うたかた 01

 万事屋の玄関を開けた途端、嗅いだことのない香りがふわりと鼻腔をついて、土方は首をかしげた。
 香とは珍しい――となんの気なしに浮かんだ思考を、次の瞬間にはまさか、と打ち消す。香をたくような趣味など、この家の主が持ち合わせているとは思えない。
 だが、香りのもとを辿りめぐらせた視線は、部屋の隅に置かれている小さな香炉を見つけた。そこから白い煙が漂い出ては、空気に溶けいるように掻き消えていく。
 この部屋には――というより、この部屋の主には似つかわしくない光景だ。だがそれ以上に引っかかるものを覚え、土方は眉をひそめた。ゆらゆらと香煙をくゆらせている真鍮製の小さな香炉、それに見覚えがある。
 ――行きたいと思った時間、どの時にでも往けますよ
 数日前に聞いた声が脳裏に蘇り、土方の眉間の皺がますます深くなった。


「気になることがおありのようだね、お兄さん」
 いつものように見廻りで市中を歩いていると横合いから唐突にそう声をかけられて、土方は足を止めた。声の方を見れば、ひと目で天人だとわかる不思議な色の肌をした、白いひげの老人がいる。怪しげな風体に、土方は関わらない方が得策か――即座にそう判断した。
「――んなもんねェよ」
 それだけ告げて立ち去ろうとする土方に、老人はまたまた、と含み笑う。
「お兄さんの心の中に、ひとつの存在がある。それが気になって仕方ないのだろう?」
 言われ、内心ギクリとしたものの、ねーよ、と表情に出ないよう押し殺した。だが老人はその心中の動きを察したのだろう、やはりねェ、などと鷹揚にうなずく。
「ならばこれを使うといい」
 老人が痩せた腕を差し出した。なんだ、と見れば、その手には真鍮製の小振りの香炉が乗っている。せっかくだが、と土方はため息をついた。
「あいにく、香を聞くような趣味はねェ」
「ただの香じゃないよ、お兄さん。こいつはね、時を往き来できる香だ」
 老人の言葉に、土方ははァ?、と眉根を寄せた。胡散臭さもあらわに見やる土方に、けれど天人の老人は飄々と続ける。
「過去でも未来でも――あなたの体が存在している時間なら、行きたいと思った時間、どの時にでも往けますよ」


 結局土方はいらないと固辞し、その場を去ったのだが、部屋の隅に置かれているのはそのとき老人が差し出したものと同じ香炉だ。
 あの老人に会ったのか、と奇妙な偶然に驚くより、なんでそれがここにあるんだ、と疑問に――否、不審に思う。
「……なに掴まされてんだてめーは」
 ソファに転がっている家主をじとりと見やれば、銀時は一瞬ギクリと表情を強ばらせた。
「いやいや、なんのことだか銀さんさっぱり」
「とぼけんな。白いひげの怪しいジイさんに売りつけられたんだろーが」
「買ってねェよ。んな金あるか。くれるっつーから貰ってきたんだよ」
 言い放ち、あ、と口許を押さえる銀時に、土方は半眼になる。やはり先日土方に声をかけてきた老人から手に入れたものらしい。アホか、と思わず口にすれば、のそりと半身を起こした銀時は、ばつが悪そうに頭を掻いた。困ったような視線は土方を避け、あらぬ方を彷徨っている。
 その姿に、土方は言いようのない苛立ちを感じた。
 ――気になることがおありのようだね。
 ――行きたいと思った時間、どの時にでも往けますよ。
 老人が銀時に対しても同じことを言ったかどうかはわからない。けれど、もし、そんな遣り取りの末に銀時がこの香炉を貰い受けてきたのだとしたら、それは老人の言葉を肯定し、「行きたいと思う時間」があるということではないのか。
「――見たい先でもあんのか、それとも……やり直してェ過去でもあんのか」
 聞きたいような、聞きたくないような――そんな複雑な心情から、問う声は小さくなった。届かなくてもいいと投げやりに思っていたのに、しっかり聞き取ったのだろう、銀時がきょとと目を丸くする。
「え、なに、土方君、あのジイさんが言ったこと本気にしてんの? ちょ、痛くね? ソレ、痛くね?」
