自室に戻ると土方は乱暴に上着を脱ぎ捨てた。無意識のうちに粗雑になってしまった仕草で、自分が苛立っていることを嫌でも思い知り、さらに苛立ちが増す。それが、坂田の感情を受けてのものだということがまた、不快を増幅させた。
その坂田は、今日の休暇が半日でついえたことに不服を唱え、明日の昼まで休みにしろ、と近藤から無理矢理休暇をもぎ取っていた。こんなときに、と思わなくもなかったが、再び屯所を出て行く姿を見かけ、ホッとしたのも確かだ。坂田のその背中に、そのまま帰ってこなくてもいいのに――とすら、土方は思ってしまった。
本来、局を脱することは局中法度に背く――すなわち切腹なのだが、坂田に対してだけは特例として認められている。その特例があったから土方は坂田の入隊に首肯したのだし、坂田の方もまた、渋々ながら従ったのだろう。
――二週間、か。
まだ、なのか、もう、と言うべきなのか。坂田が真選組に身を置いてからの期間は、そんな微妙なものだ。だが、いつでも辞めてやる――坂田からそんな気配を感じていた土方からしたら、よく二週間もったな、というのが正直な感想だった。
松平に連れて来られたときからずっと、坂田は終始やる気なさげにだらけた姿を見せているが、その実、どこか――彼もまた――警戒に似た緊張をまとっていた。もっとも、それに気づいている者は少ないだろう。少なくとも表向きは、飄々とした態度で隊士たちにもすんなり溶け込んでいる――ように見える。
その坂田が、土方に対してだけは冷ややかな気配をあからさまに向けていることは、知っていた。それがときに殺気を帯びていることも。
別段、それが不愉快だとは思っていない。土方が坂田に対しての警戒心をあからさまにしているのだから、お互い様と言えるだろう。
むしろいっそのこと――と、先日の出来事を思い返し、土方は焦れったさに歯噛みした。
それは、先日の捕り物の最中に起きた。浪士たちと斬り合っている際、坂田が土方に対して一瞬、はっきりと殺意を向けてきたのだ。それに気づき、斬りかかってくるか、と土方は内心期待したのたが、結局、坂田は手にした得物を土方に向けはしなかった。
いっそ、あのとき斬りかかってくれていれば――と胸中で何度となく繰り返したことを、再び想像する。坂田の方から刀を向けてきたのなら、心置きなく処断することができたのに。何故、そうしてくれなかったのか――。
腹の読めない男の腹を探るのが面倒になり、土方はそんな物騒なことを思う。
否、読めないのは男の腹だけではない。その素性から来し方から、なにひとつ土方は掴めていなかった。坂田に関して知れていることといえば、名前と、わずかな間かぶき町で「万事屋」などという商売を営んでいたことくらいだ。
あんな腕を持つというのに、その過去が全く掴めない――そのことが、土方の態度を硬化させる。
坂田はかつて戦争に加わった攘夷志士なのだろう。得られた数少ない情報や坂田の腕から、土方はそう目星をつけた。それが間違っていないと、確信に似た直感が告げている。
何故そんな男を松平が連れて来たのかは知らないし、問い詰めたところであのヤクザじみた長官が口を割るとも思えないが、厄介なことをしてくれやがって、と詰りたくはある。
今、ようやく真選組がその足場を固めてきているところなのだ。そんなときに、内部に不安要素を抱えているのは、自らの首を絞めているようなものだ。はっきり言って自殺行為でしかない。松平が連れて来たのでなければ、入隊など絶対に認めなかった。
今のところ、山崎の調査ではこれといって不審な点は出てきてないし、現時点での坂田と攘夷派との繋がりも確認されていない。松平のいう「なじみの店のママ」とやらも探らせたがそちらも同じで、「かぶき町四天王」のひとりで「女帝」の異名を持っているにしては、身綺麗なものだった。
だが、油断はできない。少なくとも土方だけは、常に坂田を疑ってかからなければ、いざ何か事が起こったときには後手に回らざるをえなくなる。
それに、元攘夷志士である――だろう――坂田に、少しだけ、警戒や不審とも違う感情を土方は抱いていた。
――てめェに攘夷浪士が斬れるのか?
