真選組のふたりの副長、そして怒り心頭の沖田に挟まれ、主は歯噛みしながらも投降した。
縄で縛り上げた主を銀時が引っ立てる。土方の指示により庭先へと連れ出すそのあとを、沖田も追った。
そこには先に捕縛された男たちが転がされていた。ひとつところに集められ、小山のような塊になっている。
男たち全員が主を見るなり「頭ァ」と情けない声をあげ、次いでその後ろにいる銀時の姿に――目を丸くした。
「……スケロク?」
「え、スケロクさん? え、え、なんでなんで?」
全員が困惑もあらわに銀時を見上げる。
――どーしやがんでィ
沖田はじりじりとする思いで、後ろからその様子を眺めた。
銀時がスケロクという偽名で犯人一味に加担していたことは、潜入捜査だったとでも言い逃れができるだろう。だがそれも、「白夜叉」が絡んでなければ、の話だ。
スケロク、とそう名乗っていた銀時を、主は「白夜叉」と言った。銀時が「白夜叉」と呼ばれていたことを知っているのだ。それだけでも充分、この状況はまずい――はずだ。
――白夜叉を、
消すのだ、と山崎は言っていた。
だが、少なくともこの主は知っている。その上もし、男たちの誰もがそれを知っていたら――この場の者たち全員を殺すくらいしか、沖田には手が浮かばない。
どうするのか――沖田が見つめる先で、銀時は気にした様子もなく、男たちの茫然とした視線を受け流している。そのまま足を進めると、塊となっている集団のもとへ主を放り投げた。
地面に転がった主が、ギッと憎悪もあらわに銀時を睨みつける。
「貴様……! 謀ったな!!」
「なに言ってんのかサッパリわかんねーんだけど」
そう言うなり、銀時は主の襟元をぐいと掴みあげた。至近距離から主の憎しみに満ちた双眸を見返し、ニッと笑う。途端、銀時の気配が変わった。
「どォもー、真選組副長、坂田銀時でーす、はじめましてー」
軽い口調でそんなことを言いながらも、銀時が放っているのは背筋が寒くなるほどの殺気だった。主だけでなく、周りの男たちも恐怖からか凍りついたのがわかる。沖田ですら気圧されたのだから無理もないだろう。
オーケー? と底冷えするような笑顔のまま銀時が凄めば、殺気にあてられたのだろう主は、顔面を蒼白にしてガクガクと何度もうなずいた。
沖田が半ば驚嘆しながらその様子を眺め見ていると、遅れて屋敷から現れた土方が銀時たちにわざとらしい声を投げた。
「どーやらスケロクってェ野郎は逃げたみてーだな。中にゃもう誰も居ねェ」
「ああ、んじゃあフラッと宇宙にでも行ったんじゃね?」
土方の言葉を受け、なァ――と銀時が同意を求めるように視線を向けると、主は再び首がもげ落ちんばかりにうなずいた。そのまま他の男たちをぐるりと見回せば、そちらもまた、同様だった。銀時の視線に晒された男たち全員、真っ青な顔で首を縦に振る。なかには涙目になっている者もいた。
それで、終了だった。
ここまでの茶番めいた遣り取りで、「白夜叉」――スケロクなる架空の人物が作り出され、銀時とは別人だ、という図式ができあがった。そして、恐怖による威しでそれを主や男たちにも強要し、受け入れさせたのだ。
この後の取調は真選組が行うことになる。一味がそのまま監獄送りになるのは間違いないし、牢に入っても、そして仮に出てこられたとしても、主たちは誰ひとりとして白夜叉の正体を口にしないだろう。
沖田はいっそ呆れる思いでふたりの副長と、震え上がっている一味を眺めた。荒業にもほどがある。
「――副長!」
駆けて来た山崎が、移送用の車が到着したことを告げた。それを聞き、土方が原田たちとともに一味全員を引っ立て連行する。
門の方へ消えて行く背中を見るともなく見送っていると、入れ違いのように軽やかな足音が近づいてきた。
銀ちゃあん、と軽やかに駆けて来たのは神楽だった。その無事な姿を見て、隊士たちのあいだから歓声があがる。
いつから真選組は神楽親衛隊になったのか。否、川南一派との件以来、実は編成が戻っていなかったのではないだろうか――などとうんざりしながら、沖田は喜びに沸く隊士たちを一瞥した。
