前ノ壱「発端」 04

 二隊を率いて月島の倉庫へと向かう車中には、ぴりぴりと張りつめた空気が漂っている。
 それは間違いなく自分たちのせいだろう。制服に着替えた坂田と並び後部席に座る土方は、車窓の景色を眺めながらぼんやりと思った。
 ――腹ァ立ったんだよ、
 それ以外の理由などない、と坂田は言った。土方はその言葉にわかった、とうなずいたものの――信用した訳ではなかった。攘夷浪士と繋がっているのではないか、と疑わしい点が出た以上、油断はできない。
 土方は外を見ている振りで、全ての神経を坂田の挙動に向けていた。その坂田は、窓枠に頬杖をついて、ぼうっと外を見ている。土方のことなど眼中にない様子だが、その気配はどこかざらついていて、土方の神経をちりちりと小さく引っかいた。
 土方たちのそんな空気を感じているのだろう、ハンドルを握る篠原と助手席に座る山崎は、妙に強ばった顔で、息を殺すように押し黙っている。
 そんな、息苦しい沈黙のなか、不意に坂田がふっと哂ったのが気配でわかった。
「そんっなに意識されっと照れるんですけど」
 坂田の口調は茶化すようなものだったが、そこに鬱積された憤りのようなものが滲んでいるのを感じた。
「あァ? 誰が意識してんだ。自意識過剰も大概にしろ」
 ぎろりと睨みやると、坂田はやはり含みありげな目を土方の方へ向けている。ふうん、と気のない返事をしたかと思うと「猫ってよ」などと唐突に切り出した。
「そっぽ向いてるくせして、耳だけコッチ向けてたりすんじゃん。全っ然気にしてませんー、って振りで、コッチのこと窺ってんの。アレ、今のおめーそっくり」
「ふざけんじゃねェぞてめー、喧嘩売ってんのか、あ?」
「へェ、そぉ」
 何か腹に据えかねているような、そんな気配をあらわにしているくせに、坂田はやけに絡んでくる。その腹立ちが伝播したかのように、土方が苛々を募らせていると、だったら――と坂田は顔を寄せ、土方を覗き込んだ。
「猫じゃねーんだから、そんなに毛ェ逆立てんなって。べつにおめーらの寝首掻こうたァ思っちゃいねーからよ」
 馬鹿にしている、と、そうはっきりわかる笑みと声で、ささやくように言う。その瞬間、カッと頭に血がのぼった。激怒のあまり、土方の顔から表情が消える。
「――寝首掻きたきゃやれよ。その瞬間、てめーのそのフザケた頭、胴体とおさらばさせてやらァ」
 むしろ、可能ならば今すぐにでも、やってしまいたいくらいだ。
 土方も坂田も、殺意じみた怒気を押し殺して睨み合う。運転席と助手席のふたりが、固唾を呑んで窺っているのがわかった。
 一触即発の空気を破ったのは、坂田の方だった。ハ、と口許を歪ませて、嘲るように笑う。
「おっかねー。さっすが鬼の副長、正義の味方の発言とは思えねーな」
「誰が正義の味方だ。んなもんになった覚えはねェ」
 怖がっているなどとは全く思えない態度でふざけたことを言う坂田に、土方はアホか、と吐き捨てた。自分で口にして、その言葉の馬鹿馬鹿しさに顔が歪む。
 不意に、坂田から今までのふざけた笑いと、酷く憤っていた気配が掻き消えた。
 なら――と、坂田の声が硬くなる。
「てめーはなんのために剣振るってんだ」
 坂田の赤い瞳が、真っ直ぐに土方を射抜いた。
 その目を同じ強さで見返す土方の脳裏に、いいか、と近藤の声が蘇る。それは、真選組立ち上げのころに、聞いた声だ。
 ――いいか、俺たちの役目は――
「護るため、だ」
 幕府を護るのだ、と近藤は息巻いていたが、土方はそんなものを護るために剣を握った訳ではなかった。もちろん、正義のために、だとかそんなつもりも毛頭ない。
 土方が護ると決めたのは、近藤や真選組だ。そして、そこにはなにか――己の矜持だったり、魂の芯に根差したなにか、目に見えないものも、含まれている。
