前ノ壱「発端」 05
二隊を率いて月島の倉庫へと向かう車中には、ぴりぴりと張りつめた空気が漂っている。
それは間違いなく自分たちのせいだろう。
制服に着替えた坂田と並び後部席に座る土方は、車窓の景色を眺めながらぼんやりと思った。
――腹ァ立ったんだよ、
それ以外の理由などない、と坂田は言った。土方はその言葉にわかった、とうなずいたものの――信用した訳ではなかった。攘夷浪士と繋がっているのではないか、と疑わしい点が出た以上、油断はできない。
土方は外を見ている振りで、全ての神経を坂田の挙動に向けていた。その坂田は、窓枠に頬杖をついて、ぼうっと外を見ている。土方のことなど眼中にない様子だが、その気配はどこかざらついていて、土方の神経をちりちりと小さく引っかいた。
土方たちのそんな空気を感じているのだろう、ハンドルを握る篠原と助手席に座る山崎は、妙に強ばった顔で、息を殺すように押し黙っている。
そんな、息苦しい沈黙のなか、不意に坂田がふっと哂ったのが気配でわかった。
「そんっなに意識されっと照れるんですけど」
坂田の口調は茶化すようなものだったが、そこに鬱積された憤りのようなものが滲んでいるのを感じた。
「あァ?誰が意識してんだ。自意識過剰も大概にしろ」
ぎろりと睨みやると、坂田はやはり含みありげな目を土方の方へ向けている。ふうん、と気のない返事をしたかと思うと「猫ってよ」などと唐突に切り出した。
「そっぽ向いてるくせして、耳だけコッチ向けてたりすんじゃん。全っ然気にしてませんー、って振りで、コッチのこと窺ってんの。アレ、今のおめーそっくり」
「ふざけんじゃねェぞてめー、喧嘩売ってんのか、あ?」
「へェ、そぉ」
何か腹に据えかねているような、そんな気配をあらわにしているくせに、坂田はやけに絡んでくる。
その腹立ちが伝播したかのように、土方が苛々を募らせていると、だったら――と坂田は顔を寄せ、土方を覗き込んだ。
「猫じゃねーんだから、そんなに毛ェ逆立てんなって。べつにおめーらの寝首掻こうたァ思っちゃいねーからよ」
馬鹿にしている、と、そうはっきりわかる笑みと声で、ささやくように言う。その瞬間、カッと頭に血がのぼった。激怒のあまり、土方の顔から表情が消える。
「――寝首掻きたきゃやれよ。その瞬間、てめーのそのフザケた頭、胴体とおさらばさせてやらァ」
むしろ、可能ならば今すぐにでも、やってしまいたいくらいだ。
土方も坂田も、殺意じみた怒気を押し殺して睨み合う。運転席と助手席のふたりが、固唾を呑んで窺っているのがわかった。
一触即発の空気を破ったのは、坂田の方だった。ハ、と口許を歪ませて、嘲るように笑う。
「おっかねー。さっすが鬼の副長、正義の味方の発言とは思えねーな」
「誰が正義の味方だ。んなもんになった覚えはねェ」
怖がっているなどとは全く思えない態度でふざけたことを言う坂田に、土方はアホか、と吐き捨てた。自分で口にして、その言葉の馬鹿馬鹿しさに顔が歪む。
不意に、坂田から今までのふざけた笑いと、酷く憤っていた気配が掻き消えた。
なら――と、坂田の声が硬くなる。
「てめーはなんのために剣振るってんだ」
坂田の赤い瞳が、真っ直ぐに土方を射抜いた。
その目を同じ強さで見返す土方の脳裏に、いいか、と近藤の声が蘇る。それは、真選組立ち上げのころに、聞いた声だ。
――いいか、俺たちの役目は――
「護るため、だ」
幕府を護るのだ、と近藤は息巻いていたが、土方はそんなものを護るために剣を握った訳ではなかった。もちろん、正義のために、だとかそんなつもりも毛頭ない。
土方が護ると決めたのは、近藤や真選組だ。そして、そこにはなにか――己の矜持だったり、魂の芯に根差したなにか、目に見えないものも、含まれている。
土方のその答えに、坂田が軽く目を見開いた。何事を驚いたのか、まじまじと土方を見つめていたかと思うと、「あっそ」とばつが悪そうにふいと顔をそらす。
途端、再び車中は沈黙に包まれ、結局、現場に到着するまで誰ひとり口を開く者はいなかった。
* * *
倉庫よりも大分手前に車を停めて合流すると、そこから気づかれないよう、移動する。
倉庫に近づくと、何やら蠢いている人影が多数見えた。恐らく微捨紋党の浪士たちだ。儒労党の男が捕まったと知り、武器と爆弾を回収しに来たのだろう。