隊士たちが喜色もあらわに見つめるなか、にこやかな笑顔で駆け寄ってきた神楽はその勢いのまま――
「クソガキって誰のことアルかテメー!」
まるでヘッドロックでもかけるかのように銀時の首に飛びついた。ぐえ、と銀時が苦しげな声をあげるのと、隊士たちのあいだにどよめきが走ったのは同時だった。
「この口か! そんなこと言ったのはこの口アルか!」
「もげる! 首もげる! 銀さんの頭ポロリしちゃうゥゥゥ!!」
つーか! と銀時が体をよじって神楽を振り落とす。
「オメーこそ言うにこと欠いてモジャ毛はねーだろ!」
「名前呼ぶな言ったのは銀ちゃんアル。それより酢昆布よこせヨ。五箱な」
「三箱以下! そこは三箱以下でお願いします!」
ぎゃんぎゃんと言い合う銀時と神楽を見ていた沖田は、唐突に、この少女は今回の芝居に気づいていたのだろう、と思った。もし銀時が本当に真選組を抜けて出て行ったのなら、神楽はついて行ってただろう――眼前の光景に、そう感じたのだ。
思い返せば、銀時が真選組から姿を消したと告げられてからも、神楽は何ひとつ変わらなかった。不安そうな顔も動揺した姿も、ついぞ見かけていない。彼女はただ、困惑しながらも平静を装っていた隊士たちを、呆れたような顔で見ていただけだった。
神楽は気づいていたのだ――それがまた悔しくて沖田が歯噛みしていると、不意にふわりと煙草のにおいが漂った。煙のもとを辿れば、こちらに戻ってくる土方の姿がある。
酢昆布だ五箱だ三箱以下だ、と未だ続けている銀時と神楽の応酬に、土方がふっと小さく笑う。
「――なんだ、酢昆布はソッチにねだってたのか」
面白がるように言うと、そんな土方を神楽がムッと――何故か――睨めつけた。
「ソレとコレはべつアルからな!」
前後の見えない言葉に、土方は苦笑する風だった。
「加減しろよ」
「ちょっとコイツ五箱とかふざけたこと言ってんですけど――ってそれより!」
喚いた銀時は突然土方に詰め寄ると、彼の制服の上着をがばりと左右に広げた。土方が、オイ!、と慌てたように銀時の手を押さえる。
「いきなりなにしやがるテメー!」
「うるせェ! 嫌なことやらせやがって! いいから傷見せろ!」
引き下がることなく上着を剥ごうとする銀時に、気圧されながらも土方が待て待て、と繰り返す。
「ありゃあほとんど血ノリだ。ちょっと掠っただけで腱も神経も傷ついてねェ。斬り口も綺麗だから圧迫だけで塞がった。縫ってもいねェ」
「痕は?」
「残ったところで大したこたァねーだろ」
「大したことあるわ!」
「坂田――」
血相を変えたまま声を張り上げる銀時に、土方のため息が落とされる。
「斬れっつったのは俺だ。おめーが気にすることはねェ」
その言葉とふたりの様子に、沖田の中で澱んでいた何かがすっと霧散したようだった。
制服姿の銀時が現れ、そして全てが茶番劇だったと知ったときから、昨夜の一件も芝居だったことはわかっていた。わかってはいたが、それでもやはりこうしてふたりの姿を見ると、なんだか笑いたくなるような力が抜けたような、そんな心持ちだ。
沖田が脱力して、そして隊士たちがぽかんとふたりを見ているそこへ、「――ところで」と神楽の暢気な声が落とされた。
「なんでスケロクアルか?」
神楽がきょとと銀時を見上げる。どうでもいいようで気にかかっていた疑問に、沖田もまた銀時を見やった。
「名づけ親はこっち。――ってワケでなんで?」
銀時が視線を誘導するように土方を指し示し、首をかしげる。ふたりだけでなく、沖田や他の隊士たちの注目を集めた土方は、ふー、と煙草の煙を吹き出すと、
「スケベのスケにロクでなしのロク」
真顔であっさりと神楽の疑問に答えた。
「ああ!」
ポン、と神楽が手を打つ。納得した空気が流れるなか、銀時だけが「はァ!?」と異論を唱えた。
「ああ、じゃねェよ! 納得すんな! つーかなんだその命名法!! 全世界のスケロクさんに謝れてめー!」
