コーン、と鹿威しが小気味の良い音を響かせる。今日、この場所でこの音を耳にしたのは何度目だろう、などと詮無いことを考えて、土方は内心うんざりした。思わずこぼれそうになったため息を押し殺すのも何度目か。
今宵、この見るからに高級感を押し出している料亭で行われているのは、幕府高官との会談――とは名ばかりの、接待である。とりたてて交わさなければならない議題などない。資金が欲しければご機嫌伺いをしろ――と、無言の圧力をかけられているだけだ。
土方たちが上の連中を狸だ豚だと軽蔑しているように、上の連中は連中で、土方たち真選組をゴロツキ集団だの田舎猿だのと馬鹿にし、蔑んでいる。その卑しい虫けら同然である真選組の象徴ともいえる土方をこうして呼びつけ、酌婦の真似事をさせては悦に入っているのだ。
馬鹿馬鹿しい――心の底からそう思う。そして、それと同じくらい、早くこの場を去りたい気持ちを押し殺しながらも愛想笑いを浮かべて酌をする自分が、滑稽に思えた。
土方が内心そんな鬱屈を溜め込んでいると、陽気に杯を呷った幕吏が、そういえば――と嫌な笑みを浮かべて土方を見やった。
「なにやら真選組内では男色が流行していると耳に挟みましたが……。それは本当ですかな? 副長殿」
唐突な話題に土方は目を丸くした。他の幕吏たちが何やら上擦った声で真偽を問うているが、とっさに返せないほどの驚きに襲われる。
それは以前、攘夷浪士たちによる情報撹乱に対する手段として、真選組のファンフォーラムなるサイトを利用していたときにでっちあげた偽り言だった。とある事情によりファンフォーラムを閉鎖させる口実が必要となって、それで捏造したネタだ。
今になってそのネタを持ち出されるとは思ってもみなかったが、そのネタ自体はデマカセであるが故に、別段どうということもない。だが、そのデマカセを流す羽目になった事情――それが問題で、ひやりと肝が冷える。
「……事実無根です」
土方は知らず詰めていた息を吐き、淡々と事実を告げた。だが、幕吏たちは端から土方の言を信じていないのか、単に面白がっているだけなのか、またまた、などと揶揄するような笑い声を返してくる。
「男たちばかりが群れているんだ、そういうことがあっても無理はないかもねぇ」
「おやおや、あのような者たちでもかえ? なんと醜悪なことよ」
「なに、この副長殿はその者たちとは一線を画しておろう。見りゃれ、このかんばせを」
「確かに確かに。その気がない者でも食指が動こうというもの」
下世話な話題で盛り上がる幕吏たちに、不快感が込みあげる。土方が顔を強ばらせながら殴りかかりたい衝動を抑えていると、なあに、と好色じみた声がした。その含みのある声音に背筋が寒くなる。
「確かめてみれば済むこと。幸い、時間はたっぷりあることですし」
ねえ、副長殿――いやらしい笑みを浮かべた高官が、土方の手を掴む。
土方は暗澹とした思いで、その手を見つめることしかできなかった――。
「――とか、すっごい心配なワケよ、銀さんは!」
ひとしきり語って喚いた銀時を半眼で眺めやり、土方は深々と紫煙を吐き出した。
鬱憤と気疲ればかりが溜まる高官相手の接待を終えて、ようやく屯所の自室に戻ったとホッとした途端、部屋に押しかけてきた男からそんな妄想を延々と聞かされたのだ。疲れがドッと増し、頭痛すらしてくる。
「……よくまァそんなくだんねェ妄想できるな、おめー……。もうちっとマシなことに頭使えや」
「でもあり得なくなくね? なくなくなくね?」
「ねーよ」
食い下がるように顔を覗きこんでくる銀時の頭を押しやり、土方は短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
そもそもこの男は接待、というものを何やら斜め方向に誤解しているとしか思えない。
いちいち酌をして回ったりなどしないし、男である土方に対してセクハラなどあるかボケ、とツッコミどころが満載だ。だが、それよりなにより、
「……まずおめーは近藤さんの存在ガン無視してんじゃねーよ」
