其ノ陸「反転」 09
自室に入ると、脱いだ上着を乱暴に投げ捨てた。
灯りを点ける気にもならない。既にあがっている月の明かりだけで充分に周囲が判別できるから尚さらだ。
銀時はささくれた感情のまま、ごろりと畳の上に寝転がった。布団を敷くのすら億劫だった。
薄っすらと明るい室内には、色彩がほとんどない。
けれど、瞼を閉じると鮮明な赤が広がり、銀時はひやりとした恐怖に襲われた。
今まで数え切れないほどたくさんの命を奪い、血を流してきた。それを悔いるつもりはない。
そして、今さら自分が傷つけ流れた血を、怖いなどと思うような感情も、なかった。
否、ない――と銀時は思っていた。
けれどあの瞬間――自分が斬りつけ、土方から血しぶきが舞った、その光景を見た瞬間。銀時は心臓が凍えるかと思ったのだ。
土方とは事前に事細かに打ち合わせをしている。だから、銀時が振るった刀の跡を追うように舞った赤が血ノリだと、頭ではわかっていた。それでも――怖かった。思い出した今でさえ、心臓が凍りつきそうなほどに、怖かったのだ。
だというのに、
――もっと派手にやってくれてもよかったんだぜ
土方はそんなことを言った。
できる訳がない。心の底からそう思う。けれど自分の意思とは無関係に想像が生じ、その光景に、自分で打ちのめされた。
銀時が、土方を手にかけ、殺める――などという想像だ。
血塗れた土方の骸を両手で抱きしめるさままで浮かび――ゾッとした。
それは、純粋に恐怖からとそして、とても蟲惑的だと惹かれた自分に、だった。
一瞬とはいえそんな誘惑に心惑った自分を、それでは逆だろう、と戒めていると、不意に近づいてくる気配を感じた。
「――坂田」
銀時を呼ぶ声と同時に、音もなく障子が開かれる。誰なのかは、そちらを見るでもなくわかっていた。
「…んだよ」
起きもせずに淡々と声を出せば、やって来た土方がわずかにためらう。ちらりと視線を向ければ、土方は思いのほか静やかな表情をしていた。
そんな顔のまま銀時の横に腰をおろすと、土方は何かを言いかけて――口を閉ざした。ためらいがちに伸ばされた手が、銀時の髪に触れ、感触を楽しむように動かされる。
「…寝んのか?」
ようやくのように土方はそう言った。手遊ぶように銀時の髪を弄っていた手がするりと動き、銀時の頬を撫ぜる。
指先で触れるか触れないかのかすかな感触に、淫らな欲が刺激された。
「…誘ってんの? ソレ」
銀時は意地悪く笑った。挑発めいた言葉と態度に怒るかと思ったが、土方の気配は静やかなままだった。
ただ肯定の代わりのように再び銀時の頬を撫ぜる。
まさか本当に土方から誘われているのか――そう思うと、すぐさま下肢が反応してしまいそうにもなったが、この状況からでは面白くない推測しか浮かばなくて、銀時はムッと口を尖らせた。
「屯所でやんのは嫌なんじゃねェの?」
どこか拗ねたような口ぶりになってしまったのは、これでごまかそうとしているのでは、と思ったからだ。
「ああ、いつ誰が来るかもわかんねェからな」
今度ははっきりと肯定を口にした土方は、でも――と指先で銀時の首筋を辿る。
「あんだけ呑んで騒いでりゃあ、全員すぐに潰れるだろうよ」
おまけにあの様子なら、誰かが来ようとしてもチャイナが阻止するだろうしな――嘯くようにそう続けた。
正直、抱きたくない訳ではない。
芝居のためとはいえ、二週間以上ろくに顔も見られない日々が続いたのだ、土方に対する飢餓にも似た欲はどうしようもないほどに膨れ上がっている。
