其ノ壱「始点」 03
夜も更けた時刻、昼間の顛末を報告するため、土方たちは近藤の部屋に座していた。
「そうか。ご苦労だったな、皆無事でなによりだ」
座敷に集まった顔ぶれを見回し、近藤がほっとしたような笑顔で労をねぎらう。
室内には近藤と、副長である土方と銀時、そして屋敷の護衛にあたった二隊の隊長が揃っていた。
各自からひとしきり報告があがると、近藤は渋い顔で顎をさすった。
「桂の名前が出たってことは、その浪士は桂とつながっていた可能性があるな」
「ああ、今山崎に探らせてる」
土方が言うと、近藤はそうか、とうなずいた。
「そういや、会合はどーなったんだ?」
ふと思いついて訊ねる。
日を改めるなら、そちらにも警護をつけるべきか、と考えたのだが、ああそれな、と近藤が返した答えは土方の予想とは違っていた。
「あのあと地下通路から移動して話をまとめたらしい。正式に条約を結ぶそうで、近々調印式をやるってェ話だ」
「――それだな」
ぼつりと呟いたのは銀時だった。見やった先の常になく真面目な顔に、ふと昼間のことを思い出して土方は眉をひそめた。
銀時の唐突な言葉に、近藤が首をかしげる。
「あ?それって、どれだ」
「調印式に、仕掛けてくる」
銀時がきっぱりと断言する。
「――マジですかィ」
ざわ、と室内に低く動揺が漂う中、土方の脳裏に男の最期の声が蘇った。
――あとは頼みます、桂さん――!
「――出てくんのは、桂だな?」
「多分な」
確信に近い思いで口にすると、銀時は表情を変えずにうなずいた。代わりに土方の顔がしかめられる。
よりによって厄介な奴が出てこようとは。
頬杖をつき、考え込んでいた銀時がふいに顔をあげ、近藤に目を向けた。
「オイ、その調印式ってのは、いつやんのかもう決まってんのか?」
「いや、これから調整するってェ話だから、詳しいこたァまだだろう」
近藤の言葉に、土方は内心ホッと胸をなでおろした。
後手に回らずに済むのは助かる。今ならまだ打つ手が幾らでもある。
さてどうするか――と頭の中で策を練りながら視線を流していたら、同じような銀時の目とかち合った。
瞬間、ぱちりとピースが嵌まるように考えがまとまる。
に、と銀時の口の端があがった。
「――こーなりゃ一本釣りすっか」
銀時のふてぶてしい笑みが示す方向は、おそらく同じだ。
「――大々的にやらなきゃ釣れねーぞ」
「そこはアレだ、松平のとっつぁんに頑張ってもらうってことで」
その返答で、やはり同じことを考えていると知り、土方は薄く笑う。
「あまり日をあけたくねェな」
「前日か当日――どっちがいい?」
「当日はダメだ。下手に分散させたくねェ」
「場所は入り江な。囲みやすくて逃げ場がないトコ」
「そーいうのは山崎や志村の方が詳しいな、聞いておく。――お前はどーする」
「決まってんだろ、釣りキチ銀平たァ俺のことよ」
「なら――中に二、外に一」
「ま、そんなもんだな」
とんとんと話がまとまると、銀時は鷹揚にうなずいた。
「じゃ、あとの詳しいことはそっちで頼まァ。俺ァ風呂入って寝るわ」
これより先の根回しやなんやは土方の仕事だと言外に告げ、銀時が退出する。
面倒臭いところは全部こっちかよ、と土方が舌打ちすると、恐る恐るといった体で近藤が訊ねてきた。
「…トシ、今の何語?」
「は?」
見れば、他のふたりも意味がわからないといった風に、奇妙な表情を浮かべている。
「いつものことですがねィ、アンタらの会話は頓珍漢すぎていけねーや」
呆れたような沖田の言葉に、普通に話してただけだろーが――と言いかけて、土方は顔が歪んでいくのを感じた。
お互い自分の考えを整理するため口に出していたような遣り取りだ。近藤たちには意味不明に聞こえただろうが、土方と銀時の中では共通の案がまとまった。
考えていることが同じなのだ――と、改めて気づかされて愕然とする。
いつのまにこんなに馴染んでいたのか。自分も、あの男も。
気づいた以上、そしてこの先のことを思うと、もはやなあなあで済ませる訳にもいかない。
桂が出てくる――既に確信していた。そして、一本釣り、などと言った銀時と、対峙することになるだろう。
どうしたいのか――どうすればいいのか。
立場をかなぐり捨てた感情が告げる答えはもう出ているのに、それに手を伸ばせず、土方は苦慮を噛み締めた。
* * *
自身の部屋からもれる灯りだけが頼りの薄暗い廊下で、土方は待っていた。
銀時の部屋は、土方の部屋からあいだに空き部屋ひとつ挟んで奥にある。風呂に行ったなら、帰りは必ずここを通ることになる。
柱にもたれかかり、土方は流れる煙を茫と眺めた。
銀時が例の異名を冠して攘夷戦争に加わっていたのは、まず間違いないだろう。
