桜ひらひら 01

志村新八
 屯所の外廊下を歩く新八の足許に、白く小さな一片がはらりと舞い降りる。なんだろう、としゃがみこんだ新八はその正体に気づくと小さく口許をほころばせた。
 そっと摘みあげたそれは、風によって運ばれてきたのだろう、桜の花びらだった。ふと庭を見れば、そこかしこに白い花弁が点在している。
 それは桜の絨毯――と呼ぶにはあまりにもささやかな光景だが、その白のひとひらで思い出された出来事に、新八は小さく笑った。
 先日、真選組の花見が盛大に行われた。
 今では結構な大所帯となった真選組だが、最小限の人数を残してほぼ全員で繰り出した。
 見事な枝ぶりの大木の下にござを敷き、真っ昼間から酒を酌み交わすその宴は、のちに数件の苦情が来たほど騒がしいものとなった。真選組の中で宴会が開かれることは珍しくないが、やはり外で――しかも桜を愛でながらというのは、酒を飲めない新八ですら心が弾み、楽しかったと、思い返しても笑みが浮かぶ。
 指先のひとひらを庭に落とすと、新八は再び屯所の奥へと足を進めた。昼時を過ぎた屯所内は大勢の気配が満ちているが、この辺りになると隊士たちの喧騒もわずかに遠く感じられる。
 それもそのはずで、この先にあるのは幾つかの空き部屋と局長、そして副長ふたりの自室だけだ。隊士たちがここいらまで立ち入ることは滅多にない。
 新八は直属の上司であり副長である銀時の部屋へとおもむくことが多いため、この辺りまで良く足を運ぶのだが、それでもどこか緊張したりする。とくに、もうひとりの副長である土方の自室前を通るときなどは息を殺すほどだ。
 その土方の自室に差しかかり、無意識のうちに口許を引き締めたとき、近藤の部屋にでも行っていたのか、土方が前方から歩いてきたのが見えた。
 視界に入った黒い姿に、新八は緊張から一瞬息を呑み――次いで内心首をかしげた。
 本日土方は非番のはずだ。だが、休みであるはずの土方が着ているのは制服だった。今日もまた、休み返上で働いていたのだろうか。そうだとすれば、近藤が働きすぎだと心配していることだろう――そんなことを考えていると、不意に目線をあげた土方が新八に気づいた。その双眸が、すう、と細められる。
「――志村」
 自分を呼ぶ低い声に、新八はびくりと身を竦ませた。ハイッ、と裏返った声で返事をすれば、酷く冷ややかな声を投げかけられる。
「てめーんトコのあのバカはどこ行きやがった」
 その土方の声からは、完全には押し殺しきれなかった怒気が滲み出ている。
 ああ、やっぱり怒ってる――新八は引きつった笑みを頬に貼りつけたまま、口を開いた。
「すみません、僕も用があって探してるんですが――」
 知らないのだ、と眉をさげて答えると、土方は憤りを堪えるかのように重々しくため息をついた。
 土方が銀時に対する怒りを新八にぶつけるような真似はしないとわかっている。だが、その吐息ひとつでも震えあがりそうになり、新八はすみません、と頭をさげた。
 てめーんトコのあのバカ、こと新八の直属の上司である銀時は、今日は内勤で書類を片づける予定となっている。否、片づけなければならないのだが――その銀時は現在絶賛行方不明中だ。もちろん、書類などほったらかしである。
 昼前から姿の見えない銀時に、土方の堪忍袋もついに緒が切れたのだろう――当然だが。
 土方は煙草を咥えると、ちらりと腹を探るような目を新八に向けた。
「……夕方までに提出しなきゃならねェ書類について、あのバカからなにか聞いてねェか?」
「いえ、なにも……」
 申し訳なさを前面に押し出しながら答えると、土方はそうか、と煙草をきつく噛み締めた。
 その苦虫を噛み潰したような表情に新八は内心で詫びを入れ、
「あの、あとで好きなだけあの人殴っていいんで」
 ホントすみません、と再び頭をさげる。
 ――いつもどーりオドオドしてりゃあ、おめーをボコったりしねェよ、アイツは。
 そんな言葉で新八を巻き込んだ男に全ての責任を押しつけると、土方は小さく笑った。
「――四分の三殺しで勘弁してやらァ」
 怒りが納まった訳ではなく、神妙な様子の新八を気遣ったのだろう、土方が苦笑まじりにそんなことを言う。その姿に、なんだかんだいって優しいよな、と新八はぼんやり思った。
 常から土方と対するのはどうにも緊張してしまう。見た目が整っているだけに、不機嫌全開な土方は背筋が凍りつくほど恐ろしいし、「鬼の副長」のふたつ名は伊達ではないのだと思い知らされる場面も、何度も見てきた。
 だが、その実とても優しい、気遣いの人だということを、知っている。
 先日の花見のときもそうだった、と新八が思い返していると、土方はおもむろに携帯電話を取り出した。どこへ掛けるのか――まあ間違いなく銀時だろうが――ボタンを操作する。わずかの間ののち、チャララー、という機械音が聞こえてきたのは存外近くからだった。土方の眉がぴくりとあがる。思わず新八は首を竦めた。
 その軽快なメロディには覚えがある。それは、新八が銀時に言われて設定した、彼の携帯電話の土方専用着信音だ。
 ゆらりと全身から怒りの気配を漂わせながら、土方は音の方へと首をめぐらせた。その視線は彼の背後――土方の自室へと向けられる。土方がことのほか静かに部屋の障子を開けたのが、いっそ恐ろしかった。
 新八はそろりと土方の背中越しに室内を覗き込んだ。部屋の隅に小刻みに震える小さな機械が見える。それは間違いなく銀時の携帯電話だった。
 だが何故銀時の携帯電話が土方の部屋に――と訝しく思っていると、その疑問を掻き消すような、おどろおどろしい声が落とされた。
「……ンのバカは……」
 目の前の背中が怒りでだろう震えている。新八は反射的に一歩後退った。
「携帯は携帯しろって、なんべん言やァわかるんだボケェェェ!!」
 叫ぶなり、土方が自分の携帯電話を叩きつけようとするかのように振りかぶる。慌てて新八は「ダメですってェェェ!」とその手を両腕で押さえた。







