不惑手前


 天気の良い春の日だった。
 敷地の奥にある道場で、隊士たちが稽古に励んでいるのだろう、遠く声が聞こえる。
 自室近くの縁側に腰掛けた土方は、その遠い音を聞くともなしに聞きながら、茫っと視線を空に向けた。
 手持ち無沙汰──とも違う。空虚な訳でもない。けれどどこか──心の中のどこかがすっぽりと抜け落ちたようで何かが足りない。──そんな寂寞感に似たものを感じていた。
 その原因はわかっている。
 肩書きは未だ副長のままだが、土方は前線から退くことにした──そのせいだ。
 自ら先陣を切るような真似はもういいだろうと、以前から近藤と話し合い、先日行われた会議で正式に取り決めた。それは四十を目前にした年齢のこともあるが、それ以上に若い者たちへと道を譲るべきだろう、と土方自身が決めたことだ。
 それで即安寧な生活に変わるという訳でもない。副長として、幕府との折衝や後進の育成など、やらなければならないこともまだまだたくさんある。
 けれどやはりどこか──何かが抜け落ちてしまったかのようだった。
 ふう、と視線を自分の足許に落とし、土方がぼんやりと考え込んでいると、不意に「お」と気の抜けた声が聞こえてきた。
「なにもうすでに縁側で日向ぼっこしてるジーさんみたいな空気漂わせちゃってんの」
 そんなことを言いながら庭からやって来たのは、万事屋──坂田銀時だった。四十路目前の今でもその胡散臭い仕事を続けている男は、相変わらずやる気の欠片もない怠そうな空気をまとっている。
「なにしに来た、部外者」
 誰がジーさんだ、とじとりと睨めつければ、銀時は「つれねーなァ」などと肩を竦める。そのまま土方の隣に腰をおろし、背中に隠していたらしい一升瓶をふたりの間にどんと置いた。
「ついに鬼の副長さんがその看板降ろすっつーからよ、お祝いでもしよーかと」
「別に看板降ろしたワケじゃねェよ。つーか昼間っから酒かよ」
 相変わらずのマダオっぷりだな、と呆れてみせても、銀時は意に介した様子もない。昼酒なんて贅沢でいいだろ、なんてへらりと笑って懐から紙コップを取り出す始末だ。
 土方は今日、非番ではない。そんなときに昼から酒だなんて、まずあり得ない話だ。以前の自分なら断固として固辞している。
 でも──それでも。今日くらいはいいだろうか、なんて、どこか虚脱した心境のまま土方は酒の注がれた紙コップを受け取った。
 銀時がお疲れさん、と土方のコップに自分のコップを軽くぶつける。
 面映い気持ちでああ、とだけ返し、土方は酒を呷った。
 お祝い、などと言った銀時だったが、別段何を話すでもなくただゆったりとしたペースで酒を飲んでいる。
 その静かさを心地良く思いながら、土方もコップを傾けた。
 この男と出会ってからもう何年が経ったのか。そして、この男に心を傾けてからもう何年経っただろう──詮無いことを考えて、土方は小さく笑みをこぼした。
 何年、などと数えるのも馬鹿らしい。心惹かれたのなど、きっと出会った当初から──だろう。
 銀時の強さに目を奪われ、その魂に己の魂を揺さぶられ、気づいたら苦しいほどの想いが土方の中に生まれていた。
 好きだ、と──銀時が好きなのだと自覚したのは、それから大分経ってからだが、自覚したからと言って土方にはその想いを告げるつもりなど微塵もなかった。
 それは、かつて心から愛した女性を突き放したときと同じ理由からだ。
 ただ密やかに想い続けていられれば、それでよかった。だから今日に至るまで土方はずっと隠し通してきたのだ。いつか最期のときを向かえるその日まで、秘めたままでいようと思っていた。
 けれど──と、ふと気持ちが揺らいだ。
 安寧にはまだまだ遠いとはいえ前線を退いた今なら、口に出してもいいだろうか。何かが抜け落ちたような心の、その奥底で密やかに息づいている想いを。
 そんな思いで万事屋、と呼べば、銀時がちらりと横目で何? と問うてくる。土方も顔を向けずに目線だけで見やり、悪戯を持ちかけるように笑った。
