Lotus Dream 03

「おっ先ー」
 ひらりと手を振り、金時が出入口へと駆け出す。閉店後のミーティングが終わるなり金時がいそいそと帰宅するのは、もはやクラブ万事屋では常態化した光景だった。事情を知らない他のキャストや内勤が、恋人ができたのだろう、だから一刻も早く帰りたくて仕方ないんだ、などと噂しているのを新八も聞いたが、取り立てて訂正を入れたりはしなかった。そこには微笑ましげに見守っているような、どこかあたたかい空気が感じられたからだ。
 今日も今日とて誰もが――半ば苦笑まじりではあるが――のほほんと金時の後ろ姿を見送っている。
 そんなキャストも内勤も相次いで退勤すると、店内には新八ひとりきりとなった。ひとりフロア上階の奥にある事務所で日々の事務処理を行う。
 そんな風に、新八が通常業務をこなし、入力を終わらせた頃には時刻は二十六時になろうとしていた。そろそろ帰ろうかとパソコンの電源を落とし、ぐうと伸びをしたそのとき、
「よかった、まだいたアルナ」
 事務所のドアが開いたと思ったら、そんなホッとしたような声と共に神楽が姿を現した。
「神楽ちゃん」
 突然の来訪に新八は目を丸くした。土方を金時に預けて以降、日本を離れていたらしい少女との対面は、約ひと月振りのことだ。
「どうしたのいきなり。なにか急用でもできたの? ていうか、いつコッチに来てたの」
「着いたのは今日の夕方ネ。ちょっと時間ができたから顔見に来ただけアル、べつに用なんかねーヨ」
 言うと、神楽はどさりと倒れるようにソファへと腰をおろした。夜兎の後継者として神楽が携わっている仕事は多岐に渡っていると聞いたが、今の疲れたような様子からも多忙だろうことが窺える。
 何か甘いものを、と親心にも似た思いで新八は冷蔵庫から飲み物を取り出し、グラスに注いだ。ソファにもたれたままの少女にそれをサーブすると、グラスを受け取った神楽が、そーいえば、と新八を振り仰ぐ。
「最近金ちゃんアフターやらないってホントアルか?」
 どこか楽しそうに訊ねる神楽に、新八は苦笑するしかない。
「土方さんが来てからこっち、アフターも同伴もしてないですよ、金さん」
「トシちゃんにメロメロアルナ。そのうちナンバーワンの看板、降ろすことになるんじゃないアルか、アイツ」
 店の売り上げにも関わることだというのに、神楽はぷくく、と嬉しそうに笑う。
 もっとも、店は相変わらず盛況しているし、そしてそれでもやはりクラブ万事屋のナンバーワンは金時のままなのだから、新八に文句はないのだが。
「……神楽ちゃんも意地が悪いなァ」
「金ちゃんの趣味なんてお見通しネ」
 アレはひと目惚れアルヨ、などと知り顔で嘯く神楽に苦笑しながら、新八はその向かいに腰をおろした。
 面白がるような笑みを浮かべてジュースを飲むその姿からは、一大マフィアの後継者――という恐ろしい肩書きなど想像もつかない。ただのあどけない少女にしか見えず、そしてそんな姿の方が新八にとっては見慣れた神楽だった。
 黒社会での彼女のことは知らないが、少なくとも新八がよく知る神楽は、悪戯好きで楽しいことが好きな、妙なところでノリのいい、そんな少女なのだ。なにしろ、最終的に彼女のそんなノリの良さからこのクラブ万事屋を立ち上げることになったのだから、相当のものだろう。
 この店を立ち上げた経緯を思い出すと、未だに夢語りのようだと新八は苦笑してしまう。
 新八が新宿のとある店でナンバーワンホストだったのは大分昔のことだ。それから幾年かが経つと新宿のホストクラブ界隈も忙しなくその様相を変え、気づくと新八は見事なまでに落ちぶれていた。だというのに「元ナンバーワン」の肩書きだけが面白おかしくついて回り、陰で笑われていたのだ。おかげで新八はすっかり腐ってしまっていた。
 偶然神楽と出会ったのは、ホストを辞めて他の道を探すしかないかと、自嘲気味にそんなことを考えていたときのことだった。あとから聞いたところによると、神楽は夜兎の日本進出を企て、その足場となる産業を探っていたのだという。
 だからだろう。新八の「元ナンバーワンホスト」という愚痴を面白がるように聞いていた神楽は、「ソレいいアルナ!」と目を輝かせると、意気投合したとはいえ出会ったばかりの新八に、一緒に新しい店をやろうと持ちかけたのだ。
 ――お前の元ナンバーワンのノウハウ、私に売るヨロシ
 一緒にもう一花咲かせて、笑った奴らの鼻を明かしてやるのだ、と、そんな言葉で新八を唆し、クラブ万事屋の計画へと引き入れた。
 呆気に取られながらもなんだか楽しくなり、準備に奔走する新八が金時に引き合わされたのは、それからすぐのことだった。この男にナンバーワンの手管を叩き込んでくれ、と神楽が連れて来たのだ。夜兎とは関係なく神楽が私財で雇っているボディガードだとそのときは聞かされたのだが、ふたりの間柄がそんなビジネスライクなものではないと、今ではわかっている。
