無精ひげがまばらに見えるその顔は、底冷えがするほど冷ややかな表情をしていて、なんだか別人のようだと神楽は思った。着ているものも白の長着だけで、それもまた見慣れない。
総じて違和感がつきまとう姿だが、それでも目の前の男は間違いなく銀時だった。
どうしてこの男が自分に刀を向けるのだろう――。
半ば放心しながら神楽が銀時を見上げていると、その後ろに先ほどの男たちが追いついた気配がした。背後から、でかした、などと銀時へ声をかける。
「さっすがスケロクさん! 頼りになる〜ぅ」
「良くやってくれた、スケロク」
スケロク――と、男たちは、銀時をそう呼ぶ。銀時はこの男たちの仲間なのか、と驚いたが、それ以上に
――変な名前アルナ。
その印象の方が強かった。
神楽が内心呆れていると、それが聞こえたかのように銀時が舌打ちした。もしかしたら銀時自身、変な名前だと自覚があるのだろうか。
だったらそんな妙な名前などつけなければいいのに、などと神楽が場違いにも白けていると、軽薄な笑みを浮かべた男が銀時の横をすり抜け、「も〜」とこれまた軽い口調で神楽の前に足を踏み出した。
「お嬢ちゃんってば乱暴〜。お兄さん、痛かったんだから〜。もう暴れないでね? 一緒に来れば、美味しいものいっぱい食べさせたげるからさァ〜」
頭を擦りながらへらりと笑うその顔はやはりどこまでも軽佻浮薄で、神楽はケ、と吐き捨てた。背中にそよを庇いながら、男たちへと傘を向ける。
銀時はじっと神楽を見据えているだけで、動かない。けれど、もし神楽が逃げようとすれば、再びその刀を向けてくるだろう。
銀時を睨みつけながら神楽が逡巡していると、苛立ったかのように男のひとりが手を伸ばした。ぐい、と乱暴に神楽の腕を掴みあげる。
「オラ、来やがれ!」
「離せヨ、ロリコン!」
「ロリコンじゃねーから!」
力任せに神楽が男の手を振り払う。背後から、きゃ、とそよの悲鳴が小さくあがった。振り返ると、そよもまた別の男に腕を掴まれている。
「そよちゃん!」
「――オイ」
神楽が動くより早く、銀時の冷ややかな声が落とされた。そよを掴んだ男の腕を銀時が掴み、捻りあげる。
「手荒な真似すんじゃねェよ。そっちの娘ェ、豪い金になんだろ?」
放り出すように男を離すと、銀時はそよを顎でしゃくって示した。途端、男たちが何かを思い出したかのようにハッとして顔を見合わせる。
それを見やり、銀時は口の端をいびつにあげた。
「なんせ将軍様の妹君、そよ姫様だ。一生遊んで暮らして釣りがくらァ」
銀時の言葉に、神楽は顔をしかめた。
こいつらは少女たちをかどわかした犯人だ。それは間違いない。そして、今日のこの一件は、最初からそよが狙いだったのだ。
そよが将軍家の姫と知っていて、連れ去ろうとしている。金になる、ということは幕府に対して身代金でも要求するのか、それとも――そよも売り飛ばすつもりなのか。
どちらにしても、最低だ。年端もいかない女の子ばかりを狙っているところからして、犯人が下劣な下衆なことはわかっていたが、より強くそう思う。
「――サイテーアルな」
嫌悪感もあらわに神楽はつぶやいた。だが男たちは悪びれた様子もなくにやにや笑うだけだった。銀時もまた、いびつに唇を歪めている。
「お姫さん傷つけたくなきゃあ、暴れんじゃねェ」
そよの背後からその両腕を押さえ、銀時は神楽をそう脅した。神楽が黙って睨みつければ、無言を肯定と受け取ったのだろう、軽薄な男が「それじゃあ行こうね〜」などと能天気な声をあげる。
「どこ連れて行く?」
「えーっとねぇ、この近くに拾参の部屋があってー、そこから伍の裏に抜けれるから、そのまま玖の庫裏でどォ? ふたりくらい、まだまだ余裕だよ〜」