土方とともに列席した上司の存在を忘れるな、とじとりと銀時を睨めつけた。
今宵の会談を思い出すと、知らず土方の顔は歪んでいく。
幕吏たちに呼びつけられ、局長である近藤と副長の土方が赴いた先では、銀時が思い描いた想像のような、下劣な嫌がらせはされなかったが、蔑むための罵りの言葉を投げかけられた。腹が立つことも言われたが、そんな扱いはいつものことなので、それら悪口雑言を聞き流すことには慣れている――自分へのことならば。
なによりも腹が立ち、不愉快だったのは、近藤に対する幕吏たちの態度だ。
近藤が不当に屈辱的な扱いを受けているのを見るのはとても不快で、土方は何度も拳を振り上げかけてはグッと堪えていたのだ。
それらを思い返し、腹の奥底で怒りが澱のようによどんでいるのを感じていると、銀時がああ、と暢気な声をあげた。
「そーいやいたな、そんな奴。奴っつーかゴリラ」
「ゴリラじゃねェよ、わざわざ言い直してまでゴリラにすんじゃねェよ」
「で? そのゴリラはどこ行ったゴリ? キャバクラゴリか?」
「なにその口調!? めちゃめちゃ腹立つんですけど!?」
銀時のふざけた口調にも怒りが増し、土方はギリと睨みつけた。だが銀時は、ふーん、とその目を受け流すと、
「否定しねェ、ってことは、ホントにキャバクラ行ったワケだ、あのゴリラは」
呆れたように続けた。
実際、近藤は接待のあと、お妙に会いに行く、と彼女の店に直行した。つまり、銀時の言は当たっている。それに関して反論の余地などないのだが、今日に限っては近藤をそんな風に――ゴリラなどと言われ、馬鹿にされるのが我慢ならなかった。接待の場で溜め込んでいた鬱憤もあるから、なおさらだ。
「だからゴリラゴリラしつけェって――!」
憤りを隠しきれずに思わずがなろうとして――その声は伸びてきた銀時の手により、途中で絶えた。どさりと背中から畳の上に倒される。思わず顔をしかめた土方を見下ろして、のしかかる男が、なに――とどこか不穏な笑みを浮かべた。
「大好きな局長さんをゴリラって馬鹿にされて、怒ってんの? おめー」
銀時もまた、怒っている――そうはっきりと感じる。存外嫉妬深い男だから、土方が近藤を重んじ、庇いたてるのが面白くないのだろう。そう不満の理由もわかる――頭では。
頭ではわかるのだが――感情はついていかなかった。
「怒って悪りィか!」
「否定しねェし!! ってか「大好き」ってトコも否定しねェし!!」
「確かにあの人はバカでゴリラかもしれねェけどな、だからってテメーやクソッタレな狸ジジイどもが馬鹿にして笑っていい、ってな道理はねェんだよ!!」
喚く銀時に、それ以上の音声で腹立ちをぶちまける。そこには銀時に対してだけでなく、今日あの場に居た幕吏たちへの分も混ざってしまい、土方は苦々しく思った。
半ば以上八つ当たりだと自覚がある。当り散らした気まずさからふいと顔をそらしたら、ふ、と銀時が笑んだ気配がした。
「んなこったろーたァ思ってたけど、よくまあ我慢したな、おめー」
お疲れさん、とそんな労いの言葉とともに、ポンポンと頭を撫でられる。きょととして振り仰げば、やはり銀時は苦笑まじりのやわらかな笑みを浮かべていた。
「……坂田?」
「ん? 接待で近藤ゴリラ馬鹿にされても言い返すに言い返せなくてムカっ腹立ててたんじゃねーの? つーかおめーよォ、どーでもいいことにゃあギャンギャン怒るくせして、本ッ気で腹立てたときは溜め込むのヤメロって。見てるこっちが息詰まりそーだわ」
発散しろ、発散――と続けた銀時の言葉に、土方は瞠目した。
それはつまり、先ほどの銀時の言動すべてが、土方に溜め込んでいた鬱憤を吐き出させるためのものだということだ。わざと土方の怒りをあおり、焚きつけるようにしてそれをあらわにさせた。
自分の感情を見抜かれていたことがなんだか悔しくもあるが、それを気遣われたことが少し嬉しくもある。
そんな複雑な思いで見つめていると「とはいえ」と銀時はわざとらしく膨れてみせた。
「せめて「大好き」ってトコは否定してくれてもいいんじゃねーの?」
