其ノ参「残月」 05

 ――アイツは来るぜ。
 昨夜、そう扉越しに届けられた声が、くつくつと哂いをこぼす。
「そいつにそこまで期待しちゃいねーよ」
 気負うでも嘲るでもなく投げられた声に見やった先には、派手な柄の着物をまとった男がいる。薄っすらと哂いを浮かべているその顔は、手配書でよく見かけるものだった。
 高杉晋助――もっとも危険でもっとも過激な攘夷浪士として、幕府からも真選組からも追われている男だ。
 まさか絡んでいたのが高杉だったとは――土方はひやりと冷たい汗が背中を伝うのを感じた。よりによってこんな物騒な男が出てくるとは、と苦々しく思う反面、江戸城を攻撃するなどという荒っぽい真似を仕出かそうとしたのも、この男が後ろにいたというなら得心がいく。
 途端、空気が緊迫したものに変わるなか、高杉は土方を一瞥し鼻で笑うと、川南に視線を向けた。
「目障りな狗一匹消せねーようじゃなァ」
「ご期待に沿えず済みません」
 川南が淡々と謝罪するが、その様子からは、詫びを入れているようにはとても見えなかった。
「約束通り、あとは貴方にお任せします。お好きになさったらいい」
 高杉にそう言い、川南はふいと傍の扉へ姿を消した。追うべきか動かないべきか、と高杉を睨んだまま土方が逡巡していると、隣から銀時の低い声がした。
「――土方」
 呼ばれ隣を見ると、銀時は高杉を見据えたまま、硬い声を出した。
「川南の方頼むわ。あっちは俺が引き受ける」
「――わかった」
 以前、桂たちと対峙したときとは別の不安がよぎり一瞬躊躇したが、土方は川南を追って扉をくぐった。銀時なら幾通りもの意味で大丈夫だろう――そう自分に言い聞かせる。
 壁のない通路に出て辺りを見回すと、下方の甲板にその男はいた。顔をあげ、じっとひとつところを見つめて佇んでいる。
 その視線が向けられている方角には城があるのだろう――何故かそう思えた。
 甲板に降り立ち、その背に歩み寄る。あと数歩で背中に手が届くだろう、というところで、ずん、と重低音が響き、船が揺れた。沖田たちが動力を壊したのだろうと察する。
「てめーらの目論みは全部潰れた。諦めてお縄につけ」
 背中に刀を突きつけて土方が言うと、川南は昏い目で緩慢に振り返った。そんな目で薄ら寒い笑みを浮かべる。
「――本当に、どこまでも憎たらしい……貴方も、あの傀儡も。どこまでこの世界を憎ませれば気が済むのやら」
 傀儡――と、将軍のことを言っているのは疑うまでもない。今まで無血開城だの、将軍はどう判断するか、などと口にしていたくせに、やはり天人の傀儡だと思っていたか、と土方は目を眇めた。
「だから最初からありえねェっつってんだろうが」
「知っていますよ」
 肯定を返しながらも、その目にはかすかに悲観が見えた。まさか――と土方はわずかに目を見開く。
「……本当は信じたかった――いや、叶ったらいいと思った、とでも言いやがんじゃねーだろうな」
 土方の予感を、川南はまさか、と一笑に付した。
「そこまで愚かではありませんよ」
 うっそりと笑うが、その姿には絶望が色濃く滲んでいる。
「死に場所を探していた男が、道連れを作りたかっただけの話です。憎い幕府と真選組――その象徴を道連れに、とね」
 それは本音だ、と直感した。男の言葉はいつでも空々しくて嘘ばかりだったが、根底には峻烈なほどの怨嗟が渦巻いているのを感じていた。だが、それでも。もしかしたら、ありえもしない望みに賭けていたのではないか――とも思えて、土方は眉をひそめる。
 その表情で土方の心中を計ったのか、川南は顔をしかめた。
「――だから大ッ嫌いなんですよ。貴方も――この世界も」
 言うと、川南はひらりと空中に身をひるがえし――飛び降りた。
 下方から隊士たちの狼狽した声が聞こえた。身を乗りだして下を覗くと、地面に倒れている男に隊士たちが慌てて駆け寄るのが見える。流れる血の量からも、絶命しているだろうと推測し、土方はへりから手を離した。船体だけでも随分な高さがある上、吊り上げられている分を考えれば、息があるとは到底思えない。
 ――バカが。
 大嫌いで結構――男の最期の言葉を脳裏でなぞり舌打ちをすると、土方は深く息を落とした。