「ダメだって、お姫さんだぞ? 壱まで連れて来いって、頭言ってただろ? なんとしても連れてかなきゃ、頭が怒るよ」
「あ、そっか〜」
恐らく、あげられた数字は場所を示しているのだろう――男たちの妙に暢気な会話に耳をそばだてながら、神楽は内心コイツら大丈夫か、などと呆れていた。どうにも馬鹿ばっかりな気がする。
銀時もまた、同じように思ったのだろう、オイ、と男たちに向けて苛立った声をあげた。
「いつまでもこんなトコでモタクサしてんじゃねーよ。さっさと移動しろ」
銀時が怒気を抑えて言えば、男たちはビクリと竦みあがった。
「そ、そうだね! とにかく、拾参の部屋から抜けよう」
軽薄な男がコッチ、と先に立って足を進める。
別の男に再び掴まれそうになり、神楽は腕を振ってその手をかわした。
「気安く触るんじゃねーヨ」
「なら、おとなしくついてきな」
そう言ったのは銀時だった。見れば、そよの背中を押すようにしながら、銀時が眇めた目を神楽に向けている。
その目を見返し――神楽はおとなしく男のあとを追った。
長屋のような建物の地下を通り、廃墟の裏手から荒れ果てた古寺の脇を抜ける。
地下道や薄暗い道を進み最終的に辿り着いたのは、意外にも立派な屋敷の一角だった。真選組の屯所ほど大きくはないが、それでも充分、豪勢な部類だろう。
古びてはいるが、人が暮らしている気配がする。だとすると、男たちあるいは「頭」とやらは、結構な身分なのかもしれない。そんな奴らが金目当てに少女たちを攫って売り飛ばそうとしているのか、と思うと神楽はまたぞろ腹が立った。絶対潰す、と不穏な覚悟を決める。
屋敷では、途中から先遣としてひとり先行していた軽薄な男が、神楽たちを待っていた。
「とりあえず、そこの弐の蔵におふたり様ご案内〜」
そんな気の抜けるような案内によって連れて行かれた先の「弐の蔵」とやらも、白壁の立派なものだった。屯所にも何個かあるアルナ、などと妙な感心をしていると、「どうぞ〜」と中に入るよう促される。
神楽とそよが入ると、ギイ、と軋んだ音をたてて扉が閉められた。がこん、と閂をかけた音もする。そっと扉に手を触れ、神楽はこれくらいなら破れることを確認した。
ぐるりと中を見回せば、蔵の中――という、薄暗いイメージに反してそこは綺麗なものだった。見れば、壁には窓もある。鉄格子が嵌められているとはいえ外の明かりが入り込み、蔵の中は意外なまでに明るかった。
置かれている物はほとんどなく、中央の床には畳が敷かれている。八帖ほどの、小上がりのような作りだ。
それは、もとから蔵にあったとは思えなかった。もしかしたらそよを閉じ込めるために、わざわざ拵えたのかもしれない。暗くて汚い場所に閉じ込められるよりは断然マシだが、妙な気遣いを神楽はいっそ馬鹿馬鹿しくすら思った。
だが、この待遇ならそよに危害を加えることはないだろう。それだけは純粋に良かったと思う。下手に拘束をされずに済んだことも、都合が良い。
「大丈夫、私がそよちゃん護るヨ」
そよとともに畳の上に座ると、神楽は宣言するようそう告げた。
軽薄な男をはじめ、銀時以外の者は大した手錬でないと知れる。もしこの屋敷にもっと多くの者が詰めていたとしても、あの程度の連中など物の数ではない。
問題は銀時だけだ。それが一番問題なのだが――とそこまで考えて、ふと今の状況がおかしいことに気づく。神楽が夜兎族だと知っている銀時がいるというのに――おかしい。
神楽が思考に沈んでいると、そよは大丈夫です、とふわりと笑った。
「ありがとうございます。でも、私は大丈夫です」
気丈に振舞っているかのようなセリフだったが、そよからは本当に緊張や恐怖といった空気が感じられなかった。意外にも肝が据わっているらしい。