「ちゃっかり貰ってきてる奴に言われたかねェよ!」
「おめーのヤニの匂いごまかすのに丁度いいかと思ったんだよ」
 ただの香だろー?、と返す銀時からは、確かに老人が言った不可思議な効力を期待しているような素振りは見られない。けれど、それだけでこんな怪しげな物を貰ってくるだろうか――土方が黙り込んでいると、くい、と袖を引かれた。なんだ、と見やった先で「それと」と銀時が楽しげに笑う。
「エロい効果があったら面白くねェ?」
「――アホか」
 土方は盛大に顔をしかめた。


 まだ昼の陽が射し込む時間だというのに、欲情に濡れた声と淫猥な水音が部屋の空気を震わせている。
「あっ、あっ、あ……! や、万事、屋」
 突き上げられるたびに溢れてしまう自分の嬌声を、居た堪れないなどと思っていられたのも最初のうちだけだった。そんなまともな思考は、体の奥で燻る熱で、疾うに焼き切れている。
 するりと内腿の際どいところを撫で上げられて、走った感覚に体が震えた。触れられてもいないのにすっかり勃ちあがった性器が体液をこぼし、しとどに濡れる。そのさまに、銀時が笑みをこぼしたのがわかり、土方はきつく目を閉じた。嫌な奴だ、と胸中で罵る。
 銀時は挿入してからこっち、土方の性器に触れてもいない。それがわざとだというのは、わかっていた。
 もどかしさに堪えられなくて自分で触ろうと下肢に手を伸ばしたが、その手は銀時に取られてしまった。涙の滲む目で見上げると、銀時は悪戯をたくらむ悪ガキのような笑顔を浮かべている。
「まだダメー」
「や、」
 嫌だ、と頭を振りながらも、熱で蕩けた思考の片隅でまたか、と冷静に判じている自分がいた。
 何が面白いのか、このところ銀時は土方を中の刺激だけでイかせようとする。今日もそうなのだろう。恨みがましく睨みつけると、情欲を滲ませた赤い目が、に、と細められた。
「ちゃんとイかせてやっから」
 言うなり、深く抉る律動が速くなった。どうしようもなく感じる箇所を滅茶苦茶に擦り上げられ、ザアと背筋が粟立つ。全身を凶暴な快楽が暴れまわり、土方は目を見開いた。
「ん、あ、ああァッ!」
 脊髄を駆ける怖いほどの快感に、悲鳴じみた声があがる。深く強い絶頂に頭は真っ白になり、体が不随意に震えた。
 射精を伴わない絶頂は、体中に広がった快楽の波がひかず、いつまでも揺らめき続ける。それが土方は嫌だった。その感覚は、酷く自分を脆くさせて、どうしようもない。どうしようもなくて銀時の背中に腕を回す。縋りたいのか、それともこの感覚を紛らわせたいのか、それすらわからない。
 けれど、背中に幾つも拵えている古い傷の一番大きな痕に触れると、自分を抱いているのが銀時なのだと強く実感できた。銀時なのだ、と安堵し、同時に自分を取り戻せる――そんな風に思える。
 身の内に燻り続ける熱を逃そうと大きく息を吐いた土方の脳裏に、ふと老人の言葉が蘇った。
 ――行きたいと思った時間、どの時にでも――
 そう白いひげの老人から言われたとき、浮かんだのはこの傷痕だった。
 この傷が出来たのはいつなのか、この男はどんな道を歩いてきたのか――気にならないと言えば嘘になる。
 自分の知らない時間――銀時の過去を。
「――土方」
 柔らかい声に目を向けると、銀時は声音同様の笑みを浮かべていた。汗で張り付いた前髪を掻きあげられ、あらわになった額に唇が落とされる。宥めるような口づけに目を細めると、こつ、と額が合わせられた。
 覗き込んでくる赤い瞳を茫と見返しながら、知りたい――と、強く思った。そのとき。
 ふわり、と香が強く香った。
 その甘ったるい匂いに眉をひそめた途端、くらり、と、酩酊しているような目眩を覚え、世界がねじれたかのように周囲が歪み――土方は意識を失った。





 どこか遠くから呼ぶ声と、肩を揺すられる感覚に、意識が覚醒する。ザアザアと聞こえる音がうるさいが、何の音なのか。土方はゆるゆると目を開け――見開いた。
