前ノ壱「発端」 01



夜とは違う、健全な賑わいに満ちている昼時のかぶき町。その一角に、スナックお登勢の看板はあった。

酔客などひとりも居ない静かな店内には、女店主がたてる物音よりも、外から漏れ聞こえる喧騒の方が大きく響いている。

カウンターに頬杖をつきながら、銀時がその音を聞くともなしに聞いていると、まったく――と、女店主のため息が落とされた。

「アンタはここをなんだと思ってんだい」

呆れ果てたといわんばかりのぼやきをこぼし、女店主がカウンター越しに丼を差し出す。ほかほかと湯気がたつそれを受け取りながら、銀時は口を開いた。

「妖怪ババアと性悪猫耳しかいねェ場末のスナ――」

銀時が言い終わるより早く、女店主――お登勢の拳が飛んできた。痛ッて!と喚く銀時をよそに、お登勢が悠々と煙草に火を点ける。

「ったく、昼間ッからスナックにタダ飯食いに来るたァ、どういう了見だ」

向けられたじとりとした目と小言を無視し、銀時は小豆の乗ったご飯をかっ込んだ。

終日休みである今日、他に行くあてがなかった訳でもない。
だが、それでもなんとなく、足が向いてこの店に来てしまった。
深い意味などなく、本当になんとなく、だ。

だが、店の戸をカラリと開けてお登勢の顔を見た瞬間、全身から無駄な力が抜けたような感覚を覚えて、銀時は気づいた。

どうやら自分は、余計な気を張らなくてもいい場所で、ひと息つきたかったらしい。

ここで――この店の二階で暮らした期間は短いが、それでも確かにここは銀時の家だったのだ。
ホッと小さく息をつき、それを実感した。

だが、それは逆に言えば、それまで変に緊張やら警戒やらをまとっていたことを示している。
そこに思考が至ると、銀時はなんとも言えない荒んだ気持ちになった。

何故そんな目に遭わなければならないのか――誰彼構わず当り散らしたくなる。
思い返しただけで、再び苛立ちを覚えたほどだ。

思わず顔を歪めると、銀時のそんな姿になにかを感じ取ったのか、なんだい、とお登勢が面白そうに眉をあげた。

「たった二週間で降参かい?」
「あァ?なにソレ、なんで俺が尻尾巻いたみてーなことになってんの?」
「そんなツラァ晒しといて、なに言ってんだか」

ハハ、と声をあげて笑うお登勢をじろりと睨めつけながらも、銀時は無言でご飯をかっ込んだ。
負け惜しみを言い返したところで、どうせお登勢には全て読まれているのだろう。むしろ墓穴を掘りかねない。

仕方なく、誰のせいでこんなことに――という恨み言めいた愚痴は、米粒と一緒に飲み込んだ。


* * *


このお登勢により、やけに濃い顔立ちの男と引き合わされたのは、三週間近く前のことになる。
場所はこの店だ。

――銀時、アンタちょいとこっち来て相手しな。

客として訪れた男の席に、お登勢によって突然呼ばれた。

オイオイ、俺ァホステスでもキャバ嬢でもねェぞ、などと悪態をつきながらも渋々同席したのは、男の金でタダ酒が呑めるという言葉に釣られたからにすぎない。

相手、と言われたものの、特に酌を強要されもせず、ただ酒を酌み交わしながら男と他愛もない話をした。戦争の話を振られたりもしたが、のらりくらりとかわすのには慣れている。

濃い顔立ちの男は、見た目はどこの極道モンだ、という風体だった。だが、漂う貫禄が只者ではないことを伝えてくる。

なにモンだ、こいつ――だらけた素振りを崩さないまま、それとなく男を探っていた銀時に、男が突拍子もないことを言い放ったのは、いい感じで酒がまわり始めた頃合だった。

――おめー、刀ァ持つ気はねェか。

そのひと言に、嫌な感覚が刺激され、腹の奥底で何かがどろりと蠢いた気がした。
刀だァ?と胡乱に返した声に怒気が混ざらなかったのが、いっそ不思議だった。

廃刀令が敷かれたこのご時世でそんな物を持っているのは、帯刀を許可された役人か、極道者か、未だ攘夷の志を捨てきれないかつての同士たちのいずれかだ。

まさか役人として刀を持たないか、などと言われているとは到底思えなかった。
男の風貌から、やはり極道者かと思ったが、お登勢がそんな相手と銀時を引き合わせるというのも考えられない。