 高杉と対峙しながら、銀時は間合いを測っていた。
 お互い飄々とした表情を浮かべているが、その実いつでも斬りかかれる緊張を背に佩いている。高杉の手は刀に掛けられていないが、その抜き打ちの速さを知っているだけに油断はできない。
 突如、張りつめた空気が轟音で震えた。ずず、と足許から伝わる振動に、無事船の動力が破壊されたことを知る。
「わざわざ江戸までなにしに来たか知らねーがな、この船はもう終わりだ。さっさと帰って寝ろ、おめーは」
 銀時が言うと、高杉は喉の奥で哂った。
「言われなくても退いてやらァ。俺ァ祭り見に来ただけだ、そいつがしめーなんじゃ、興も醒める」
「どーせおめーが奴を唆したんだろ」
 なにを他人事のように、と銀時が睨めつければ、人聞きの悪りィこと言うんじゃねーよ、と高杉は嘯いた。
「この世界に嫌気がさして死にたがってたから、ちょいと背中押してやっただけよ。――どうせ死ぬなら、最期にでかい花火打ち上げちゃどーだ、ってな」
「死にてェんなら勝手に野垂れ死んでろ。こっちゃあ関係ねェんだ、巻き込むんじゃねーよ」
 吐き捨てるように言うと、高杉がくつくつと厭な哂いをあげた。「そんなんじゃねーだろ」と愉悦を滲ませた目を向けてよこす。
「アレを巻き込むな、ってェ素直に言やぁいいだろうに」
 高杉の言葉に銀時の目許がひくりと引きつる。この男には反応を返さないのが一番だとわかっていても、触れて欲しくないところを平気で抉られると、ざわりと感情が波立ち、面に出てしまう。
 案の定、高杉は銀時の表情にうっそりと微笑んだ。
「夜叉が惚れたは修羅が鬼――たァ、随分と笑わせる話じゃねーか」
「人の恋路笑いに来たってか。相変わらず嫌な野郎だな、おめーはよォ」
 銀時が顔をしかめると、高杉はほう、と馬鹿にしたような声をあげた。
「察しがいいな。珍しいこともあるもんだ」
「ヤな奴な、お前。知ってたけどよ。ホンっト、ヤな奴な」
 苛立ちから、柄を握る手に力がこもる。それを見て高杉がオイオイ、とわざとらしく目を見開いた。
「アレに免じて今日は退いてやろうってんだ。てめーらもおとなしくした方が身のためだぜ。――もっとも、どうしても殺り合いてェってんなら、話は別だがな」
 高杉の言葉に、銀時は奥歯を噛み締めた。この男のことだ、兵隊を突入させる手筈くらい整えているだろう。こちらへ連れて来た隊士の数を考えれば、おとなしく行かせた方が得策だ。
 だが、アレに免じて――そのひと言が嫌に引っかかり、銀時は素直にうなずけなかった。
「おめーがおとなしく退く、っつーのが薄気味悪りィんだよ」
 帰れ、などと言ったものの、高杉が何もせずに退散するなど、裏を勘繰って当然の事態だ。だが、高杉はにやにやと哂いを浮かべると、退いてやらァ、と再び口にした。
「面白ェもん聞かせてもらったからなァ」
 その笑みも言葉も、神経を逆撫でるものでしかなかった。考えまいと思考から排除していた嫌な想像を刺激され、銀時は顔をしかめる。
 なんのことだ、とこの男に訊く気はない。捕らえた者をいたぶる方法など、幾らでもあると知っている。
 それらを思い浮かべ、土方の負った傷があの口の端のものだけならいいのだが、とそれだけを案じた。
「――さっさと帰れ」
 怒気を押し殺し低く言うと、「そういやァ」と高杉が突然間合いを詰めて踏み込んできた。とっさに体を庇い構えた刀が、高杉の刃を受け止める。押し合う刀が耳障りな悲鳴をあげた。
「アレはひとつ、思い違いをしてやがったな……。銀時ィ、てめーアレの前じゃあ随分猫かぶってるみてーだなァ」
「あァ? なんの話だ」
「ハナから持ち合わせちゃいねェ、ときた。そんなワケねーのに、なァ――白夜叉」
 覗き込んでくる眼が、殺意に似た狂気で銀時を射抜く。過去の記憶を引きずり出されそうな戦場の匂いにぞわりとそそけ立ち、銀時は強く刀を握り締めた。
「ぐだぐだ意味わかんねーこと言ってんじゃねーよ!」
 力任せに刀を押し返し、真横に薙ぐ。高杉はその刃をひらりとかわし、にぃ、と愉快そうな厭な笑みを浮かべた。
「今のてめーのツラァ、見せてやりてーもんだぜ」
 誰に、など、言われなくても容易に知れた。
「忘れんじゃねーぞ銀時ィ、おめーは一生「白夜叉」から逃げらんねーんだよ。アレがどう思おうとなァ」
 嘲るように哂い、高杉はふいと身をひるがえした。隊士たちに囲まれた船から逃げる手立ても打ってあるのか、気にした様子もなく、土方たちがくぐった扉から悠々と出て行く。
 叩き斬りたい衝動を抑えながら、銀時はその背を見送った。
 ――おめーは一生――
 銀時はきつく目を閉じると、耳に残る高杉の嘲笑を振り払うように、刀を強く振りおろした。





