うたかた 02

 翌朝、
「ああ、米もあるのか、丁度いいな」
 ガサガサと土間を漁りながら土方が声をあげると、あのよォ、と背後で寝返りを打った気配がした。
「おめー、気にしなさすぎじゃねェ?」
 どこか呆れたような声音に振り返ると、銀時は布団の上に頬杖をついて寝そべり、声音と同じ色の表情を浮かべている。なんだよ、と土方はわずかに口を尖らせた。
「食いもんがあるに越したこたァねーだろ」
「そーだけどよォ、どー見てもアヤシーだろ、この状況」
 やはり銀時にとっても不可解な状況なのか、と物色する土方の手が止まる。上がり框に腰掛け「どーいうことだ」と問うと、銀時は思いのほか真面目な目を向けてよこした。
「――俺は、山ン中にいたんだよ」
「――え?」
「ひと足先に行った奴らを追って、山道走ってたんだよ。それが急にめちゃめちゃ濃いィ霧が出てきたと思ったら――こんなトコにいたんだ、おかしーだろ」
 ひと足先に行った奴らを追って――ということは、銀時はしんがりでも務めたのか。そしてひとり、仲間たちと合流するためにあとを追っていたところで、この不可解な現象に巻き込まれたのだろう、と土方は推測した。
 それはおかしいな、と土方が呟くと「だろー? むしろ気味悪ィよ」と銀時は髪を掻き回した。
「お前は――、」
 言いさして、銀時が首をかしげる。
「……そーいや、名前、なんつーんだ?」
 あ、俺銀時、坂田銀時――と、頓着無い様子で名を告げる銀時に対し、土方は返答に窮した。伝えてもいいものなのか――過去にいる以上、どこまで介入していいのかがわからない。
 こいつはこの戦争で死んだりしない――それは未来を知っているから断言できる。だが、「未来の銀時」にはなかっただろう土方とのこの出会いが、未来を変えるような要因になりはしないだろうか――。
 不意に怖くなり躊躇していると、「オーイ?」と銀時が怪訝な目を向ける。わずかな逡巡の末、土方は仕方なしに口を開いた。
「――十四郎」
 苗字はねェ――と小さな嘘をついた。十四郎ね、と繰り返した銀時が斜め下から土方を見上げる。
「十四郎は? おめーだって、最初っからこんなトコにいたワケじゃねーだろ」
 訊ねられて唐突に思い出し、土方はぐ、と言葉に詰まった。
「――覚えてねェ」
「……ホントにィ?」
 銀時が疑わしげに眉をひそめるが、未来のお前と閨を共にしていた、など、口が裂けても言える訳がない。頬が熱くなるのを感じる。赤くなってしまっただろう顔を見られたくなくて、ふいと逸らとすと、オイオイ、と銀時が頓狂な声を出した。
「……なんで顔赤くすんの? そこで」
「うっせェ! 外見てくるから怪我人は黙って寝てろ!」
 言い放ち、逃げるように外へ飛び出した土方は、数時間後、青い顔で戻ってくることになった。

 夜になり、戸口近くの壁にもたれながら土方はどんよりと沈み込んでいた。昼間のことを思い返しては、暗鬱とした気分に襲われる。
 昼間、相変わらず先も見通せないほど霧が深くたち込めている中を、水音を頼りに川沿いを歩いた。だが、行けども行けども先に進めている気がしない。三、四時間ばかり歩いてみたが、同じ景色が――と言っても見えるのはほんの数メートル四方だけだが――延々と続き、同じところを歩いているかのようだった。
 だというのに、仕方なく来た道を戻るとものの数分で小屋に辿り着いてしまった。そのときの気味悪さは、全身総毛立つほどだった。
 ――行きたいと――
 脳裏に浮かんだ老人の言葉に、ふざけるな、と胸中で悪態をつく。こんな気味の悪いオプションがついてくるだなんて、聞いていない。おまけに、いつ元の時間へと戻れるのか――否、そもそも戻れるのかすらわからないなど、どんな罰だと泣きたくなる。
「――十四郎」
 不意に呼ばれて顔を上げると、布団の上で半身を起こした銀時が感情を押し殺したような顔で土方を見つめていた。
「どうした。傷が痛むのか?」
 傍に寄り訊ねると、銀時はいや、と目を伏せた。その様子を怪訝に思いながらも、寝てろ、と肩を押して横たわらせる。銀時はおとなしく布団に転がりながらもむう、と口を尖らせた。
「もう平気だって。寝てばっかいたら体鈍っちまわァ」
 ホレ、と左腕を回してみせる銀時に、土方は心が沈んでいくのを感じた。わずかに身を乗り出すようにして銀時の顔を覗き込む。
「――怪我が治ったら、戻るのか……」
 どこに、とは言わない。言わなくても通じると思えた。銀時もまた、あえて口にするようなことはしなかった。
 銀時の手が伸ばされる。肩からさらりと前に垂れていた土方の髪に触れ、手遊びながら銀時は「十四郎は?」と反問してきた。ぱちりと瞬いた土方を、銀時の赤い目が真っ直ぐに見つめる。
「十四郎は、戻るトコあんのか?」
 見上げてくるその目を見返しながら、土方はうなずいた。
「――ああ」
 この体にも、中身にも――魂にも。戻る場所がある。
 告げると、銀時は息をついた。
「……そっか」
 良かった――目を伏せて銀時が小さく呟く。
 その表情に土方は言葉をなくした。ようやく口にできたのは、もう寝ろ、というひと言だけだが、銀時は、ん、とおとなしく応じた。
 銀時から規則正しい寝息が聞こえはじめるまで、そう時間はかからなかった。

