しい律動へと変わる。
「……ッ!」
一瞬、息が止まった。既に快感など飽和していると思っていたのに、それ以上の快楽が体のなかにザアと広がる。それはもう苦痛と紙一重だった。
「あっ、あ、っや、もうやめ……ッ!」
嫌だ、もうヤメロ、と喘ぐ合間に口にしても、銀時は「またまたー」などと取り合わない。
「こんなに、気持ちよさそうにしといて、そりゃねーだろ」
笑い含みに言うと、しとどに濡れて律動に揺れる土方の性器をつう、と指先で根元からなぞり上げた。
「ッ、あ!」
土方が腰を震わせると、そのさまに銀時の笑みが深くなる。
ムカつく。そのふざけた天パの頭を殴ってやりたいが、既に腕を動かすのすらだるくて叶わない。それがさらにムカつくが、結局土方はなす術もなく揺すぶられていた。
ふうと浮上した意識が閉じた瞼越しにも光を感じ取る。
目を開ければ、すっかり見慣れてしまった万事屋の天井が視界に映った。障子越し、室内に差し込む陽の光が、外の好天具合を教えている。朝方――なのだろう――の冷涼とした空気を感じながら、土方は深いため息をこぼした。
目覚めは良い方だ。特に今日のような朝から晴天で空気が澄んでいる日など、気分爽やかに起床できた――今までは。
すっきり覚醒した思考と裏腹に体は鉛のように重く、動くのが億劫で仕方ない。
このまま怠惰に横たわっていたがる体を叱咤しながら半身を起こし、土方は苦々しい思いで未だ隣で寝こけている銀時を見下ろした。
体力には自信がある。そして、仕事などで疲弊していても、大抵ひと晩寝れば疲れもすっきり取れていた。回復できていたのだ――常ならば。
それがどうだ――と今の状態を冷静に確認すると、ため息しか出てこなかった。昨夜何度も何度も好き勝手揺さぶられた体は、こうして上半身を起こしているのが精一杯なくらい、未だままならない。
この前など初めて「やり過ぎて腰が痛い」というのも体験してしまった。動いた瞬間、腰からビシッと電流のように激痛が走り、土方は一瞬動きも息も止まってしまったのだ。あれは確かに、痛い。
半身を起こした感じから、今日はそこまで酷くないとわかる。だが、今日が非番で良かった、と心の底から思った。それほどに、体中が倦怠感で侵されている。こんな状態では見廻りですら覚束ないだろう。
このままではいつか仕事に支障が出るかもしれない。
それを想像し、土方はダメだ――と強く思った。
それでは駄目なのだ。銀時との関係が原因で仕事に障りが出たり、疎かになってしまったら――土方はこの関係を続けていられなくなる。
そんなことを鬱々と考えていたら、隣で寝ていた男が身じろぎした。起きるか、と見やるなか、ゆるゆると開いた眼が土方を捉える。
「あー……、んだ、もう起きてたのか……」
さすが早ェな、などと欠伸まじりに言いながら、銀時はむくりと起き上がった。そこには怠そうな気配など見られない。それがなんだか腹立たしくて土方が顔をしかめると、どした?、と銀時が覗き込むように顔を寄せた。
むっと睨みつけた先の赤い瞳がわずかに笑みをたたえ、近づいてくる。唇同士が触れそうになり――土方は銀時の顔を手で押しやった。そのままずびしと指を突きつける。
「ってワケで、当分おめーとはやんねェ。無理矢理やろう、とかふざけたマネしやがったらぶっ殺すからそのつもりでいろ」
「……は? なにがどーいうワケ? いきなりすぎてサッパリ意味わかんねーんだけど。ってかなにその拷問」
虚を衝かれたためか、銀時は反発するでもなくただきょとと目をしばたたいた。寝起きでいつも以上に好き勝手散らばった天パを掻きながら、えーと、と窺うように土方を見やる。