「……ある意味当たってるから否定のしようがねェ」
「オォイ!!」
わずかな逡巡ののち正直に答えたら、銀時が目を剥いた。
「なに? なんなの!? 浮気宣言!? 二股は許しませんよ、お父さん許しませんよ!」
「誰がお父さんだバーカ」
「バカって言う方がバカなんじゃァアアア!! って、そーじゃなくてよ!!」
悋気からか、焦ったように銀時が喚く。その姿に、思わず土方は噴き出してしまった。
「おめーが近藤さんに妬く意味がわからねェ」
「は? 今「大好き」って認めといてなにすっとぼけてんの?」
「だから、「ある意味」っつってんだろ。んなこたァおめーも承知なんじゃねェのかよ」
広義では好きという意味合いに含まれるのだろう。だが、それでも銀時に対する感情とは種類が違う。そんなこと、銀時だって知っているだろうに――と含ませると、銀時はややしてため息をこぼした。どこか拗ねたような顔で、こつりと額同士を合わせる。
「……わかっててもムカつくことってあんだろーが、チクショー」
「つーかてめー、俺が近藤さんともこんなマネしてるとか思ってんじゃねェだろーな。んなふざけたこと考えやがったらはっ倒すぞコラ」
「ふざけんなコラ、そんなん想像しただけでぶっ倒れるわ」
「だったら――」
最初からそんな不毛な嫉妬などするな――そう続くはずだった言葉は、銀時の唇に遮られた。
ぬるりと入り込んできた舌が、土方の舌を絡め取る。やんわりと吸い上げては放し、尖らせた先端でちろりと舌を舐め上げ、またやわく吸う。
土方が疲れているのを気遣っているからか、とても穏やかな口づけだった。情欲を掻き立てるほどの強さはないが、全身がゆるやかな快感に包み込まれる。
陶然とその口づけを受けていると、土方の頬を撫でた手が、するすると下にさがっていった。その手が首筋を辿り、スカーフを取りさる。広げられた襟元から素肌を触られ、土方はぴくりと体を強ばらせた。
土方の反応に気づいてか、わずかに唇を離し、銀時が首をかしげる。どうした、と言わんばかりの表情に、土方は頬を引きつらせた。
「――オイ」
「なに?」
咎めるような土方の声に問いを返しながら、銀時は土方の首許に顔を埋める。首筋に吸いつかれる感触に背中を震わせると、銀時の手がシャツをかいくぐり素肌に触れてきた。待て待て待て、と慌ててその手を掴む。
「ちょ、待てお前、まさかここでやろうってんじゃねーだろうな!」
「大丈夫だって。んな夜中にこっちまで来るような奴ァいねーよ」
焦りを滲ませた土方に、銀時がさらりと答える。べろりと首許を舐め上げられて、思わず息を呑んだが、土方の思考はマズイと警鐘を鳴らしていた。
土方の部屋は屯所の奥にある。その先にあるのは銀時と近藤それぞれの部屋と幾つかの空き部屋だけだった。近藤はと言えば、お妙の店に出向いたから、常なら戻りは朝方になるはずだ。
確かにこの時間帯、土方や銀時に用があると出向いて来るような隊士はいないだろう――普通ならば。
「バカ、もし来たら――」
狼狽もあらわに制する声をあげ、土方は銀時の髪を引っ掴んだ。何やら駆けて来る足音が近づく。
もし、誰かがこの時間やって来るとしたら――
「副長! 大変です!」
――火急の用件、ということだ。
障子越しに山崎の声が届き、銀時ががっくりと頭を落とす。そのままべしゃりと潰れるように、土方の上に倒れこんできた。
室内の様子など知らない山崎が口早に報告する。曰く、近くテロ活動を起こす疑い有り、と見張らせていた攘夷派集団が、いよいよ決起したらしい。
瞬時に頭が切り替わる。銀時の体を押しやり、土方は半身を起こした。
「わかった、今――」
「夜廻りの連中向かわせて外張らせろー」
今行く、と土方が答えるよりも先に、起き上がった銀時が指示を出す。え、と目を丸くする土方を押しとどめ、
「――俺が行く。十番隊と神楽んとこの連中叩き起こせ。五分で出るぞ」
カラリと障子を開けて山崎に命じた。
「あれ、旦那!?」
現れた銀時の姿に山崎は一瞬呆けたが、銀時と室内の土方とを見やると何事かを勝手に察したのか「わかりました」と一礼する。
