『今年は例年まれに見る猛暑ですが、皆さんなんとか生き抜いてくださいね』
お天気お姉さんがそう告げるほどの猛暑の真っ昼間、不機嫌さもあらわな銀時は、買い物袋片手に家路を急いでいた。
トイレットペーパーが切れたから銀さん買ってきてください――と、新八に炎天下のなか追い出されるわ、こんなときに限ってスクーターが故障してしまうわで最高潮に苛ついていた。ややもすれば呪詛めいた恨み言で埋まりそうな銀時の心の支えは、生き抜けと言った結野アナの笑顔だけだ。
――あークソ、暑っちィー。太陽滅べ。
こんなことなら日が沈むまで店内で涼んでいればよかった、と後悔した矢先、ふと視界の隅に捉えた存在のおかげで、どっと暑さが増した――気がした。こんなときに視野に入ってくれるなよ、とうんざり見やった先には、見慣れた制服姿の男がいる。このくそ暑い中、黒ずくめの制服をしっかり身にまとうその姿は、見ている方が余計に暑さを覚える位だ。
これはいちゃもんをつけても仕方ないだろう、そうだろう、だって暑苦しいんだもん、と、銀時は八つ当たりすることを決め込んだ。どうせ八つ当たり同然に絡んだところで、いつものことだと気にもとめないだろう――ムカつくが。
その流れで何か氷菓をおごらせるのもいいかもしれない――と背後から近づいたら、何やら男の様子がおかしいことに気づいた。足取りが重い――ように見える。数歩歩いてはふらりとかしぎ、ふるりと頭を振ってはまた数歩歩く、といった風情だ。
そんな危なっかしい状態で、男は店と店の隙間――としか言えないような細い路地にふらふらと姿を消した。それがまるで、弱っている自分の姿を隠す犬猫のように見えて、妙に気にかかった。なんだか面倒臭いことになりそうだから関わらないでおこう、と思うのに、自然と足はそちらに向かってしまう。
まさかイヤイヤそんなバカな、とこっそり覗けば、案の定そこには黒い塊が転がっていた。黒いのは真選組の制服で、それをまとっているのは鬼の副長と呼ばれる男――詰まるところ土方十四郎その人だった。
「――オイオイオイオイ、なにしてんのお前こんなトコで」
半ば予想できていた光景だが、それでもやはり、なんでですか、という感が否めない。傍にしゃがんでその顔を覗き込めば、紅潮した頬と、玉の汗が何事かを知らせる。
「――風邪?」
触れた額はとても熱かった。
――しまった……。
こんな姿を見てしまった以上、捨て置けないだろうが、と銀時は少しばかり途方に暮れた。たとえその相手が、常日頃顔をつき合わせれば諍いに発展するような自分を毛嫌いしているとしか思えないこの男だったとしても、無視してしまえば寝覚めが悪い。
――こーなりゃ真選組に恩着せてやらァ。
そう理由をつけると銀時は仕方なしに土方を抱え、万事屋に運んだ。
意外と近い位置だったのが救いだ。
「おーい新八ィー、氷出せ氷ー」
ガラリと戸を開け声をかけると、ひょこ、と新八が顔を出した。
「どーしたんです、なにかあったんですか……って、土方さん!? ちょ、どーしたんですか!?」
「あー、ぶっ倒れてたから拾ってきた。風邪かなんかじゃねーの? ってワケで氷」
混乱しきりな新八をよそに土方をソファの上に寝かせると、銀時はごそごそと勝手にポケットを漁り、携帯を取り出した。面倒臭くて、誰かもわからぬまま着信履歴の一番新しいところにかけてみる。ワンコールでハイ、と応じた声には聞き覚えがあった。
「その声はジミー君?」
『え、万事屋の旦那? え? え? どーして副長の携帯から、え?』
「それそれ、そのオタクの副長さん、ぶっ倒れてたから。仕方なく拾ってウチに運んだから、早いトコ引き取りに来てくんない?」
『え、倒れてた、って、副長がですかァァァ!?』
「だからそー言ってんじゃん、そう言ったよね、俺」
慌てふためく山崎の声に訳もなくイラッときて、思わずストレートにつっかかるような言い方をしてしまった。
だが、山崎は銀時の険に気づいていないのか、
『ハイッ、すぐに迎えに行きます!』
と言うなり、ブツリと通話を切った。オイオイどんだけ心配なんだよ、と思わず通話の切れた携帯を睨みつけてしまうほどの反応だ。