「つーか大体よ、やんねェっつっても、無理じゃね? おめーだって我慢できなくね?」
銀時が手を伸ばし、土方の裸のままの腰をいやらしく撫でる。べちっとその手を叩き落し、土方はあのよ、とため息とともにこぼした。
「一応お前、俺のこと好きなんだよな?」
「あ? なに今さら。最初っからそう言ってんだろーが。つーか一応ってなんだよ、一応って。めちゃめちゃ好きだっつーの。ナメんなこんにゃろう」
「じゃあ、少しは大事に思ってるよなァ?」
「ったりめーだろ。なに、なんなの、今日のおめーは乙女モードか。「私のことどー思ってるの?」ってやつか」
それはさすがにキャラ違いすぎじゃね? などと銀時が訝しげに眉根を寄せる。おちょくるような言葉は無視し、銀時の返答に土方はうんうん、とうなずいた。
当たり前――つまり、大事に思ってくれている、という訳だ。
取った言質を脳裏で反芻し――
「……ったらこんな足腰にくるまでやんじゃねーよ! 途中でヤメロって何度も言っただろうが、あァ!?」
土方は憤慨をぶちまけた。
突然の剣幕に銀時が驚いたように目を丸くする。その鼻先に、再びびしりと指を突きつけた。
「今日が非番だからまだいいものの、ハッキリ言ってこんなんじゃ仕事になんねーんだよ!!」
「……非番だってわかってやったに決まってんじゃねーか」
「あァ?」
土方の非難に、銀時がボソボソと言い訳がましくこぼす。カチンときて思い切り凄めば、銀時はばつが悪そうに視線を泳がせた。
その姿をフン、と鼻で笑い、土方は一方的に告げた。
「ってワケで、当分セックスレスでお願いします」
「いやソレ、お願いしてるって態度じゃねーよ……。めっちゃ上からだよ……」
「それともアレか。やれねーんだったら意味ねェってか?」
うつむき加減になった銀時を覗き込むようにして、わざと意地悪く問いかける。そんな訳はないと知っていての問いは、いわば土方の目論見を通すための手だ。
もっとも、これで応などという返答をよこしやがったら本気で殺してやるが――そんな物騒な決意を固めながら答えを待っていたら、唐突に銀髪が動いた。次の瞬間にはゴツ、と額に衝撃が走る。――頭突きしやがったのだ、腐れ天パが。
「ってェなテメー!! いきなりなにしやがんだ!」
「――当分、っていつまでだコノヤロー」
土方の怒声に返ってきたのは意外なまでに覇気のない声だった。てっきり怒ったとばかり思ったのだが、見れば銀時は眉を下げた情けない顔をしている。
拗ねたように口を尖らせてはいるものの、上目で土方を見やるその表情は叱られた子供のようにしゅんとしていて、土方は自分が酷く無体なことを強いているような気になった。――常に無体を働くのは銀時の方だというのに。
「……当分は――当分だ」
「未定かよ」
憮然とながらも、銀時は渋々といった態で「わかった」とうなずいた。次いで、あーあ、とわざとらしく落とされたため息が、なんだかつきりと胸に刺さった。
そんな遣り取りから大分経った日、土方は自室で煙草をくゆらせながら、割り切れない気分を持て余していた。
このところ、仕事を終えてひと息つくと、いつもそうだ。仕事から切り替わった思考に、知らず眉根が寄る。
脳裏を銀色がちらつくたびに、訳のわからないもやもやとした感情が渦巻き、気持ちが落ち着かなくなる。その感情の正体も、そしてその感情が生じた理由もわからなくて、土方は苛々と煙草を揉み消した。
土方が自分で望み、言い出したことだ。それを無理矢理銀時に押しつけ、渋々の態で従わせている。
おかげで体調は万全で、仕事だって順調にこなせている――望んだとおりに。
だというのに、何故こんなにも気持ちが晴れないのか。それが自分自身でもわからなくて、よけいにもやもやする。
