其ノ参「残月」 12
屯所に戻った土方たちを、隊士たちの歓声が出迎えた。中には泣き出している者もいる。
相当心配をかけたらしいと改めて実感し、土方はすまねェ、と頭をさげた。
もっと言わなければならないことがあるだろう、と胸中でなじる声がするが、言葉が出てこない。
申し訳なくて唇を噛み締めていると、近藤はそんな真似すんな、無事で良かった、と半泣きで土方を抱きしめた。隊士たちのあいだからも、良かった、という声が聞こえ、心苦しくなる。
ふと、ぎゅうぎゅうと抱きしめられているのを面白くない顔で見ている銀時に気づいたが、それは無視した。
「よーし、今日はトシの無事を祝って、パーっと飲むぞー!」
ようやく土方を解放した近藤が豪快に笑うと、隊士たちが歓喜の声をあげた。
パーっとやるのはいつものことだろう、と土方が苦笑していると、
「――ところで土方さん」
と、沖田から呼ばれた。
見やった先には沖田の爽やかな笑顔がある。嫌な予感に土方の顔がひきつった。
笑顔でドS全開な空気を漂わせている沖田など、厄介なものでしかない。
「例のふざけたファンフォーラムがアンタの仕業だってェ聞いたんですが、どーいうことですかい土方コノヤロー。なんで俺が小娘に負けなきゃならねーんでい」
「やっぱり私に負けたのが悔しいアルな」
沖田の不満を、馬鹿にしたように神楽が笑う。途端、睨み合い、不穏な空気を放つ沖田と神楽に、土方は頭を抱えたくなった。
この様子では、いちから説明したところで納得などしないだろう。
土方がため息を落とすと、まあまあ、と銀時の暢気な声が割って入った。
「いいじゃねーか。案外使えるってこたァわかっただろ、結果オーライでいいじゃねーか」
銀時のその言葉に、そういえば――と思い出す。
「あの場所を見つけるのに使ったとかなんとか言ってやがったが――」
本当に使ったのか、と眉根を寄せて咎める。もう関わらない方がいい、と、例の閉鎖騒動のときに決めたはずだ。
だが銀時はああ、とあっさり認めた。
「昨日のうちにちょーっとエサ落としてな、情報入れてもらった」
「エサ?」
「大きな船も隠して置けるようなトコロで俺とお前が逢引きしてる、って」
「はァァァア!?」
「いやー、食いつきよかったよー、皆さん。こぞって探してくれたもん」
そっから絞るのァ大変だったけどな、と飄々と続ける銀時に、殺意が湧いた。
その手のネタを面白がる連中がいることは承知しているが、散々浪士たちから嘲弄するようなことを言われたあとだけに、溜め込んでいた憤慨が一気に爆ぜる。
「もっとマシなエサァなかったのかァァァ!」
「なんだよ、結果良けりゃあ全部まるっといいじゃん」
「いいワケあるかァ!てめーが流したくだらねー噂のせいで、どんだけムカつく目に遭ったと思ってやがる!」
なにがベタ惚れだふざけんな、といつぞやと同じことを罵れば、なんだよ八つ当たりじゃねーかよ、と銀時は眉根を寄せた。その表情にすら怒りが増幅される。
「八つ当たりじゃねェ、本当たりだ!」
「なにそれ!本当たりとか聞ーたことねーんだけど!むしろおめーが当たり屋みてーな言い掛かりつけてんだけど!」
「てめーが原因だって言ってんだよ!」
本格的に銀時と土方の諍いが始まると、それに触発されるように沖田と神楽の方にも動きが起きた。
ガシャン、と物が破壊された音で、ふたりが開戦したことを知る。
結局、また始まったよ、とその光景を笑顔で見守っていた近藤から「もうやめてェェェェ!屯所壊れるゥゥゥ!!」と泣きが入るまで、ふた組の争いは続いた。
* * *
しんと静まり返った空気を壊さないよう、土方はひっそりと寝返りを打った。
肉体的にも精神的にも疲弊しているというのに、何故か眠れないでいた。かれこれ一時間以上、布団の中で睡魔の訪れを待っていたが、一向に現れる気配もない。