「女王さん、天通眼の阿国さんをご存知ですか?」
唐突に訊ねられ、神楽はきょとと目を丸くした。何事も見通す天通眼を持つといわれている巫女なのだ、とそよが説明する。
「先日、見ていただいたんです、私。阿国さん、爺たちの前では当たり障りのないことを言っていましたが、帰り際にこっそり教えてくれました。近いうちに騒動に巻き込まれるだろう、怖い思いをするかもしれない。けれど、鬼に助けられる――と」
だから安心して城を抜け出しちゃいました――などと笑って続けるあたり、豪胆というより楽天的なのかもしれない。そんなことを思いながらも、神楽はすとん、と全身の力が抜けた気がした。
阿国とやらが、正真正銘天通眼などという力を持っているのか、神楽にはわからない。
けれど、鬼に――というひと言で脳裏に浮かんだのは、気をつけろ、と神楽を見送った男の姿だった。そしてその予言は当たるのだろう。本能に基づいた勘がささやく。
そーか――と神楽は息をつくと、ゴロリと寝転がった。
「なら、心配は無用アルな」
へらりと笑ってそよを見上げる。
一国の姫君は淑とした佇まいで、はい、と微笑んだ。
そよ姫略取の報せが真選組に届いたのは、そろそろ日も暮れようかという時分だった。
すぐさま隊長格の隊士が招集され、沖田も集められた座敷でその報せを聞かされた。
そよが攫われた、といっても、今巷で横行している少女かどわかし事件と関連があるのか、それともそよが将軍家の姫君だと知った上で攫われたのか、召集された時点ではわからなかった。
ただ、そよ姫が攫われたと思わしき付近で、怪しげな不逞浪士の姿が多数目撃されたことから、真選組にも捜査の命令が下りたのだ。――というより、警察庁長官の松平が怒り心頭で近藤へ「賊を全員ブチ殺せ」と直々に命じたらしい。
近藤や土方、そして他の隊長たちが緊迫した空気で話し合いをしているのをよそに、沖田は正直面倒臭さにうんざりしていた。
何を思ってか城を抜け出した姫君が、攫われたという。それが一大事だということはわかるのだが、だったらなんで姫を城から出したんだ、と根本的な原因に思考が向き、しわ寄せを食らっている感が否めなかった。
そよに対しては、はねっ返りの姫君だと呆れる反面、そんな気性が面白いとも思う。ただしそれは自分に累が及ばなければ、の話だ。
とんだ尻拭いだ、とうんざりしても仕方ないだろう、と沖田は思う。これからどう動くかなど勝手に決めてくれ、とばかりに他の者たちをただ眺めていた。
新八が息せき切って座敷に飛び込んできたのは、そんなときだった。
「大変です、神楽ちゃんがそよ様と一緒に――」
そよ姫が攫われたという非常事態だけでも空気が張りつめていたというのに、そこへきて新八が新たな情報を掴んできたため、屯所内が騒然とした。
神楽もまた、そよ姫とともに勾引された――らしい。
あの小娘は何をしているんだ、と沖田は呆れながらも辟易する思いだったが、新八が報告した続きにそんな感情は全て綺麗にふっ飛んだ。
そよ姫と一緒に神楽も攫われた。おまけに、攫われたと思わしき現場で目撃された不逞浪士のなかに、「銀髪の男」の姿もあった――などと新八は言ったのだ。
銀髪の男――と言われて真っ先に沖田が思い浮かべたのは、銀時だった。
銀時が何故そんな連中と一緒に居るのか、という疑問が沸いたが、同時に納得もした。神楽がついていながら姫君とともにアッサリ捕まったというのも、銀時が犯人一味の中に居たのなら、合点がいく。
そよ姫と神楽が攫われたこと、そして銀時が絡んでいると思わしきことから、悠長に構えていられない――土方がそう言うと、隊内はにわかに臨戦態勢に入った。