否、わからないというなら、銀時との関係で心乱しているこの現状自体がまず、わからないのだろう。
だって、あり得ないのだ。自分が男と関係を持っている、など。
女とだって、色恋自体避けていた。ミツバとのことがあったから、というのもあるが、それ以上に土方の選んだ道故に、という方が大きい。
仕事を――真選組を護るとそう決めている。それを最優先にする土方が、相手を幸せにしてやれるとは思えなかった。おまけに、土方の恋人あるいは伴侶だと知られたら、それが原因で相手が危険な目に遭うかもしれない。だから、特定の相手など作らずにいた。
だというのに、伸ばされた手を、取ってしまった。それが自分でも不可解なことだし、そしてその手を伸ばした相手が万事屋――銀時だということがまた、よくよく考えると不思議で仕方ない。それより以前が以前だっただけに、尚さらだ。
出会いは最悪の部類だろう。桂たち攘夷志士と一緒に居た銀時に斬りかかったのだ。
そんな物騒な遭遇以降、生じた腐れ縁から何度となく顔を合わせることになったのだが、土方は当初、銀時を胡散臭い男だと怪しんでいた。
銀時は腹の読めない男――否、読ませない男だった。少なくとも土方はそう思っていた。それがまたぞろ土方の不信感を煽ったのだ。
けれど、胡散臭いだけだと思っていた銀時のなかに真っ直ぐな魂を見たときから、土方のなかで何かが変わっていったのだろう――いつからか銀時に対して好感を抱いていた。それが恋情へと育っていったのは、さほど時間がかからなかったように思う。
そして、いつのまにか生じていた感情を土方が自覚したころ、気づいたことがある。
銀時が、誰にでも手を差し伸べ、他の誰かの大切なものを必死に護ろうとするくせに、自ら望んで抱え込もうとはしない、そんな男だということを。
そんな姿から、何に対しても執着がないのか、とうら哀しく思った。
胸が痛んだりもしたのだが、けれどどこかでホッとしていた気もする。
銀時が好きなのだと自覚しても、土方にはどうこうしたい、という欲はなかった。誰かとわりない仲になるつもりなどないのだ。
だから――執着心のない銀時相手に、最初から望みなどあり得る訳がない、とわかっていたからこそ、密かに恋情を抱いていられた。
そんなある意味不毛な状況を掻き乱し壊したのは、銀時だった。
――おめーのこと好きなんだけど。
ある日、ぶっきらぼうな口調でそう土方に告げたのだ。
好きだ、と――密かに想っていた相手から同じ感情を返されて、嬉しくない訳がない。土方とて、その言葉にどうしようもなく心が喜んだのだ。けれど、そのとき歓喜と一緒に胸中に生じたのは、絶望にも似た悲嘆で、土方はいっそ口惜しくすら思った。
報われなくてよかったのだ。想いが通わなくても、ただ銀時を密やかに想っていられれば、それでよかった。なのに何故、土方を好きだなどと言うのか――八つ当たりのようにそんなことを思った。
かつて心から惚れた女を捨ててまで、今の道を選んだ。そんな土方が誰かを――銀時を選ぶなど、あっていい訳がない。
だから一度は断ったのだ。土方の両手は既に真選組で一杯なのだと――他に護るものを抱える余地はないのだと、そう銀時の想いを切り捨てた。
けれど銀時は諦めてくれなかった。護られる気も、抱えてもらうつもりもない――彼女のときとは違うだろ、とそんなことを言った。大切なものを護る土方の、その邪魔をするつもりもない、とも。
ミツバとのことも――彼女を遠ざけた理由も知っていて、銀時は手を伸ばしたのだ。それを知ると、逃げ道を全て塞がれた思いがした。
――だからあとは、好きか嫌いか、しかなくね?