だとすると、攘夷志士か――銀時は酒を呷りながら苦々しく思った。自分のことを知っていて、攘夷活動に引き入れようとでもしているのだろうか。

だとしたら、この男には関わらない方が得策だ――瞬時にそう判断した。

――いくら心は少年っつっても、ちゃんばらごっこはガキのうちに卒業しとくもんだろ。

内心の警戒を隠しながら銀時がそう嘯くと、男はぱちりと瞬いたあと、そうか、と豪快に笑った。思わず拍子抜けしてしまったほどの呵呵大笑だ。

なにがそんなに面白いんだ、と銀時が鼻白んでいると、ひとしきり笑った男は、

――気に入ったぜ、おめー。

楽しげにそう結んだ。

結局、その日はそれでお開きとなり、男はお登勢と二、三言葉を交わして帰って行ったのだが、それから数日後、再びふらりと現れた。

突然現れるなり、ちょっと顔貸せ、と銀時を車へと押し込んだその男が、警察庁長官・松平片栗虎であることを知らされたのは、武装警察真選組の門をくぐってからである。

――おめー、今日からここで働け。

なんの説明もなしに連れて来ておいて、そんなことをさらりと言い放った松平に、銀時はハァ!?と目を剥いた。冗談じゃねーぞ、とむしろ反感を覚えたのも無理ないだろう。

だが、「ふざけんなジジイ、てめーババアとグルんなって騙しやがったな!」と喚いたところで、松平は怯むようなタマではなかった。
逆に、「喧しいんだよテメーいいから言うとおりにしやがれ」と額に銃口を突きつけられ、銀時の方がギリと歯噛みする羽目になったくらいだ。

したくもない手合わせとやらを無理矢理――やらなきゃ撃つ、と松平に発砲された――させられ、苛立ち紛れの荒い剣を振るった。

少々大人げなかったか、と銀時が内心ほぞを噛んでいるあいだに、あれよあれよと真選組への入隊が決められていた――勝手に。
手合わせの相手だった年若い青年を降したその瞬間、決まったらしい。

松平に気を遣ってだろう、「副長」などという肩書きまで与えられての入隊だった。



この二週間ほどでガラリと一変した周囲の状況に、なにコレどっきり?と銀時は頭を抱えたくなる。悪い夢なら早く醒めてほしい。

地位や刀など、そんなものが欲しかった訳ではない。
江戸の治安、などというご大層なものを護りたいと思ったこともない。

ただ、自分の手が届く範囲のものを護れれば、それで良かったのだ。
今度こそ、取りこぼさないように――それだけを思っていた。

だというのに、どうしてこんな馬鹿馬鹿しくも大きな話になっているのか。自分が警察組織の人間――しかも副長、だなんて、冗談にもほどがある。
生来の気質からして、不向きだということは、銀時自身、一番良くわかっている。

それに、幕府お抱えの組織に属するというのにも、わずかな抵抗があった。

別段、幕府に遺恨を抱いている訳ではない。
戦に身を投じ、国から――幕府から見離されたとわかったときでも、他の同士たちのように裏切られたと嘆き憤ったりもしなかった。
ああそうか、と銀時はその事実をただ受け入れただけだったが、それでもやはり――気分のいいものではない。

おまけに――と、銀時は脳裏に冷然とした容貌を思い浮かべ、眉根を寄せた。

そんな鬱屈から苛立って仕方ないというのに、さらにそれを倍増させてくれる存在がいるから、堪ったもんではない。

――てめェに攘夷浪士が斬れるのか?

一番腹が立った言葉が蘇り、怒りがぶり返る。

そんなことを冷ややかな目で銀時に投げかけたのは、同じく副長という肩書きを持つ男――土方十四郎だった。

土方は、銀時の入隊を承諾しておきながら、当初からずっと銀時に対して刺々しい態度を見せている。それでいて、銀時の一挙手一投足に目を光らせ、不審な点はないかと窺っているのだ。
鬱陶しいことこの上ない。