 土方のその答えに、坂田が軽く目を見開いた。何事を驚いたのか、まじまじと土方を見つめていたかと思うと、「あっそ」とばつが悪そうにふいと顔をそらす。
 途端、再び車中は沈黙に包まれ、結局、現場に到着するまで誰ひとり口を開く者はいなかった。

 倉庫よりも大分手前に車を停めて合流すると、そこから気づかれないよう、移動する。
 倉庫に近づくと、何やら蠢いている人影が多数見えた。恐らく微捨紋党の浪士たちだ。儒労党の男が捕まったと知り、武器と爆弾を回収しに来たのだろう。坂田からの情報がなければ、土方たちは出遅れるところだった。それを実感すると、間に合ったことに胸を撫でおろしながらも、やはりどこか面白くないような、複雑な感情が広がる。
 裏口があると思われる側に山崎と篠原を向かわせ、土方は号令を出した。
「御用改めである!」
 名乗りをあげ、先陣を斬って沖田と坂田が駆ける。それに三番隊隊長、そして二隊の隊士たちが続くのを見て、土方はため息をこぼした。
 倉庫の中では入り乱れての白兵戦になっているのだろう。怒声や刀を切り結ぶ音が、外に居る土方のところまで聞こえてくる。それに好戦的な面を刺激され、今すぐ自分も突入して行きたくなった。
 土方がじりじりとしながら待っていると、煙草一本吸い終わるころにようやく山崎が駆けて来た。
「裏からひとり、車で逃げました。篠原が後を追ってます」
 動きを知らせる声に、土方はそうか、と返した。狙いどおりに動いてくれれば――真選組に嗅ぎつかれたことを、アジトに知らせに行ってくれれば、上出来だ。それを目論んで、わざと逃したのだ。
「周囲を包囲してる六隊に連絡しろ。動きを見せたらひとり残さず捕縛もしくは討ちとれ」
 山崎ににそう命じ、土方も倉庫内に入った。中は広く、天井も高いが、その広い面積の半分近くを、山と積まれた荷箱が占領している。これらが全部、武器と爆弾かと思うと、土方はゾッとした。
 土方の姿を認めた浪士たちが、斬りかかって来る。倉庫の奥へと移動しながらそれに応戦し、斬り捨てていると、突然、
「きゃ」
 横合いから小さな悲鳴が聞こえた。なんだ、とちらりと目線だけでそちらを見やり――土方は驚きに目を見開いた。子供がひとり、地面にへたり込み真っ青な顔で震えている。
 何故ここに子供が残っているのか。土方が愕然と見やっていると、不意に嫌な感覚を覚えた。反射的に子供を抱え、横に飛びのく。
 ひゅ、と空気を切る音と同時に、土方の右腕を衝撃がかすめた。制服が裂け、そこから血の滲んだ二の腕が見える。銃かと忌まわしく思ったが、鈍い音とともに地面に突き刺さったのは、小さな銛のようなものだった。軌道から飛んできた方向へと目を向ければ、積まれた荷箱の上にボーガンを抱えた男がいる。
 高所から狙われるのは厄介な武器に、射手の視界から身を隠そうと土方が動きかけたそのとき、
「ぐぁ!」
 カエルが潰れたような呻き声とともに、どさりと射手の男が落ちてきた。
 ハッと見あげると、ひらりと銀色がひるがえる。土方は思わず舌打ちした。
 土方を助けるために、などとは到底思えないが、結果としては坂田に助けられたようなものだ。それが腹立たしかった。
 土方が怒気を押し殺していると、それを感じ取ったのか腕の中の子供がピクリと体を竦ませた。その反応に、子供の存在を思い出す。
 このままここに置いておくのは危険だと、子供を抱えたまま倉庫の隅へと移動し、荷箱の山に隠れた。
「ここに残ってるのはお前だけか?」
 自分の足で立たせて問い質すと、子供は青い顔でうなずいた。
「なんで他の奴らと一緒に行かなかった」