チ、と舌打ちして携帯を戻すと、新八が桶を手にぱたぱたと駆けてきた。濡らした手ぬぐいを額に乗せたり、汗をぬぐったりと、甲斐甲斐しく土方の世話をする新八を見ながら、コイツでもこうなんだから、真選組の連中はもっと心配するわなそりゃ、とぼんやり思う。
「ちょ、39度もありますよ、熱!」
体温計を確認し、新八がどうしよう、と青ざめた顔で銀時を振り仰いだ。あー39度、と銀時はなんの感慨もなく繰り返す。
「そりゃしんどいわなー」
「薬、薬……って、風邪薬のひとつも置いてないんですかアンタ!」
「言っとくが、んなもん買う金もねーぞ!」
「威張るなァァァ!!」
戸棚を漁る新八に、胸と声を張って言えば、それ以上の大音声が返って来た。
「あーもー、僕家から持ってきます!」
言うなり新八は銀時が声をかけるいとまもなく飛び出してしまった。いやオイ、と伸ばしかけた手が虚しくなり、自分の頭へと運ぶ。
「……どーせすぐ迎えがくんのに」
頭を掻きながら、銀時は先ほどの電話を思い出していた。
山崎の声は酷く狼狽していた。あの様子ならすぐに車で駆けつけるだろう。それほどに心配と焦りとを滲ませた声だった――苛立つほどに。
「……ンだよ、意外と愛されてんじゃねェ? お前」
なんだか面白くない心境で、銀時は荒い息でこんこんと眠る土方を見下ろした。
――あ、意外と睫毛長ェ。
チェーンスモーカーの割りに綺麗な肌してんのな、とか。そんな普段はまじまじと見られないようなところをじっくり観察できるのがちょっと楽しいなどと思ってしまったが、それでも――早く目を覚まさないかな、と願ってしまう。
言い争いをしているときなどは、土方の弱っている姿を見てみたい――なんて思ったこともあったのに、実際目の当たりにすると想像したより面白くなくてがっかりする。むしろ、見ていてなんだか落ち着かない気持ちになるばかりだ。
温くなった手ぬぐいを桶の氷水に浸し再び額に乗せると、冷たさにか土方が身じろぎした。起きるか――と覗き込む銀時の眼前で、長い睫毛が震え、すうとあがる。
茫と銀時を見やるその顔は、覚醒しているようには到底思えなかったが、それでも目を覚ましたことで銀時はどこかホッとした。
「オイオイ、しっかりしろよ。副長たる者がそんなんでいーんですかオイ」
「……すまねェ、」
近藤さん――と続いた言葉が、胸の内にどす黒い染みとなってじわりと広がる。
真っ先に出てくる名前が近藤とは土方らしい――そう思う反面、物凄く不愉快だった。
「オイてめコラ、人とゴリラ間違えてんじゃねーぞ」
ずい、と顔を近づけて低く凄むと、茫洋とした目がゆるゆると瞬きをくり返し、やがてわずかに眇められた。いつもよりは力ないけれど、見慣れた目だ。
「……万事屋……?」
なんで、と土方の唇が動く。なんで銀時が目の前にいるのか、なんで自分がここにいるのか理解できていないという風体だ。
自分を認識したことで不快感は薄れたものの、それでもまだ不満が残り、銀時は口を尖らせた。
「そら俺の名前じゃねーっつうか、まあどーせ俺の名前知らねーんだろーけど、それにしたって微妙に腹立つっつーの」
事情を説明するより先に苦々しく口にすれば、土方は緩慢に息をついた。
「――銀時、だろ」
え、と目を丸くする銀時に、土方は面白そうに微笑する。
「坂田銀時。……馬鹿にすんじゃねェ、んなことくらい、知ってらァ……」
声を出すのもしんどいのだろう、億劫そうにそう言うと、土方はまたすう、と眠りに落ちていった。
残された銀時の顔が、じわじわと熱くなる。真っ赤になっている自覚があった。
なんなんだよ、と心の中で言い逃げのように眠ってしまった男を非難する。
なんでそんな顔で、そんな声で、名前を呼ぶのか。普段、しかめっ面で人のことを睨みつけてばかりの奴が。名前どころか固有名詞すら出さないような奴が。
なんで――なんでそれだけのことで、こんなに鼓動がうるさくなるのか。
銀時が頭を抱えて唸っていると、騒々しくバタバタと階段を上がってくる足音が聞こえた。迎えがきたのだ。これでやっと、この理由のわからない苦しさから開放される、と銀時が安堵の息をついたとき、
「副長ォォォ!!」
ドガン、と壊さんばかりの勢いでドアを開け、黒い制服の男達がどやどやと上がりこんで来た。
「ちょォォォ! お前ら人ン家の戸ォ壊す気か!!」
思わず叫ぶ銀時をよそに、黒い集団は一直線に土方のもとへと駆け寄る。そのなかには見知った顔も何人かいた。