何度目かの寝返りののち、土方は諦めて布団から出た。煙草を銜え、ふと思い立って静かに障子を開ける。外廊下へ出ると、縁に腰をおろした。
夜気を心地良く思いながら見上げた空には、白く細い月が見えた。ようやく東の空から姿を現したところだろう。
昼の空で頼りなげに見えていたが、こうして闇夜に浮かんでいても、その痩せ細った姿はどこか心細い。まるで夜の闇に残された小さな引っ掻き傷のようにも見えた。
知らしめたかったのだ――ふいに、捕らえた浪士のひとりがこぼした言葉が蘇る。
どんなに自分たちが世界を恨んでいるか、幕府を憎んでいるか。
死ぬ前に知らしめてやりたかったのだ、と。
結局、時代に取り残された男は、厭世の果てに死を選んだ。
知らしめるどころか、何も成せずに。
男がしたことといえば、この月のように土方にわずかな引っ掻き傷を残したくらいだ。そして、月がじき新月を迎えるように、その傷も消えていくのだろう。
それを思うと、馬鹿だな、と憐れみに似た感情が生まれる。
可哀相に、などとは欠片も思わない。だがそれでも、怨嗟の奥底でわずかな望みを抱いていただろう男が切腹でもない死に様を選んだ、その絶望の深さが、土方に小さな傷を拵えた。
やるせないような遣り切れなさにため息をついたとき、すうと静かに障子が開かれる音が聞こえた。密やかな足音とともに、苦笑まじりの声が届く。
「月見にゃあまだ大分早ェだろ」
言いながら、銀時が土方の隣に腰をおろす。
土方は現れた男を呆れ半分、驚き半分で見やった。
「――まだ起きてたのか」
「おめーこそ。こんな日にゃさっさと寝りゃあいいだろうに、なにやってんだ」
「そっくり返すわ」
きっと尾海屋の件からこっち、ろくに寝れていないだろうに、と咎めるように軽く睨むが、銀時は意に介した様子もなく空を見上げている。その表情もまとう空気も静やかで、土方は眉をひそめた。
普段から何を考えているのか読めない男だが、こんな気配だとなおさら掴みようがなくて、扱いに困る。
軽く息をつきながら煙草を揉み消すと、土方の肩に銀時の頭が降りてきた。
すり、と頭を寄せる甘えたような仕草に、甲板の上でもそうだったな、と思い出す。
「――悪ィ、5分、俺にくんね?」
「…勝手にしろ」
ぽつりと落とされた静かな声をわずかに訝しく思いながらも返すと、銀時の腕がするりと動いた。
板の上に押し倒され、ぎゅう、と抱きしめられる。
また例の悪癖が出たかと思ったが、銀時はただ土方をきつく抱きしめるだけで、身じろぎひとつしない。
そこには、どうしたと声をかけるのも憚られるほど、どこか必死な気配が漂っている。
何かを言う代わりに、宥めるように背中をさすると、ようやく銀時が口を開いた。
おめーが、と引き絞るように落とされた声は、わずかに震えている。
「早まった真似してなくて良かった…」
言い、銀時は深く息をついた。
そこには紛れもなく安堵の色が滲んでいる。
同時にそれは、今までの銀時の憂慮を知らしめるものだった。
だから今、こうして抱きしめる腕で土方の存在を確かめているのだろう――そう思い至ると、胸が締めつけられた。
戯れのように口づけられるよりも、向けられる感情が伝わってくる。
その想いを受け止めながら、土方はつい、と視線を空に向けた。
細い、傷跡のような月を見上げ、昼の姿に「白夜叉」を重ねたことを想起し、きっと――と思う。
きっと、「白夜叉」が過去に葬られることなどないのだろう。そして、その過去からこの男が解放されることも。
これからも背負ったまま、見えない傷を負うのだろう、きっと――。
土方は泣きたくなるような憂思を押し隠し、銀時の広い背中を抱き返した。
厄介な過去に取り憑かれたままの男が哀れで――愛おしく思った。
(10/11/21)
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