「オレ、風邪ひいて寝てて、仕事できない、からっ」
 働けないから行けなかった、と告げる子供に、土方は内心ほぞを噛んだ。仕事、と称して連れ出したのが仇になったか。
「仕事ってのはお前たちをここから移すための嘘だ。だから、お前も気にせず――」
 仲間たちのところに行っていいんだ――と伝えたかったが、言葉が続かなかった。
 くらり、と眩暈がしたかと思うと、全身からサアと血の気が引いていった。だというのに、右腕の傷口は焼けつくかと思うほどに熱く感じる。しっかり握っていたはずなのに、手から刀がするりと抜け落ちた。そんなこと、通常なら絶対にありえない。
 ――まさか、
 土方は慄然としながらも、どくん、と不気味なまでに強く打つ鼓動と苦しくなる呼吸に、間違いない、と確信した。先ほど腕をかすめたボーガンの銛に、毒が塗られていたのだ。
 じわじわと体中に麻痺が広がっていくようで、土方がゾッと固まっていると、「こっちだ!」と背後から銅間声が届いた。
「居たぞォ! 土方だ!」
 振り返ると、刀を振りかざした浪士が、土方に向かって来ていた。
 咄嗟に子供を背中に庇う。落とした刀を拾う余裕はなかった。
 一太刀食らうくらいは仕方ないか、と苦々しく思いながら土方は左腕で頭を覆った。腕の一本で済むなら、と振りおろされる白刃を覚悟する。
 けれど眼前の男は振りかぶった動作のまま、どう、と倒れ込んできた。
「な――?」
 何故、と目を丸くして見ると、男の盆の窪にボーガンの銛が深々と突き刺さっている。視界の隅にちらつく銀色で、誰のしわざかは知れた。
 一度ならず二度もあの男に助けられたことを悔しく思いながらも、土方は力が入りにくくなっている体を叱責して無理矢理動かした。子供を荷のあいだに押し込む。
「じきに終わる、それまでここに隠れていろ」
 動くなよ、と念を押すと、子供は涙目になりながらもこくこくとうなずいた。泣きたいのを必死で堪えているのだろう子供の様子に、土方が軽く笑ったそのとき、
「おめーも隠れてろ」
 背後から低い声が投げかけられた。
 振り仰ぐと、いつのまにか土方たちを庇うようにして、坂田が立っていた。坂田の背中越しに、大勢の浪士たちの姿が見える。取り囲まれていたことにも気づけないほど感覚が鈍くなっているのだと思い知り、土方は内心歯噛みした。
「ふざけんな、なんで俺が隠れなきゃならねェんだよ」
 情けなさと悔しさを押し殺してそう言い返す。だが、転がっている刀を取ろうと動きかけたら、ガッと坂田に肩を押さえられた。
「動くなっつってんだ! 回り早めてどうする!」
 坂田が珍しく感情もあらわに声を荒げる。その勢いと言われた内容に、土方は思わず瞠目してしまった。
 土方が毒を受けたことに気づいていた。気づくくらいに、土方の様子を見ていたということだろうか。それだけでも充分意外なのに、毒の回りを早めるな――と、気遣うようなことをこの男が土方に言う、など。
 思いもしなかった坂田の反応に土方が呆然としていると、チ、と舌打ちした坂田によって、突き飛ばすかのような乱暴さで地面に戻された。
「おとなしくソコでじっとしてろ」
 そう言い、坂田が再び背を向ける。途端、坂田のまとう空気が鋭く研ぎ澄まされたものに変わったのがわかり、土方は息を呑んだ。
「――そっこー終わらせる」
 気負うでもなく言い放ち、坂田がトン、と地面を蹴る。
 正面の浪士を一刀のもとに斬り捨てると、倒れる男から脇差を奪い、それで横の男の喉笛を掻き斬った。振り向きざま、背後から斬りかかってきた男に脇差を突き刺し、蹴り捨てる。その次の瞬間には、浪士三人をまとめて斬り伏せていた。
