人前に出すなという神楽の言いつけを守り、彼女同様裏口から店を出ると、一台の車が金時たちを待っていた。ご丁寧にも神楽が用意してくれていたらしい。問答無用で男共々金時の自宅マンションへと運ばれた。
ベッドに横たわるなりことんと眠ってしまった男を見下ろし、金時は途方に暮れるしかなかった。
男は名を土方十四郎、といった。名前や幼い頃の記憶はおぼろげながらもあるらしい。それが、ある程度の年齢以降の記憶が抜けているというのだ。
住所や職業など、以前の生活についての記憶もなく、身元がわかるような物も持っていない。神楽に拾われる直前の記憶もないという。どんな経緯でか、道端に転がっていたところを神楽に拾われた、と土方はそう言った。
厄介なものを押しつけられた、という思いはある。けれど、それ以上に男の空虚な様子が気にかかって、放っておくこともできない。突然すぎる成り行きに未だ現実感が湧かない、というのもあるだろう。
――いらないなら捨ててくれればいい。
そう言った男からは、意地や虚栄といった強がっているような空気は感じられなかった。自棄になってるようでもない。本当にどうでもいい、と思っているのだろう。否、もしかしたら何も思ってすらいないのかもしれない。
神楽に拾われた――金時のように。
そんな共通点があるからか、男の姿にかつての自分が重なるようで、尚さら放り出すような真似が金時にはできなかった。
土方は、あの頃の――神楽に拾われた頃の金時みたいに、荒んでいる様子ではない。だが、自分自身などどうでもいい、どうなってもいい、と言わんばかりの虚ろで無気力な態が金時の記憶を触発し、落ち着かない気持ちにさせる
嫌な記憶ごと揺り起こされ、当時のことを思い出し――金時は複雑な思いを苦々しく噛み締めた。
神楽と出会ったのは、金時がまだ高校生の頃だ。
当時金時はろくに学校にも行かず、なんでも屋のようなバイトめいたことをしていた。そのときに偶然知り合った子供が、神楽だ。
親元を離れひとり日本に来たという神楽に何故か懐かれ、気がつけばその子供は金時の仕事を一緒にこなすようになっていた。毎日のように顔を合わせ、神楽が後をついてくるのが当たり前のことになっていたのだ。
その神楽が涙目で、「すぐ戻ってくるアルヨ」と言い残して金時の前から姿を消したのは、そんな日々が半年ほど続いたある日のことだった。いわゆる「お家騒動」から日本に避難していたのだが、それが収束したために本国に戻ったのだと、後から本人に聞かされた。
思えば、その頃が一番楽しくて幸せな時期だっただろう。金時はそう思う。――全てが失われて、気づいたのだ。
大切な人を失った。大切な場所を失った。
奪った者たちへの報復はしたが、金時に残ったのはそれでも燻り続ける破壊衝動と、それをはるかに凌駕する空虚感だった。生きるのも死ぬのも、どうでもいい――そんな風に投げやりに思っていた。
神楽と再開したのは、そんなときだった。
自暴自棄の荒れた生活をしていた金時の前に現れた神楽は、別れたときより少し背が伸び、そして一大マフィア「夜兎」の正式な後継者となっていた。
組織も大分落ち着いたから、ようやく金時に会いに来たのだと少女は言い――荒み果てた金時の姿に顔を歪めた。
――なにしてるアルか、金ちゃん。
泣きながらそう言った神楽に、金時はそのとき「拾われた」のだ。
神楽が金時を拾ったのは、昔の馴染みだからだろう。それはわかる。どうやら神楽は金時に対して恩義を感じているらしいのだ。
では何故この男を拾ったのか――それが不可解だった。
確かに神楽は義理堅く情に篤い面もあるが、それは彼女に近しい人に向けられるもので、こと他人に対しては利を優先させる。そんな神楽が、何故土方を拾ったのか。
もしかしたら神楽もまた、土方にあの頃の金時を重ね、放っておけなくなったのだろうか、とも思ったが、そうなると今度は金時に押しつけた理由がわからない。
様々推考を重ねたものの、結局、金時には神楽の思惑などさっぱり見当がつかなかった。ただ頭が疲れただけで、もう今日は寝てしまえ、と投げやり気味に諦めたのは、半ば現実逃避だ。
明日、もう一度神楽を交えてきちんと話をしよう。そう決めると金時はリビングのソファで眠り――翌朝早々、突然訪れた神楽に叩き起こされることになった。
よぼよぼの老人を伴って金時の部屋を奇襲した神楽は、リビングとキッチンを見回すと、虫でも見るかのような目を金時に向けた。
「……想像以上アルナ……」
せめてジャンプは片づけろヨ、と呆れたように言うと、少女は勝手知ったるとばかりに老人を連れて、土方を寝かせている隣のベッドルームへ姿を消した。