「ああもう、だから今日くらいは休んでくださいって言ったじゃないですか!」
心配を隠すことなくうろたえている山崎が土方を抱き起こす。その光景に、銀時はまたしても訳のわからない苛立ちを覚えた。
「旦那、ありがとうございました。この御礼はのちほど必ず」
「あー……、も、いーから、さっさと病人連れて帰ってください頼んます」
呆れと疲れとを装い片手で顔を覆ったまま、もう片手をヒラヒラと振る。それは単に腹立たしい光景を見たくなかったからに他ならないのだが、銀時のポーズに気付かない山崎は恐縮しきりの体で頭をさげた。
真選組に恩を着せる――当初の目論見通りことが運んだというのに、妙に気持ちがすっきりしない。それどころか、先ほどから自分でも把握できない感情がぐるぐると渦巻き、訳のわからなさにムカムカするばかりだ。
訳がわからないまま、ガタイのいい隊士に抱えられて土方が運ばれていくのを玄関まで見送ったのは、もはや不毛な意地としか言いようがない。
何をやってるんだ自分――と、ため息まじりにふと下を見れば、店の前には部屋に乗り込んできた他にも駆けつけた隊士たちの姿があった。なんだお前らは、真選組っつか土方親衛隊か、と呆れ果ててしまう。普段は文句も悪口も言うくせに――花見のときには「死ね」とか言ってる奴もいたくせに、結局は土方大事、の集団じゃないか。面白くない。
――面白くない?
「だぁああああッ! もォ意味わかんねェェェ!」
自分で自分の思考が掴めなくて思わず喚いてしまう。
ムカついたり苛立ったり面白くなかったり。なんだ、何がどうしてそうなった――と、銀時は土方を拾ってからのことを脳裏でなぞった。
そもそも土方が本調子じゃないから、こちらの調子も狂わされたのだ。あんな状態で仕事なんぞして、あげくにぶっ倒れるなんて、まずありえないだろう。そんなものを見てしまったら、こちらだってそう無碍にはできない。そりゃあ調子も狂うというもんだ。
それで普段はまじまじと見ることのできない――しかもチンピラみたいにしかめていない顔をじっくり見れたりなんかしちゃったら、睫毛が長いだとか肌が綺麗だとか、いらぬところに目がいってしまっても仕方ないと言えば仕方ないだろう。
その上で、アレだ。アレはヤバかった、と思う。何が、と明確な答えなどないが、とにかくヤバかった。あんな顔で、あんな声で、名前を呼ぶなんて卑怯だろう。ちょっと、否、かなりドキッとした。
――ん?
その辺りから思考が斜めに走り始めて、銀時はいやいやいやと頭を振った。なんだか行ってはいけない方向に突き進みそうな気がして、慌てて思考の手綱を引っ張る。
落ち着け、あれは熱で意識がもうろうとしてただけであって、それでいつもより険がなかったというかちょっとだけ素直だったというか可愛かっただけだ。
――可愛かった?
「ええェェェ!? ちょっと待てちょっと待て!!」
自分の発想に愕然とする。男に――それも、目付きもガラも悪く、嬉々として刀を振り回すような鬼の副長である土方に対して、よもやそんな表現を使う日がこようとは。
「――アレだ、風邪で熱あって、おとなしかったからだ。それだけだ」
落ち着け、良く考えろ、だって相手はあの土方だ、普段の奴を思い出せ――と、銀時は自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟く。
そう、いつもは顔を合わせるなり睨みつけてきて、可愛げのないことばかり言って、笑顔のひとつも見せてくれやしない奴で、だからこそ素のときにあんな笑顔を向けてくれたらいいのになァ――なんて、
「アホかァァァァァ!!」
どこまでも予想外の方向に突き進む思考に、銀時は床に突っ伏すしかなかった。
信じられない。自分自身が一番信じられない。もういっそ泣きたいくらいだ。
けれど、思い返してみてもカァアと顔が熱くなるだけで、それは浮かんだ思考の正しさを証明しているとしか言いようがなかった。おまけに、ムカつきも苛立ちも面白くないのも、すべては悋気で説明がついてしまうのだから、どうしようもない。
どうしよう――それだけが頭を巡る。ヤバかった、などと悠長に言っていられなくなってしまった。
今現在、ヤバイのだ。そしてこれからも。