山崎退
 申し訳ございません、と頭をさげる女中に「あーじゃあいいです大丈夫です」と笑顔を向け、山崎は店をあとにした。
 監察として身についた目立たない動作でその場を離れると、通りの人ごみのなかにするりと入り込む。制服姿ではない山崎は、そうして紛れてしまえば常以上に目立たなくなることを、身をもって知っていた。
 しばらく歩いた先、ありふれた店構えの甘味処が目に入る。さり気なく店の名を確認すると、山崎はそののれんをくぐった。
 いらっしゃい、と声を掛けてきたのは、人のよさそうな親父だった。山崎を見るなり「すみませんが、今日は予約が入ってましてねェ。二階の座敷になりますが、いいですかい?」と言う。申し訳なさそうな素振りだったが、その顔はわかっているのだと告げていた。
 構いませんよ、と訳知り顔の親父に小さく会釈をし、山崎は店の奥に備えつけられている細い階段を登る。
 二階へとあがると、廊下に面して並んだ襖と、最奥に少々趣の異なる開き戸が見えた。気にかかってそっと戸を開けて窺うとそこはもう外で、路地裏に面した外壁に外階段が備えつけられている。これを使えば店内を通ることなく出入りできる上に、その路地から人目につくことなく目的地へと移動できるだろう――そのことを脳内で確認し、山崎は舌を巻いた。
 この店を指定した人物が只者でないことは知っていたつもりだったが、昨日の今日でこんな場所を押さえたり――店の親父と知り合いらしい――とその手腕の片鱗を見せられると、ただただ感嘆するしかない。
 山崎はひっそりとため息を落とすと「――山崎です」静かに襖を開けた。おけーりー、と気の抜けた声がかけられ、山崎は声の主へと視線を向ける。
「で、どーだった?」
 寝転がったまま山崎にそう訊ねたのは、この店を指定した只者でない人物――真選組副長である銀時だ。
「首魁以下、総勢三十七名全員揃っていました」
 答えながら山崎は銀時の傍に腰をおろし、室内を見回す。座敷は結構な広さがあったが、男ばかりが十数人も集まっていると、どうにも狭苦しく感じられた。
 この座敷に集まっているのは、銀時と一番隊の面々だ。それまで好き勝手に寝転がったりだらだらしていたのだろうが、山崎が座ると自然、全員が集まり輪となった。
 山崎は懐から折りたたまれた紙片を取り出すと、銀時の前に広げた。それは、先ほどまで探りを入れていた旅籠台黒屋の見取り図だ。
「出入り口は表と裏の通用口の二箇所です」
 山崎が一角を指し示すと、全員が図面を覗き込んだ。ふうん、と顎をさする銀時を見やる。
「店は通常通り営業中みたいですが、他に泊まり客はいませんでした。どうも宿泊を断ってるようです」
 実際、つい先ほど山崎は宿泊客を装い店を訪れたのだが、予約で埋まっていると断られたばかりだ。
 へェ、とアイマスクをずりあげた沖田が小馬鹿にしたような声を出す。
「旅籠一軒貸し切りたァ、豪勢なこって」
 呆れたように言う沖田に、まったくねェ、と銀時が同意する。
「羨ましいねェ、そんな太っ腹なパトロンがついてるなんてなァ」
 気のなさそうな声で銀時が言う。というかパトロンの店ですしね、と山崎もどこか呆れながら返した。