寝起きで派手にはね散らかった天然パーマを掻き回しながら、金時はそれをぼんやりと見送り、はて、と首をかしげる。今のジーさんは誰だ。
起き抜けの鈍い頭で金時がぼんやりソファに転がっていると、ややして神楽だけが戻ってきた。さっきのジーさんは?、と問うと、診察中アル、と持ち込んだ大量の荷物を漁りながら少女が答える。
「医者?」
「そう、昔からウチの連中診てくれてるジーさんアル」
「……えーと、モグリ?」
恐る恐る訊ねると、神楽はそれには返答せずにただにこりと微笑み、金時にいちご牛乳のパックを差し出した。無言で受け取りながら、金時は先ほどの老人が夜兎お抱えのモグリの闇医者だと確信する。
そんな人物に診せていることからも、神楽が土方を気にかけているのがわかる。やはり何か裏があるのでは、と金時は内心警戒を抱いた。
その神楽は自分の分のジュースに口をつけながら金時をちらりと見やり、それにしても、とどこかつまらなそうにこぼした。
「なんでトシちゃんに手ェ出してなかったアルか、このヘタレ」
少女の発言に、金時は思わずいちご牛乳を吹き出しそうになった。
「なにお前、俺に生きたダッチワイフよこしたつもりだったの? 悪いけどお膳立てしてもらわなくても困ってないからね、金さん」
「なに言ってるネ、女のひとりも連れ込んだことないマダオが」
「枕やったら吊るして伸ばして引っこ抜くっつったの誰!? つーかなにを吊るして伸ばして引っこ抜くの!? やっぱナニ!?」
「客じゃなくて彼女の話アルヨ。金ちゃんが枕やる必要ないネ。そーいうのは崖っぷちな奴らがやればいいアル。金ちゃんはウチの看板ヨ。……枕やってそんな噂流れるくらいなら、使えなくした方がいいアル」
「やっぱナニか!!」
怖ェェェェェ! とひとしきり喚いて、金時は深々とため息を落とした。なんだか妙に疲れる。
「……いやホントお前さァ、なんだって俺にアイツ押しつけたワケ? なにがしてェの? つか、なにさせてェの?」
疲れを滲ませた金時に、神楽はやれやれと言わんばかりに肩を竦める。
「金ちゃん、なんでもできるのに、ひとりでいるからなにもしないダロ。部屋も汚いしご飯もロクなもの食べてないって、新八も言ってたアル」
そう言い、神楽が室内を見回す。そこに広がっている光景は、彼女の言葉の正しさを証明していた。気まずさに「あー……」と言葉を濁らせる金時を、神楽のしらっとした目が頭の先からつま先まで往復する。
「ソレ、昨日の服のまんまアルヨな」
「や、昨日はホラ、なんかいきなり妙なことになって、疲れてたっつーか……」
「トシちゃんも、昨日のカッコのまんまだったアルナ」
「……すんません」
じとりと睨めつけられて金時が小さくなると、神楽はフン、と鼻を鳴らした。
「トシちゃんの世話しながら、金ちゃんもまともな生活すればいいアル」
「……だからって、なんでアレなの……」
「……トシちゃん、人形みたいネ。うっとーしくないダロ?」
わずかに言いよどんだ神楽が口にしたのは、そんなことだった。それは、仕事以外では他人を寄せつけたがらない金時が以前言った言葉だ。男も女もうっとうしいだけだ、と確かにそう言った。
「って確かに言ったけどさァ……」
確かにそう言ったが、それは他人を――人間を自分の領域に入れたくない、ということであって、人形みたいだからいいだろう、という話ではない。けれど、神楽は「ダロ?」と全く意に介していなかった。
にこにこと機嫌よさ気な神楽を見やりながら、金時は果たしてそれが本当の理由だろうか、と疑念が強まるのを感じていた。
大人と子供の中間にいるような外見だし、小首をかしげながら笑うその表情はあどけないものがある。だが、そんな彼女がその実、計算高くて抜け目ないことも知っている。自分の謀を通すためなら嘘だって平気でつく彼女の言葉を、全て鵜呑みに信じる訳にはいかないのだ。
その神楽の思惑が全く読めなくて金時が猜疑から口を閉ざしていると、ややして神楽はわかったアルヨ、とため息をついた。
「そんなにいらないんなら、私が連れて帰るネ」
「……連れて帰ってどうする気だ、おめー」
「上海あたりの成金オヤジに売――」
「駄目ェェェェ! ソレ駄目ェェェェェ!!」
あっさりと少女が口にしかけた言葉に、金時は思わず喚いてしまった。神楽がきょとと目を丸くして、心底わからない、といわんばかりに金時を見上げる。
「なんで駄目アルか。トシちゃんならきっと高く――」
「だから駄目だってェェェ! おめーんトコの商売に口出す気はねーけど、そこだけは人として踏み越えちゃなんねートコだろーが、人として!」
夜兎が人身売買まで行っているとは聞いていないが、彼女の持つコネクションを考えると、その手の相手――土方を高く買うだろう金持ちのオヤジども――には事欠かないことが容易く想像できる。
