其ノ壱「始点」 04
屋敷の爆破予告から一週間後、調印式が執り行われることになり、再び真選組にお鉢が回って来た。
会場の警護を仰せつかり、幕府所有のホテルを取り囲む黒い集団は、景色にそぐわず浮いている。
海に張り出す格好で立つホテルは、江戸の中心から距離があるものの、その景観の良さで幕僚たちに人気なのだという。どこぞの星から賓客が来たともなれば、よく利用されているらしい。
もっとも今日は大事な式典があるからと、全ての宿泊をキャンセルしてもらった。
その費用だけでも結構な額になったろうな、と土方は青くなっていた松平を思い出す。
今日の陣頭指揮は近藤が執っている。事前に配置などを考えたのは土方だが、それでもやはり近藤が先に立っていると、気持ちが違った。
後ろに大将がいることで気が引き締まる反面、思う存分好きに暴れられる――と、好戦的な面を開放できて、どこか心が軽い。
そんなことを考えていたら、なんですかー、と拗ねたような声が背後から聞こえた。
そちらに顔を向ければ、背中を合わせた銀時が不服そうに口を尖らせている。
「土方君はまーた銀さんの見張りなんですかーチクショー」
「おー、やっと自覚が出たかサボリ魔」
銀時がぼそぼそと小さな声でぼやくのに、同じく声をひそめて返す。
式典が行われる大ホールの一角、土方と銀時は吊り下げられた幕の裏に身をひそめ、有事の際に備えていた。
近くに隊士たちが控えているが、ここには土方と銀時しかいない。まさしく見張る者と見張られる者、という図式だ。
だが、見張りという名目で土方が傍についているのは、その実、本当に桂がやってきたとして――という危惧からの方が大きかった。
桂と対峙した銀時がどうでるか。
この前のように、お前は誰だと誰何したくなるような顔をされるのは御免だし、まして、銀時が桂の手を取り、翻るようなことなどになったら――。
それもまたおかしなことだ、と、土方自身思う。
もし、銀時が桂の手を取るようなことになったとしても、以前の自分なら斬り捨てられる理由ができたと思っただけだろう。攘夷浪士として、そして局中法度に背いた者への粛清として。
だが、今の自分はそれを防ぎたいと思っているのだ。誰がそちら側に行かせてやるか――そんな、半ば意地とも言える我意で。
「ホンット、信用ないのなー、俺」
この前と同じことを言いながらも、銀時の声はどこか楽しげだった。
「おめーが嘘ばっかつくからだろーが」
「嘘じゃありまっせーん、方便ですーぅ」
「同じだバーカ。そんなもん信じられっかよ。つーか嘘だって認めやがったなてめー」
遠くで轟音が生じ、空気を震わせた。ホテルの入口とロビーだろう、と音から距離を測る。
じとりと睨めつける土方の目を受け流し、銀時は苦笑を浮かべた。
「ま、信じてくれーなんて言わねーけどよ」
「つーかもうどーでもいいっつーの、そんなモン」
土方はケッ、と吐き捨てる。
あの夜、知られたくないと思っているだろう銀時に、仕方ないから目を瞑ってやろうじゃねェか、などと譲歩してしまった時点で、腹を括ったも同然だ。そして何より、腹を括る覚悟で訊ねたのだから、今さら信じるも信じないもあったものではない。
「は?」
銀時が怪訝な顔で振り返った。多数の足音と不穏な喧騒が近付いてくる。
「規律に背かず職務さえ全うしてりゃ、取り立てて文句はねェ。てめーが昔ホストやってよーが今と変わらずロクでなしだろーがな」
職務――すなわち、攘夷浪士の討伐だ。
銀時がどんな思いでかつての同士たちに刃を向けているかなど、知らないし知りたいとも思わない。
ただ、それでも銀時は今、ここに在る。
「それで今のおめーが変わるわけじゃねーだろ」
向こう側に行かせてやるつもりがない以上、それだけで充分だ――と。
妙にすっきりした気分で口にすれば、銀時は目を丸くした。バン、と扉が開け放たれた音が響く。
「…あらら。どーしたんだよ、いやに前向きじゃね?」
「ったりめーだ。後ろばっか見てたら――」
感じた気配に体が反応する。
柄を握り、鯉口を切り、
「――前の敵が見づれーだろーが」
幕をめくり現れた眼前の敵を、一刀のもとに斬り捨てた。
「カーッコイーイ。やーだー、銀さん惚れ直しちゃうー」
「言ってろ」
