Around the world

【五月四日‐‐坂田銀時】

 周囲を見回し──銀時は力なく肩を落とした。
 眼前には一面の野原が広がっている。ここが一体どこなのかもわからない。
 最初に飛ばされた世界を皮切りに、それからさらにふたつばかり別の世界を経験して、ふたりほど別の世界の土方と遭遇した。
 刑事だとかいう土方には早々に不審者と間違われて関節をキメられるわ、万事屋トシちゃんとやらを営んでいる──つまりは銀時と土方の職業が逆だったのだ──土方には憎憎しげに「税金泥棒が」とか悪態つかれるわで散々だった。
 万事屋の土方とは、同業ということも相俟って赤貧の辛さを分かち合い、最終的には意気投合したのだが、もういい加減、元の世界に戻りたかった。今日の日付──恐らく四日の夕刻だろう──を考えれば余計にだ。
 だというのに──心の底から戻りたいと願っていたというのに、次いで飛ばされたここは、恐らく江戸ですらないだろう。途方に暮れた銀時は地面に突っ伏した。
 どうやったら戻れるのか、否、そもそも戻れるのだろうか。怖い考えがぐるぐると頭の中を駆け巡り、込み上げる不安に固まっていると、不意にかさかさと草を踏み分ける軽い足音が聞こえた。
 ねえ、と肩を揺すられる感触に目を開ければ、小さな子供が銀時を覗き込んでいる。
「……どこかイタイの?」
 傍らにしゃがみ込み、心配そうな表情を浮かべるその顔は、子供ながらに整っていてとても可愛らしかった。黒く真っ直ぐな髪が、陽を弾いて艶やかに輝いている。
 子供を見上げ、ぱちぱちと瞬き──銀時は察した。
 これは──この子供は、土方だ。勘でしかない。けれど、わかる。
 平行宇宙だかパラレルワールドだかいう枠ですらない、どうやら銀時は過去の世界に飛ばされたらしい。すっかり異常な現象に慣れてしまった頭がそう悟った。
 ぽけ、と見つめるだけで微動だにしない銀時に、子供が「イタイの?」とさらに眉を下げる。不安がらせていると知り、銀時は慌てて上体を起こした。
「いや、どっこも痛くねェよ。ちょっと疲れて休んでただけだ」
 ホレ、と両手をぐるんぐるん回してみせて元気だとアピールすると、子供は「よかった」と無邪気な笑みを浮かべて喜んだ。
 いとけない笑みを覗き込み「お名前は?」となるべくやわらかな声で訊ねると、
「とうしろは、ひじかたとうしろー、です」
 思ったとおりの答えが返ってくる。
 やはりこの可愛らしい子供は土方だ。ということは、ここは武州なのだろう。
 銀時は改めて周囲を見回した。先ほどは困惑と不安しか浮かばなかったというのに、ここで土方が育ったのだと思うと、なんだか感慨深く見える。
 銀時が噛み締めるように景色を眺めていると、子供の土方がくん、と長着の袖を引っ張った。
「お兄ちゃんは? おなまえ、なんていうの?」
 小首をかしげて子供の土方が問うてくる。その可愛らしい仕草とお兄ちゃん、という呼び方に思わず変な声が出そうになり、銀時は慌てて口許を押さえた。
「えー……銀ちゃん、で頼んます」
 過去の──子供の土方に名前を教えてもいいものかと逡巡し、結局銀時はそう答えた。
「ぎんちゃん」
 銀時の言を繰り返して土方が口にする。普段、一緒に暮らしている少女から呼ばれるのともまた違う響きに内心悶えてかけ、ふと土方の手に数輪の野花が握られていることに気づいた。
「なんだ、とうしろうは花ァ摘んでるのか?」
 銀時が首をかしげると、土方はうん、とうなずく。
「母ちゃんにあげるの」
「母ちゃんに?」
「母ちゃん、体よわいんだ。今日はね、元気だったんだけど、でもさっきコロンてしてね、ゴメンねって、ねてるの。だから、元気になって、って」
 体調を崩して寝込んでいる母親のために花を摘んでいるという子供の土方に、心を打たれる。
「花、好きなのか、母ちゃん」
「うん」
 土方がうなずいたのを見て、銀時はよっし、と気合いを入れて立ち上がった。突然の動きに目を丸くする土方を見下ろし、にっかりと笑ってみせる。