 加減を捨て去った剣が容赦なく敵を倒して行くさまは、今まで見たことがないほど鮮烈だった。苦しくて堪らないのに、それでも恍然と見惚れる。
 毒のせいか徐々に視界が霞んでいく。もっと見ていたいと思うのに、それが叶わないのが口惜しかった。
 荷箱にもたれかかり、土方が朦朧とする意識でそんなことを思っていると、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「副長!」
 駆けて来た山崎が傍らにしゃがみ込む。酷く狼狽えた様子で、どうしたんですか、などと騒ぎ立てる山崎を、なんとか左手を持ちあげ、黙らせた。
「総悟に、一番隊連れて、篠原を追うよう、伝えろ」
 この場の制圧も時間の問題だろう。脳裏に残っている坂田の姿に、そう確信する。
「向こうの総指揮は、総悟に預ける、全員、取り押さえろ。こっちの爆弾と、武器の処理は、三番隊に、任せると、斉藤に……」
「無理せんでください、副長」
 すぐ傍にいる山崎の声が、妙に遠く聞こえる。息苦しくてせわしなく呼吸を繰り返すが、酸素を取り込めている気がしない。ついにはすう、と視界が暗くなり、幾重にも紗を掛けられたかのように全ての感覚が曖昧になった。
「あと、」
 何事かを喚いている山崎に、これだけは伝えなければ、と土方は今にも途切れそうな意識をなんとか繋ぎ止めた。
「……この子供、保護……しとけ……」
 言い終えた途端、ふうと意識が薄れた。それが限界だった。
 意識が途絶える寸前、既に聴覚は役に立っていなかったはずなのに、坂田の声が聞こえた気がした。





 病室の窓から見える景色は、穏やかな昼下がりそのもので、とてものどかだ。
 昼寝してーなァ、などと欠伸を噛み殺している銀時をよそに、涙まじりに咎める近藤の声が、その昼時ののどかな空気を震わせている。
 受けた毒により倒れ、昏睡状態だった土方が意識を取り戻したのは、つい先ほどのことだ。だというのに、まだ顔色の優れない土方はそれでも起き上がろうとして、近藤から叱られているのだ。
 窓辺にもたれながら、銀時は複雑な思いでその光景を眺めた。

 この数日、意識の戻らない土方をずっと見ていた。
 副長などという肩書きを与えられてはいるが、その実、捕り物以外は大して実務もできない――特に事務処理系はめっきりだ――銀時に、近藤が丁度いいと、土方についているよう任じたのだ。
 昏々と眠り続ける土方の姿に、銀時は様々なことを思い返していた。
 戦争のこと、真選組のこと、攘夷浪士たちのこと、土方のこと――。
 そうして――自分の内側を見つめていた。
 戦に身を投じていたときも、正義を掲げた覚えはなかった。今でも、そんな言葉を口にする気も、標榜する気もない。そもそも国だとかいうものを守ろうなどと、思ってすらいなかったのだ。
 あの戦を経た者たちのなかに、振りかざした剣を鞘に戻せないでいる者がいることもわかる。だがそれは、銀時には関係のないことだった。好きにすればいい、と、突き放していた。
 あの戦は終わったことなのだと、銀時自身はそう、割り切っていたのだ。そして、割り切っている、と、思っていて――そうではなかった、と思い知らされてしまった。
 割り切れてなどいなかった。銀時もまた、あの戦を心の奥底で引きずっていたのだ。
 だからこそ、どこかで土方たちを蔑んでいたのかもしれない。銀時は己の内心、その奥底に生じていた感情を、苦々しく噛み締める。
 ――本物の戦を知らぬエセ侍が
 数日前に捕らえた浪士の声が蘇る。その言葉に、銀時はただ呆れただけだった。エセだとか本物だとか、そんなことを何で測るというのか、と馬鹿馬鹿しい思いで聞いていたのだが、それでも――銀時もまた、心のどこかで共鳴していたのだろう。あの戦を経験してもいないくせに、と土方たちを侮蔑していたはずだ。だから、あのとき土方に対してあれほどまでに強烈な殺意を覚えた。お前に何がわかるというのか――と。