そんでおめーも俺のこと好きだろ? などと断言され、違うと嘘をつくこともできずに、そうして――伸ばされた手を、土方は取ったのだ。
とはいえ、ふたり同じ想いを重ねていても、それぞれ互いの優先順位は低かった。だからこそ、土方は銀時と付き合うことができたのだ。
真選組よりも――仕事よりも優先させることはない。そんな相手を今さら作ることも、関係が原因で仕事に支障をきたすことも、誰より自分自身が一番許せないのだ。もし真選組とこの関係の比率が動き、銀時の方に傾いてしまったら、土方は全てを断ち切るつもりだった。
それ故、当分やらない、などと銀時に告げ、無理矢理呑ませた。それは、この関係を終わらせたくないからだ。
だから、何事もなく仕事をこなし、銀時との関係も順調――一見は、だが――なこの現状はとても喜ばしいことなのだ。
そのはずなのに――やはり土方の心は晴れずにいた。
そうして土方のセックスレス宣言からふた月近くが経ったその日、土方は朝早くから万事屋へと向かっていた。
今日は銀時の誕生日――にされた日だ、と本人は言うが――だ。
夕方には万事屋の従業員たちやその姉、そして大家のバアさんたちがパーティを開くのだという。せめてそれまでの時間を一緒に過ごしたい、と銀時が常になく神妙な面持ちで求めたものだから、土方はほだされてしまった。半ば無理矢理休みをもぎ取ったのだ。仕事最優先の土方にしたら、これ以上ないくらいの――そしてこれが精一杯の譲歩だった。
ただ、銀時の誕生日を休みにする分、前日までにこなさなければならない仕事が増えるため、どうしても当日の朝にしか訪ねて行けない。土方がそう告げると、それでもいい、と銀時は嬉しそうに笑った。
その笑みに、土方は丁度いいのかもしれない――そんなことを思った。誕生日だから、なんてベタすぎるが、銀時が望むのならセックスレスを解くに、丁度いいだろう、と。
そんなことを考えながら辿り着いた万事屋の階段を登ろうとしたとき、上階からガラリと戸が開く音がした。
「うっさいネ、死にかけミイラ男はおとなしく死にかけてればいいアル。ケーキは私の物アルヨ!」
降ってきたのは万事屋の従業員であるチャイナ娘――神楽の怒ったような声だった。それに何事かを返す声も聞こえたが、すぐにバンと閉められた戸によって遮られる。
死にかけ?、と土方が茫然としていると、足音も荒く階段を下りてきた神楽とかち合った。土方を見て大きく見開かれた目が次いで眇められる。
「……なんだヨ、チンピラ警察がなんの用アルか」
「オイ、死にかけって――」
喧嘩腰な神楽の口調に構ってられないほど、土方は内心動揺していた。上手く頭が回らないまま訊ねると、神楽がむう、と顔をしかめる。泣き出しそうな、そんな顔で「浮かれてたからアルヨ」とぽつりとこぼす。
「銀ちゃん、昨日の仕事でヘマしたアル。お腹斬られてパックリいったネ」
「あ? 腹斬られた奴が、なんで家に居んだよ。病院入ってろよ」
「ムリヤリ出てきたアルヨ、あの天パ」
「は!? なん――」
何故、と驚愕もあらわに質そうとした言葉は、少女の真っ直ぐで深い眼に射抜かれ、喉許で止まってしまった。
「――知らねーヨ」
知らない、などと言いながらも、神楽のその双眸は言外に「お前だろ」と告げている。
「……だから、パーリィは延期決定アル。ケーキは私たちで食べるアルヨ。銀ちゃんの分なんか残んないネ。だから、お前が新しいの買ってやればいいアル」
そんなことを言うと、神楽は茫然と立ち尽くす土方の横をすり抜け、駆け出した。小さな背中はすぐに雑踏に紛れて消える。
小さな背中が消えた方を放心したまましばし見つめ、土方はようやくのことで階段を登った。
勝手知ったるであがった万事屋の中、約束を交わした男は奥の和室で転がっていた。胸許から腰のあたりまで、包帯がぐるぐると巻かれている。そんな姿で、現れた土方に、よォ、とばつが悪そうに片手をあげてみせた。
「……なにやってんだテメー……」