だが、今この流れで抱いてしまっては、銀時の怒りも何もかもが有耶無耶にされてしまう気がした。
土方を斬るような真似など、したくなかったのだ。演技とはいえ、今でも嫌で嫌で仕方がない。だというのに土方は、もっと派手に斬ってもよかったのに、と言ったのだ。さすがに傷口をさらに抉るようなその発言は、酷すぎるだろう。
心臓が凍りそうなほどの恐怖も、言って欲しくなかった土方の言葉も、何もかもが有耶無耶にされてしまう――だから、手を伸ばせずにいる。
そんな銀時の葛藤を察したのか、土方は小さく苦笑すると、「勘違いすんな」と上体をかがめた。
「べつにてめーの機嫌取りしようってんじゃねェ。俺が欲しいんだよ」
そのまま土方の顔が近づいたかと思うと、唇が合わされる。
土方からの口づけと、欲しい――というそのひと言に衝き動かされ、銀時は逡巡をやめた。
土方を抱きしめると体勢を入れかえ、上からのしかかる。深く唇を重ね、舌を絡めた。表面どうしが擦りあわされる感覚にゾクリと背筋が震える。
角度を変えて何度も何度も、呼気すら奪い合うように深く口づけた。土方がもどかしげに銀時の髪を掻き回す。その動きにも煽られ、気ばかりが急いたまま土方の上着を剥ぎ取りにかかる。
腕から引き抜こうとしたとき、シャツの上から布地ともその下の肌とも違う感触がわかり、銀時はハッとした。
慌てて半身を起こして土方の左腕に目を向ければ、シャツ越しにも巻かれた包帯の白さがわかる。
その瞬間、あのときの光景が脳裏に蘇り、背筋が冷えた。
腹の奥底に氷を詰められたかのように体中が恐怖で凍えて、かたかたと震えが広がる。
「――坂田」
やわらかな声で呼ぶと、土方は腕を伸ばして銀時の体を引き寄せた。
再び重ね合わせた体から熱と鼓動を感じ、銀時は胸が締めつけられるようだった。
安堵なのかさらに強くなった怖さなのか、千千に乱れた感情がぐちゃぐちゃと入りまじる。
たまらなくてぎゅう、ときつく土方の体を掻き抱いた。
「…おめー斬るくらいなら、おめーに斬られた方がマシだ」
そうすれば、こんなに苦しくはなかった――そう言うと、土方はそうか、とつぶやいた。銀時の頭を抱き込むようにして、耳許に唇を寄せる。
「――そっくり返してやらァ」
思いもしなかった土方の冷ややかな声に、銀時は固まってしまった。意表を突かれすぎて、思考までもが動きを止める。
そんな銀時に土方はフン、と鼻を鳴らすと、
「簡単に死ぬ気はねェとか言っておきながら、いざとなったら斬れ、だとか言いやがったのは誰だ」
そう続けた。
その言葉に、再び頭が働きだす。
土方がなんのことを言っているのか――それを正確に読み取り、銀時は内心ほぞをかんだ。
* * *
あれは、初めて土方と体を繋げたときのことだ。
初めての行為だというのに銀時が際限なく求め、貪ってしまったせいで、土方は気を失うようにして眠ってしまうと、全く目を覚まさなかった。
自分のせいだという自覚も自責の念もあった銀時は、無理矢理起こすのが忍びなかった。だから、眠ったままの土方を抱えるようにしてタクシーでこっそりと屯所に戻ったのだった。
隊士たちに見つからないよう、土方を彼の部屋へと運ぶ。布団を敷いてそっとその体を横たえたとき、すうと障子が開けられる気配と「お」と驚いたような声がした。
誰かはわかっていたが、声の方へと目を向ければ、近藤が目を丸くして銀時を見つめている。
「なんだ坂田、帰ってきたのか」
「え、なにそれ。暗に帰ってくんなっつってんの?」
酷ッ!、とわざとらしく傷ついた素振りを装う銀時に、そーじゃねェよ、と近藤が笑う。