 けれど、
 ――護るため、だ
 土方たちの剣は美しいほどに真っ直ぐで、そんな風に蔑んでいた己の内が、とても醜くくだらないものだと知った。否、本当は疾うにわかっていたのに、気づかぬ振りをしていたのだ。
 以前、土方を斬ろうとした捕り物での一件が、それを示している。
 土方の喜ぶ真似をするのが癪に障るから、向けかけた刀を押しとどめたのだと、自分の行動をそう結論づけた。だが、その瞬間にふと浮かんだのは、それだけではなかったと、今になって思う。
 そもそも、斬ってやりたいと思うほどに苛立ったのは、土方が剣を振るう姿に一瞬とはいえ見惚れてしまったからではなかったか。
 そんな自分自身に苛立ちが増し、八つ当たり同然に土方を斬り捨てようとした。だが、それでもやはりこれを斬ってしまうのはもったいない――と、とどまったのだ。
 ただ、感情が追いついていかなかった。だから認められなかっただけだと、今になってようやく省みることができる。
 それをはっきりと自覚したのは、先日の捕り物でのことだった。
 あの土方が――毒のせいもあるのだろう――子供を庇い、おとなしく男の剣戟を甘受しようとしていたのだ。それを見た瞬間、怒りで目の前が真っ赤に染まった気がした。
 許せない、と思った。
 志も思想もなく、大儀よりも愚かしい理由で武器を手にするような輩が、あんな真っ直ぐな剣を振るう土方を害そうだなんて、許せなかった。
 意識を失った土方の姿に、酷く動揺したのを覚えている。表向きはいつものやる気ない素振りを繕っていたが、それが上手くいったかどうかもわからない。
 毒の塗られた銛は土方の腕をかすっただけで、大した量を受けていなかったことと、ボーガンの射手が解毒剤を持っていたことから大事には至らなかったが、それでも、病院に着き医師の言葉を聞くまで、銀時は腹の奥底が冷えたような怖さを味わっていた。

 坂田――と呼ばれ、視線を向けると、土方の枕元に座る近藤が来い来い、と手招きしている。仕方なく、という素振りを装ってそちらに足を運ぶと、近藤が椅子から立ち上がり、代わりのように銀時を座らせた。
「俺ァこれからとっつぁんのトコに報告しに行かなきゃならねーからよ、トシのこと頼むな」
 まだ動かねーよう見張っといてくれ、と鷹揚な笑顔で言う。
 微捨紋党の事件は、無事解決した――らしい。
 銀時が詳しくを知らないのは、倒れた土方を病院へと運んで以降、ずっと病室についているためだ。だから伝聞でしか知らないが、微捨紋党全員と例の幹部を含めた儒労党の残党全員が、討ち取られたかお縄になったらしい。そして、微捨紋党の供述から海老巣屋の主も引っ張ることができた、と土方を見舞いに来た山崎たちが言っていた。
 近藤はその件で松平の許へ報告にあがるのだろう。名残惜しそうにドアへと向かう背中を、見るともなしに眺めていると「あ」と何かを思い出したかのように近藤が振り返った。
「トシ、坂田に礼言っとけよー。解毒剤見つけたのも、倒れたお前運んだのも坂田だから」
 言わなくてもいいことをあっさりとバラし、近藤は病室をあとにした。病室内に気まずい沈黙が残される。
 あのゴリラあとで半殺す――銀時が決意を固めていると、土方が身じろぎした。緩慢な動作で半身を起こそうとする。銀時は一瞬迷ったが、結局手を貸して、土方をヘッドボードに寄りかからせた。
 近藤に言われたから礼を言わなければ、とでも思ったのだろう。何かを言いかけようとする土方に、銀時は「いらねーよ」と先手を打った。土方の顔がしかめられる。