軽口を叩きながらも次いで現れた敵を逆袈裟斬りで沈めた銀時に、余裕じゃねェか、と舌打ちする。
刀をひと振りして血のりを払う。頃合いだろう。
バッと幕を払い落とせば、そこは大ホールに拵えられた段の上だった。見下ろせば、テーブルも何もないガランとしたホールに不逞浪士が集っている。
突然姿を現した土方と銀時に驚愕し、刀を向けてきた浪士たちを鼻で笑った。
一本釣りどころか投網漁だ。
「オイオイ、物騒な雁首揃えてここでなにやろうってんだァ?」
「パーチーか?パーチーでも始まんのか?」
土方と銀時が軽口を叩くと、それを合図に、正面の壁に下がっていた幕が落とされる。そこには隊士たちが身を隠していた。
壇上のふたりと隊士二十名に挟まれ狼狽する浪士たちの中から、ため息まじりの静かな声が届いた。
「――謀られた、というわけか」
ホールに響いた声の方を見れば、見覚えのある顔――桂だった。さすがに状況判断能力は優れている――土方は内心感嘆した。
渋る松平を説得し、幕府に今日の日付で偽の通達を出させた。それも、極秘裏に――マスコミになど知られぬように、と、その情報を掴んだ者が偽物だと勘付かないようそれらしく手を加えて。
正式な調印式は明日、江戸城で行われる。その知らせが関係者に届くのも、今日、これからだ。
会場であるこのホテルへ向かっていただろう者たちは、江戸の中心を出る前に足止めを食らい、そこで正式な情報を知ることになる。
条約の締結に関わった幕吏やどこぞの星のお偉方は振り回されたことに立腹するだろうが、そんなのは知ったことではない。
「御用改めである。おとなしく全員縛につけ」
じりじりと張りつめた空気の中、桂の目が土方の隣に向けられる。
「そういうわけにもいくまい」
桂の手が動いた次の瞬間、ホールは白煙に包まれていた。
「――逃げろ!」
「ひとり残らず捕まえろ!」
鋭い叫びが交錯する。
視野が遮られた中でいくつもの気配が入り乱れる。ふと感じた気配、その動きを追い、土方は出口を目指した。
同じく反応した銀時と共に廊下に躍り出る。
ひらけた視界の隅で長い黒髪を捉え、駆け出した。
「桂ァ!」
逃がすか、とその背を追い、階段を駆け上がる。
振り返った桂が不愉快そうに何かを放ってきた。飛んできた物体を身をかがめてやり過ごすと、それの落ちた背後から爆発が起きる。
威力は弱いが、後ろを追ってきた隊士たちがそれによって足止めを喰らったのを見てとり、忌々しさに舌打ちした。
「――逃げ場はねェぞ」
銀時が低く告げる。だが、最上階に追い詰めたものの、桂にはまだ余裕が見えた。
ここからどうやって逃げようというのか――土方が内心訝しんでいると、逃げ一辺倒だった桂が唐突に足を止めた。
ゆるりと振り返ったその目は、土方の数歩先に立つ男に向けられている。
「久し振りだな、銀時。よもやこんな形で再び会おうとは、夢にも思わなかったが」
「会いてーとか思ったこともねーけどな」
桂が銀時の名を呼び、銀時がそれに返す。
その光景を、やはりな――と、どこか感覚が麻痺した頭で受け止めた。
予定調和だ。恐らく桂はこのために他の隊士たちを振り払い、ここまで銀時を誘き出したのではないかとすら思えた。
「共に来い、銀時。お前がいるべきはこちら側だろう」
「やなこった」
「俺たちを売った幕府を――今のこの国を護ると言うのか、お前は」
「べつに国や幕府を護るつもりなんざ、これっぽっちもねーよ」
銀時の変わらない態度ゆえになのだろうか、ふたりの遣り取りを冷静に聞いていられる自分が不思議で仕方なかった。
あれほど煩悶していたというのに、不思議なほど凪いだ心で揺るぎない銀時の背中を見ていられた。
桂が憤りを鎮めるかのように深く息をつく。
ありえん、とこぼれた声には疑念の色も滲んでいた。
「だが貴様はそちらにいる…。相変わらず読めん男だ」
桂の視線が一瞬土方に向けられた。
読めない男――その言葉には土方も同意したくなっただけに、内心ギクリとする。
「――俺は幕府を倒すぞ、銀時」
ひたりと桂の黒い目が再び銀時に据えられる。
「この国を立て直すために――」
黙って聞いていた銀時の口からため息が落とされた。
「おめーらがなに考えてようが、それをどーこう言うつもりはねーよ。おめーがなにをしようと、俺には関係ねェ話だ。好きに生きて好きに死ねばいい」