できるのか、と、そう坂田に問うたことがある。
これから真選組の副長として坂田がその刀を向けるのは、ほとんどがかつての仲間だった者たちだ。そのかつての仲間たちと対峙して、剣が迷うことはないのか。いくら腕が立つからといって、使えなくては意味がないのだ。
だからそれは、純粋に可能かどうかの確認だった。
だが――それだけではない。
かつての仲間たちに剣を向ける――その心情を量ると、土方は胸中がざわついて堪らなかった。お前はそれでいいのか、と割り切れない気持ちで、詰りたかった。
今こうして幕府に仕え、攘夷浪士たちを捕らえる側に立っているとはいえ、かつてこの国を護るために戦った侍たちの多くが今では犯罪者となっている現状に、土方とて何も思わないでもないのだ。哀惜に似た複雑な感情を持て余している。
だからなおさら、何故テロ行為などを起こすのか、と苦々しく思う。
――エセ侍が
昼間、坂田に押しつけられた、と山崎が連れて来た浪士は、土方たちにそう言った。あからさまに嘲る言葉に腹は立ったが、自分たちがそういう目で見られているだろうことは、承知している。
だからこそ、侍であろうと厳しく己を律し、その心と矜持だけは確りと抱いているが、それは土方たちが自覚し、知っていればいいことだ。
そうして侍として刀を振るい、真選組の地位を磐石のものにさせる――そのために尽力している土方からすれば、やはり坂田の存在は厄介なものでしかなくて、延々と巡る思考に疲れ果て、土方は深いため息をこぼした。
翌日、山崎は早朝から数名の隊士を伴い、倉庫へと向かった。
倉庫をねぐらにしている子供たちを全員、別の場所に移動させるためだ。松平に無理を言って、松平家の菩提寺で数日預かってもらえるよう、話をつけてもらった。子供たちには仕事と称し、本当の理由を伏せている。
その山崎が屯所へと戻ってきたのは、昼時近くのことだった。
「――副長」
障子越しに戻りを報告する山崎に、土方は入れ、と声をかけ、自室に迎え入れた。書類から目をあげずに「首尾は?」と問う。山崎は「無事完了です」と、入り口を背に土方の傍らへ正座した。
「子供たち全員、少寿院にお預けしてきました」
住持さんにはちゃんと御礼を伝えてきました、とどこか得意げに続ける。
「そうか」
土方はホ、と小さく息をついた。悩みの種がひとつ解消したことに安堵していると、それと――と、山崎が懐から写真を取り出し、土方の前に並べた。
「――当たりでした。見たことがある、と反応があったのは、このふたりです」
予測が当たった――状況を進展させられることで逸りそうになる心を抑えながら、土方は写真に目をやった。
昨日の山崎からの報告によると、倉庫に置かれていた武器や爆弾は、男が――儒労党の残党が集めたとは思えないほどの量だった。儒労党の件よりもっと前から準備していたのではないか――つまり、組織の者が廃倉庫に出入りしていた可能性が出てきた。もし、組織の者が出入りしていたならば子供たちが顔をみているかもしれない。
そこで、今朝方までに集めた儒労党幹部の情報から、関わりがありそうな者の属している組織の人間の写真を掻き集め、子供たちの前でわざとそれを落として反応を窺わせたのだ。
「どちらも微捨紋党の連中です」
「微捨紋党――」
「ええ。調べたところ、微捨紋党の頭目と儒労党の例の幹部はかつて同じ道場に通っていました。時期も一致してます」
山崎の報告に、脳裏で微捨紋党の情報を掻き集める。
その組織は、確かに天人の大使館を襲ったこともあるが、どちらかといえば市中で騒動を起こしたり、他の組織と抗争を繰り返している過激派だ。背後にどこぞの大店がついているらしく、豪く金回りがいい、と記憶している。
「背後についてると思われるのはたしか――」
「海老巣屋です。ここ数年で急成長している貿易商ですが、あまりいい噂は聞きませんね。汚い手も使うとかなんとか。おまけに、とある幕吏と懇意にしている、という話もありますが……」
土方の言を継いだ山崎だったが、途中で自分の言葉に違和感を覚えたように、言葉尻を濁した。妙ですね、と眉間にしわを寄せる。それは土方も同じだった。
幕吏と繋がっているような店が、倒幕を志している攘夷志士に資金を提供したりするだろうか。攘夷派側にしても――。
そこまで思考を巡らせ、土方はふと別の可能性に思い至った。慌てて地図を広げ、爆弾の設置予定箇所を確認する。
「どうしました?」
山崎が驚いたような声をあげる。土方は地図を睨みつけたまま、低く問うた。
「……海老巣屋が一番目障りに思うのは、どの店だ?」
「え……? えーと、ライバル店……っていうか、貿易関係だと、一番は福六屋ですかね。大店で有名ですし。あとは保亭屋とか」
唐突な土方の問いに、考え込むようにして山崎が名前を挙げていく。その名前を地図の上――それも爆弾設置予定箇所に見つけ、土方は確信した。
「……奴らの目的は、幕府でも幕臣でもねェ――福六屋だ」
「恐らくな」