 そして、新八と金時、そして新八が掻き集めたわずかなキャストでクラブ万事屋はスタートした。それからのことは今でも絵空事のように現実味が欠けている――ように新八には思えた。まるでジェットコースターに乗っていたかのように周囲が目まぐるしく動き、目の回るような忙しさに何度となくぶっ倒れそうになったが、それでも楽しかったことだけは覚えている。
 金時は生来の気質もあってかすぐにホストとしての頭角をあらわし、今ではクラブ万事屋のみでなく歌舞伎町ナンバーワンと呼ばれるまでになっている。
 脳裏に浮かんだ金髪の男に、内心感嘆しながら――あれ? と新八は首をかしげた。
「もしかして、金さんのとこには行かずに店に来たの?」
 日本に来て時間ができたのなら、真っ先に金時と土方の方へ行くだろうと思い訊ねると、神楽はうん、とあっさり認めた。
「こんな夜中に行ってもお取り込み中アルヨ。私、デバガメする気はないネ」
「まだそこまではいってないと思うけど……」
「マジでか。金ちゃん、ヘタレすぎダロ」
 どこまでが本気かわからないことを、神楽が呆れたように吐き捨てる。新八はハハ、と乾いた笑いを落とすにとどまった。
 いつだって彼女の言葉は本気か否かを見極めるのが難しいのだが、本当にあのふたりをどうにかしたいのだとすると、その理由がわからなくて新八は口を閉ざすしかない。その言葉の裏で神楽が何を企んでいるのかなど、新八には憶測もつかないのだ。はっきりいってお手あげだ。
 それは新八だけでなく、彼女との付き合いが長い金時もそうらしい。
 あの金時が今では土方に惚れてるということは知っている――というか本人から散々悩みやら相談されているのだが、正直あまり関わりたいことではなかった。好きにしてくれと思う。
 だが金時は未だに手を出すでもなく愚図愚図としている。確かに、土方の状態を聞くと、進展させるのも難しいだろうと思うが、金時が踏み止まるその一番の理由は、神楽だというのだ。
 ――なんでアイツが俺に土方押しつけたのか、
 それがわからない、わからないから手を出せない、と金時が言っていたことを思い出す。
 金時が気にしていたのは、彼が土方に手を出すことで、何か土方にとって不都合な事態になりはしないか、という点だった。神楽の様子からは彼女が土方を陥れようとしているとは思えないが、結局その思惑が読めないのが気がかりなのだという。
 確かに、と新八も金時の懸念に同意した。だから新八も土方に関することを密かに探っていたのだが、未だピースが足りなすぎて、土方の素性はおろか神楽の狙いになど到底辿り着けそうになかった。
 ならば、と新八は目の前の少女をちらりと見やる。そ知らぬ振りで神楽に訊ねるのも、手だろう。
「神楽ちゃん」
 新八のやわらかい呼びかけに神楽が顔をあげる。探るような目を向ける少女に、思わず笑みがこぼれた。
「なんで彼を拾ったの?」
 新八が微笑みまじりに問うと、神楽はわずかに視線を泳がせた。何か適当な理由を探していたのだろうが、新八が黙って待っていると、ややして諦めたように口を開く。
「……同じだったからヨ」
「同じ?」
「金ちゃんと同じ眼、してたアル」
 ぽつりと神楽が土方を拾ったときのことを話し出した。
 死にたいのか――そう声をかけると、男は緩慢に眼をあげ、神楽を見やった。かすかに笑んだのが意外だったと少女は言う。
 ――んなワケあるか。
 そんなことを言いながらも、男のその目は生を渇望しているようにはとても見えなかった。むしろ死んでも構わない――否、生きるも死ぬもどうでもいいと、そう告げているようだった。
 その姿に、ふう、と神楽の脳裏にかつて遭遇した同じような光景が蘇ったのだという。
 それが、神楽が金時を拾ったときのことだというのは、新八にもわかった。
「金ちゃんと同じだったアル。だから生かしてみよう思ったネ。でも――」
 けれどこの黒髪の男は、金髪の彼よりももっと危うい気がした――少女はそう続けた。
「トシちゃんの方が危ない気がしたアル。金ちゃんより壊れそうだったアルヨ。取扱要注意、ってヤツネ」
 神楽に拾われたときの金時は、大切な人を失った後でとても不安定だったという。けれど神楽がその当時の金時に抱いた不安は、彼が内に押さえ込んでいた破壊衝動に対するものだ。
 自分自身に対してどうでもいい、とでも言わんばかりの様相は似ているが、土方はその方向性が違うように見える、と神楽は言った。
 神楽の言葉に、新八は「わかる気がするよ」と同意する。
 神楽が言うところの、己を道連れに「外」を壊しかねなかった金時に対して、土方の方は己ごと「内」を壊してしまいそうな、そんな危険性を孕んでいるように新八には思えたのだ。