来たとき同様、慌しく駆けて行った山崎の足音を聞きながら、土方は銀時の背中を見上げた。
「――オイ」
「しょーがねェだろ、おめー疲れてるし」
「に、したって……チャイナが起きるワケねーだろ」
夜勤で詰めている十番隊はともかく、神楽隊が――否、神楽がこんな時間まで起きているとは思えないし、寝ているのなら起きるとも思えない。
そんなことを言い訳に土方も腰をあげようとしたのだが、見越したらしい銀時に制された。
「あ、神楽はハナから数に入れてねーよ。これっくらいなら神楽いなくても他の連中だけで事足りるだろ、ハゲんとこのもいるし」
神楽隊の隊士たちだけで充分だ、と言いのけて、銀時が振り返る。
「ちゃっちゃと終わらせてくっから、したら続き――」
「ここじゃやらねェ、っつってんだろーがアホウ」
いつもと変わらぬ飄々とした素振りでそんなことを言う銀時に、土方は思い切り呆れ顔になった。銀時がケチー、と口を尖らせる。
そんな風に、気負うでもなく捕り物へと向かう銀時を、土方はため息とともに見送った。
寝転がり、天井を茫と眺めながら、土方は先刻の接待のことを思い出していた。
先ほどまでは苛立ちと憤りだけが込みあげていた記憶だったが、今では馬鹿馬鹿しい時間だった、と呆れられるほどには気持ちが浮上している。
銀時の妄想はかすりもしないが、物凄く嫌な時間だったはずなのに、と不思議に思えるほどだ。
そういえば――と、近藤に対する幕吏たちへの怒りが大分鎮まった脳裏に、ふいともうひとつの遣り取りが浮かびあがった。
それは、場もお開きになりかけのころに起こった。
――毛色の変わった獣を抱えているらしいねェ
そう言って嫌な哂いを浮かべたのは、牛のような天人の幕吏だった。その種族を「楚丑」という。
以前、この幕吏が裏で繋がっている同じ種族の天人と、ひと悶着を起こしたことがあった。その件はこの幕吏の耳にも届いているのだろう。会談の初っ端から、近藤や土方に対して、ネチネチと嫌味たらしく罵りを浴びせていた。
それは真選組に対する腹いせからだろう、と土方は怒りを押し殺しながら聞き流していたのだが、今度はそんなことを切り出してきたのだ。
毛色の変わった獣――それが誰のことを指しているのかなど、言われなくてもわかる。そして、その男が真選組にとって弱みになる――と、幕吏がそう思っているだろうことも知れた。
それで土方たちがおもねるとでも思ったか――半ば以上呆れた思いで土方は嘆息した。
「変わった、と言えば――先日命を受けて将軍家の山に赴いたのですが、そこで変わった面白いものが見られましたよ」
土方はそう切り返した。牛のような天人がぴくりと反応したのがわかる。
それはなんだ、と他の幕吏たちが問い質すのに、
「夜行性の、美しい蝶でした」
土方は涼しい顔でそう答えた。
そんな表情のまま、そう言えば――と、楚丑の幕吏へ目を向ける。
「――様の故郷にも、美しく稀有な蝶が生息しているとか……。是非、見てみたいものですね」
薄っすらと笑みを浮かべて土方が言うと、牛のような天人はぐ、と息を呑んだ。わかっているのだ、と含ませたことを正確に読み取ったらしい。口をつぐみ、ただ悔しそうに土方を睨みつける。
その忌々しげな目を見返し、土方はわずかに溜飲を下げたのだった。
先日手にしたネタを、こうも早く使うことになるとは思わなかったが、だからといって惜しいとも思っていない。
もともと銀時の機転で手にしたようなネタだ。それを銀時に関する件で使えたのだから、使いどころとしては最良だろう。
先の銀時との遣り取りを思い返すと、より強くそう思えた。
気遣われ、甘やかされた。それによって澱のような憤りが綺麗に霧散していることを実感すると、なんとも言いがたい複雑な感情に襲われるが――それも込みで嬉しいと思う自分がいるのだ。
土方は自分の感情を認めると、諦観の息をついた。
「続き」はしないがせめて、銀時の戻りを起きて待っていてやろう――そう決め、土方は煙草に手を伸ばした。