山崎退――承前
入隊当初の銀時を土方がどれほど警戒していたか――きっと、当の本人たちを除いていちばん良く知っているのは、山崎だろう。土方から命をくだされ、銀時を探っていたのは山崎なのだ。
土方が猜疑の目を向けていたのは、銀時の過去だった。その銀時の過去に攘夷志士という可能性が出てくると、土方の態度はますます硬化した。
土方が恐れていたのは、銀時が倒幕を企てる不逞浪士たちと繋がっているのではないか、という点だ。
あのころは真選組の発足から半年が経ち、世間にその名を轟かせ始めたときだった。それは同時に、真選組の台頭を疎ましく思う輩が現れだしたころでもある。
不逞浪士たちの敵として矢面に立っただけでなく、幕府の一部の者たちからも失脚の機を虎視眈々と狙われていたのだ。そんなときに内部に不安要素を抱えるなど、下手をすれば組織が解体させられるはめになりかねない。だから土方は常以上に神経を張り巡らせていた。
局長である近藤がおおらかすぎるゆえ、真選組を護るためにその手の警戒や配慮を土方が負うことになるのは、今も当時も変わらない。おまけに土方自身もそれを自負し、己に課しているものだから、銀時への監視の目は冷酷なまでに鋭く厳しかった。
土方が大将として仰いでいる近藤にどれだけ傾倒しているか、彼と立ちあげた真選組をどれだけ大切に思っているか――それがわかるだけに、土方の過剰なまでの警戒は仕方ないのだと、山崎は今でも思う。
だからあの当時、土方と銀時のあいだに流れていたのが息苦しいまでの緊張感だったのも、仕方ないだろう。
そんな張りつめた糸のような空気が緩和しだしたのは、銀時の入隊から半月ばかり経ったころだったか――と思い返し、山崎は目を丸くした。
余りにもギスギスとした居た堪れないほどの空気に、豪く時間を長く感じていたのだが、今思えばそんな短い期間だったのか、となんだか呆気に取られる思いだ。
それは、ひとつの大きな捕り物がきっかけだった。
それまではお互いに敵意やら殺意やらを押し殺した冷ややかな態度を取っていたのだが、その事件を契機に声を荒げ、感情をあらわにして言い合うふたりが見られるようになった。
ときには馬鹿馬鹿しい理由で罵り合ったり張り合ったりする姿も、他の者からすれば充分恐ろしいものがあっただろう。だがそれでも、当初の一触即発で殺伐とした気配に比べれば、そんな光景の方が安心して被害に怯えていられただけマシだと思えた。
ふたりとも変わった――そう思ったのを覚えている。
銀時は当初から上手く隊内に溶け込んでいたが、それでもどこか――彼もまた――警戒心を解いてはいないように見えていた。その銀時から暢気な空気を感じるようになり、土方からは冷えた鋭い刃のような気配が掻き消えていたのだ。
だが、ふたりの険悪な空気がやわらいでいくにつれ、土方が悩み苦しんでいたのも知っている。
恐らく土方自身は銀時を認め、彼の存在を受け入れていたのだろう。けれど、土方の立場が銀時の全てを信じ、受け入れることを許さなかった。
土方の命により、山崎が銀時の調査を継続していたのがその証拠だ。だが、そのころにはもう銀時が内通者だとは思えず、山崎も途方に暮れる思いだった。
土方が未だ警戒するのは、その立場上仕方のないことだと理解している。理解しているからこそ、土方が銀時に対して好感を覚え、それでも疑ってかからなければならないでいるその姿に、山崎は心が痛んで仕方なかった。
いっそ、銀時の過去に連なる情報を抹消して回りたい――そんな、できもしないことを夢想してしまうほどに、山崎もまた、苦しかった。
そんなある日のことだ。
「なんか面白ェもんでも出た?」
内密に調査を進めていた山崎は背後から突然声をかけられ、肝を冷やした。飛び上がりそうになるのをなんとか堪えて振り返ると、そこに居たのは銀時だった。
「……旦那……」
気配すら感じさせなかった相手に、驚かさんでください、とこぼす。冷や汗を流しながら見やった先、銀時が浮かべる皮肉っぽい笑みに滲むものを感じ、この人もか――と唐突に山崎は悟った。
銀時もまた――懊悩している。
銀時が土方を憎からず思っているのは感じていた。けれどその過去ゆえに開き直ることも、向けられる不信を不満にすげ替えることもできず、土方の苦悩に銀時も苦しんでいるのだろう。
彼が「白夜叉」と呼ばれた存在なのだろうと、土方も山崎も心の内では確信していた。ただ、証拠がない、という一点のみで目を背けていたにすぎない。
もし証拠が出てきてしまったら――山崎はそれを一番恐れていた。
「……旦那、俺は、なんも出なけりゃいいと思ってます」
出てしまったら――情報を掴んでしまったら、山崎は土方に隠しておくことなどできない。土方を裏切れない、という思いと、彼から向けられている信頼を失いたくないという、利己的な理由のために。