浮かんだ想像に金時が青くなっていると、神楽はにこりと――それは見事なまでに艶やかに微笑んだ。瞬間、やられた、とほぞを噛んだが、もう遅かった。
「なら金ちゃんが面倒見るってことでいいアルナ?」
問うているようで断言している神楽に、金時が返す言葉もなく後悔を噛み締めていると、
「――神楽様」
ベッドルームのドアが開き、老医師が顔を出した。
呼ばれた神楽に引きずられるようにして金時も一緒にベッドルームへと足を入れると、馬鹿でかいベッドの上で土方はベッドヘッドにもたれるようにして体を起こしている。
相変わらず土方は茫洋とした表情のままだったが、ベッドサイドに駆け寄った神楽は気にした様子もなくにこにこと笑いかけた。
「お薬のコトはジーさんに聞いたアルナ? 毎日ちゃんと飲まなきゃ駄目ヨ。あ、この金髪モジャ毛の金ちゃんがトシちゃんの面倒見てくれるから心配ないアル。でもなにか困ったことあったら、いつでも連絡するヨロシ。そうだ、私着替えとか持って来たアルヨ。リビングに置いてるから、使ってね。他に必要なのあったら金ちゃんに言えばオッケーヨ。あ、金ちゃんは早いトコ部屋キレイにしろヨ。次来たときも汚いまんまだったら容赦しねーぞ。それじゃあ私はもう帰るネ。また遊びに来るから、トシちゃんは早く風邪直して元気になってネ」
金時たちに口を挟む暇も与えずマシンガンのように捲し立てると、神楽は「見送りはいらないアルヨ」と老医師を引き連れてさっさと帰ってしまった。相変わらず嵐のような立ち去りっぷりに、金時などは唖然とするしかない。
「……おめーも災難だなァ。よりによってとんでもねェ奴に拾われちまってよ」
ベッドに腰をおろして金時が本音をこぼすと、ふう、と土方の目がこちらを向いた。
「災難なのはアンタの方だろ。こんな厄介なの押しつけられて」
厄介なの――と自分自身をそう評した土方が、いいんだぜ、となんの感情もこめられていない声で続ける。
「最初にも言ったが、捨ててくれて構わねェんだ。いらねェなら、その辺に放り出していい」
あっさりとそう言い放った顔にも、感情らしきものは浮かんでいない。整った顔立ちと相俟って本当に人形のようだ、と神楽の言を思い出す。
「……捨てねェよ」
ぽつりと金時がこぼすと、土方がゆるりと瞬いた。綺麗な顔だと改めて思い、だからこそ男の人形のような空虚さが悲しくなる。
「いらなくねェ」
だから、とこぼれた声は、なんだか駄々をこねているような語調になった。
「そんな風に自分のこと言うの、やめてくれよ」
最初に抱いたのは庇護欲だったのだろうと自分でも思う。重ねた過去の自分と、今の土方を哀れんでもいただろう。
正直、この身元の知れない男にどう接していいのかわからないし、そんな男と一緒に暮らす、というのにも抵抗がある。他人と暮らす、ということがもう金時にはできない――かつて全てを失ったときの絶望から、そう思っていた。
だが、そんな抵抗はあれども、放っておけない。捨てたりなどできない。そんなことをしたら、この男は朽ちるようにゆるやかに死んでいくだろう。そう本能的な勘が告げている。
金時の哀願に土方は困ったように眉をさげた。
「でもアンタ――」
「金時」
何事かを言いかけた土方を、なんだか面白くない気持ちで遮ると、は? と目を丸くされた。何に引っかかったのか気づくと、金時は恥ずかしさに転がりたくなったが、土方にきょとと見つめられて仕方なく言を重ねる。
「アンタ、じゃなくて、金時。俺の名前、金時っての」
「……きんとき?」
名前で呼べ、と含ませて言うと、土方がわずかに首をかしげて復唱する。男の低く静やかな声で名を呼ばれただけなのに、どくん、と心臓が強く脈打ち――気づいたら金時は吸い寄せられるように土方を抱きしめていた。
「……オイ?」
どうかしたのか、と土方が腕の中でもそりと身じろぐ。その動きに、ハッと我に返った。
――手ェ出してなかったアルか、
脳裏に蘇ったのは神楽のそんな言葉で、慌てて金時は体を引き剥がした。
「と、とりあえず風邪! 風邪、治さねーとな」
薬、その前に飯! ――と動揺しながらリビングへと走り出た金時は、自分の顔が真っ赤になっている自覚があった。
そんな風に、金時と土方の同居が始まり――今に至っている。
どうして彼が記憶を失ったのか――そんなことを疑問にも思わずひと月が過ぎ、今では以前のひとりきりだった暮らしが思い出せないほど、ふたりでの日々は馴染んでしまった。
土方が居ない生活など、もはや想像もつかない。土方が居るのが当たり前なのだ。今さら神楽に返せと言われても、手離す気などサラサラない。
それほどに馴染み――いつしか惚れていたのだ。
この身元の知れない男に、心の底から。