 銀時のガキ臭い寝顔――まあ土方の良く知る銀時よりはガキなのだから当然だが――を見つめ、ふわふわとした髪を撫でる。
 ――良かった。
 戻るところがある、と答えた土方にそう言った銀時の表情が、ふうと脳裏に浮かぶ。ホッとしたような、それでいて淋しそうな笑みだった。その表情に、もしかして、と土方は憂いを覚えた。
 眠っている銀時を見つめ、もしかしてお前は――と、声に出さず問う。
 ――もしかしてお前は、戻りたくないのか。
 命を賭して駆けている戦場に、戻りたくないのだろうか。
 寝ていることを確かめて、頭を撫でる手でそっと前髪を掻き上げた。現れた額に唇を落とす。
 だが、きっと――と、土方は確信していた。
 たとえもし、その本心で戻りたくないと思っていたとしても、きっと。それでも戦場に戻って行くのだろう、この男は。仲間のために、自分のために――護るもののために。
 そんな男が、とても哀しくて――愛しかった。





 三日目、相変わらず霧が晴れていないことを確認すると、土方は一歩も外に出ることなく小屋の中で過ごした。
 起き出せるようになった銀時は、どこか苛々していた――ような気がする。気分転換も兼ねてだろう、昼ころ「外見てくる」と言い、銀時は外に出て行った。
 数時間後に真っ青な顔で戻ってきた銀時に、傷口が開きでもしたか、と慌てたが「気味悪ィんだけどォォォ!」と詰め寄ってきた姿から、銀時もまたあの不気味な体験をしたのだと察した。
 土方は戸口近くの壁にもたれかかった。この小屋で過ごすようになってから、ずっと同じ場所で寝ている。最初の夜は、銀時が警戒もあらわなものだから、なるべく距離を取ってやろうとしただけだったが、三日目ともなるとほとんど無意識に同じ場所に陣取っていた。
 ふと銀時が近寄ってきた気配に目を開ける。なんだ、と見上げるのと同じタイミングで腕を取られ、引き起こされた。突然のことに土方は目の前の銀髪をきょとと見やる。
「――んだよ」
「おめーも布団で寝ろ」
 そう言い、銀時が腕を引く。唖然としているあいだに布団の上に横たえさせられた。
 布団で寝ろ、とは言うものの――、
「……ひと組しかねェぞ」
 最初にこの小屋に辿り着いた日に隅から隅まで物色したが、布団はこのひと組しかないのだが。
 まさか土方に譲って自分は床に寝るつもりなのか、と訝しんでいると、銀時も布団にもぐり込んできた。え、と目を丸くする土方を、赤い目がじとりと見やる。
「しょーがねェだろ」
「同衾?」
「しょーがねェだろ!」
 わずかに顔を赤くして怒鳴る銀時に、思わず噴き出してしまった。むう、と膨れる銀時に悪ィ悪ィ、と返し、体をずらしてスペースを作る。
「――どうだった?」
 外――と問うと、銀時はなんとも嫌そうな顔をした。やはり銀時も土方と同じような不可思議な現象に遭遇したらしい。行けども行けども進んでいる気がせず、戻ろうと踵を返すとほんの数分で小屋に辿り着いたのだという。
「なんか、昔話みてーな感じ」
 ぽつりと銀時がこぼす。なんだそれ、と土方が首をかしげると、銀時はうーん、と記憶を手繰るようにして言を紡いだ。
「なんだっけなー、なんか山ン中で迷った人が家を見つけんだけど、誰もいねェとか、そんなんで」
 金持ちになるとかなんとか――と続ける銀時に、土方はオイオイと笑ってしまった。
「髪と同じで言ってることフワフワじゃねーか」
「悪かったな!」
「誰かに聞いたのか」
 なんの気なしに問うと、ああ――と答えた銀時の目が、一瞬冥く翳りを帯びた。
「師匠が、話してくれた。ガキのころ」
 銀時は即座に暗澹とした色を消し去って、なんでもない振りを装ったが、土方は推知していた。その人はもういないのだろう。そしてそのことが、銀時の中で癒えない傷となっているのだと。
 けれど土方は、良かった――と、そう思った。
 土方の知る銀時も、時折、冥い目をすることがある。そんな目に、いつかこの男は足許から闇に飲み込まれるのではないか、と馬鹿げた不安を抱いたりもした。
 それは過去の出来事が起因しているのだろうと見当をつけていた。その師匠が亡くなったこともまた、要因のひとつなのだろう。
 そんな冥い目をさせるほどの、何か――辛くて気も狂わんばかりの何かがあったのだと、わかっていても。それでも、そんな大切な人がいて――昔話を話してもらうような、きっと穏やかで幸せな時間が、あったのだろう。それがとても、嬉しかった。そんな人がちゃんと、銀時にいたことに、誰へともなく感謝したくなる。
 ――良かった。
 ふわりと微笑み、土方はほとんど無意識に目の前の銀髪を撫でた。ぱちぱちと銀時が目をしばたたかせる。
「……十四郎……?」
 戸惑いを滲ませた銀時の声に、ハッと我に返った。慌てて手を引っこめる。
「悪ィ」
 言うと同時に、銀時に背を向ける。いや、べつに、と濁すように言い、銀時もまた背を向けた。