 下から隊士たちが浪士たちを引き立てる声がする。それを聞きながら、土方は甲板に座り込んでいた。連行など、いちいち指示を出す必要もないだろう。
 銀時と高杉との決着がどうなったのか――気になりはしたが、足が動かなかった。
 桂同様、高杉もまた攘夷戦争時代の盟友だと知っている。そんな、浅からぬ縁の相手と対峙する銀時の姿を見るのが、酷く厭だった。
 それは、他の――たとえば川南たちのような浪士たちと相対するよりも、強く銀時の過去を感じるからだと、自分でわかっていた。
 知らぬ存ぜぬを通しているという建前上の理由でも、白夜叉という存在を見せつけられるのが不快なのでもない。
 「白夜叉」という過去に捕らわれる銀時を見るのが、厭なのだ――どうしようもなく。
 そんな心情を我ながら情けないと自嘲していると、あーもー、と頓狂な声をあげながら銀時が甲板に現れた。
「ムカつくー! あいつムカつくマジムカつく! ちょっともうコレどーしたらいい、俺のこのやり場のないムカつき! チクショー、土方君どーにかしてくんね!?」
 突然向けられた矛先に呆れ、どーしろっつーんだよ、と返しながらも、いつもの銀時だ、とどこかホッとした。
「――まったく、ムカつくだけの顛末だな」
「ったくよォ、だーからあんなふざけたデマ流すんじゃねーっつったろーが」
 どさりと土方の背にもたれるように座り込み、銀時が恨めしげな声をあげる。知るか、と土方はため息まじりに返した。
「広めさせたのは俺だが、もともと俺が言い出したネタじゃねェ。文句を言われる筋はねェな」
 実際、山崎が不逞浪士たちのあいだで囁かれている話だ、と拾ってきた風説だ。土方はそれを利用したにすぎない。
「そんなくだんねー噂話に食いつく方がバカなんだよ」
「くだんねー、っておめーなァ……。俺のとっておきのネタはそっこーで握りつぶしといてよく言うわ」
 呆れたように銀時が言う。とっておきのネタ――思い出して土方は盛大に顔をしかめた。

 曰く。
 真選組副長・坂田銀時は、かつて攘夷戦争でその名を轟かせた白夜叉である――。

「――アホか」
 あのときの騒動を思い返し、土方は忌々しく吐き捨てた。

 攘夷浪士たちの情報撹乱に対する手段のひとつ――というより実験に近いものがある――として、ネットを利用したらどうだ、と進言してきたのは新八だった。丁度、一般市民によって作られたばかりのファンフォーラムがあり、それを見つけたのだという。
 使えれば儲けもの――そのくらいの気持ちで管理人に話をつけ、情報に関してのみ操作の権限を譲り受けたのは、それからすぐのことだ。
 結果としては成功だっただろう。ファンフォーラムの存在は密やかに有名となった。土方に狙いが集まるような噂を広めるのにも一役買い、人気投票だののふざけたことに目を瞑れるくらいには有効だった。
 意外に使える――あのネタが投下されるまでそう思っていたのは、土方だけではなかっただろう。
 だからこそ、一般投稿から「白夜叉」だのというそんなネタが投下されて、肝を冷やしたのだ。
 すぐにそのネタを書き込んだのが銀時本人だと知れたが、自由な情報投稿の危険性を思い知った。今回は本人によるものだったが、悪意ある者が利用しないとも限らないのだ。
 そうなるとフォーラム自体放置しておく訳にはいかなくなり、おかげで慌てて「隊内で男色流行疑惑」などというふざけたネタを捏造し、投下する羽目になった。それに対して忠告が入った――という、閉鎖に至る口実を作り上げるために。
 もっとも、土方たちが介入したフォーラムは閉鎖というかたちを取ったが、それは表向きのことで、地下にもぐるようにして新たな場所で今でもひっそりと続けられているという。