 先月から、名のある星の大使館が爆破されるという事件が連続して発生した。
 その犯行が勉転党と名乗る組織によるものと判明したのが今月の頭で、山崎はそれから勉転党の潜伏先を探っていた。
 旅籠台黒屋が不逞浪士を匿っているらしい、という情報が入ったのが同じころ。調べを入れてみたところ、まさしくその匿っている不逞浪士たちこそが勉転党だった。
 台黒屋の主と勉転党との繋がり――主と首魁が同郷の出で昔馴染みだった――を調べあげるのに数日を要し、金銭の流れなどの裏づけを揃えたところで本日の捕り物と相成ったのだ。


「うーし、そんじゃあまァちょっくらお仕事しますかね」
 気負うでもなく伸びをひとつすると、銀時はするりと立ちあがった。
「一番隊は表から突入。好きに暴れていいぞー」
 腰に刀を差しながら指示を出す銀時を見上げ、山崎は慌てて付け加えた。
「あ、従業員は全員関係ないんで、巻き込まんでくださいね。怪我させたりしたら補償金やらなんやらで、のちのち副長の仕事が増えますんで」
「あー、んじゃソレだけ気ィつけて、あとは店壊そうがどーしようが好きにやれー。今から移動して突入しまーす。十分以内に片ァつけるぞー」
 銀時の暢気な号令に、沖田たちもうぃーっす、などという気の抜けた声で応じる。どうにも緊張感がない。
 銀時たちは、やはり山崎が予想したように奥の戸から外階段を使って路地におりた。人目につかないよう移動しだした集団の一番後ろを追いながら、山崎は先を行く背中に奇妙な感慨を覚える。
 先頭を行く銀時と沖田は、真選組隊内で剣の腕においては双璧だ。だが、面倒臭がり、という面でもまたツートップなのである。
 そのふたりが自ら進んで捕り物に臨む、という光景は一種異様で信じがたいものがあった。
 むしろ銀時が勉転党の件で先頭に立っていること自体がおかしいのか――昨夜から急転した事態が山崎にはまだどこか絵空事のように思えて仕方ない。
 本来なら、この件で指揮を執るべきは土方だ。勉転党についての捜査は土方の指示により山崎が行っていたのだし、山崎が土方直属の監察として彼の命で動いている以上、それが当たり前のことなのだ。
 勉転党潜伏の情報も、昨夜のうちに土方へ伝えるはずだった――本当ならば。だがそれは、銀時によって寸前で阻止されてしまった。
 昨夜、土方のもとへ報告にあがろうと向かっていた山崎を捕らえ、無理矢理情報を吐かせた男は、
 ――ソレ、俺がやるから。
 だから土方には内緒な、とそう言った。
 そして一夜明けた今日、沖田率いる一番を伴い、本当にこうして捕り物に向かっている。
「そんじゃあ三分後に突入なー」
 その銀時は、まるでコンビニにでも行くかのような口調で言うと、ひとり台黒屋の裏口へと回った。指揮官がそんな調子だからか、返す声も「へーい」などという気安さだ。
 これが真選組の精鋭だ――戦力的には頼もしいほどに――とわかっていても、捕り物の直前にしてはあまりにも太平楽すぎる光景に、山崎は深いため息を落とした。
 早まったか――と、昨夜の判断を少しばかり自省していると、なんでィ、と沖田の含み笑いが投げかけられる。
「土方の野郎を裏切ったの、今さら後悔してやがんのか」
「裏切ったつもりはありませんよ」
 ニヤニヤとドSな笑みを浮かべる沖田にしれっと返す。そーかい、と鼻で笑った沖田は、
「精々あとでボコられやがれ」
 そんな恐ろしい呪いじみた言葉を残し、「行くぜィ」と一番隊を率いて店内へと突入して行った。
 御用改めの名乗りをあげて、集団が乗り込んで行く。それを見送りながら、山崎は沖田の言葉に顔をしかめた。
 基本的に山崎は土方の命には絶対だ。土方を裏切るような――彼の信頼を損ねるような真似だけはできないし、する気もない。
 だから今回の件も、行い自体は背信行為と取られても仕方ないとは思うものの、土方を裏切ったつもりは微塵もなかった。
 今回、銀時に唆されるまま彼にこの件をゆだねたのは、その本意を知ってしまったからだ。あんなことを言われては、土方大事の山崎に否やを唱えられるはずもない。

 まったくアンタらは――と、複雑な思いが胸中を占めるが、結局のところそれが不愉快ではなく嬉しいのだから自分も大概だ、と山崎は苦笑するしかなかった。

(11/04/15)