 四日目ともなると、いよいよ何もすることがない。今日こそはとわずかな期待を抱きながら外を見ても、相変わらずの白一色でげんなりした。
 ふと銀時を見やり、こいつには保護色なんじゃないか、などと考えていたら「――なァ」とどこか苛立った声を投げられた。
「お前、俺に誰を見てんの?」
「――は?」
 唐突に投げかけられた言葉にきょとと目をしばたたかせた。見やった先で銀時は面白くないと言わんばかりの表情を浮かべている。首をかしげながら言われたことを脳裏で反芻し――土方は眉根を寄せた。
「いや、誰って――お前だろ」
 返すと、銀時は嘘つけ、とボソリと呟いた。その表情をガキ臭ェな、と見てると、さらに不満げに口を尖らせる。
「そーやってよォ、妙ーに大人みてーなツラして。なんなのお前」
「なんなの、って言われてもなァ――」
 実際、外見はともかく中身は目の前の銀時よりも大人なのだから仕方ないだろう――と思ったところで言えるはずもない。さてどうするか、と思案する土方を、銀時はふて腐れたままじっと見つめている。そんな姿を可愛いなどと思ってしまうあたり、自分もいよいよ末期だと自嘲した。
「……こう見えて結構年くってんだよ俺ァ」
「嘘つけ」
「嘘じゃねーよ」
 宥めるように頭を撫でたら、「ふざけんなよ」と苛立ったようにその手を払われた。パシリと響いた音に、土方よりも銀時の方が驚いた顔になる。目を丸くする土方の手を取り、悪ィ、と小さく詫びる銀時に、土方の方こそ申し訳ない気持ちになった。
「いや、音のわりに大して痛くなかったから」
 気にすんな――土方が言うと、銀時はぎゅっと唇を噛み締めた。何かを堪えるように押し黙っていたが、ややして土方の手をそっとひと撫ですると、するりと離した。
「――体動かしてくる」
 うつむいたまま、土方を見ようともせずに、刀を手に外へ出て行ってしまった。
 ギイと軋んだ音を立てて戸が閉まるのを見ながら、土方は胸中ですまねェ、と謝った。
 銀時が何を言いたいのか、本当はわかっている。外見が若いからと油断していた。銀時が妙なところで鋭いことを失念していたのだ。
 ――俺に誰を見てんの?
 ――誰って――お前だろ。
 返した言葉に嘘はない。ただ、「未来の」と頭につくひと言を告げられないだけだ――と詭弁のように言い訳する。
 ずっと、未来の――土方の良く知る銀時を、目の前にいる銀時に重ねていた。後ろに見ていた、という方が正しいかもしれない。
 このころはまだそんなにふてぶてしくないんだな、とか、死んだ魚のような目は同じなのに感情が顔に出やすいんだな、とか、そんな差異を見つけては密かに目を細めていた。
 だが、土方にしたら「昔の銀時」を見られる楽しさも、「今の銀時」にしたら、面白くはないだろう。
 すまねェ――再び胸の内で詫びを入れる。