「心配かけちまったからな、いっちょ手伝ってやるよ」
「ほんとに!?」
 ぱあ、と顔を輝かせた土方にホントホント、と返し、一緒に探し始める。
 何色の花がいいか、母ちゃんは何色が好きなのか、そんなことを話しながら花を見つけては摘み、夕陽が沈みはじめるころには子供が両手で抱えるくらいの量を摘んでいた。
「ぎんちゃんありがとう!」
 花を抱えて土方が笑う。母ちゃん元気になるかなぁよろこぶかなぁ、とそんなことを言い、嬉しそうに笑う土方に、銀時もまた笑みがこぼれた。
「とうしろうは、なんか欲しいもん無ェのか?」
「とうしろ?」
「ホレ、明日は──」
 何気ない問いかけだった。けれど、明日はお前の誕生日だろう──そう言いかけて、銀時は口を閉ざした。
 銀時が今の土方にしてやれることも、あげられる物もない。いつまでこの世界に──否、この時間に居るのかもわからないのだ。
 銀時が自分の失言に内心ほぞを噛んでいると、土方は、
「……母ちゃんに、元気になってほしい」
 そう言い、ぎゅう、と腕の中の花を抱き締めた。しゅん、と肩の下がった姿から、母親の体が心配なのだと伝わってくる。
 そんな土方の姿に、銀時は胸がつまった。
 これより先、土方に何が起こるのか、知っている。
 母親を幼くして亡くしたことも、実父の家に引き取られたことも、妾の子と疎まれるなか腹違いの兄にだけは可愛がられたことも、そして──その兄を護れなくてバラガキと呼ばれるようになることも。
 こんなに小さくて愛らしい子供にこれからそんな艱難が降りかかるのかと思うと、どうしようもなく胸が痛んだ。痛ましくて遣り切れなくて、小さな体をぎゅうと抱き締めて何ものからも護ってあげたい──そんな詮方ない思いが浮かぶ。
 だが、銀時は小さな体に伸ばしかけた手をぐっと握り締めた。
 それらを乗り越え進んだ先の未来で、土方と銀時は出会った。
 過酷なそれらを自分の足で歩いてきた土方に、銀時は惚れたのだ。そんな土方だから──惚れたのだ、心から。
 握り締めた手をそっと解き、抱き締める代わりに土方の頭を撫でた。ぎんちゃん? と首をかしげる土方に笑みを返し、ふと見つけたそれに、しゃがみ込んだ。
 子供の足許近くに咲いている紫がかった小さな花を摘み、土方が両手に抱えている花のなかにそっと差し入れる。
「コレは俺から──お前の母ちゃんに」
 土方を産んでくれてありがとう、と心の中で続ける。
 母ちゃんに、と頬をほころばせる土方に銀時も微笑み、もう一輪、摘み取った同じ花を、子供の三尺帯に挿し込んだ。
「そんで、コレはとうしろうに」
 生まれてきてくれてありがとう、という呟きは、心の中でだけでなく小さくこぼれ落ちていた。
 ぱちぱちと目をしばたたかせた土方が、あわあわとうろたえだす。その顔は夕陽に染まっていてもわかるほどに赤くなっていた。
 どうした? と銀時がわずかに目を丸くしていると、土方は抱えていた花をそっと地面に置き、同じく紫色の花をひとつ、摘んだ。
「ぎんちゃんにも」
 銀時がやったように、銀時の帯にその花を挿す。
「俺に?」
「いっしょにお花、つんでくれた。母ちゃんととうしろに、ってお花くれた」
 だから、と土方が微笑む。
「ありがとう」
 その笑みに、この子供はちゃんと愛されることを知っているのだ、とそんなことを思い、それがとても嬉しかった。泣きたくなるほど、嬉しかった。
 銀時がぐ、と奥歯を噛みしめてそんな感情をこらえていると、ぽう、とブレスレットが淡く輝きだした。
 あ、来るな、と予感した次の瞬間にはパア、と光が生まれ、周囲の景色がぐにゃりと歪み出す。
 ぎんちゃん!? と驚き、目を丸くする土方の頭を「またな」と笑ってくしゃりと撫でた。
 また──逢えるから。
 一面が光りに包まれたなか、元の世界、元の時間に戻りたいと強く願った。
 銀時が良く知る土方に──銀時が心から惚れた土方に、逢いたかった。


(13/05/05)