まだ頭が回らないまま、茫然と土方が呟くと、銀時はもそもそと体を起こした。どこか困ったように頭を掻き回す。
「いや、なにって……神楽に聞いたんじゃねーの?」
下で鉢合わせたんだろ、と問われ、土方は緩慢にうなずいた。
「たしかに聞いたが……」
「あ、でもべつに大したこたァねーぞ? 神楽は大げさに言ったかもしんねーけど、ピンピンしてっからね? だからつきっきりで看病とか、そんなんする必要ねーから新八ん家行けっつったのによォ、あんにゃろう……」
ひとりでべらべらと連ねた銀時が、俺のケーキ……! と顔を歪める。ケーキを悔しがるような素振りだが、その実、痛みを堪えているのだろう。仰々しく包帯が巻かれ、小さく呻くその姿は、とてもじゃないが「大したことない」ようには見えない。
「……なにやってんだ……」
銀時を見下ろしながら、土方は再度呟いた。
浮かれていたから、と神楽は言った。それは、土方との今日の約束があったから、なのだろう。病院を出てきたのはその約束のためだということも、容易に察することができる。
だが、そのあたりのことが理解できても、本当に何をやってるんだ、という感想しか浮かばなかった。
何故、己の誕生日というこんな日に、死にかけているのかこの男は。
思考が働かないまま茫然と銀時を見下ろしていたら、ちょいちょい、と手で招かれた。
銀時に促されるまま、その正面で膝立ちになれば、するりと腕を回された。腰を抱き、土方の胸に顔を埋める。
胸許の銀髪をほとんど無意識に撫でながら「……やんねーぞ」釘を刺すと、銀時は小さく噴き出した。
「わーってるっつの」
「って言うワリにゃ、硬くなってきてねェか?」
「そりゃおめー、男のサガなんだからしょーがねーだろ。好きな奴抱いてたら、そりゃムラムラするに決まってんだろ。ムラムラしたらそりゃおめー、銀さんの銀さんだってギンギンさんになるっつの」
「なら離れろよ」
「もーちょいいいじゃねーか。減るもんじゃねェんだしよ」
そう言い、ほう、と落とされたため息には安堵がまじっているように感じられた。
「心臓の音って、なんか安心すんだよな」
ぽつりと銀時がこぼす。
「あと体温な、あったけーとすげェホッとする」
その存外静やかな声で唐突に銀時の過去を思い出し――思い至って土方は言葉を失った。
「……ホッとする」
生きてんだよな――まるで自分に言い聞かせるかのように落とされた小さな声が、さらに胸を衝く。
攘夷戦争に参加していたこの男は、数え切れないほどの死を見てきているのだ。きっと、土方が知る誰よりも、多く。
心臓の音、体温――それらが失われていくさまを、何度も何度も見てきたのだろう。
「……死にかけたのは俺じゃなくておめーの方だろーが」
自分が生まれた日――それが正確かどうかわからないらしいが、それでも、大切な人に生まれた日として決めてもらったというその日に、死にかけるなんて、何をしているのか。そんな目に遭っておきながら、土方との約束のために病院を抜け出し、そして何よりも土方の生を確かめて安堵している、など。
「べつに死にかけちゃいねーだろ。ちーっと怪我しただけじゃねーか」
そんなことを言いながら、銀時は土方の胸に自分の頬を押しつける。背中に回された腕にも力がこめられた。
心臓の音、体温――土方のそれらを感じているのだと、その姿からわかる。感じて――自分自身と土方の命を、実感しているのだ、この男は。
それをはっきり感じ取ると、胸が締めつけられた。堪らずに銀色の頭を掻き抱く。
「……ふざけんな死にかけの怪我人」
こぼれた声は、泣くのを堪えているかのように震えてしまった。
むしろいっそ、頑是無い子供のように泣き喚いてしまいたいほどだ。そんな、自分でも訳のわからない不明確な感情が胸中で暴れている。悔しいのか、愛しいのか、哀しいのか――それすらも判別できないまま、ただただ心が叫んでいた。