以前から不逞浪士が潜伏しているらしいと情報があった箇所、その全てを当たる、と土方は言った。
総当りだ、と真選組総出で捜索に繰り出すころには、月齢十七の立待月が既に東の空に現れていた。
土方は神楽隊を率いて、そよたちが攫われたかぶき町周辺を当たるという。
沖田がそれに同行したのは、気まぐれというより、直感めいた感覚からだった。だから一番隊の面々に権を預けて、自分ひとり土方たちに同道した。
やけに情報が早い――沖田はそれが妙に気にかかった。普段なら喜ばしいことなのだが、今回ばかりはそれが何故か引っかかる。どうにも全てが疑わしくて、胡散臭いのだ。
おまけに、土方が何かを急いでいるように思えて、それもまた気にかかった。
それが単に一刻も早くそよや神楽、攫われた娘たちを探し出したいだけなのか、それとも早く銀時を見つけ出し処分したいのか――。
そんなことを考えながら、沖田は土方率いる神楽隊とともにかぶき町周辺のあやしい箇所をしらみつぶしに調べていった。
廃ビル、建設途中で放置されたテーマパーク、荒れ果てた社寺――と当たって行き、西の外れにあった廃寺へと辿り着いたときには、月は中天近くにかかっていた。
沖田と土方が先頭に立ち、ほとんど朽ちている本堂へと向かうと、夜気に乗ってすすり泣く声が聞こえてきた。それは右手側に建つこれまた朽ちかけている堂から聞こえてくる。
土方と目配せし、気配を殺してそちらへと足を向ける。
足音を立てないよう腐りかけた階段を登り、ぼろぼろな扉の前に立つと、ひっそりとした泣き声がはっきりと聞こえた。女の泣き声だ。それに対し、さっさと立て、などと怒鳴る男の声がして、沖田は抜刀した。
「――御用改めである!」
崩れかけていた扉を蹴破ると、堂内に狼狽が走った。蝋燭の灯りと差し込む月光で、中の人影が薄ぼんやりと見える。
まず目に入ったのは、縄で縛られ床に転がっている四人の少女だった。そして、それをどこかへ連れて行こうとでもしているのか、引き立てようとしている男が三人ほどいた。
そよと神楽の姿はない。だがこれが少女かどわかし事件の被害者たちと犯人だということは、明白だった。
男たちが現れた真選組の姿に、うひゃあ、などと情けない悲鳴をあげる。
こいつらがよそと神楽を攫った連中ではないのか――男たちの狼狽えまくった姿に疑問に思っていると、
「く、来るなァ!」
男が少女たちを盾にそんな脅しを口にした。その態度や気配から、大した手練でないと知れる。
沖田と隊士たちがじり、とその距離を縮め、包囲しようとしたとき、
「――ガキなんぞ放っといてさっさとズラかれ」
奥の暗がりから、そう指示する声が届いた。
沖田はぴくりと眉をあげた。思わず反応したのは、その人物の気配を全く感じなかったことと、その声に聞き覚えがあるような気がしたからだ。
「――スケロクさん!」
男のひとりがそちらを見やり、安堵したような声をあげる。同時に、ひとりの男が灯りの届く位置まで歩み出てきた。スケロク、と呼ばれた男だ。
その男の姿を認め――沖田は思わず息を呑んだ。
この男は誰だ――などと、一瞬馬鹿げた疑問を抱いたが、それはよく知る男だった。
無精ひげの浮いた頬もギラついた双眸も、その男からは想像できない荒んだ空気を放っている。いつも非番の日に好んで着ていた和洋折衷な格好ではなく、白の長着に赤い襟巻きという姿が、余計に違和感を強めるようだ。
だが、荒々しい気配をまとっているその男は間違いなく――銀時だった。
「――行け」
沖田たちを睨みつけ、その視線ひとつで制しながら銀時が再び言う。男たちは今度こそ、逃げ出した。
「追え!」
「動くな」