「全世界のスケロクさんにゃあ謝るが、てめーは入ってねーぞ」
「ふざけんな俺にも謝れ! つかむしろ俺に謝れ!」
「嫌です」
「丁寧語やめろ、ムカつくわ!」
「お断りします」
「腹立つーーー!」
喧しい副長ふたりの不毛な、そして子供じみた言い争いは、様子を見に来た新八から「いい加減帰りましょうよ……」と呆れたように諌められるまで続いていた。
「すまんすまん!」
がはは、と朗らかに笑った近藤は、隊士たちにそんな風に詫びた。
様々な些事をこなした神楽たちが屯所に戻れたのは、夕方近くになってだった。
中へと入れば、大広間に全ての隊士が招集されていた。先に戻った山崎たちから既に報告はあったのだろう、誰もがそわそわと落ち着かない空気をかもしている。
土方に促され、最初に神楽が広間に入ると、隊士たちの喜びの声が座敷に満ちた。近藤が「無事でよかった」とホッとしたように言えば、よかったよかったと追従する声があがる。
そして――土方とともに現れた銀時を見て、皆一様に驚愕した。素っ頓狂な悲鳴をあげる者までいた。
そんな周章狼狽の大広間に近藤の陽気な笑い声が響き――先の詫びの言葉に至る。
落ち着くよう隊士に指示した近藤は、土方に目線を向けた。それにひとつうなずいてみせた土方が、
「ハナっから全部芝居だ」
そう前置きし――ようやく全てを説明しだした。
曰く、少女かどわかし事件に関して、早い段階で犯人たちの情報を掴んでいたらしい。少女の数を揃えなければならない、という事情も調べ上げていた。
そして、それと同じくして松平からそよが外に遊びに出たがってるがどうしたものか――という相談を受けていたのだという。
そよが望むなら遊びにくらい行かせてあげたいが、万が一のことがあったら、と心配する反面、城下には危険が一杯あるということも知ってもらいたい――などと無茶なことを言う松平に、だったら、とこの件を思いついたというのだ。
さすがに松平は「そよを攫わせる」という荒技に反対したが、土方か銀時が犯人一味の内部に潜り込み、そよの身を絶対に護る、と確約したことで渋々その案を呑んだのだという。それもまたどうなんだ、と神楽は思ったが、きっとこの時点で土方は全てを企てていたのだろう。そう考えれば、土方が強引に松平を押し切ったのが理解できる。土方らしくない――とは思うが。
そして、銀時が一味に入り込むことになり、ついでにひと芝居打つことにした――土方はそう言った。ちなみにその銀時は現在、広間から姿を消している。土方に「そのツラどーにかしやがれ」と、ひげを剃ってくるよう追い出されたのだ。
真選組を脱隊した銀時が、白夜叉として犯人一味に加わり、そよを攫う――そよが城を抜け出すという情報を流したのは、銀時だった――そこに神楽が絡んできたのは純粋に誤算だった、と土方は苦笑した。
ただ、江戸で「白夜叉」が暗躍しているあいだ、真選組副長「坂田銀時」は京で任務をこなす。どちらも公の証拠が残されていることで、このふたりをイコールで結ぶことができなくなる――それを目論んでいたのだ、と。
松平も一枚噛んでいたことから、彼の知己である元お庭番衆に協力してもらったらしい。銀時の身代わりとして京へと向かったのは、元お庭番衆筆頭だった男だというのだ。その人物は実際、本日京から戻ってきていた。
そしてもうひとり、スケロクを演じていた銀時と土方たちとの連絡役を、元お庭番衆の女性が務めたらしい。神楽が昨夜感じたもうひとりの気配が、それだった。
攘夷浪士たちをごまかせなくても構わない、初めから幕府の連中を騙すためだけに仕組んだ茶番劇だ――土方はそう言い切った。
飽くまでついでだ、と平然と嘯く土方は、悪人めいた笑みを浮かべている。
目撃情報のあった銀時と土方の諍いも、昨夜あったらしい斬り合いも、全てが芝居だったと知った隊士たちは、茫然としながらも安心したように脱力した。
ひととおり説明した土方は、そんな隊士たちを見回し――呆れたような半眼になった。