坂田からの情報がなければ、土方たちは出遅れるところだった。それを実感すると、間に合ったことに胸を撫でおろしながらも、やはりどこか面白くないような、複雑な感情が広がる。
裏口があると思われる側に山崎と篠原を向かわせ、土方は号令を出した。
「御用改めである!」
名乗りをあげ、先陣を斬って沖田と坂田が駆ける。それに三番隊隊長、そして二隊の隊士たちが続くのを見て、土方はため息をこぼした。
倉庫の中では入り乱れての白兵戦になっているのだろう。怒声や刀を切り結ぶ音が、外に居る土方のところまで聞こえてくる。それに好戦的な面を刺激され、今すぐ自分も突入して行きたくなった。
土方がじりじりとしながら待っていると、煙草一本吸い終わるころにようやく山崎が駆けて来た。
「裏からひとり、車で逃げました。篠原が後を追ってます」
動きを知らせる声に、土方はそうか、と返した。狙いどおりに動いてくれれば――真選組に嗅ぎつかれたことを、アジトに知らせに行ってくれれば、上出来だ。それを目論んで、わざと逃したのだ。
「周囲を包囲してる六隊に連絡しろ。動きを見せたらひとり残さず捕縛もしくは討ちとれ」
山崎ににそう命じ、土方も倉庫内に入った。
中は広く、天井も高いが、その広い面積の半分近くを、山と積まれた荷箱が占領している。これらが全部、武器と爆弾かと思うと、土方はゾッとした。
土方の姿を認めた浪士たちが、斬りかかって来る。
倉庫の奥へと移動しながらそれに応戦し、斬り捨てていると、突然、
「きゃ」
横合いから小さな悲鳴が聞こえた。
なんだ、とちらりと目線だけでそちらを見やり――土方は驚きに目を見開いた。
子供がひとり、地面にへたり込み真っ青な顔で震えている。
何故ここに子供が残っているのか。土方が愕然と見やっていると、不意に嫌な感覚を覚えた。反射的に子供を抱え、横に飛びのく。
ひゅ、と空気を切る音と同時に、土方の右腕を衝撃がかすめた。制服が裂け、そこから血の滲んだ二の腕が見える。
銃かと忌まわしく思ったが、鈍い音とともに地面に突き刺さったのは、小さな銛のようなものだった。軌道から飛んできた方向へと目を向ければ、積まれた荷箱の上にボーガンを抱えた男がいる。
高所から狙われるのは厄介な武器に、射手の視界から身を隠そうと土方が動きかけたそのとき、
「ぐぁ!」
カエルが潰れたような呻き声とともに、どさりと射手の男が落ちてきた。
ハッと見あげると、ひらりと銀色がひるがえる。土方は思わず舌打ちした。
土方を助けるために、などとは到底思えないが、結果としては坂田に助けられたようなものだ。それが腹立たしかった。
土方が怒気を押し殺していると、それを感じ取ったのか腕の中の子供がピクリと体を竦ませた。その反応に、子供の存在を思い出す。
このままここに置いておくのは危険だと、子供を抱えたまま倉庫の隅へと移動し、荷箱の山に隠れた。
「ここに残ってるのはお前だけか?」
自分の足で立たせて問い質すと、子供は青い顔でうなずいた。
「なんで他の奴らと一緒に行かなかった」
「オレ、風邪ひいて寝てて、仕事できない、からっ」
働けないから行けなかった、と告げる子供に、土方は内心ほぞを噛んだ。仕事、と称して連れ出したのが仇になったか。
「仕事ってのはお前たちをここから移すための嘘だ。だから、お前も気にせず――」
仲間たちのところに行っていいんだ――と伝えたかったが、言葉が続かなかった。
くらり、と眩暈がしたかと思うと、全身からサアと血の気が引いていった。
だというのに、右腕の傷口は焼けつくかと思うほどに熱く感じる。
しっかり握っていたはずなのに、手から刀がするりと抜け落ちた。
そんなこと、通常なら絶対にありえない。
――まさか、
土方は慄然としながらも、どくん、と不気味なまでに強く打つ鼓動と苦しくなる呼吸に、間違いない、と確信した。先ほど腕をかすめたボーガンの銛に、毒が塗られていたのだ。
じわじわと体中に麻痺が広がっていくようで、土方がゾッと固まっていると、「こっちだ!」と背後から銅間声が届いた。
「居たぞォ!土方だ!」
振り返ると、刀を振りかざした浪士が、土方に向かって来ていた。