千千に乱れた感情をどうしていいかわからずにいたら、不意にとある言葉を思い出し、土方はああ、と目を閉じた。
かなしい、は「愛しい」とも書くのだったか――。
かなしくて、いとしいと、答えに近いその言葉に感情が集約されていく。
「死にかけ死にかけって、しつけーなおめーも。こーしてピンピンしてんだろーが。つーか、俺ァ死ぬならおめーの上で腹上死、って決めてっから。こんなことで勝手に死にかけにしないでくんない?」
「黙れ死にかけバカ」
腹上死とかふざけるな、と頭を叩けば銀時は小さく笑った。その振動が体に伝わってくると、土方にも銀時の生が一層強く感じられた。生きているのだと実感し、反面、足りない――などと勝手なことを思う。
「……早く傷口塞げ、お前」
「あ?」
土方がぽつりとこぼすと、腕の中で銀髪が動いた。首を伸ばすようにして土方の顔を見上げてくる。疑問符を浮かべた表情をまっすぐに見つめた。
「気合で塞げ。今すぐやれ」
「アホか。んな一気に塞がるか」
「さっさと治せ。で、喜べ。セックスレス解除だ」
いっそ倣岸なまでに言い放つ。銀時はぽかんと口を開きっ放しの呆けた顔で、ぱちぱちと瞬いた。
「……どんな心境の変化だ、そりゃ」
「おめーが可愛いこと言うからやりたくなったんだよ」
ぺたりと腰をおろし、銀時の肩に頭を預ける。
「早くその怪我、治しやがれ」
こうして抱きしめ合うだけでなく、もっと深くで――体の奥深くでその生を感じたいと、そう思った。
もしかしたら、銀時もそうだったのだろうか。情欲から、ということも多分にあるだろうが、体を繋げることで生をより強く実感したかったのかもしれない。
そう思い至ると、銀時の無茶な媾合も許せるのだから、現金なものだと自分でも思う。
きっと、これからもこの男を仕事より優先させることなどできないだろう。それは銀時も承知で手を伸ばしたのだ。この関係が、土方の進む道の枷になってはならない――それは変わらない。
それでも――そんな制約の中、ぎりぎりまで許してしまうのだろう。この男も、この男のやること全ても。
「……っだァァァもーーー!」
くっそ! と頓狂な雄叫びをあげた銀時が、ぐいと土方の体をはがす。次の瞬間には噛みつくような勢いで口づけられた。
性急に割り入ってきた銀時の舌が、口内の感じる部分を舐めあげ、刺激していく。
「っ、ん……」
舌を吸われ、軽く噛まれるとじん、と痺れるような快感が生まれた。気持ちがよくて、頭がぼうっとしていく。
くちゅくちゅとわざと立てられる音にも、興奮した。夢中で舌を絡ませあい、陶然と快感を貪っていると、すっと銀時の手が動いた。
しゅるりと帯がほどかれる感覚で、土方は我に返った。不穏な動きを見せ始めた銀時の手をがっちり掴む。
「――オイ」
「もう治ってるー、ってことで――」
咎める土方に、銀時がふざけたことを返してくる。
「あァ?」
治ってるだァ? とその腹に手を当て睨みつけたら、銀時はひっと小さな悲鳴をあげ、「ですよねー」などと、がっくりと頭を垂らした。
やりたくない訳ではない。欲しているのはお互い様だ。だが、こんな怪我人とセックスする気にはなれない。お互いの下肢がすっかり反応しているとわかっていてもだ。
口でしてもいいが、それよりもまず、と土方は包帯の巻かれた胸許に唇を寄せた。心臓の上――命の鼓動を刻む、その上に口づける。
「おま……ッ」
銀時が驚いたような声を出す。トトン、と跳ねた心臓の脈動が包帯越しに唇に伝わり、土方はふっと笑みをこぼした。
いとしいと、素直にそう思う。
この男が生きてたことが――生まれてきてくれたことが。そして、出会えたことが――。
そんな、今まで気にもとめなかったことのひとつひとつが、奇跡的なことに思えた。泣きたくなるようなこの感覚は、幸福感なのだろう。
何か――神だとか仏だとか、信じてもいないそれらに感謝を捧げたくなる。それほどに、物凄く幸運で幸せなことなのだ。
かなしくて、いとしいと、心が叫ぶ――そんな相手に出会えたことは。