 慌てて体を起こす。地面についた手のひらで、じゃり、と小石が擦れるのを感じた。
「――どこだ、ここ」
 周囲を見回し、土方は呆然と呟いた。先ほどまで万事屋にいたというのに、どう見ても自分が今転がっているのは、どこかの川辺だ。辺り一面が薄っすらと霧がかっているので遠景までは見えない。だが、木々が深く群立っている様子から、かぶき町ですらないだろうと思えた。
 一体何がどうしたというのか――事態が呑み込めずに放心していると、
「――なに、おたく迷子かなんか?」
 突然、背後から声をかけられ、ハッと我に返った。そういえば誰かに呼ばれ、起こされたのだと思い出し、慌てて振り返る。一体誰が、と見やった先の姿に、土方は瞠目した。
 大分若い――というか幼くすら感じるが、その顔立ちも、見間違えようのない髪の色も、
「……万事屋?」
 土方の良く知る男のものだった。
 なんだコレは夢か――思わずぽかんと見つめる。
 年若い銀時は、わずかに首をかしげながら土方を眺めている。額当てや胴、手足に防具をつけた格好から見るに、戦に参加しているのだろう。
 やはりな、と土方はぼやけたままの頭で思った。やはり、銀時は攘夷戦争に加わっていたのか。本人に確かめたことはないが、土方の中では既に確定事項だ。なのに、こうしてその姿を目の当たりにしてしまうと酷く胸がざわついて、落ち着かない。
 何故だろう、と自分の感情に内心首をかしげていると、銀時がひらひらと手を振り「もしもーし、聞こえてるー?」と声をかけてきた。その声は気軽い調子ながらも、年若い銀時は押し殺した警戒をまとっている。そのくせ、長い前髪のあいだから見えるその目は、相変わらずやる気がなさそうなもので、土方は思わず――呆れてしまった。
「ガキんときから死んだ目なのかよ」
 がくりと肩を落とし、ため息まじりにこぼす。銀時はオイぃぃ、と喚いた。
「え、初対面で目付きにダメ出し? つーか、ガキって俺のこと? おめーだってガキのくせしてそれって失礼じゃね?」
「は?」
 銀時の言葉で、はたと気づいた。自分の高い声、今よりも細くて頼りない腕、そして――さらりと揺れて背中にあたる、長い髪。
 慌てて水際に駆け寄り覗き込むと、そこに映っていたのは果たして昔の時分の土方だった。年のころは目の前の銀時と大差ないだろう。
 ――どういうことだ。
 愕然として水面に手を伸ばし――袖から見えた自分の腕にギクリとする。
 まさか、と確認しようとしたそのとき、じゃり、と小石の鳴る音が背後から聞こえた。目を向ければ、銀時が地面に膝をつき、苦しそうに肩を上下させている。
「オイ、どうし――」
 駆け寄り、土方が手を伸ばすと、その手を避けるように銀時が体を引いた。
「なんでもねーから、放っといて」
 真っ青な顔で、それでもなんでもなさそうな口ぶりで銀時が言う。そんな酷い顔色にすら気づけなかったほど自分は動揺していたのかと、土方は内心ほぞを噛んだ。
 左肩を押さえている銀時の手が、血で赤く染まっていく。背中か、と見れば、肩甲骨の辺りだろう、赤い染みが広がっていた。
「お前、怪我してんじゃねーか」
「あー? べつにどーってこたねーよ」
「んなワケあるか!」
 寄せつけまいとする銀時を怒鳴りつけ、怪我をしていない方の腕を取る。肩を貸して立ち上がり、どこか休める場所――と顔を上げて、土方は愕然とした。
 霧がかっている、程度だったはずの周囲が、いつのまにかすぐ先の木々も見えないほど、深い霧に覆われている。
 嫌な予感に体がこわばった。だがとにかく移動しなければなるまい、と一面の霧を見回す。と、ぼう、とほのかな灯りが見えた。灯りを頼りにそちらへ向かうと、釣り小屋と思わしき建物がある。
 こんな近くに小屋などあったか――怪訝に眉根を寄せたとき。ふわりと香の甘い匂いが漂った気がして、土方は顔をしかめた。