「トシがな、おめーとッ捕まえてもっぺん病院送りにしてやる、って言ってたからよ。てっきり」
「なに、この子そんな恐ろしいこと言ってたの!?」
「おう、そりゃもういい笑顔でなァ」
銀時の隣に腰をおろした近藤と、土方を起こさない音量で言葉を交わす。
ふっと会話が途切れた狭間で、銀時は土方を見つめたまま、近藤に訊ねかけた。
「――今回の件、上にはどこまで伝わってる?」
「ウチの連中が絡んでるこたァ、知られてねェよ」
近藤の返答に、胸を撫でおろす。
そうか、と銀時が安堵の息とともに落とせば、近藤は困ったような苦笑を向けてよこした。
「坂田、次からはなるべくトシにもバレねェようにな。コイツ、すげー心配してたんだぞ」
知ってる、とは胸中でだけ呟いた。
土方は怖がっていた――あの部屋での遣り取りを思い返し、
「――近藤」
銀時は近藤を呼んだ。
銀時の静かな声に、近藤が怪訝そうな目を向ける。
「この先、俺のことで真選組が潰されかねねェ事態になったら、俺を斬れ」
近藤の方を見ることなく、銀時はついさっき決めた覚悟を口にした。近藤が息を呑んだのがわかる。
「坂田――」
「俺の首差し出してでも、真選組護れ」
土方の髪を梳きながら続ける。銀時の内はとても凪いで穏やかだった。
「ホントはコイツに斬ってもらいてェとこだけど、できねェだろうからよ。しょーがねェからおめーで我慢してやらァ」
近藤にしかできないだろうとも思う。近藤が手をくだしたのであれば、土方も納得するだろう、とも。
だが近藤は押し黙っていたかと思うと、
「できねェ」
そう答えた。
「大将がんなこと言ってんじゃねェ」
その判断を諌めれば、近藤は厳しい顔で再び黙り込んでしまった。銀時の口から呆れの息がこぼれる。
「俺のせいで、コイツがなによりも大事にしてるもんぶっ潰されんのが我慢ならねェだけだ。てめーらのためでも真選組のためでもねェ、俺のためなんだよ」
これは銀時のわがままだ。
もう離れてやることなどできない。何があっても隣に居ると、そう決めたのだ。
だから、万が一のときは自分の首を差し出そうと、決めた。
勝手に――決めたのだ。
その覚悟がなければ、隣に居るだなんて軽々しく言える訳がない。
「ま、上にゃあバレねェようにやるけどよ、それでも万が一ってこともあっからよォ。一応な」
へらりと笑ってみせた銀時に、近藤は強ばった顔のまま黙り込んでいたが、ややして重々しく「覚えておく」とだけ言った。
* * *
あのときの会話を土方が聞いていたとは思わなかった。
銀時は土方の肩口に顔を埋めたまま小さく舌を打った。ばつの悪さに顔をあげられない。
「…その仕返しに斬らせたってのか」
「仕返しっつーか、意趣返しだな」
「おめー最悪」
「うるせェ。聞いててこっちがどんだけムカついたか思い知れバーカ」
言うなり、土方はぐい、と銀時の肩を押しやった。それに逆らわず上体を起こせば、土方が厳しい目で銀時を見上げてくる。
「――隣に居るんだろ?」
「だからゴリに頼んだんじゃねーか」
最悪の事態になったときは、自分の首を差し出そう――そう決めたのは、隣に居る、と決めたからこそだ。浮かぶ危惧は、自分の首ひとつで片がつけばいいのだが、というものだけだった。
やはり拗ねたような口調になりながらも銀時がそう言うと、土方は心底嫌そうな顔で舌打ちした。
オイ、と思わずツッコんでしまう。
「なんでソコで舌打ちよ!?」
「てめーが的外れなこと言ってっからだろーが」
「的外れ、って、オメーなァ…。人の覚悟をなんだと――」
