手入れのゆきとどいた広い庭は、それだけでこの屋敷がどれほどのものなのかが窺い知れる。池を中心に、様式に則って作られた見事な庭園だ。かつてはどこぞの藩の江戸屋敷だったというのもうなずける、静謐な趣と閑寂とを兼ね備えていた。
その庭園に今、場違いな空気が流れている。緊張感を孕んだ物々しい空気だ。
塀から少し離れて、屋敷を正面から見渡せる位置に立つ土方は、自分と共にその場違いな空気を生み出している黒い集団を見やった。
この清澄な庭に囲まれた豪奢な建物は、今では高級料亭として幕僚たちに重宝されているという。
ここでもうじき、幕府の高官とどこぞの星の王族による会合が行われる。地球と南斗加星の輸出入条約を取り決めるのだそうだ。
その密会は、極秘裏に行われる予定だった。だが、どこからかそれを聞きつけた輩がいた。それは、攘夷活動という名のテロ行為を行う不逞浪士たち――過激攘夷派の連中だった。
その者たちは、条約という名でまた天人に首根っこを押さえられるのが我慢ならなかったのだろう。天人に尾を振る奸賊に天誅を――とばかりに、ご丁寧に料亭の爆破及び幕吏の殺害予告を送ってよこした。
そのため、警護として真選組が駆り出され――今に至っている。
「副長ふたり揃ってここでのんびりしてていいのかねェ」
不意にあくびまじりの腑抜けた声が届き、土方は盛大に顔をしかめた。
「のんびりしてんのはてめーだけだ」
声の方をじとりと睨みながら、到着してすぐ副長である土方が陣頭指揮を執っていたのを見ていただろうに、と苦々しく思う。既に一番隊も十番隊も屋敷を警護するため配置についている今、のんびり、などという言葉が似合うのは、言った本人くらいなものだ。
その本人――真選組のもうひとりの副長である坂田銀時は、やる気の欠片も感じられない顔でぼりぼりと頭を掻いている。
「そーじゃなくてよ。俺かおめー、どっちかが護送につかなくてよかったのかね、って話だろー、神楽動かすくらいならよォ」
銀時が口にした名前に、土方の眉がぴくりと動く。
神楽――ひと月ほど前に銀時が連れてきた天人の少女は、現在なんの因果か真選組に身を置いている。夜兎という出自と、地球に身寄りがない身の上から、放っておけない――野放しにしておけない、の間違いだろうと土方は思った――だろう、と銀時が局長の近藤を丸め込んだのだ。
入隊を快諾したものの待遇に困った近藤は、あろうことか少女のためにもう一隊を新設し、そこの隊長に彼女を据えた。神楽隊、などというふざけた名前をつけた隊の、だ。
当初、土方はその処遇に眉をひそめたのだが、近藤、そして上官である松平までもが認めた以上は利用するしかないか、と思い直すのに時間はかからなかった。屯所内の警備などの役割を振っておけば、あの危険な少女を外に出さなくて済むのだ。既にある十の隊を稼動させたままで――そう考えれば、新たな隊の増設もやむなしと思えた。
土方は神楽を――というより、彼女の力が暴走することを危惧し、その際の被害を憂慮している。そして銀時は、そんな土方の懸念を知っている。だからこそ、今回の件で神楽を動かすことに困惑しているようだった。
いいのかよ、と窺うように向けられた銀時の目をちらりと見返し、土方は煙草に火を点けた。
「仮にも一隊任されてんだ、無事ここに送り届けるくれェ、やってもらわにゃ他の奴らに示しがつかねェだろ。それに――」
言いよどみ、結局土方は煙とともに濁した。
少し、神楽を動かしてもいいか、と考えていた。
いつまでも屯所内に閉じ込めておく訳にはいかないだろう――下手をしたらその処遇にこそ暴れ出しかねない――という諦めにも似た思いと、神楽を見ていて生じ始めた、大丈夫なのではないか、という幾許かの期待を込めて。
「それに?」
銀時が横目で先を促す。土方は、不確定なことを口にする訳にもいかず、矛先をすり替えることにした。
「――目ェ離したらサボるだろ、てめェ」
志村から聞いてっぞ、と言えば、銀時はばつが悪そうに舌打ちし、視線を泳がせた。
「そらァおめー、アレだ。世間には誘惑がいっぱいっつーか、時と場合によるっつーかよォ……。つーかさすがに俺だって、こんなときにまでブッチしたりしねーよ」
どこか不貞腐れたように銀時がぶちぶちとこぼすのを、鼻で笑った。
「どーだかな」
「――信用ねーなァ、俺」