 鍵が掛かっているかも、という危惧に反して、小屋の戸は難なく開いた。中は六畳ほどの部屋に土間があるだけという、至って質素な造りだ。人がいた気配はないが、長持ちや箪笥が置かれているところから、結構頻繁に使われているのだろうと察する。
 銀時を畳の上に放り投げると、部屋中をひっくり返すように漁り使えそうなものを物色していく。救急箱などという上等な代物はなかったが、さらしと手拭い、そして酒を見つけた。
 それらを手に銀時の傍に座り込み「――脱げ」尊大に言い放つ。いやいや、と銀時は頭を振った。
「いいって、放っときゃ治るってこんなの」
「いいから脱げ」
 じり、と逃げを打つ銀時の羽織を掴んで無理矢理脱がそうとすると、いやー、とわざとらしい声をあげる。
「やーだー、エッチー」
 ふざけた態度でふざけたことを口走る銀時に、こんな状況で――と怒りが湧いた。
「うっせェ! 文句があんならテメーでとっとと脱ぎやがれ!」
 でなきゃ剥くぞ! と怒鳴りつけると、きょとと目を丸くした銀時はややして不承不承の態で脱ぎはじめた。防具を外し着物を肌蹴てあらわになった肌に、土方は眉をひそめた。左肩、肩から肩甲骨にかけて、一文字に傷が走っている。刀傷だとひと目でわかるそこから、未だ血が滲み出ていた。
 これでどうして放っておけなどと言うのかこのバカは。土方は怒りよりもなんだかやるせなくなって、口に含んだ酒を傷口へと乱暴に吹きつけた。途端、銀時が呻いたけれど、無視して手拭いを押し当て、さらしできつく縛り上げる。あとは銀時の治癒力に頼るしかない。
 ホラ、と着物を戻してやると「――ありがと」と、銀時がぼそりとこぼした。気恥ずかしいのかなんなのか、土方の方を見ようとはしない。
「――あとは気合いで治せ」
 可愛げのないことを返し、土方は部屋の端――壁にもたれた。銀時もずりずりと移動し、土方から離れた壁にもたれかかるのを、内心苦笑しながらも見て見ぬ振りを決め込んだ。
 それより、とそっと左の袖をずり上げ、先ほど目にしたものを確かめる。現れた腕には真新しい傷があった。その傷には覚えがある。これを拵えたのは、近藤の道場に居ついてしばらくしてからのことだ。手合わせの最中、折れた竹刀が飛んできて、手首にほど近い部分を抉った、そのときの傷だ。
 ということは、この体は「今」の――この時代の土方自身のものなのか。
 そう見当をつけたとき、そういえば――と、ふと記憶が蘇った。土方自身にそんな覚えはないが、昔、数日ほど神隠しにあっていた――らしい。そう言い張るのは近藤だ。近藤が言うには、土方はある日突然ふいと消えたかと思ったら、数日後ふらりと現れた――のだという。
 神隠し、などと近藤が言うのも、土方には自分がどこかへ行っていたという覚えどころか、その数日間の記憶自体がないからだ。
 自分の中では連続している日々が実は欠けている、という薄気味悪さから、記憶の底に追いやって忘れていたが、もしかしたら――と仮定が浮かぶ。
 もしかしたら、その欠けた時間が「今」なのかもしれない。
 ならばここは武州なのか、と首をかしげるが、そうなると銀時がここにいる理由がわからない。
 あの時代、武州にまで戦火は届いていなかった。激しい戦が繰り広げられていたのは、武州よりもっと西の方だ。つまり戦に加わっていたのなら、銀時がいたのもそちらの方――ということになる。
 土方は深いため息をこぼした。わからないことばかりが重なり、思考の許容量を越えている。知恵熱が出てるんじゃないかと額を押さえて呻いた。
 ふと視線を上げると、うつむいた銀髪が視界に入る。
 銀時は両腕で刀を抱いたまま、壁にもたれて寝ていた。刀傷のせいで熱があがっているのだろう、繰り返す呼吸が荒い。怪我をした体でその体勢は辛いだろう。
 布団を敷いて横にならせるか――と部屋の隅の枕屏風を見やったとき、ぐらりと銀時が傾ぎ、倒れてしまった。落ちた刀がカシャン、と音を立てる。ひと足遅かったか、と慌てて寄ると、銀時は苦しそうに魘されていた。