後ろから届いた土方の号令に、銀時の低い制止の声が重なる。そして沖田たちは――誰ひとり、動くことができなかった。
新八の情報から、やはり、という気持ちはある。だが、それ以上に何故――という思いの方が大きかった。
誰もが理解できずに息を呑むなか、動いたのは土方だった。銀時の荒んだ気配を一身に受けるかのように、ずいと足を踏み出す。
その土方を見据えた赤い目が、いびつに眇められた。
「鬼の副長さん自らお相手してくれるたァ、光栄だねェ」
「てめェにうろちょろされんのは迷惑なんでな。ここらで消えてくれや」
なァ――と土方が歪んだ笑みを浮かべたのが見えた。
「――白夜叉」
落とされた淡々とした言葉に、沖田はすっと臓腑が冷えたような気がした。
銀時と土方が罵り合う光景は嫌というほど見てきた。だが、そのときの喧嘩などじゃれ合いの一種でしかなかったのだ、と改めて思う。それほど、今ふたりのあいだに流れている空気は、殺し合いのそれそのものだった。
その場の全員が、ふたりの殺気に気圧されている。理解できない――否、理解したくない状況と相俟って、誰ひとりとして口を開くことはおろか、身動きひとつできなくなった。
言われた本人だけが冷酷な笑みを口の端に乗せる。
「殺れるもんならな――」
挑発するような言葉と同時に、銀時が動いた。次の瞬間にはふた振りの刃が咬み合い、耳障りな悲鳴をあげる。
力では勝る銀時がザッと刀を薙いだ。その刃を避け、土方がわずかに後退する。その隙を突くように銀時が踏み込むと、土方は横に回り、体勢を直した。銀時の刀がそれを追う。
再び銀時の刀を受けとめ、次の瞬間には力を横に逃すように払う。わずかに銀時の重心が揺らいだ、その一瞬を逃さず土方は銀時を蹴り飛ばした。
蹴られた勢いを利用して、銀時が朽ちかけた堂から外へと転がり出る。土方もまた、後を追って外に出た。
手出しなどできなかった。自分の呼吸が土方の――ふたりの邪魔にならないよう、息を殺すのが精一杯だった。
沖田だけでなく神楽隊の隊士たちもそうなのだろう、皆、緊張を漲らせたまま、固唾を呑んでいる。
再び銀時と土方の刀がぶつかり合う。剣戟の音がやけに大きく響いたそのとき、夜気を裂くような甲高い笛の音が近くから聞こえた。呼ぶ子笛の音だ。どうやって聞きつけたのか、奉行所の夜廻りがこの騒ぎに気づいたらしい。
その笛の音に気を取られたのか、土方の意識がわずかに逸れたのが沖田にもわかった。ダメだ、と思ったそのとき、銀時の刃が鋭く走った。刹那、土方の左腕からバッと血しぶきがあがる。
飛び散った赤が、沖田にはなんだか絵空事のように思えた。だというのに、スローモーションのように目に焼きつく。
「――ッ」
衝撃に土方が顔を歪める。その剣が下がったのを見て、銀時はすっと退いた。近づいてくる大勢の気配から逃れるように踵を返すと、廃寺の奥の杜、その暗がりに走り去って行く。
「待て――!」
「副長!」
土方が叫び、銀時のあとを追おうとするのを、誰か――あれは山崎か――が制した。動かんでください、と悲鳴じみた声で、土方を押しとどめている。
沖田はただ茫然とその光景を眺めることしかできなかった。土方が押さえた左腕から鮮血が溢れているのが、やはり現実ばなれしているように見える。脳が理解を拒んでいるようだった。
御用、の文字が入った提灯が幾つも駆け寄ってくる。何事だ――そう口々に問いただしたのは、やはり奉行所の夜廻りだった。
「白夜叉だ……」
誰のものとも知れぬ呟きが、夜の空気に吸い込まれていった。
ふと外に気配を感じ、神楽は目を覚ました。ぽかりと唐突に覚醒した意識で、我ながら珍しい、とそんなことを思う。