「てめーで爆弾落とすよーな真似してんじゃねーよ」
 狙いを分散させようとした、という目的を理解した上でふざけるな、と土方が睨みつけると、銀時は悪びれるでもなく肩を竦めた。
「べつに隠してるワケじゃねーもん」
「嘘つけ。思いっきり隠してたじゃねーか。あと、もん、とか言うな、いい年して」
「土方君に知られたくなかっただけですー」
 最後の苦言は無視して、銀時がおどけたような声を出す。
「同じじゃねーか」
 何がどう違うというのか。土方が目を眇めると、全然違ェよ、と銀時は土方の肩に頭を乗せた。
「だっておめー、あんとき知ってたら、もうぜってェ俺のこと受け入れなかっただろ? あ、もうこいつダメだ、ダメダメだ、っつって存在抹消して、俺にこーいうことさせてくれなかっただろーが」
 だから当分知られたくなかったんだよ、と銀時が猫のように頭をすり寄せる。頬に触れるふわふわとした髪をくすぐったく思いながら、まァな、と土方はあっさり認めた。
 あんとき、とは、土方が銀時の不透明な過去を訝り、信用しきれていなかったころのことだろう。確かに、銀時を懐疑の目で見ていたときにそんなことを知っていたら、少なくとも真選組から放逐――下手をすれば斬っていただろうと自分でも思う。正直、こうして受け止められる現状の方が、おかしいくらいなのだ。
 では何故、今はこうして受け止めることができるのか――突き詰めてしまうと自分に分が悪い気がして、土方は舌打ちとともにその話を打ち切った。
「――そういやおめーら、オモシロおかしく編成変えてくれやがったが、近藤さんはどうなってんだ?」
 ふと気にかかったことを思い出して訊ねると、途端銀時はむ、とふくれた。なんだそのツラは、と睨めつけると、むくれたまま「あいつはノーチェンジ」とつまらなそうに吐き捨てる。
「は? ってことは、局長のまんまなんだな?」
「さすがに「局長」を変えるワケにも一旦無くすワケにもいかねーだろ。だからあいつだけ変更なしで、屯所に置いてきた」
 めちゃめちゃ悔しがってたぜーざまァみろ、などと失礼なことを言う銀時を睨みつけたものの、その内容には胸を撫でおろした。
「――そうか」
 安堵の息とともに呟くと、ギッと銀時の眇めた目が返ってくる。
「言っとくけどなァ、べつにゴリラのためでも真選組のためでもねーからな!」
 勘違いすんじゃねーぞ、と続ける銀時に、いきなり何を、と眉をひそめる。なにが言いてェ、と呆れて問えば、銀時は不貞腐れた顔でそっぽを向いた。
「……おめーが、あんなデマ流してまで護りてェっつーなら、しょーがねェだろ。めちゃめちゃ気に食わねェけど、しょーがねェだろ」
 でもゴリラのためじゃねーからな、と念を押してくる。要は土方のためだということだろう。思い至り、土方は言葉につまった。
「……そーかい」
 結局四度同じ言葉で濁すと、銀時は、だあああ、とため息まじりの奇声をあげ、疲れたようにがっくりとうなだれた。
「もーマジ二度と御免だぞこんなこたァ。俺ァ頭使うの苦手なんだよ、煙噴き出るかと思ったっつーの。脳みそ溶けて流れてね? 大丈夫? 俺の脳みそ」
「そうか? おめーならぜってーココに来ると思ってたぜ?」
 たったひとつ自分をとどめていた灯火を、そうとは気取られないよう軽い調子で口にする。きょとと目を丸くした銀時が、次いで盛大に顔をしかめた。その目許がわずかに赤らんでいる。
「――んな可愛いセリフで誤魔化されてやんのも二度目はねーぞ!」
 そんな表情で怒鳴る銀時に一瞬気圧され、何を言われたか理解すると土方は思わず噴き出した。今回は誤魔化されてくれるらしい。
 ありがとよ――笑いを堪えて言うと、銀時は悔しそうに歯噛みした。