「んなふざけた覚悟なんざいらねェっつってんだ」
銀時の覚悟を、土方は容赦なく切り捨てる。
いらない、などと言われてしまい銀時が言葉を失くしていると、そんなのより――と土方に胸座を掴まれた。
「周りの奴らも幕府の奴らも世間も全部騙くらかしてでも、それでも、ココに居る――そんくらいのモン、よこせ」
土方の主張に、銀時は瞠目した。
――死ぬなら、目の前で死ね。
生きるも死ぬも自分の目の前で――以前土方はそう言った。だから銀時は、万が一のことを思い「死」のことを考えたのだ。
もちろん、土方の隣で生きることを選んでのことだ。それで決めた覚悟が間違っていたとも思っていない。
けれど土方は「隣に居続ける覚悟」をよこせ、と言っているのだ。
「嘘も詭弁も総動員させろ。ゴリ押しだろーがなんだろーが、押し通せ。言っとくがなァ、こっちはとっくに腹括ってんだよ。テメーの素性が上にバレたら、こっちも共倒れだからな、俺たちゃ騙し通すぞ」
だから、と土方の瞳が下から銀時を真っ直ぐに見つめる。
「てめーも腹括りやがれ。てめーのせいで真選組がどうの、って心配するんだったら、開き直って騙し通せ」
銀時を射抜いた黒い瞳がにっと細められる。
「俺の隣に居る、っつったからには、できねェとは言わねェよなァ――坂田副長殿?」
物騒なまでに凄艶な笑みで、土方が挑発する。
銀時は言葉もなくその顔に見惚れ――がっくりと頭を垂らした。
「――わっかりましたー。俺が浅はかでしたーバカでしたー、すみませんー」
土方にそんな笑みでそんなことを言われては、銀時に勝ち目などない。
諦めて敗北宣言すれば、土方は「棒読みやめろ、ムカつく」と睨みつけてくる。
「――やるな?」
そんな目で言葉を求める土方に、おォ、と返す。
「こーなりゃお上だろーが世間だろーが全世界だろーが、全部まとめて騙くらかしてやらァ」
やけっぱちのようにそう宣言すれば、土方は「よし」などとうなずき、満足げに笑った。
負けだ負け――土方のそんな表情に、銀時は完敗だと悟りに近い思いで諦観する。
気持ちとしてはでかい白旗をぶんぶん振り回しての降伏だ。
「男前すぎてなんか悔しいんですけどー土方副長殿ー?」
「そりゃどーも」
負けっぱなしなのもなんだか悔しくて、むうと口を尖らせてみせても、土方は澄ました顔で飄々と返してくる。
それでもその目は笑みを湛えていて、土方がこの納まりにご満悦なのが伝わってきた。
仕返しとばかりに銀時がのしかかり、ぎゅうときつく抱きしめても、土方はやはり楽しげに笑っている。
「…で、おめーは俺にナニをくれんの?」
意趣返しを込め、銀時は耳許で低くささやいた。情欲を滲ませた声に、土方が体を強ばらせる。その顔は一瞬で赤くなった。
自分から誘うような真似をした土方だが、その実、未だ慣れていないのは知っている。
羞恥が先に立って、いつだって初心な反応を示すのだ。今のように。
その反応に銀時が満足していると、目許も朱に染めた土方に睨まれた。怒っているかのような表情だが、恥ずかしいだけだと知っている銀時には、興奮材料でしかない。
にやりと濫りがましく笑ってみせると、土方はチ、と小さく舌打ちし、銀時の首に腕をまわした。
「――もうくれてやってんだろ」
ぐ、と腕に力をこめて引き寄せた銀時の腰を、自分の脚で摩るように撫ぜる。
土方のその言葉と態度に、やはり完敗だ、と銀時は両手を挙げた。
(12/09/19)
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