別段、戦争に参加したこと自体は、今さら咎められるようなものでもない。市中にだってかつて戦争に身を投じた者は数多くいるだろう。
問題は、今、だ。
未だ攘夷の意思を持ち、それを示そうとすること――しかも大半が実力行使による犯罪行為なのだ、それらを捨て置くわけにはいかない。
少なくとも銀時が自分の意思で攘夷活動に手を染めるとは考えていない。それは信じられる。
だが、かつての仲間が手を引き、抱き込もうとしたら――桂と対峙する近い未来に、そんな憂慮が浮かび、心がざわついた。
戦争時代の盟友である桂が今の銀時を良しとするとは到底思えない。ましてや、伝説となり未だ異名がささやかれるような存在だ、攘夷派の気勢を上げる旗印として取り込みたいと思ってもおかしくはないだろう。
そうなったとき、あの男はどうするのか。自分はどうするのか――どうすればいいのか。
土方はきつく目を閉じた。
煩悶する自分に見切りをつけるように煙草を噛み締めたとき、きしりと床が泣くのを足の裏に感じた。
近付いてくる暢気な鼻歌、緊張感の欠片もなくぺたぺたと鳴る足音。そこには入隊当初の、周囲を警戒する野良猫みたいな気配は微塵も残っていない。
ふいと視線を向けると、風呂上りの銀時が土方に気づいてきょとと目を丸くした。
「――どーした、闇討ちにしちゃあ隠れもしねーで。それとも蛍族にでもなったのか?」
どうした、など、自分自身が一番訊きたいくらいで、土方は苦く笑った。
「今の内にてめェの口から聞いておきてェ。今日の奴らと桂小太郎――てめェ知り合いか?」
「まさか。ありえねーよ」
面と向かって問い質すのは初めてだが、銀時は動揺した様子もなく否定した。
「じゃあスナックお登勢の女主に拾われる前、てめェはどこで何してやがった」
「あ?上方でホストしてたぜ。言わなかったっけ?」
呆れるほどに銀時はすらすらと答える。飄々とした顔を見つめ、土方はわずかに首をかしげてみせた。
「そのわりにゃ上方訛りがねェじゃねーか」
「なにゆーてんねん。めっちゃ訛っとるっちゅーねん、コレ。どないやねん」
いっそ清清しいまでに不真面目な内容だが、土方は黙って銀時の言葉を待った。
ツッコミを入れるでも怒るでもなくただ煙をくゆらせる土方に、しだいに銀時の表情が変わっていく。
ばつが悪そうに眉をさげ、あー、と頭を掻いた。
「…悪ィ、俺さー、記憶喪失でなんも覚えてねーんだわ」
土方は銀時の目をじっと見つめた。
この男が本気で嘘を突き通そうとしたなら、見抜くことなどできないだろうと思う。それでも、何かを見つけ、掴みたかった。
だが、そこに見たのは縋るような必死な色で、土方は黙って煙草を消した。
銀時は知られたくないのだ。
「――わかった。もういい」
怒りが湧くでも落胆を覚えるでもなく、ただ静かに受け止めている自分が少しばかり不思議だった。
呼び止めて悪かったな、と言い残し部屋に戻ろうと背を向けたら「土方」と、腕を引かれた。再び正面から見合うかたちになる。
自分から引き止めておいて、銀時は何かを逡巡しているかのようだった。どこか苦しげな、彼らしからぬその様子に土方の眉根が寄る。
「なんだよ、用がねェんなら――」
離せ――と続くはずの言葉は、銀時の唇によって遮られた。
重ねられた唇から感じるあたたかさに、思考が止まる。
なんだこれ、とか、ありえない、とか、そんな至極真っ当な疑問すら浮かばない。ただ目を瞠り、近すぎて焦点が合わない男を見つめた。
時間すらも流れを止めたかのような感覚に捕らわれているうちに、触れるだけの口づけは、ゆっくりと終わりを迎えた。
銀時の唇が名残惜しそうに離れていく。
呆然と眺めていると、不意にそれが弧を描いた。
「――悪い、まだなんも言えねーから、今はコレで勘弁して?」
先ほどの態度から一変し、いつもの人を食ったような笑みを浮かべた銀時が、いけしゃあしゃあと言い放つ。
途端、一気に血がのぼった。
脊髄反射の勢いで殴りかかる。
「てめェもっぺん池に落ちろ!脳みそ取り出して洗って来い!」
「ちょ、ねーよ!俺今風呂入ってきたばっかだっつの!あぶねッ!」
繰り出した拳をするりとかわされ、瞬間的に肘を曲げてこめかみを狙う。それも回避されて、思わず舌打ちした。
刀を部屋に置いてきたことを後悔する。
「なら風呂に沈め!一生出てくんな!」
「どんだけ風呂好きだよ俺!」
近藤に、トシも坂田もうるさいぞ、とたしなめられるまで子供じみた攻防は続き、翌朝、眠りを妨げられた隊士たちから非難の目を向けられることになった。
(10/10/17)
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