 屯所に戻った土方たちを、隊士たちの歓声が出迎えた。中には泣き出している者もいる。相当心配をかけたらしいと改めて実感し、土方はすまねェ、と頭をさげた。もっと言わなければならないことがあるだろう、と胸中でなじる声がするが、言葉が出てこない。
 申し訳なくて唇を噛み締めていると、近藤はそんな真似すんな、無事で良かった、と半泣きで土方を抱きしめた。隊士たちのあいだからも、良かった、という声が聞こえ、心苦しくなる。ふと、ぎゅうぎゅうと抱きしめられているのを面白くない顔で見ている銀時に気づいたが、それは無視した。
「よーし、今日はトシの無事を祝って、パーっと飲むぞー!」
 ようやく土方を解放した近藤が豪快に笑うと、隊士たちが歓喜の声をあげた。パーっとやるのはいつものことだろう、と土方が苦笑していると、
「――ところで土方さん」
 と、沖田から呼ばれた。
 見やった先には沖田の爽やかな笑顔がある。嫌な予感に土方の顔がひきつった。笑顔でドS全開な空気を漂わせている沖田など、厄介なものでしかない。
「例のふざけたファンフォーラムがアンタの仕業だってェ聞いたんですが、どーいうことですかい土方コノヤロー。なんで俺が小娘に負けなきゃならねーんでい」
「やっぱり私に負けたのが悔しいアルな」
 沖田の不満を、神楽が馬鹿にしたように笑う。途端、睨み合い、不穏な空気を放つ沖田と神楽に、土方は頭を抱えたくなった。この様子では、いちから説明したところで納得などしないだろう。
 土方がため息を落とすと、まあまあ、と銀時の暢気な声が割って入った。
「いいじゃねーか。案外使えるってこたァわかっただろ、結果オーライでいいじゃねーか」
 銀時のその言葉に、そういえば――と思い出す。
「あの場所を見つけるのに使ったとかなんとか言ってやがったが――」
 本当に使ったのか、と眉根を寄せて咎める。もう関わらない方がいい、と、例の閉鎖騒動のときに決めたはずだ。だが銀時は、ああ、とあっさり認めた。
「昨日のうちにちょーっとエサ落としてな、情報入れてもらった」
「エサ?」
「大きな船も隠して置けるようなトコロで俺とお前が逢引きしてる、って」
「はァァァア!?」
「いやー、食いつきよかったよー、皆さん。こぞって探してくれたもん」
 そっから絞るのァ大変だったけどな、と飄々と続ける銀時に、殺意が湧いた。その手のネタを面白がる連中がいることは承知しているが、散々浪士たちから嘲弄するようなことを言われたあとだけに、溜め込んでいた憤慨が一気に爆ぜる。
「もっとマシなエサァなかったのかァァァ!」
「なんだよ、結果良けりゃあ全部まるっといいじゃん」
「いいワケあるかァ! てめーが流したくだらねー噂のせいで、どんだけムカつく目に遭ったと思ってやがる!」
 なにがベタ惚れだふざけんな、といつぞやと同じことを罵れば、なんだよ八つ当たりじゃねーかよ、と銀時は眉根を寄せた。その表情にすら怒りが増幅される。
「八つ当たりじゃねェ、本当たりだ!」
「なにそれ! 本当たりとか聞ーたことねーんだけど! ってかやっぱ当たってんじゃねーか! むしろ当たり屋みてーな言い掛かりつけてんじゃねーか!」
「てめーが原因だって言ってんだよ!」
 本格的に銀時と土方の諍いが始まると、それに触発されるように沖田と神楽の方にも動きが起きた。ガシャン、と物が破壊された音で、ふたりが開戦したことを知る。