「金ちゃんと同じで、でも違う。違うけど、同じヨ。だから金ちゃんにあげたアル」
「その「だから」がわからないよ」
「金ちゃんもまだダメヨ。壊れかけのまんまヨ、アレ」
 そうこぼした神楽は、どこか淋しそうに見えた。
「だから金ちゃんにトシちゃんあげたアルヨ。ふたりとも壊れるか、壊れないか……どうなるか見てみたかっただけネ」
 壊れるか壊れないか――
「……神楽ちゃんは、どっちだと思うの?」
「知らねーヨ」
 あっさりと返した神楽は、でも、と視線を落とすとグラスを揺らした。
「いつか壊れるんなら、さっさと壊れてしまえばいいアル」
 ぽつりと呟いた神楽に新八は、ゾ、と背筋が寒くなった。少女の言葉には悪意など欠片もない。純粋ゆえに残酷な感情だ。
 恐らく神楽はそんなことを言いながらも、金時が壊れればいい、などとは思っていないだろう。金時と土方、ふたりの破滅を望んでいる訳でもない。ただ言葉どおり、訪れるかもしれない「いつか」をただ見守るしかできないなら、早くその時が来ればいい、と思っただけなのだろう。
 それはきっと、「その時」を神楽が恐れているからだ。その気持ちも、新八にはわかる気がした。
 でも――と新八はふと思った。
「もしこれで壊れなかったら、相乗効果で強度が増すんじゃないかな」
「それはそれで結果オーライヨ」
 新八の言葉に神楽は肩を竦めてみせる。どっちでも構わない、と言わんばかりの素振りだが、神楽の本当の望みはそちらのような気がした。
 それを感じ取ると新八の口許にやわらかい笑みが浮かんだ。
 神楽が何を企んでいようとそれでも、その奥にあるのがそんな望みなのだとしたら、悪いようにはならないだろう、と新八は思う。だから、新八はもう彼女に隠れてこそこそ動くのをやめようと、そう決めた。
「神楽ちゃん。本当はもう掴んでるんでしょう?」
「なにがアルか」
「土方さんがどこの誰なのか」
 断定すると、神楽がちらりと新八を窺うように見る。その表情は悪戯がバレた子供のようで、新八は思わず笑ってしまった。こんなにわかりやすい神楽は珍しい。
「神楽ちゃんが土方さんを拾ったっていう日、結構大きなドンパチがあったって話だよね。最近日本にも進出してきたマフィアが絡んでるって聞いたけど、神楽ちゃん、それが気になって日本に来たんじゃないの? あのとき」
「……意外と侮れないアルナ、ケツアゴメガネ」
「うん、それ僕の名前じゃないからね? 僕のことだってわかるけど、でも名前じゃないからね?」
 神楽の悪言をお約束のように訂正してから、新八はひとつ息をついた。こんな風に彼女が暴言で流そうとするときは、それ以上触れられたくないのだと、経験から知っている。きっと、マフィア絡みのことには答えてくれないだろう――そう察し、新八はそこには突っ込まないことにした。
「土方さんの帰る場所、知ってるんでしょう?」
「……帰るかどうか、トシちゃんが決めることアル。私そこまで面倒見る気ないネ。それに、記憶が戻らなきゃ、意味ないアルヨ」
 ぽつぽつと落とされた声は、なんだか拗ねたような色を含んでいた。神楽のそんな声音に、んー、と考え込み、新八はそうか、と思い至る。
 神楽は土方を帰したくないのだ――きっと。
「このままでいいアル。トシちゃんと一緒で金ちゃん幸せ、トシちゃんは金ちゃんに甘やかされて――辛いコト忘れてられて幸せ。それでいいアル」
 確かに、今日も今日とて浮かれたように慌しく帰宅して行った金時は、以前よりも生き生きしているように見える。きっと幸せなのだろう。少なくとも、神楽の言葉どおり金時と土方にとっては、幸せな暮らしなのだと思う。
 だが、一歩外から見ると、それはどうにもいびつに歪んでいるとしか思えなかった。
「時間は止まってくれないんだよ」
 いつかは土方も記憶を取り戻して、彼の在るべき場所へ帰るときが来るだろう――。
 諭すようにそう言えば、神楽は不満げに口を尖らせた。
「……いつか、なんて、いつになるか知れたモンじゃないネ」
 金時と土方のどこか脆くて危ういふたりに対し、いつか壊れるならさっさと壊れてしまえばいい、と言った少女が、今度は真逆なことを口にする。
 女の子の考えてるコトはわかんないや――新八は苦笑した。
 お前ソレでも元ナンバーワンかヨ――神楽が呆れたように新八を見やる。
 そのしらっとした目に苦笑を深くしながら、新八はそう遠くなくやって来る未来に憂いを覚えた。
 いつかはこのいびつな時間も、正常な時を刻み出すことになるだろう。
 たとえその中に取り込まれた者たちがそれを望まなくても、いつか。
 それが少しでも先のことならいい、と新八は思う。
 そして、その先に待つ未来が、ふたりにとっても神楽にとっても、あたたかく幸せなものであればいい、とも。
 祈るように、そんなことを願った。

(12/11/11)