――いきなり現れた坂田の旦那が自分と同じ副長の座に就いたから、面白くないんですよきっと。

――悪いお人じゃあないんですが、なんせ近藤局長に傾倒しきってますからねェ。

――自分の立場を脅かされたとか、思ってんじゃないですかね。

お喋り好きな隊士が「だから気にすることないですよ」と、そう銀時を宥めるように言ったことがある。
それを聞いて銀時は、バカかコイツ、と呆れ果てるしかなかった。

あの土方の態度を「面白くない」からだ、などというひと言で表すなど、どこに目ん玉つけてるんだ、と疑わしくなる。

あんな、純粋な警戒と猜疑とを、あからさまに振りまいているというのに。

土方にとって真選組と局長である近藤がどれほど大切なものなのか、それは他の隊士たちから――前出のとき同様、慰めとしてが多かったが――嫌というほど聞かされた。

廃刀令により一度失った剣を、自分たちに取り戻してくれたのは近藤だ――と、そんなことを言っていた、とも。

おまけに真選組の立ち上げ前から、土方は近藤の世話になっていたというのだから、なおさらだろう。
実際、銀時の目からも、土方の近藤に対する態度は遠慮がないながらも、しっかり大将として立てているように見えた。

そんな土方からしてみれば、いくら上官である松平が連れて来たとしても、銀時のような存在は胡散臭いだけだろう。

そう頭ではわかる。わかるのだが、それでもやはり、四六時中不審もあらわな目で見られ続けるのはうんざりした。おまけにピリピリと張りつめた、冷徹な気配がセットでついてくるのだから、銀時の忍耐力などすぐに限界がくる。

――うぜェ。

先日の捕り物の際、苛立ちのあまり混乱に乗じて斬ってやろうか、とすら思ってしまった。

思っただけで実行に移さなかったのは、土方の命を惜しんだためでも、自分の保身のためでもない。

そんなことをすれば土方は嬉々として――正当な理由ができて助かったとばかりに、銀時に刀を向けるだろう。それがわかっていたから、寸でのところで刹那的な殺意を押し殺した。
土方が喜ぶような真似をしてやるのが、癪に障ったのだ。


その男が唯一、局長の近藤にだけはやわらかな目を向ける。それもまた、苛立ちを増幅させた。

昨日の遣り取りを思い出し、銀時の眉間のしわがさらに深くなった。



――先月の儒労党の捕り物を覚えているか?

そう土方が切り出したのは、近藤と土方、そして銀時が会議として座敷に揃ったときのことだ。

形式上、土方は近藤と銀時双方へと問うたが、その実、近藤に向けて話しているのはあきらかだった。

もっとも銀時の方も、先月ということは自分には関係ないことだ、とばかりに無視を決め込んでいたからお互い様だろうが。

銀時が興味ない素振りで外を眺めていると、ああ、と近藤の常になく沈痛な声が聞こえた。

「ウチの者がふたり、殉職したな…」

ちらりと横目で見れば、近藤は痛みを堪えるかのように唇を噛み締めた。そんな近藤に、土方が労わるような眼差しを向ける。

「…幹部ひとりと下っ端を何人か取り逃がしちまったのも、覚えてるか?」
「ああ」
「そのとき取り逃がした奴らが、また妙な動きをしてるらしい」

土方の報告に、近藤の顔が険しくなる。

「ってェと?」
「儒労党の者じゃねェ見るからに怪しい浪士風情の連中と一緒に居るのが何度か目撃されてる。逃げた幹部が、どっかの組織の頭目と知り合いだって話だから、そこの連中と手ェ組んだのかもしれねェ。――どうも武器を集めてるみてーだ」
「ってことは、またテロを――」

仕出かそうってのか、と苦々しく続けた近藤に、土方がうなずく。

「その可能性は大きいな。――これが、取り逃がした儒労党の連中だ」

そう言い、土方は座卓の上に何枚かの写真を並べた。監察方が掻き集めてきたのだという。

並べられた写真を見るともなく見やり、銀時は内心ホッと胸を撫でおろした。知っている顔――戦場で見かけた顔がいないことに安堵する。

そしてまた我関せずの態を装っていると、不意に視線を感じた。ちらりと目を向ければ、土方が探るような目で凝っと銀時を見ている。

その眼差しに、銀時の反応を窺っていたのだ、と気づき、瞬間、全身の血が沸騰しそうなほどの怒りを覚えた。

やっぱりあのとき斬っておけばよかった、と、そう後悔したほどだ。

(12/06/23)



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