土方の呟きに返ってきた声は、山崎のものではなかった。驚いて顔を上げれば、いつのまに戻ってきてたのか、開け放たれた入口に出かけたときと同じふざけた格好をした坂田が佇んでいる。振り仰ぎ「旦那!」と驚愕の声を出した山崎に軽く手をあげ、坂田はそのままずかずかと室内に足を踏み入れた。
「――勝手に入ってくんじゃねェ」
土方が咎めても、坂田は気にした様子もない。山崎の横に座り、トントン、と地図を指し示す。
「七箇所中、四箇所が福六屋の支店だ。狙いはそっちだろーよ」
土方がたった今気づき、地図で確認した店の名を、坂田があっさりと口にする。土方は盛大に驚き――次いで、苦々しく思った。先を越されていたようで面白くないのもあるし、知ってたのなら早く言え、と腹立たしくもある。
「……気づいてたのか」
「ま、かぶき町にも店があるしな。福六屋のオヤジにゃ仕事依頼されたこともあるし」
大店の主がこの男に、一体どんな仕事を依頼したというのか。
土方がそんなどうでもいいことを疑問に思っていると、
「とっておき、銀さん情報〜」
坂田が歌うような調子で気抜けた声をあげた。
「海老巣屋の支店やら倉庫やらに、見るからに怪しい男どもがゾロゾロと出入りしてるらしいぜ。表向きは海老巣屋が雇ってる用心棒、ってことになってるが、巷じゃあ裏で手荒な仕事させてる攘夷派崩れだ、っつーのがもっぱらの評判。――アレ? コレ怪しくね? すっげ怪しくね?」
わざとらしい口調で重大なことを告げる坂田に、土方は瞠目した。
「……おめー、どこでそれを……」
やはりどこか攘夷派の組織と繋がっていて、そこから情報を――同じ攘夷派が他の組織を売るとも思えないが――得たのだろうか。
土方が眉をひそめ、疑惑の目を向けると、
「これでも銀さん、かぶき町じゃあちょーっと顔利くからね」
数ヶ月とはいえ、かぶき町で怪しげな仕事を営んでいた男は嘯くようにそう言った。
おまけにこの男を拾い面倒を見ていたのは、かぶき町四天王のひとりと言われている女帝だ。「万事屋」を営んでいた坂田自身と女帝の人脈を用いれば、巷間から情報を得るのはたやすいことなのかもしれない。
そう己を納得させて、土方は坂田を真っ直ぐに見つめた。
「――どこだ」
「目撃情報は三箇所」
そう言い、坂田がその場所を示す。
「どこもねぐらにするにゃあ、文句なしの物件らしいぜ」
「……ということは、この三箇所からひとつに絞るのは」
「ま、時間掛けりゃ、やれねーこともねェだろーけどよ。そんなにのんびりもしてられねェんじゃね?」
含み有りげに坂田が言う。どういう意味だ、と訝しく睨みつければ、坂田は軽く息をついて肩を竦めた。
「捕まえちまったろーが、微捨紋党と繋がってる奴をよォ」
土方たちが微捨紋党に辿り着いたのはつい先ほどだというのに、坂田はさらりと組織の名を口にする。そのことにまた、言いようのない複雑な感情が刺激される。
「どうも夕べから、様子がおかしいらしいぜ。妙に浮き足立ってるっつーの? なんか探して町中バタバタ走り回ってたってよ。――んで、ついさっき、結構な人数で連れ立ってどっか行ったそうだ」
どーするよ? と坂田が探るような目をちらりと向けてよこす。その目に、坂田は土方の手腕を試しているのだと気づき、土方は忌々しく思った。
――とりあえず、武器と爆弾だけでも押さえといた方がいいんじゃねーの?
昨日の銀時の声が蘇る。それに関しては土方も同感だった。今の状況なら、なおさら急がなければならないだろう。
隊士たちの現在の配置を思い浮かべ、土方は山崎に指示を出した
「屯所に残っている一番隊、三番隊を今すぐ召集しろ。倉庫に向かう。市中に出ている六隊に、この三箇所を伝えて、二隊ずつつくよう言え。今すぐ向かわせろ。近藤さんには十番隊連れて、念のため城に行ってもらう」
「承知。……副長は倉庫に行かれるんですね?」
「当然だろ。坂田、おめーは屯所に残って――」
「あ、俺も倉庫組な」
待機を命じようとした土方の言葉を遮り、坂田が飄々と手をあげる。何を言ったのか――意味を解するまでにわずかな間が生まれ、理解すると土方の眉間にしわが生まれた。
まさか、坂田の方からそんなことを言われるとは思ってもみなかった。だらけてばかりいる男が見せた、常にはないやる気が、強い警戒心を抱かせる。
土方は今度こそ不審もあらわに坂田を睨みつけた。
「――んだよ、斬れるかどうかはこの前のでわかったんじゃねーの?」
坂田が不快そうに顔をしかめる。それは先日の――坂田が土方に対して斬りつけてくるかと思われた捕り物のことを言っているのは、わかった。わかった上で、違う、と否定する。
「……そうじゃねェ。やる気のねェてめーが、んなこと言うのが胡散臭ェだけだ」
土方が本心からそう返すと、途端、坂田のまとう空気にまた殺気じみた怒気が滲んだ。山崎がハラハラと心配そうに土方と坂田とを見やるが、それに構わずお互いに剣呑な目でじっと睨み合う。
ややして、坂田がふっと不穏な気配を散じた。チ、と舌打ちしながら面倒臭そうに頭を掻き回す。
「……腹ァ立ったんだよ、それ以外の理由なんざねェ」
吐き捨てるようにぼそりと言う。そこには嘘など感じられず、土方はわずかな逡巡の末――仕方なくうなずいた。