 結局、また始まったよ、とその光景を笑顔で見守っていた近藤から「もうやめてェェェェ! 屯所壊れるゥゥゥ!!」と泣きが入るまで、ふた組の争いは続いた。





 しんと静まり返った空気を壊さないよう、土方はひっそりと寝返りを打った。
 肉体的にも精神的にも疲弊しているというのに、何故か眠れないでいた。かれこれ一時間以上、布団の中で睡魔の訪れを待っていたが、一向に現れる気配もない。
 何度目かの寝返りののち、土方は諦めて布団から出た。煙草を銜え、ふと思い立って静かに障子を開ける。
 廊下へ出ると、縁に腰をおろした。
 夜気を心地良く思いながら見上げた空には、白く細い月が見えた。ようやく東の空から姿を現したところだろう。
 昼の空で頼りなげに見えていたが、こうして闇夜に浮かんでいても、その痩せ細った姿はどこか心細かった。まるで夜の闇に残された小さな引っ掻き傷のようにも見える。
 知らしめたかったのだ――不意に、捕らえた浪士のひとりがこぼした言葉が蘇った。
 どんなに自分たちが世界を恨んでいるか、幕府を憎んでいるか。死ぬ前に知らしめてやりたかったのだ、と。
 結局、時代に取り残された男は、厭世の果てに死を選んだ。知らしめるどころか、何も成せずに。
 男がしたことといえば、この月のように土方にわずかな引っ掻き傷を残したくらいだ。そして、月がじき新月を迎えるように、その傷も消えていくのだろう。それを思うと、馬鹿だな、と憐れみに似た感情が生まれる。
 可哀相に、などとは欠片も思わない。だがそれでも、怨嗟の奥底でわずかな望みを抱いていただろう男が切腹でもない死に様を選んだ、その絶望の深さが、土方に小さな傷を拵えた。
 やるせないような遣り切れなさにため息をついたとき、すうと静かに障子が開かれる音が聞こえた。密やかな足音とともに、苦笑まじりの声が届く。
「月見にゃあまだ大分早ェだろ」
 言いながら、銀時が土方の隣に腰をおろす。土方は現れた男を呆れ半分、驚き半分で見やった。
「――まだ起きてたのか」
「おめーこそ。こんな日にゃさっさと寝りゃあいいだろうに、なにやってんだ」
「そっくり返すわ」
 きっと尾海屋の件からこっち、ろくに寝れていないだろうに、と咎めるように軽く睨むが、銀時は意に介した様子もなく空を見上げている。その表情もまとう空気も静やかで、土方は眉をひそめた。普段から何を考えているのか読めない男だが、こんな気配だとなおさら掴みようがなくて、扱いに困る。
 軽く息をつきながら煙草を揉み消すと、土方の肩に銀時の頭が降りてきた。すり、と頭を寄せる甘えたような仕草に、甲板の上でもそうだったな、と思い出す。
「――悪りィ、5分、俺にくんね?」
「……勝手にしろ」
 ぽつりと落とされた静かな声をわずかに訝しく思いながらも返すと、銀時の腕がするりと動いた。板の上に押し倒され、ぎゅう、と抱きしめられる。
 また例の悪癖が出たかと思ったが、銀時はただ土方をきつく抱きしめるだけで、身じろぎひとつしない。そこには、どうしたと声をかけるのも憚られるほど、どこか必死な気配が漂っている。
 何かを言う代わりに、宥めるように背中をさすると、ようやく銀時が口を開いた。
 おめーが、と引き絞るように落とされた声は、わずかに震えている。
「早まった真似してなくて良かった……」
 言い、銀時は深く息をついた。そこには紛れもなく安堵の色が滲んでいる。
 同時にそれは、今までの銀時の憂慮を知らしめるものだった。だから今、こうして抱きしめる腕で土方の存在を確かめているのだろう――そう思い至ると、胸が締めつけられた。
 戯れのように口づけられるよりも、向けられる感情が伝わってくる。その想いを受け止めながら、土方はつい、と視線を空に向けた。
 細い、傷跡のような月を見上げ、昼の姿に「白夜叉」を重ねたことを想起し、きっと――と思う。
 きっと、「白夜叉」が過去に葬られることなどないのだろう。そして、その過去からこの男が解放されることも。これからも背負ったまま、見えない傷を負うのだろう、きっと――。
 土方は泣きたくなるような憂思を押し隠し、銀時の広い背中を抱き返した。

 厄介な過去に取り憑かれたままの男が哀れで――愛おしく思った。

(10/11/21)