「敵を欺くにはまず――とは言うものの、おめーらもあんなちんけな芝居にあっさり騙されんじゃねェよ」
「アンタらの腹ァ黒すぎて読みにくいんだよッ!」
喚いたのは原田だった。ほとんどの隊士が追従するようにうなずいたが、土方にはそんな反論など通じない。それどころか、
「文句があるなら満足に腹芸できるようになりやがれ」
などと、小馬鹿にしたように鼻で笑う始末だった。
無理言うな! だのとあがる抗議の声を、近藤がまあまあ、と宥め――
「そういうワケだ! 皆には不安にさせたようで悪かった。詫び、というワケでもないが――パーッとやるぞォ!」
そんな、いつもどおりの掛け声を合図に、いつもどおりの隊をあげての宴会が始まった。
監察方や神楽隊の隊士たち、そして何故か銀時までもが手際よく準備し、酒を運び込む。そこからはもう、お祭り状態の馬鹿騒ぎだった。
酒が入るなり隊士たちに囲まれた神楽と銀時が、揃って隊士たちを潰しにかかったのも大きいだろう。もっとも、早々に周囲の者たち全員を陽気な酔っ払いから屍へと進化させたが。
屍を大量生産して広間を見回せば、大半の者は既にぐだぐだに酔っ払って騒いでいたが、意外にもしゃんとしている者もいる。沖田に絡まれている土方と山崎もそうだった。
周囲の者を片した銀時が、当たり前の顔をして土方の方へと向かう。神楽もついて行くと、沖田にじとりと睨まれた。
なんだよ――と喧嘩を吹っ掛けそうになった神楽に、銀時と土方の両方から制止の声がかかった。
「こんなときにまでケンカすんなよ、メンド臭ェ」
土方の杯に酒を注ぎながら、銀時が呆れたように言う。その顔には無精ひげもなく、いつもの銀時だ、と神楽はどこかホッとした。
「総悟、おめーもだ。腹ァ立つのはわかるが、誰彼構わず当たるのはよせ」
「うるせー死ね土方」
土方の注意に、沖田はぷいとそっぽを向く。その横顔に神楽がべーと舌を出せば、土方も銀時も、そして山崎までもが仕方ないなとばかりにため息をついた。
「暴れてェんだったらせめて外で――」
土方が銀時の手から徳利を取ろうと左手を伸ばしかけ――一瞬動きが止まった。傷は塞がった、と土方は言っていたが、完治している訳でもない。傷が引き攣れたのだろう。
わずかに眉根を寄せた銀時が土方を窺うように見やる。土方はそれを無視して、銀時から徳利を取り上げた。
「平気だっつってんだろ」
銀時の杯に中味を注ぎ、
「もっと派手にやってくれてもよかったんだぜ」
なんでもないことのように、さらりと土方が言う。その言葉に、銀時は心底嫌そうに顔をしかめた。
「……できるワケ、ねーだろ、バカヤロー」
ぐい、と杯を呷ると銀時は「疲れたから先に休むわ」と言い置いて、座敷を出て行ってしまった。
山崎がハラハラとした顔で閉められた障子と土方とに視線を送る。その横で、沖田のため息が落とされた。
「――アンタぁ……ホントに嫌な奴でさァ」
淡々とした声を残し、沖田もまた席を立つ。そのまま上座で酔い潰れている近藤の方へと向かった。
「……土方さん……」
困ったように山崎が呼びかけるが、土方は意に介した様子もない。それどころかむしろ――と神楽は首をかしげた。
「……ニコ中、嬉しそうアルな」
この傷――神楽が土方の左腕をじっと見つめて言うと、土方は自嘲を浮かべた。
「総悟の言うとおり、俺ァ嫌な奴だからな」
「こんなのなくても、銀ちゃんは離れてかないアルヨ」
神楽の言葉に、土方が一瞬瞠目する。その表情はしだいに苦いものへ変わっていった。
「……そうだな」
悲しげにも見えるその表情に、まったく、と神楽はため息をついた。
「銀ちゃんとお前、一発ずつ殴るのはカンベンしてやるネ。その代わり、あのマダオ慰めてこいや。銀ちゃんドSだから打たれ弱いアルヨ」
神楽は銀時が土方を斬った場面は見ていない。けれど、捕り物が一段落したあと土方に詰め寄った銀時のあの姿から、どれだけ不安やら恐怖やらを抱いたかは容易に知れる。
――嫌なことやらせやがって!