「だが、助けられたのは事実だ……」
 悔しいが、と続ける姿からも、嫌々だろう、ということはわかった。不本意だろうがそれでも口にしようとする土方に、呆れを通り越していっそ感心すら覚える。
「べつに助けたつもりはねーよ」
 ため息まじりに銀時が言うと、土方は怪訝そうな目を向けてよこした。
「ムカついただけだ。どっかの誰かさんがひとりでカッコつけようとすっからよォ」
 それもまた、銀時の本心だった。子供の件でひとり労していた土方に、憂慮まじりの苛立ちを抱いていた。
 銀時が言い捨てると、土方はむっと口を尖らせた。そんなんじゃねェ、と不貞腐れたような声を落とす。
 珍しく見せる感情のあらわな表情に、銀時は少しばかり楽しくなった。そういえば、こんな風に凪いだ心境で土方と会話をするのは初めてのことだ。そう気づくと、ここで途切らせるのももったいない気がして銀時は、あー、と気の抜けた声をあげながら話題を探した。
「んじゃあ、礼はいいから代わりにおごってくんね?」
「あ? なにをだよ」
「パフェ」
「……は?」
 銀時が言うと、土方はきょとんと目を丸くした。なんつった?、と疑問符を浮かべた表情は険がとれて、妙に幼く見える。
 その顔に、さらに気分がはずんでいく。
「やー、医者に言われてんだよねー、血糖値高すぎっからパフェは週一以下よ、って」
「高すぎって……そりゃ控えろってことだろ。食うなよ」
 軽い調子で言う銀時に、土方は呆れたような顔になる。
「食わずにいられっか! てめー、糖分王なめんじゃねーぞ、糖分切れたらキレっからな、こちとら! つーか糖分摂れなきゃ死ぬぞ、死んじゃうぞ! わかったらパフェ食わせろ!!」
「うるせェ! いい年して駄々こねてんじゃねェ! ガキかてめェ!!」
 銀時ががなれば、土方も声を荒げる。そんな反応に、銀時は思わず噴き出しそうになってしまった。
 ――なんだコイツ面白ェ。
 冷静な顔ばかり見ていたから、土方のこうした反応が新鮮で、こうしてガキ臭く言い合うのも楽しかった。そして、ふと、ガキ――というひと言に、松平からの言伝を思い出した。
「ガキと言やァ、見つかったってよ」
「……なにがだよ」
「ガキどもの面倒見てくれるっつートコロ」
 銀時が言うと、土方はわずかに息を呑んだ。
「おめーが子供預けた寺がよ、この機会に育児院? とかいうやつ、開くんだと。家つきメシつきの寺子屋みてェな感じらしいぜ」
 土方がまだ昏睡していたときに訪れた松平は、恩に着やがれ、などと何故か銀時に対して居丈高に言い放って行った。
「探させてたんだろ? ガキどもが普通にメシ食って生きてける場所」
 ちらりと見やれば、土方は困ったような表情で視線を彷徨わせている。
「……べつに、そんな大層なもんじゃねェ。ガキにちょろちょろと犯罪の片棒担ぐようなことされっと、こっちが迷惑なんだよ」
 そんな顔で、偽悪ぶるかのようなことを言う。きっと、言葉どおり大層なことをしたつもりもないのだろう。
 メシ食って生きてける場所――それによって、生きる道を選べられる未来が生まれることもあるということを、知らないのかもしれない。
 かつて銀時にそれらを与えてくれた人を思い出し、ほんの少しだけ土方に重ねる。

 面白そうだ、と思った。この男が仕出かすことも、この男自身も。もう少しのあいだ見てみたい、と興味を抱くくらいには面白そうだと思った。
 辞めるのはいつでもできる。それまでもう少し、この面白そうな男を傍近くで見ていよう――銀時は軽い気持ちで、そう決めた。



 それが誤算の始まりだなんて、そのときは思いもしなかったのだ。

壱万打リク「土方さんのピンチを銀さんが間一髪で助ける話」
(12/06/30)