ため息まじりに落とされた銀時の言葉がつきりと胸に刺さる。そこには、今この状況でのことだけではない、と含まれているように感じた。だが、
「――当たりめーだ、常習犯」
土方はそれを無視し、サボりの常習犯として銀時をなじった。
信用ねーな、などと言われても、仕方がないだろう、というのが土方の本音だ。
銀時は、真選組が組織されて半年ばかり経ったころ、松平が入隊させろと連れてきた正体不明の男だ。松平が言うには、なじみの店のママに仕事の世話をしてやってくれ、と頼まれたらしい。腕は確かなので、真選組に連れてきたのだという。
確かだという銀時の腕は、隊内随一の剣の使い手である沖田に手合わせをさせてすぐに知れた。沖田から三本中一本でも取れれば儲けもん――という土方たちの予想に反して、三本とも銀時が取ったのだ。
それを見て、困ったのは近藤だった。
松平が直々に連れてきた以上、平の隊士として配属させる訳にはいかないだろう。腕だけを見ても、幹部クラスなのは間違いない。だが、既に編成が組まれている組織のどこに置けばいいのか――悩んだ末に近藤は、土方と同じ副長の座に据えることを提案し、松平も土方もうなずいた。
納得し、うなずいたが、土方は銀時を認めた訳ではないし、それを隠すこともしなかった。
その態度に、自分の立場を脅かす銀時の存在が面白くないのだろう、などと口さがないことを言う隊士たちもいたが、土方としては銀時の肩書きなど、どうでもよかった。自分と同じ位置に立とうが、近藤や真選組を守るために動く土方の邪魔をさせるつもりはないのだから、そんなものに意味はない。
面白くない、のではない。近藤のように、無条件に銀時を受け入れられないだけだった。
土方が懐疑の目を向けたのは、銀時の過去だ。
銀時の入隊を許可したときから内密に探らせたが、監察方の山崎にすら彼の来し方をすべては把握できなかった。知れたことといったら、松平が「なじみ」だと言った店の二階にいつのまにか住んでいたことと、真選組に入隊するまでのわずかのあいだ、『万事屋』という稼業を営んでいたことだけだ。それより以前のことは、未だ杳として掴めていない。
あれほどの腕を持つ男が、今までどんな道を歩んできたというのか。
――攘夷志士。
可能性のひとつとして土方の頭に、そして山崎の内にも浮かんだのは、その存在だった。おまけに、山崎が耳にしたという「噂」が、その疑念に拍車をかけた。
疑念をくつがえす事実が出てこない以上、土方は――否、土方だけは、銀時を疑ってかからなければならない。それが、自分の役割だと思っている。
むしろ、面白くない、というなら銀時の方こそだろう。
あるとき、警戒心剥き出しの土方に、銀時はささやいたのだ。
「猫じゃねーんだから、そんなに毛ェ逆立てんなって。べつにおめーらの寝首掻こうたァ思っちゃいねーからよ」
と。小馬鹿にしたような笑みを浮かべて。
おかげで、寄ると触るといがみ合い、険悪な空気を撒き散らすこととなったのだ。そのたびに隊士たちが涙目になろうとも。
だが。
信用できない、と思う反面で、銀時の言動に心動かされていったのも事実だった。
真っ直ぐで揺るぎない姿勢に、好感を抱いた。
銀時の背中に安堵を覚えたこともある。
いつからだろう。
銀時の過去を知りたくない――と思うようになったのは。
土方が鬱々と思考に沈んでいると、緊迫した声が周囲の空気を裂いて響いた。
「六番隊から伝令、移動車両が不逞浪士に襲撃されました! 周囲に被害が出ている模様です!」
幕吏の車を護衛していた六番隊からの知らせを伝える声に、来やがったな、と土方は緊張を背に佩いた。隊士たちのあいだに、さざ波のように緊迫感が広がる。
「六番隊は実行犯の捕縛、志村は被害状況の確認を優先させろ! 近くの番所に応援要請急げ」
無線で指示を出す土方の横で、やれやれ、と言わんばかりのため息が落とされる。
「移動中に襲ってきやがったか。さっすが、やることがえげつねーわ」
「まあ、そーくるたァ思ったがな」
だろ、と土方が横目で見やれば、銀時はまァな、と肩を竦めた。
爆破の予告があったのは、この屋敷だ。だが、密会が知られている以上、そして幕吏の殺害も予告してくる以上、幕吏と王族の通るルートも把握されているかもしれない。会合の場が標的だと思わせておいて、移動中を襲う――その可能性も大いに考えられた。
だから、両ルートに囮を走らせたのだ。ルートを把握されている可能性、それを逆手に取ると言ったのは銀時と土方だ。