芝居だとか血ノリだとかいう問題ではなく、土方を斬りつけた、というそのこと自体が、銀時は嫌だったのだ。
その上、土方からあんなことを言われたのだ、間違いなくあの男はヘコんでいる――絶対に。
だから――と神楽は、難しい顔で黙り込む土方の右手を掴んで座敷を横切り、
「精々甘やかして機嫌取ってやるヨロシ」
言いさま、土方を廊下に放り出した。
パン、と閉めた障子越しにオイ、と狼狽えたような土方の声がした。それを無視していると、ややして諦めたのか、土方が動いたのがわかる。
その気配が部屋の方へと向かって行ったのを確認して、神楽はその場に腰をおろした。障子にもたれながら座敷内の馬鹿騒ぎを眺める。未だ生き残っている陽気な酔っ払い集団は、銀時と土方が姿を消したことにも気づいていないだろう。もっとも、気づいて探そうとしたところで阻止してやるが。
神楽が土方を放り出す一部始終を見ていた山崎は、神楽に笑んでみせると、さり気ない素振りで酔っ払い集団にまじっていった。その姿から、山崎は協力者だと確信する。
なら厄介なのはひとりだけだ――神楽がそんなことを思っていると、その厄介なひとりが立ち上がった。しっかりとした足取りで、神楽の方へと歩いてくる。
「お前どこ行くつもりネ」
障子に伸ばそうとする手を制すると、厄介な男――沖田はしらっとした目を神楽に向けた。
「なんでい、馬の足でも気取ってんのかィ?」
馬の足?、と意味がわからず神楽が目をしばたたかせると、沖田もまた、ん?、とばかりに小首をかしげた。
「人の恋路を邪魔する奴は――?」
「馬鹿に斬られて死んじまえ?」
なんとなく聞き覚えのあるリズムで適当に返すと、沖田は「まあ結果は同じか」などと訳のわからないことを言いながら、神楽の隣に腰をおろした。神楽と同じ方を見ながら視線を合わせることなく、「で?」と問いかけてくる。
「てめー、どっから気づいてやがった、この茶番」
ちらりと横目で見やった顔はいつもどおりの無表情だったが、その声音には不満の色が滲んでいた。簡単に騙されたことが悔しいらしい。
「私だって知らなかったアルヨ。でも――」
土方たちの企みなど知らなかった――知らされていなかったのは本当だ。
だが、何を企んでいるのかその内容は知らなかったものの、気づいていたと言えば、最初から気づいていた。神楽は銀時が真選組を――否、土方のもとを離れて出て行った、など、最初から欠片も信じていなかったのだ。
「最初からわかってたアル。女の勘ネ」
嘯くようにそう言うと、沖田は物凄く嫌そうに目を眇めた。
自室に入ると、脱いだ上着を乱暴に投げ捨てた。
灯りを点ける気にもならない。既にあがっている月の明かりだけで充分に周囲が判別できるから尚さらだ。
銀時はささくれた感情のまま、ごろりと畳の上に寝転がった。布団を敷くのすら億劫だった。
薄っすらと明るい室内には、色彩がほとんどない。けれど、瞼を閉じると鮮明な赤が広がり、銀時はひやりとした恐怖に襲われた。
今まで数え切れないほどたくさんの命を奪い、血を流してきた。それを悔いるつもりはない。そして、今さら自分が傷つけ流れた血を、怖いなどと思うような感情も、なかった。否、ない――と銀時は思っていた。
けれどあの瞬間――自分が斬りつけ、土方から血しぶきが舞った、その光景を見た瞬間。銀時は心臓が凍えるかと思ったのだ。
土方とは事前に事細かに打ち合わせをしている。だから、銀時が振るった刀の跡を追うように舞った赤が血ノリだと、頭ではわかっていた。それでも――怖かった。思い出した今でさえ、心臓が凍りつきそうなほどに、怖かったのだ。
だというのに、
――もっと派手にやってくれてもよかったんだぜ
土方はそんなことを言った。
できる訳がない。心の底からそう思う。けれど自分の意思とは無関係に想像が生じ、その光景に、自分で打ちのめされた。
銀時が、土方を手にかけ、殺める――などという想像だ。
血塗れた土方の骸を両手で抱きしめるさままで浮かび――ゾッとした。
それは、純粋に恐怖からとそして、とても蟲惑的だと惹かれた自分に、だった。