「オイ!」
 手を伸ばしてその肩に触れた瞬間、バッと銀時が跳ね起きた。朦朧とした目でそれでも土方を睨みつける。その左手には既に刀が握られていた。いつでも刀を抜ける体勢だ。
 その姿に、
 ――戦場に、
 戦場に身を置いているのだ、この男は――それを強く実感した。
 その事実が現実感を伴った強さで胸に突き刺さる。酷く苦しくて土方は目を伏せた。
 そんな感傷を断ち切るようにやおら立ち上がると、枕屏風を動かした。そこには布団がひと組、畳まれている。無言でそれを敷く土方を、銀時が胡乱な目で見ているのがわかった。
「こっちで寝ろ」
「……は?」
 敷き終えた布団を叩きながら土方が言うと、銀時は眉根を寄せた。何を言っているんだ、と言わんばかりの顔を見返し、土方は平然と言い放つ。
「ちょっと湿っぽいが気にすんな。んなトコで寝るよりマシだろ」
「いやいやいや、気にするって。フツー気にするって。湿っぽい布団ってなんか嫌じゃね? それくらいなら板の上の方がマシじゃね?」
 ぐずぐずと連ねる銀時の不平を聞き流し、怪我をしていない方の腕を取って引きずる。刀と一緒に布団の中に押し込み、土方は涼しい顔でうなずいてみせた。
「いいからおとなしく寝てろ、怪我人」
 困惑しきりな顔で見上げてくる銀時を無視して、
「――水汲んでくる」
 土方は土間に置かれていた桶を手に外へ出た。

 やはり周囲は深い霧に包まれたままだった。おまけに日が沈んだのか、不気味なまでに薄暗い。
 土方は水音を頼りに、なんとか川岸まで足を運んだ。まるで霧が粘度を帯びているような息苦しさを覚える。桶に水を汲みながら、嫌な感じだ、とついと首をめぐらせ――ゾ、とした。
 生きているものの、気配がない。音も。
 聞こえるのは川の流れと風に揺れる木々の音だけで、鳥や獣といった生き物の鳴き声や気配が全くしないのだ。
 どこなんだここは、と再び頭を抱える。
 どうやら自分は過去の時間にいるらしい。不可解な現象だが、それは認めざるを得ないだろう。それだけでも充分すぎるほど有り得ないことなのに、その上さらに不可思議な世界に迷い込んだとでもいうのか。
 ――明日、ちょっと探索してみるか。
 夜が明ければこの霧も晴れているかもしれない、とわずかな期待を抱き、小屋に戻る。
 そうっと戸を開けると、銀時はおとなしく布団の中にいた。右側を下にして、丸まるように体を縮こめて寝ている。
 玉の汗を浮かべて荒い呼吸を繰り返す姿に、ここが江戸だったら――と歯痒く思う。そうしたならすぐにでも医者に連れて行けるのに。
 絞った手拭いで額を拭うと、冷たさにか銀時が身じろぎした。警戒心もあらわな今の銀時なら起きるかもしれないと思ったが、わずかに息をこぼしただけで、そのまま荒い寝息が繰り返される。
 起きられないほど辛いのだろう、と土方は顔をくもらせた。
 銀時が土方に対して警戒していることには、気づいていた。あの、川辺で土方に声をかけたときも、手当てをしているときも。銀時はいつでも刀を抜ける緊張を背に佩いていた。
 汗で濡れた髪にそっと触れると、甘やかな感情が込み上げる。
 普段ふわふわと柔らかい髪が、水気を帯びるとしなやかな感触に変わる。それは主に閨で触れるものだったが、その手触りが存外好きだった。
 不思議だな、と土方はしみじみ思う。
 この男と自分が数年後には恋人、などという面映くて仕方のない関係になっているのが、今さらながら不思議で仕方がない。
 当初は気にくわなくて反発しあってばかりだったというのに、いつのまにかお互い恋情を抱いていた。その想いを殺しきれなくて、互いに暴き合うようにして確かめ合った。何度体を重ねたかなど、数えるのもアホらしいほどだ。
 過去のことなど何ひとつ知らないのに――自嘲気味に思う反面、銀時が話さない過去に触れているというわずかな後ろめたさに土方は深いため息をこぼした。

(11/01/15)