「コイツの礼にくだんねーこと教えてやろうか?」
 ん? と首をかしげる銀時の姿に、ほんのわずか逡巡し、結局土方は
「──好きだった」
 おめーのこと、と少しだけ嘘を混ぜて告げた。
 土方のそんな告白に銀時はぱちくりと目を丸くし──次いで苦笑を浮かべた。
「……過去形?」
「ああ」
 ふわりと微笑みながら、土方は再び嘘を口にした。
 過去形などではない。焦がれるほどの恋情は、今は穏やかであたたかいものへと変わっているが、それでも未だ、胸のうちにある。今ではもう当たり前の顔をして、その想いは土方のなかに根づいてしまっているのだ。
 きっとこの感情は死ぬまで消えないだろう。墓場まで持って行くのだ。そもそも、銀時に告げることなどなく、墓場まで持って行くつもりだったのだ。
 ほんの少しの嘘を混ぜたけれど、それでも伝えることができた想いが、じわりと胸のうちをあたたかくしてさらに深まり、ああ──と土方の笑みも深くなる。
 やはり好きなのだ、と心が悦んでいるかのようだった。
 不意に、ふっと銀時が笑みをこぼす気配がした。
「んじゃあまァ、お礼に俺も一個教えてやるよ」
 ことん、と紙コップを置く音がやけに大きく聞こえる。
「ずーっとおめェに惚れてるよ、俺ァ」
 今もな、と続ける銀時に、今度は土方が目を丸くする番だった。
 床板についていた土方の手に、銀時の手が重ねられる。
 何を言ったんだ、コイツは──そんなことをぼんやり思いながら重ねられた手を見つめていたら、銀時が体をかがめて土方の顔を覗き込んできた。
「なァ、もっぺん好きになってくんね? 俺のこと」
「……もっぺん……?」
「いい年なんだし、おめーは看板降ろしたことだし、もう生き急ぐこたァねェだろ、お互いによ。これからはもうちょいゆっくり人生満喫してだな」
 そんで、ともう一方の手で土方の頬をそっと撫で上げ、
「ゆっくりジーさんになってこうぜ、一緒によ」
 穏やかな笑みで銀時がそんなことを言う。
 重ねられた手と頬を撫でる手から銀時の体温を感じ、熱が伝わるのと一緒にその言葉がじわじわと染み込んでくる。
 もう一度、好きになれ、と──そう言っているのだと呆けた頭がようやく理解し、土方は気づいた。
 銀時は未だに土方が想いを寄せているとわかっている。わかっていて、でも認めさせるのではなく、もう一度今ここから始めよう──とそう持ちかけたのだ。秘していたのが土方だけでなく、銀時もだった。それを互いにこぼした今、ここから──と。
 四十目前の野郎同士で、と考えると喚きたくなるようなどうしようもない気恥ずかしさやらちょっとした反発やらを覚えるが、それでも──意地を張るのも馬鹿馬鹿しくなり、土方は苦笑した。
 銀時の手が重ねられた手の手首を返し、手のひらどうしを合わせて指を絡める。途端、銀時にぎゅ、と握り締められ、同じくらいの強さで握り返した。
「……不惑も手前にしてなにやってんだ、俺たちゃあ」
「いいじゃねーか。「四十にして惑わず、惑わず行けよ、行けばわかるさ」って、どっかの誰かも言ってただろ」
「孔子と猪木ミックスしてんじゃねーよ」
 アホか、と土方が噴き出せば、銀時も「アホとか今さらじゃね?」と笑った。
 ああそうか、今さらだ──土方はふっとそんなことに思い至った。
 多分、今日ここで想いを告げなかったとしても、きっと未来の光景は大して違わなかっただろうと思う。
 こうしてアホみたいなことを言い合いながら、腰が曲がっても、髪が白くなっても──銀時はもともと白髪だ──ふと気づくと隣を歩いているのだ、この男は。
 ただ、お互い気持ちを口にしたかしないか、の違いでしかないその未来の光景を、恋人、などという形で歩むことになっただけなのだろう。
 そのわずかに変わった形が面映くはあるけれど、それでもきっと、穏やかに、時々喧嘩して、ときにアホみたいに笑い合いながら、歩いていくのだ──ずっと。

(13/04/10 blog up)
(13/04/29 改訂)