一瞬とはいえそんな誘惑に心惑った自分を、それでは逆だろう、と戒めていると、不意に近づいてくる気配を感じた。
「――坂田」
銀時を呼ぶ声と同時に、音もなく障子が開かれる。誰なのかは、そちらを見るでもなくわかっていた。
「……んだよ」
起きもせずに淡々と声を出せば、やって来た土方がわずかにためらう。ちらりと視線を向ければ、土方は思いのほか静やかな表情をしていた。
そんな顔のまま銀時の横に腰をおろすと、土方は何かを言いかけて――口を閉ざした。ためらいがちに伸ばされた手が、銀時の髪に触れ、感触を楽しむように動かされる。
「……寝んのか?」
ようやくのように土方はそう言った。手遊ぶように銀時の髪を弄っていた手がするりと動き、銀時の頬を撫ぜる。指先で触れるか触れないかのかすかな感触に、淫らな欲が刺激された。
「……誘ってんの? ソレ」
銀時は意地悪く笑った。挑発めいた言葉と態度に怒るかと思ったが、土方の気配は静やかなままだった。ただ肯定の代わりのように再び銀時の頬を撫ぜる。
まさか本当に土方から誘われているのか――そう思うと、すぐさま下肢が反応してしまいそうにもなったが、この状況からでは面白くない推測しか浮かばなくて、銀時はムッと口を尖らせた。
「屯所でやんのは嫌なんじゃねェの?」
どこか拗ねたような口ぶりになってしまったのは、これでごまかそうとしているのでは、と思ったからだ。
「ああ、いつ誰が来るかもわかんねェからな」
今度ははっきりと肯定を口にした土方は、でも――と指先で銀時の首筋を辿る。
「あんだけ呑んで騒いでりゃあ、全員すぐに潰れるだろうよ」
おまけにあの様子なら、誰かが来ようとしてもチャイナが阻止するだろうしな――嘯くようにそう続けた。
正直、抱きたくない訳ではない。芝居のためとはいえ、二週間近くろくに顔も見られない日々が続いたのだ、土方に対する飢餓にも似た欲はどうしようもないほどに膨れ上がっている。
だが、今この流れで抱いてしまっては、銀時の怒りも何もかもが有耶無耶にされてしまう気がした。
土方を斬るような真似など、したくなかったのだ。演技とはいえ、今でも嫌で嫌で仕方がない。だというのに土方は、もっと派手に斬ってもよかったのに、と言ったのだ。さすがに傷口をさらに抉るようなその発言は、酷すぎるだろう。
心臓が凍りそうなほどの恐怖も、言って欲しくなかった土方の言葉も、何もかもが有耶無耶にされてしまう――だから、手を伸ばせずにいる。
そんな銀時の葛藤を察したのか、土方は小さく苦笑すると、「勘違いすんな」と上体をかがめた。
「べつにてめーの機嫌取りしようってんじゃねェ。俺が欲しいんだよ」
そのまま土方の顔が近づいたかと思うと、唇が合わされる。
土方からの口づけと、欲しい――というそのひと言に衝き動かされ、銀時は逡巡をやめた。
土方を抱きしめると体勢を入れかえ、上からのしかかる。深く唇を重ね、舌を絡めた。表面どうしが擦りあわされる感触にゾクリと背筋が震える。
角度を変えて何度も何度も、呼気すら奪い合うように深く口づけた。土方がもどかしげに銀時の髪を掻き回す。その動きにも煽られ、気ばかりが急いたまま土方の上着を剥ぎ取りにかかる。腕から引き抜こうとしたとき、シャツの上から布地ともその下の肌とも違う感触がわかり、銀時はハッとした。
慌てて半身を起こして土方の左腕に目を向ければ、シャツ越しにも巻かれた包帯の白さがわかる。
その瞬間、あのときの光景が脳裏に蘇り、背筋が冷えた。腹の奥底に氷を詰められたかのように体中が恐怖で凍えて、かたかたと震えが広がる。
「――坂田」
やわらかな声で呼ぶと、土方は腕を伸ばして銀時の体を引き寄せた。再び重ね合わせた体から熱と鼓動を感じ、銀時は胸が締めつけられるようだった。安堵なのかさらに強くなった怖さなのか、千千に乱れた感情がぐちゃぐちゃと入りまじる。
たまらなくてぎゅう、ときつく土方の体を掻き抱いた。
「……おめー斬るくらいなら、おめーに斬られた方がマシだ」
そうすれば、こんなに苦しくはなかった――そう言うと、土方はそうか、とつぶやいた。銀時の頭を抱き込むようにして、耳許に唇を寄せる。
「――そっくり返してやらァ」