予定のルートに偽の車を出させ、わざとわかりやすく護衛をつけたのは、万が一のための囮でもあり、本物から目を逸らすためでもあった。
緊迫した空気が流れるなか、
「ニコ中ー、到着したアルヨー」
場違いなまでに暢気な少女の声が届いた。
見れば、私服姿の神楽とその部下たちが、ひとりの男を先導してやって来たところだった。その男は、神楽隊が護送してきた、本物の幕吏だ。到着したその無事な姿に、土方は内心安堵の息をつく。
本物には神楽隊の護衛をつけて、極秘裏に別ルートからこの料亭まで移動させる――土方の案だ。
制服を着ていない神楽は、年齢も相俟って真選組隊士――それも隊長になど到底見えやしない。ましてや普段から屯所内に閉じ込めていたも同然なのだから、面が割れていることもないだろう。それが今回神楽に『本物』の警護を任せた大きな理由でもあった。
「裏口からお通ししろ」
傍にいた隊士に幕吏の誘導を言いつけ、神楽隊を見やる。
「ご苦労さん。お前たちはこのまま六番隊に合流して、実行犯を追ってくれ」
「なんだよソレ、仲間ハズレかヨ! せっかく来たんだから私もこっちにいるネ!」
また追いやられた、と感じたのか、神楽がはっきりわかるほどに不貞腐れる。そーじゃねェよ、と土方は低い位置にある朱色の頭に手を乗せた。
「こっちは二隊、あっちは一隊だ。向こうのが手が足りねェ、行ってくれ」
今はまだ、手が足りない、などという建前でしか動かせないことを、ほんの少しだけ申し訳なく思う。
土方のその態度と言葉に何かを感じ取ったのか、ややして神楽は不承不承うなずいた。
「仕方ねーから行ってやるネ。感謝しろヨ」
行くアルヨ、と部下たちを引き連れて行くその背中に、土方は肝心なことを思い出して声をかけた。
「――オイ、合流する前に制服着ろよ。その格好で暴れて、しょっぴかれても知らねーぞ」
制服を着て暴れるのは構わない、とも取れる言葉に、神楽はきょとと振り向き、次いでべーと舌を出した。照れ隠しなのだろう、やいのやいのと神楽に声をかける隊士たちの姿からも神楽の背中からも、どこか嬉しそうな気配を感じる。
「おーおー、神楽隊っつーかもうカンペキ神楽親衛隊じゃねーか、アレ」
見送り、銀時が呆れまじりの苦笑を浮かべる。当初、神楽隊のことを揶揄して神楽親衛隊、などと呼んでいた者たちがいたことを知っていての言葉だろう。もっとも、神楽の部下である本人たちが満更でもなさそうなことから、今では本来の意味合いで言われることが多いが。
「思ったより上手くやってるみてーでなによりだ」
呆れ半分、本音半分で土方がこぼしたとき、ドン、と轟音が響いた。低い地響きが足の裏に伝わる。
「正面入口から侵入者を確認! 数は十五――いえ、二十!」
「裏口からも侵入を確認! その数十七!」
次々と届く伝令に、銀時は面倒臭そうに頭を掻いた。
「くっそ、やっぱこっちにも仕掛けてきやがったか」
「読みどーりだろ」
だからこそ戦力として、銀時に加え沖田のシフトを変更させてまでも一番隊を連れてきたのだ。
「建物内に侵入――!」
合図となる伝令に、すらりと刀を抜く。
「散開! ひとり残らず討ちとれ!」
土方の号令に、応、と色めき立った鬨をあげ、隊士たちが駆け出した。
そんななか、今にも屋敷に突入しそうな銀時に「オイ」と声をかける。あ?、と返ってきた胡乱げな目を見返すことなく、土方は口を開いた。
「俺ァてめーを完全に信じちゃいねェ」
「――なにいきなり喧嘩売ってくれちゃってんだよ、こんなときに。つーか知ってるっつーの、んなこたァ」
気勢を削がれのだろう、銀時ががくりと肩を落とし、恨めしげな顔になる。
こんなときに、と銀時は言うが、こんなときだからだ、と土方は目を伏せた。
「信じちゃいねーが、てめーが俺たちの寝首掻くとも思っちゃいねェ」
多分、どんなかたちであれ、銀時の過去がハッキリしないことには、信用している、などとは言えないだろう。だがそれでも、銀時が寝首を掻くような――自分たちに害をなすようなことはしないと、確信している。
だから、今の土方が口に出せるのは、そんな言葉くらいしかなかった。
銀時がきょとと目をしばたたかせる。
「……なんの話デスカ?」
そんな銀時の間抜け面を無視し、土方は駆け出した。
「――ボサっとしてんな、祭りが終わっちまうぞ」
二度と言うかバカ、とは心中で吐き捨てた。