俺はただ、と銀時の右腕が動く。
「関係ねェ奴まで巻き込むおめーらのやり方が気に入らねェだけだ」
決然と言い放つ男の刀は、真っ直ぐ桂に向けられている。桂が一瞬、悲しげに眉をひそめ、残念だ、と呟いた。その時。
ドン、と頭上から爆発音が響いた。
屋上――と天井を振り仰いだ土方の足許で、床が――否、建物自体が悲鳴をあげるようにぐらぐらと軋み、揺れる。
バカが、と土方は胸の内で桂を罵った。
階下が爆破されている今、いつこの建物が崩壊してもおかしくはないというのに。
「お前と刀を交えることになるとはな」
「俺は俺のやり方を通すだけだ。大切なもんを護るためにお前らを――」
轟音とともに天井が崩壊し、銀時の声がかき消された。慌てて腕で頭を覆う土方の前にも崩れた塊が落ちてくる。
「坂田!」
顔をあげる。見やったその先にあるはずの銀時の姿は、瓦礫の壁で遮られていた。
ざあ、と血の気が引く。
ばらばらとコンクリート片が降りそそぐなか、瓦礫をどかそうと土方は無我夢中で手を動かした。
「副長!」
その腕を、誰かに掴まれた。振り仰ぐと、いつのまに来ていたのか、山崎が泣きそうな目で土方を見ている。
「退避命令が出てます、早く逃げてください!」
「ッ、坂田!!」
山崎の手を振り払い、目の前を遮る塊のその先に叫ぶ。
聞こえただろう、と。
お前も逃げるんだよ、と、障壁を取り除くため伸ばした手は、再び山崎に取られた。
「局長命令です副長!!」
山崎の悲鳴にも似た叫びが、地鳴りのような建物の断末魔を裂いて耳に届く。
局長命令――その言葉に逆らうことなど、土方にできるはずもなかった。
どうやって外まで出たのか記憶も曖昧なまま、土方は今にも崩れ落ちそうなギリギリのバランスで立っている建物を、他の隊士たち同様見上げた。
――場所は入り江な。囲みやすくて逃げ場がないトコ。
そう銀時が言い、山崎たちに探させ決めたホテルは、海に三方を囲まれている。
桂たちに身をひそめられる場所を与えないために、という理由からだが、こうなってみると周囲に避難させなければならない対象がいなくてよかった、とぼんやり思った。
「桂も旦那もオダブツですかね」
他の隊士に捕らえた浪士を連れて行くよう指示した沖田がぽつりとこぼす。
不謹慎だと思わなかったのは、その声音に、そんなはずない――という願望に似た色が見えたからだ。
だから土方は恐らくな、と返した。
「この有り様だ、桂も野郎も無事じゃあるめーよ」
パトカーにもたれかかり、もうもうと上がる白煙のゆく先を目で追いながら煙草に火をつけると、でも、と山崎が言った。
「旦那のことだから、ひょっこり出てきそうな気が…」
「坂田だからな」
「まァ、殺しても死にそーにねーですからね、あの人ァ」
近藤と沖田がそれに便乗する。
どんだけだよ、と土方が呆れて苦笑すると、
「おーう、生きてっぞー」
気の抜けた声が煙塵の中から届いた。
ぴたりと全員の動きが止まる。全ての目が、煙幕のように視界を遮る塵芥に向けられた。ほんの数秒をじりじりと待つのは二度目だ。
瞬きすらできずに見つめる中、埃まみれでどこもかしこも白くなった銀時が、よ、と手を上げ、姿を現した。
一瞬静まり返ったのち、地響きのような隊士たちの歓声があがる。
坂田ああああ、と涙と洟で顔をぐしゃぐしゃにした近藤ががっしと抱きしめると、キメェェェ!離せェェェェ!と銀時は悲鳴をあげた。実力行使で近藤を引き剥がした銀時が、どさりと土方の足許に座り込む。
パトカーにもたれ、ただいまー、と見上げてくる銀髪に、ようやく土方は知らず詰めていた息を吐いた。
「…遅ェよバーカ」
「これでも全速力だバカヤロー」
「そーかい」
「で、どーよ」
「何がだよ」
「さっきの」
アレ、と続けられた言葉に、土方は顔をしかめた。
忌々しく見下ろした土方の目を、どこかさっぱりとした表情の赤い目が迎える。
「聞いてたとーりだ。俺は――」
「なんの話だ」
何が言いたいかなど見越したうえで、銀時の言葉を遮る。銀時はきょとと目をしばたたかせた。
「なんの、って…アレ?お前さっき聞いてたよな?めっちゃ近くにいたよな?」
「あー、すげー爆発だったよなァ」
「あ?」