咄嗟に子供を背中に庇う。落とした刀を拾う余裕はなかった。
一太刀食らうくらいは仕方ないか、と苦々しく思いながら土方は左腕で頭を覆った。腕の一本で済むなら、と振りおろされる白刃を覚悟する。
けれど眼前の男は振りかぶった動作のまま、どう、と倒れ込んできた。
「な――?」
何故、と目を丸くして見ると、男の盆の窪にボーガンの銛が深々と突き刺さっている。視界の隅にちらつく銀色で、誰のしわざかは知れた。
一度ならず二度もあの男に助けられたことを悔しく思いながらも、土方は力が入りにくくなっている体を叱責して無理矢理動かした。子供を荷のあいだに押し込む。
「じきに終わる、それまでここに隠れていろ」
動くなよ、と念を押すと、子供は涙目になりながらもこくこくとうなずいた。泣きたいのを必死で堪えているのだろう子供の様子に、土方が軽く笑ったそのとき、
「おめーも隠れてろ」
背後から低い声が投げかけられた。
振り仰ぐと、いつのまにか土方たちを庇うようにして、坂田が立っていた。坂田の背中越しに、大勢の浪士たちの姿が見える。
取り囲まれていたことにも気づけないほど感覚が鈍くなっているのだと思い知り、土方は内心歯噛みした。
「ふざけんな、なんで俺が隠れなきゃならねェんだよ」
情けなさと悔しさを押し殺してそう言い返す。
だが、転がっている刀を取ろうと動きかけたら、ガッと坂田に肩を押さえられた。
「動くなっつってんだ!回り早めてどうする!」
坂田が珍しく感情もあらわに声を荒げる。その勢いと言われた内容に、土方は思わず瞠目してしまった。
土方が毒を受けたことに気づいていた。気づくくらいに、土方の様子を見ていたということだろうか。
それだけでも充分意外なのに、毒の回りを早めるな――と、気遣うようなことをこの男が土方に言う、など。
思いもしなかった坂田の反応に土方が呆然としていると、チ、と舌打ちした坂田によって、突き飛ばすかのような乱暴さで地面に戻された。
「おとなしくソコでじっとしてろ」
そう言い、坂田が再び背を向ける。
途端、坂田のまとう空気が鋭く研ぎ澄まされたものに変わったのがわかり、土方は息を呑んだ。
「――そっこー終わらせる」
気負うでもなく言い放ち、坂田がトン、と地面を蹴る。
正面の浪士を一刀のもとに斬り捨てると、倒れる男から脇差を奪い、それで横の男の喉笛を掻き斬った。
振り向きざま、背後から斬りかかってきた男に脇差を突き刺し、蹴り捨てる。その次の瞬間には、浪士三人をまとめて斬り伏せていた。
加減を捨て去った剣が容赦なく敵を倒して行くさまは、今まで見たことがないほど鮮烈だった。
苦しくて堪らないのに、それでも恍然と見惚れる。
毒のせいか徐々に視界が霞んでいく。もっと見ていたいと思うのに、それが叶わないのが口惜しかった。
荷箱にもたれかかり、土方が朦朧とする意識でそんなことを思っていると、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「副長!」
駆けて来た山崎が傍らにしゃがみ込む。酷く狼狽えた様子で、どうしたんですか、などと騒ぎ立てる山崎を、なんとか左手を持ちあげ、黙らせた。
「総悟に、一番隊連れて、篠原を追うよう、伝えろ」
この場の制圧も時間の問題だろう。脳裏に残っている坂田の姿に、そう確信する。
「向こうの総指揮は、総悟に預ける、全員、取り押さえろ。こっちの爆弾と、武器の処理は、三番隊に、任せると、斉藤に…」
「無理せんでください、副長」
すぐ傍にいる山崎の声が、妙に遠く聞こえる。息苦しくてせわしなく呼吸を繰り返すが、酸素を取り込めている気がしない。ついにはすう、と視界が暗くなり、幾重にも紗を掛けられたかのように全ての感覚が曖昧になった。
「あと、」
何事かを喚いている山崎に、これだけは伝えなければ、と土方は今にも途切れそうな意識をなんとか繋ぎ止めた。
「…この子供、保護…しとけ…」
言い終えた途端、ふうと意識が薄れた。それが限界だった。
意識が途絶える寸前、既に聴覚は役に立っていなかったはずなのに、坂田の声が聞こえた気がした。
(12/06/30)
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