思いもしなかった土方の冷ややかな声に、銀時は固まってしまった。意表を突かれすぎて、思考までもが動きを止める。
そんな銀時に土方はフン、と鼻を鳴らすと、
「簡単に死ぬ気はねェとか言っておきながら、いざとなったら斬れ、だとか言いやがったのは誰だ」
そう続けた。
その言葉に、再び頭が働きだす。土方がなんのことを言っているのか――それを正確に読み取り、銀時は内心ほぞをかんだ。
あれは、初めて土方と体を繋げたときのことだ。
初めての行為だというのに銀時が際限なく求め、貪ってしまったせいで、土方は気を失うようにして眠ってしまうと、全く目を覚まさなかった。
自分のせいだという自覚も自責の念もあった銀時は、無理矢理起こすのが忍びなかった。だから、眠ったままの土方を抱えるようにしてタクシーでこっそりと屯所に戻ったのだった。
隊士たちに見つからないよう、土方を彼の部屋へと運ぶ。布団を敷いてそっとその体を横たえたとき、すうと障子が開けられる気配と「お」と驚いたような声がした。
誰かはわかっていたが、声の方へと目を向ければ、近藤が目を丸くして銀時を見つめている。
「なんだ坂田、帰ってきたのか」
「え、なにそれ。暗に帰ってくんなっつってんの?」
酷ッ!、とわざとらしく傷ついた素振りを装う銀時に、そーじゃねェよ、と近藤が笑う。
「トシがな、おめーとッ捕まえてもっぺん病院送りにしてやる、って言ってたからよ。てっきり」
「なに、この子そんな恐ろしいこと言ってたの!?」
「おう、そりゃもういい笑顔でなァ」
銀時の隣に腰をおろした近藤と、土方を起こさない音量で言葉を交わす。
ふっと会話が途切れた狭間で、銀時は土方を見つめたまま、近藤に訊ねかけた。
「――今回の件、上にはどこまで伝わってる?」
「ウチの連中が絡んでるこたァ、知られてねェよ」
近藤の返答に、胸を撫でおろす。そうか、と銀時が安堵の息とともに落とせば、近藤は困ったような苦笑を向けてよこした。
「坂田、次からはなるべくトシにもバレねェようにな。コイツ、すげー心配してたんだぞ」
知ってる、とは胸中でだけ呟いた。
土方は怖がっていた――あの部屋での遣り取りを思い返し、
「――近藤」
銀時は近藤を呼んだ。
銀時の静かな声に、近藤が怪訝そうな目を向ける。
「この先、俺のことで真選組が潰されかねねェ事態になったら、俺を斬れ」
近藤の方を見ることなく、銀時はついさっき決めた覚悟を口にした。近藤が息を呑んだのがわかる。
「坂田――」
「俺の首差し出してでも、真選組護れ」
土方の髪を梳きながら続ける。銀時の内はとても凪いで穏やかだった。
「ホントはコイツに斬ってもらいてェとこだけど、できねェだろうからよ。しょーがねェからおめーで我慢してやらァ」
近藤にしかできないだろうとも思う。近藤が手をくだしたのであれば、土方も納得するだろう、とも。
だが近藤は押し黙っていたかと思うと、
「できねェ」
そう答えた。
「大将がんなこと言ってんじゃねェ」
その判断を諌めれば、近藤は厳しい顔で再び黙り込んでしまった。銀時の口から呆れの息がこぼれる。
「俺のせいで、コイツがなによりも大事にしてるもんぶっ潰されんのが我慢ならねェだけだ。てめーらのためでも真選組のためでもねェ、俺のためなんだよ」
これは銀時のわがままだ。
もう離れてやることなどできない。何があっても隣に居ると、そう決めたのだ。だから、万が一のときは自分の首を差し出そうと、決めた。
勝手に――決めたのだ。
その覚悟がなければ、隣に居るだなんて軽々しく言える訳がない。
「ま、上にゃあバレねェようにやるけどよ、それでも万が一ってこともあっからよォ。一応な」
へらりと笑ってみせた銀時に、近藤は強ばった顔のまま黙り込んでいたが、ややして重々しく「覚えておく」とだけ言った。
あのときの会話を土方が聞いていたとは思わなかった。
銀時は土方の肩口に顔を埋めたまま小さく舌を打った。ばつの悪さに顔をあげられない。
「……その仕返しに斬らせたってのか」
「仕返しっつーか、意趣返しだな」
「おめー最悪」
「うるせェ。聞いててこっちがどんだけムカついたか思い知れバーカ」