「煙でなんも見えねーわ、爆音でなんも聞こえねーわで参ったぜ」
何も見ていないし、何も聞いていない――それが土方の答えだ。
これからも、その件に関して土方の目と耳は機能しなくなるだろう。
「で?桂の野郎はどうした」
その話は終わりだとばかりにちらりと横目で見やる。ぽけ、と間抜けな顔を晒していた銀時は、やがて困ったような笑みを一瞬浮かべた。
「――悪ィ、取り逃がした」
悪いなどと欠片も思っていなさそうな飄々とした態度で銀時が詫びの言葉を口にする。土方はそうか、と煙を吐いた。
「相手は桂だ、しょーがねェ」
仲間の半分を捕まえることができただけ上出来だろう。
言うと、山崎がですよねェ、などと、泣き笑いみたいな顔で言った。離れた位置で、近藤と沖田も同じように笑っている。
――そうか、
俺が一番最後か――不意に気づき、土方は苦笑した。
* * *
自室で書類に目を通し、土方は報告に頭を悩ませていた。
既に日付も変わった時刻だというのに一向に終わらなくてただでさえ苛々しているというのに、その横で何故かだらだらと寝転がっている物体がさらに苛立たせてくれる。目障りで鬱陶しい。
寝るなら自分の部屋で寝ろ、と言うと物体は、いや話がね、などと口ごもった。
「言いてェことがあるならとっとと言え」
「神楽のことだけどよ」
「なんだ。つーかおめーも手伝えバカヤロー」
「この前、護送と捜索任されたのが嬉しかったみてーでよ、人の顔見りゃその話ばっかで、うっとーしいんだわ」
何が言いたい、と目線で促せば、物体――銀時はだからよ、と頭を掻いた。
「もーちょいアイツこき使ってやってくんね?――まァ、おめーがなに心配してんのかもわかるけどよ、アイツも闇雲に暴れるほどバカじゃねーし。いざってときは命張って俺が止めるからよ」
「――考えておく」
既に神楽隊を入れた見廻りのローテーションを作ってあることを隠し、そんな言葉で返したのは少々気恥ずかしかったからだ。
悟られたくなくて、ふい、と銀時から視線を書類に戻す。
「…ついでにもひとつ、考えといてほしいことがあんだけど」
言い、半身を起こした銀時がずい、と身を乗り出し顔を寄せてくる。
思わず体を後ろに反らし、土方は至近距離の顔を睨みつけた。
「――なんだよ」
「――あ」
「あ?」
不意に上を見上げて間抜けな声を出した銀時に釣られ、土方も目線だけで上方を見やった。
その瞬間。再び口づけられ、目を瞠ったときには押し倒されていた。
頬を包む両手を引き剥がそうとしているうちに今度はしっかり舌まで入れてきた。
「てめェ…!」
何を、と荒ぐ息もそのままに睨みつけた先で、銀時がに、と笑う。
「銀さんの気持ち?」
男臭い笑みで告げたのはそんなふざけたことで、知るかァ、と土方はのしかかる男を蹴飛ばした。
迷いなく置き台の上の刀を掴む。
「ふざけんなてめェ!一度ならず二度までも!」
「やー、人間いつどーなるかわかんないからね、やりたいことはやれる内にやっとかないとね」
うんうん、とひとり得心しているかのような銀時に、すらりと抜刀して切っ先を向ける。
「今すぐどーにかしてやらァ。そこになおれ!」
「俺が死んだら泣くくせにー」
「誰が泣くかァァァ!!」
払った刀は寸でのところでかわされた。怒りで柄を握る手に力がこもる。
「死ね!」
「てめーらふたりとも死にやがれ」
不意に沖田の剣呑な気配がしたと思った次の瞬間、バズーカが放たれた。
咄嗟にかがみ込んだ土方と銀時の頭上を砲弾が飛び、爆音と同時に壁が破壊される。
オイぃぃ、と土方は物騒な部下を見上げた。
「ちょおォォ、ここ俺の部屋ァァァ!」
「丁度いいから俺の部屋に来ればいーじゃん」
「丁度いいって何がだ腐れ天パ!」
「セッ――」
「言わせねェよ!」
「ふたり揃って死ねば済む話ですぜ、土方さん、旦那。あの世で仲良くやりなァ」
土方と銀時が言い合っていると、沖田により再び砲撃された。
死ぬわ、だの、死ね、だの、生きる、だのいう攻防は、近藤に、トシも坂田も総悟もうるさいぞ、と咎められるまで続き、翌朝、再び隊士たちから非難の目を向けられることになった。
(10/10/17)
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