時刻はまだ夜だろう、窓から見える空には月明かりで輝く雲があった。横を見れば、そよが穏やかな寝息をたてている。結構贅沢な夕食を平らげたあと、ふたりでわいわいとお喋りに興じ、そのまま一緒に寝入った。それからさほど時間が経っていないように思える。
いつもなら神楽は、いったん寝入ってしまえばよほどのことがない限り、朝になるまで起きることはない。ということは、今がよほどのことなのだろうか――半身を起こしながら、神楽は目覚めた原因である外の気配を探った。
気配はふたり分あった。距離はそう離れていない。蔵のすぐ傍だろう。密やかで警戒を帯びた気配だ。何事かを喋っているようだが、さすがにその内容までは聞こえない。
そのうち、唐突にひとり分の気配が消え、神楽は思わず窓側へと身を乗り出した。
残っているのは銀時の気配だ。それがふっと近づいてくるのを感じていると、オイ――と声をかけられた。
「――ガキが夜更かししてんじゃねーよ」
聞こえてきたのはやはり銀時の声だった。窓越しに、その天然パーマな後頭部の影も見える。
銀ちゃん――と、いつものように呼びかけて、慌てて神楽は口をつぐんだ。
――昔の名は捨てた。殺されたくなきゃあ、
不用意に口にするな、とそう言い、名前を呼ぶな、と銀時は神楽に釘を刺したのだ。
わずかに逡巡し、結局神楽は
「――オイ、モジャ毛」
そう声をかけた。窓の向こうで銀時が鼻白んだのがわかる。
「……なんだ」
ややして忌々しげな声が返ってきて、神楽は少しばかり楽しくなった。
「ひまアル」
「――は?」
「つまんねーアル。退屈だから出てっていいアルか?」
そよを護りながらここを脱出するのに、一番の障害となるのは銀時だ。だから、本気で脱出するつもりがあれば、銀時に告げたりなどしない。銀時もそれをわかっているだろう。だから敢えて――訊いてみた。
銀時は神楽の問いにアホか、と深いため息をこぼした。
「いいワケねーだろ。お姫さんと一緒におとなしくしてろ、クソガキ」
おとなしくしていろ――などと言う。そーか、と神楽はそれをのんだ。
銀時は神楽やそよを傷つけたりはしない。それは、そよへの態度や夜兎族である神楽を拘束しないあたりからもわかっている。だから、その方が銀時にとって都合がいいのなら、そうしよう、と思ったのだ。
それでもやはり、自分の知らないところで何か事態が起きているのが面白くなくて、神楽はなら――と続けた。
「代わりに――酢昆布よこせヨ」
「……何箱だ?」
ふざけるな、と相手にされないかと思ったが、意外にも銀時はそう問うてきた。
ふと、つい先日も酢昆布何箱、などという遣り取りをしたな、と思い返す。そのときの土方の表情が浮かび、神楽はわずかに眉根を寄せた。面白くない、という思いが少しばかり増す。
「――五箱で手ェ打ってやるネ」
「五箱ォ!?」
頓狂な声をあげてから、マズイとでも思ったのか、銀時はわざとらしく咳払いした。
「……三箱以下にしやがれ」
わずかな間ののち、苦々しく返されたのがそんな言葉で、神楽は目を丸くした。
酢昆布三箱。銀時が何故そこに拘るのか――思い出し、神楽は今度こそ声に出して笑ってしまった。それは対抗心なのか、と思うと可笑しくて、なんだ、と妙な納得をする。やはりこれは「銀時」なのだ。
「オイ、モジャ毛ェ」
「なんだ、つーかムカつくな、ソレ」
大分銀時の口調にもボロが出てきている。それを感じ取ると、神楽はますます可笑しかった。
「お前がホントにソッチ行くんなら、私も――」
「寝言は寝て言え、クソガキが」
舌打ちとともに、銀時が吐き捨てる。それは、寝ろ、ということだろう。察して、あいさー、と神楽は再び寝転がった。
「おやすみヨーモジャ毛ー」
窓に向かって声をかければ、ああ、と低く心地のよい声が返ってきた。