 結局その日、銀時はまともに土方を見ようとはしなかった。





 五日目のその日は、起きたときから奇妙な感覚を覚えていた。
 時折あの香がふわりと匂い、気がそぞろく。銀時もなのだろう、どこか落ち着かない様子だった。
 元の時間に戻れるのもそう遅くはない――そんな予感がしていた。

「――十四郎」
 呼ばれ、振り向き――銀時の表情に土方は軽く目を見開いた。土方が知る銀時からは想像もつかない、余裕のない顔をしている。
「――銀、」
「抱きてェ」
 苦しそうに、銀時が声を絞り出す。土方はその言葉に瞠目し、同時にああ、と理解した。
 元に戻るということは、銀時は再び戦に身を投じるということだ。それを察しての、戦場に身を置く者の本能なのだろう――そう思った。自分の命を残したい――繋げたいという。
「……戦場じゃあ当たり前のことかもしれねーが、あいにく俺はそんな経験なんぞねェ」
 静かに諭すよう口にする。事実、今のこの体は経験なんてない。おまけに、この体は土方自身のものとはいえ、今の土方がどうこうしていいものではない――ような気がする。
 土方の言葉に、銀時は思い切り眉根を寄せた。怒っているというより、困っているかのようだ。
「べつに、そんなんで抱きてェっつってるわけじゃねーよ。そーいうのやってる奴らがいるこた知ってるけど、俺は交ざったことねーし」
「なら、なんで――」
 困惑に土方が眉をさげると、銀時は「時間がねェ……気がする」ポツリと呟いた。躊躇した腕が、そろそろと土方の体に回される。
「今にもどっかに消えちまうんじゃねーか、って、すげー怖ェ」
 ホントはよ、と、土方の首許に顔をうずめる。
「無理矢理にでも攫っていきてェ。お前に帰る場所があるってわかってんのに、あんなトコになんて連れていきたくねーのに、離れたくねーんだ、お前と」
 なァ――と懇願するような声は震えていた。その声が、土方の心を震わせる。
 それは、そう遠くない先にやって来る別離への不安だろうか。
 戦場での本能でないのなら、銀時の言葉は、この不可思議な空間にたったふたり閉じ込められたゆえに生じた衝動なのかもしれない。だが、たとえそうだとしても、銀時の腕を振り払うことなどできなかった。
 土方はそっと銀時の背中に腕を回した。ぴくりと銀時の背が震える。
 ただの衝動だとしても、それでも良かった。違う時代にあっても銀時が自分を選んだ。そのことがこんなにも嬉しくて、どうしようもないほどに心を――胸を震わせる。
 背を撫でると、銀時が抱きしめる腕に力をこめた。
 銀時の腕に抱きすくめられながら土方は、悪ィ――と、過去の自分に心の中で詫びを入れた。それもおかしな話だと苦笑する。だがそれでも、この男が望むのなら、自分の体くらい幾らでも差し出してやりたいと思ってしまった。
 こんなバカになっちまって悪いな、と、再び過去の自分に詫びる。
「……ひとつだけ約束しろ」
 土方が静かに声を落とすと、わずかに体を離した銀時がなに?、と覗き込んできた。その頬を両手で挟み、真っ直ぐに目を見つめる。
「ぜってェ死ぬな」
 土方の言葉に、銀時は瞠目した。驚いたような表情がことさら幼く見えて、土方は胸が締めつけられるように痛んだ。この男がこれから戻る戦争が、まだ終わらないことを知っている。
 きっと、自分こそが死んでしまいそうな顔をしているだろうと、どこか他人事のように思った。
「みっともなくても、苦しくても、辛くても。足掻いて、生きろ」
 とても利己的で残酷な言葉だと、わかっていて口にする。
「生きて――会いに来い」
 未来まで。
 土方と出会った、そのときまで。
 くしゃりと銀時の顔が歪んだ。泣き出す一歩手前のような、そんな顔で土方を見つめ、微笑む。
「生きてりゃ、会える?」
「ああ。待ってるから」
 チャイナ娘やメガネや大家のバアさん、皆がいる未来で待っているから――続く言葉を心中に落とし、今にも泣き出しそうな男を抱きしめる。
 背中に回されていた銀時の手が動いた。髪を結わえている紐がほどかれる。はらりと背中に落ちた髪をひと房すくい、銀時はそれに祈りを捧げるかのように恭しく口づけた。
「――約束する」
 その落とされた真摯な声に突き動かされ、銀時を掻き抱いた。