言うなり、土方はぐい、と銀時の肩を押しやった。それに逆らわず上体を起こせば、土方が厳しい目で銀時を見上げてくる。
「――隣に居るんだろ?」
「だからゴリに頼んだんじゃねーか」
最悪の事態になったときは、自分の首を差し出そう――そう決めたのは、隣に居る、と決めたからこそだ。浮かぶ危惧は、自分の首ひとつで片がつけばいいのだが、というものだけだった。
やはり拗ねたような口調になりながらも銀時がそう言うと、土方は心底嫌そうな顔で舌打ちした。オイ、と思わずツッコんでしまう。
「なんでソコで舌打ちよ!?」
「てめーが的外れなこと言ってっからだろーが」
「的外れ、って、オメーなァ……。人の覚悟をなんだと――」
「んなふざけた覚悟なんざいらねェっつってんだ」
銀時の覚悟を、土方は容赦なく切り捨てる。いらない、などと言われてしまい銀時が言葉を失くしていると、そんなのより――と土方に胸座を掴まれた。
「周りの奴らも幕府の奴らも世間も全部騙くらかしてでも、それでも、ココに居る――そんくらいのモン、よこせ」
土方の主張に、銀時は瞠目した。
――死ぬなら、目の前で死ね。
生きるも死ぬも自分の目の前で――以前土方はそう言った。だから銀時は、万が一のことを思い「死」のことを考えたのだ。もちろん、土方の隣で生きることを選んでのことだ。それで決めた覚悟が間違っていたとも思っていない。
けれど土方は「隣に居続ける覚悟」をよこせ、と言っているのだ。
「嘘も詭弁も総動員させろ。ゴリ押しだろーがなんだろーが、押し通せ。言っとくがなァ、こっちはとっくに腹括ってんだよ。テメーの素性が上にバレたら、こっちも共倒れだからな、俺たちゃ騙し通すぞ」
だから、と土方の瞳が下から銀時を真っ直ぐに見つめる。
「てめーも腹括りやがれ。てめーのせいで真選組がどうの、って心配するんだったら、開き直って騙し通せ」
銀時を射抜いた黒い瞳がにっと細められる。
「俺の隣に居る、っつったからには、できねェとは言わねェよなァ――坂田副長殿?」
物騒なまでに凄艶な笑みで、土方が挑発する。銀時は言葉もなくその顔に見惚れ――がっくりと頭を垂らした。
「――わっかりましたー。俺が浅はかでしたーバカでしたー、すみませんー」
土方にそんな笑みでそんなことを言われては、銀時に勝ち目などない。諦めて敗北宣言すれば、土方は「棒読みやめろ、ムカつく」と睨みつけてくる。
「――やるな?」
そんな目で言葉を求める土方に、おォ、と返す。
「こーなりゃお上だろーが世間だろーが全世界だろーが、全部まとめて騙くらかしてやらァ」
やけっぱちのようにそう宣言すれば、土方は「よし」などとうなずき、満足げに笑った。
負けだ負け――土方のそんな表情に、銀時は完敗だと悟りに近い思いで諦観する。気持ちとしてはでかい白旗をぶんぶん振り回しての降伏だ。
「男前すぎてなんか悔しいんですけどー土方副長殿ー?」
「そりゃどーも」
負けっぱなしなのもなんだか悔しくて、むうと口を尖らせてみせても、土方は澄ました顔で飄々と返してくる。それでもその目は笑みを湛えていて、土方がこの納まりにご満悦なのが伝わってきた。
仕返しとばかりに銀時がのしかかり、ぎゅうときつく抱きしめても、土方はやはり楽しげに笑っている。
「……で、おめーは俺にナニをくれんの?」
意趣返しを込め、銀時は耳許で低くささやいた。情欲を滲ませた声に、土方が体を強ばらせる。その顔は一瞬で赤くなった。
自分から誘うような真似をした土方だが、その実、未だ慣れていないのは知っている。羞恥が先に立って、いつだって初心な反応を示すのだ。今のように。
その反応に銀時が満足していると、目許も朱に染めた土方に睨まれた。怒っているかのような表情だが、恥ずかしいだけだと知っている銀時には、興奮材料でしかない。
にやりと濫りがましく笑ってみせると、土方はチ、と小さく舌打ちし、銀時の首に腕をまわした。
「――もうくれてやってんだろ」
ぐ、と腕に力をこめて引き寄せた銀時の腰を、自分の脚で摩るように撫ぜる。
土方のその言葉と態度に、やはり完敗だ、と銀時は両手を挙げた。