 穿たれたもので奥を擦り上げられると、快感が背を駆け抜けて、体が震える。
 銀時は余裕のない表情で、それでも丁寧に土方の体をほぐし、開いた。おかげでこの体では始めての行為だが、さほど痛みを感じなかった。
「ん……っ、あ、ああっ、――あ、」
 突き入れられるたびに声がもれた。
「……十四郎」
 切羽詰ったような、熱のこもった声が耳をくすぐり、快楽を生む。はあ、と耳許で落とされた熱い息にすらぞくぞくした。
 強く掻き抱かれ、律動にがくがくと揺すぶられる。
 縋るように背中にしがみつくと、手を回したそこにいつも触れていた傷跡がなくて、土方は泣きたくなった。
 これからどれだけの過酷を歩くのか。土方が知る体に刻まれている古い傷、それらをこれから背負うことになるこの男の道は、どれだけの痛みと絶望を彼に与えるのだろう。がむしゃらで、泣きたくなるほど真っ直ぐな魂のこの男は、どれだけの哀しみを、乗り越えるのだろう。
 堪えきれすに溢れた涙が頬を伝っていくのを感じていると、銀時が目許に口づけた。涙を舐め取り、上気した顔で困ったように笑う。
「んな顔、すんなって」
 まるで、何故泣いているのか見通したように。
 土方はただ銀時の首に縋りついた。銀色の頭を掻き抱くようにすると、首筋をべろりと舐め上げられる。その感覚に背筋を震わせると、銀時の律動が速くなった。強く激しく内壁を抉られながら前を扱かれ、体中にザアと鳥肌が立つ。
「あ、ア……!」
 びくびくと体を硬直させて土方が吐精すると、ややして低く呻いた銀時もまた腰を震わせた。土方の奥深くへ精を吐き出したのを感じる。
 荒ぐ息を落ち着かせていると、額に銀時の唇を感じた。宥めるような口づけに既視感を覚えていると、ずる、と抜かれ、思わず息を呑む。
 触れるだけの口づけを落とすと、銀時はやおら起き上がった。濡れた手拭いで体を拭かれる。離れた体温をうら淋しく思っていると、銀時は半身を起こした土方の腰を抱き込むようにして、身を寄せた。その姿に愛おしさが込み上げる。
 ふ、と微笑み、その銀髪に指を絡める。髪の感触を楽しむように撫でていると、赤い目が土方を見つめ、笑んだ。
 ああ、と胸が震えた。過去だろうと未来だろうと、この男が愛しくて堪らないのだと、心が震える。
 ふわり、と甘い香りが強く匂った。
 ぐらりと世界が揺れる感覚に、戻るのだ――と直感する。
 自分も銀時も、しだいに薄れていく。不可思議な光景に唖然としながらも、土方はす、と身を乗り出して銀時の額に口づけた。
「――待ってるから」
 約束忘れんなよ、と微笑み――土方はすうと意識を手放した。





 ゆるりと意識が浮上し、土方は見慣れた万事屋の天井を茫と眺めた。
 なんだかとても長い夢を見ていたような気もするが、何ひとつ覚えていない。それが酷く勿体ないように思えて、なんだったろう、と記憶の糸を手繰り寄せようとした。
 よどんだ記憶の海から、すうと何かが表面に浮かび上がる。けれどそれは、形を成す前に泡となり消えてしまった。淡い感傷をもたらす残滓を留めようと手を伸ばしても、何も掴めなくて、憂愁が広がる。
 ぱたりと落とした手の先に、自分と同じぬくもりが触れ、縋るようにそれを握り締めた。あたたかさにそっと息を落とす。
 手を握り返される感触に目を向けると、ぼんやりとした赤い目とぶつかった。その目が細められたのを見やった瞬間、泣きたくなるほどの幸福感が胸の内に生じた。ぎゅ、とその手を強く握る。
 伝わるぬくもりに、土方は何を忘れてしまったのか――何を思い出そうとしていたのか、どうでもよくなった。
 ――良かった……。
 ただそれだけが、胸の中を満たした。

(11/01/15)