けれど、掴んだ情報により土方がさらに苦しむのは目に見えていた。悩み、苦しんだ末に辛い決断をくだすだろうことも、容易に想像できる。土方にそんな思いをさせたくはないし、そんな姿を見たくはなかった。
だから、と山崎は銀時の目を真っ直ぐに見つめた。
「ボロが出るような下手、打たんでください」
山崎が本心から告げると、銀時は一瞬きょとと目を丸くし、次いでおお、と苦笑を浮かべた。
「気ィつけるとするわ」
その銀時と土方がその後どんな関係となったか、など、ふたりを見ていれば容易に知れた。
土方を人質に取られたとき、銀時がどんな顔をして、常にない必死さで奔走していたか。
銀時の過去に関して、土方がどれだけ苦しみ、彼らしくない権謀術数をめぐらせていたか。
いつだって、そのすぐ傍らで見てきたのだ。
「終ー了ー」
唐突に届いた暢気な声に、山崎はハッと我に返った。
顔をあげれば、返り血ひとつ浴びていない銀時を先頭に、浪士を取り押さえた一番隊の面々が店内から現れたところだった。
「銀さん今からお休みなので、こっから先は沖田君に指揮権あげちゃうー」
「丁重にお返ししてェところですが、しょーがねェんで預かりまさァ」
「そんじゃあ、あとは手はず通り頼むわ」
軽口を交わすように沖田に指揮権をゆだねると、銀時はスカーフをほどきながら、じゃーなー、と山崎たちに背を向けた。
その背中に「昼間ッからイチャイチャすんのは勘弁してくだせェよ」と沖田が声をかける。銀時は振り返ることなくひらりと手を振った。
手はず通り――銀時のその言葉に次いでやるべきことを頭に浮かべる。山崎は携帯電話を取り出し――ふと見たディスプレイに表示された時刻に軽く目を瞠った。
呻きながら転がっている浪士たちを見やり、この人数相手に本当に十分以内で終わらせたのか、と呆れるやら空恐ろしいやらで、いっそ笑える心持ちだ。
呼びつけた車両の中へ一番隊が浪士たちを押し込んでいるのを横目に見ながら、山崎は直属の上司へと電話を掛けた。数コールで通話に出た相手は、その声音からもご立腹なのが窺える。
「今、外に出られますか? 勉転党の潜伏先を突きとめたんですが――」
声をひそめ、山崎はしゃあしゃあと台本通りの言葉を口にした。この程度の小芝居には慣れている。視界の隅で沖田が肩を震わせて笑っているのが見えたが、それは無視した。
志村新八
山崎からの電話を受けると、土方は黒の長着に着替え、出かけていった。
その姿を見送り、新八はホッと胸を撫でおろした。悪意はないとはいえ、人を騙すのはどうにも気が引けて仕方がない。
失礼します、と誰もいない室内へと声をかけ、足を踏み入れる。先ほど覗き見たときに目に入ったものを確認したかった。机に置かれた書類を手に取ると、やはりそれは新八が上司から頼まれていたもので、確認してみてよかった、と安堵の息をつく。このまま銀時の部屋へと向かっていたら、探すのに余計な時間を食っていただろう。
新八は主が居ないのをいいことに――おまけに帰りは遅くなるか明日になると確信している――土方の机を借りることにした。
銀時から渡されていたメモをもとに、手にした書類を作成する。それは、土方が「夕方までに提出しなければならない」といっていたものだ。土方には何も聞いていない、と言ったが、実際は銀時から仕上げて提出しておくよう言付かっていた。
その銀時は、無事ひと仕事を終えたのだろう。山崎からの連絡が入ったということは、首尾よくことが進んだということだ。
銀時が自分で書類を仕上げられなかった――その時間を惜しんで昨日から画策していたのは、ひとえに先日の花見の席に現れなかったこの部屋の主のためだ。だからこそ、あの山崎が真っ先に土方へ告げなければならない情報を渡して協力したのだし、新八も沖田も手を貸したのだ。――もっとも、沖田の提案でなにやら規模が大きくなってしまったが。
猛スピードで書類を書き連ねて完成させれば、あとは近藤に押印してもらい、夕方までに警察庁へ届ければよいだけとなる。
やれやれ、とため息をついてふと外を見れば、ひらりひらりと小さな花びらが舞っていた。きっと今日明日が満開のピークだろう――そう思うと、間に合ってよかった、と自然笑みがこぼれる。
新八はさて、と立ち上がると、局長印をもらうため土方の部屋をあとにした。
土方十四郎
山崎からの連絡は、以前から探らせていた勉転党の潜伏先を突きとめたというものだった。
突きとめたのだが、ちょっと確認して欲しいことがあるから出てきてほしい――そう言われ、土方は山崎が指定してきた落ち合い場所へと向かった。
公園の東側、木々が群立つ一角――などという曖昧なものだったが、仕方がないと土方は諦観している。張り込みでもない任務中の監察と直接会って連絡を取るにあたり、落ち合う場を厳密に決めては支障が出ることがあるのだ。
昼間から賑やかな声が辺りに響いているなか、不自然にならないようゆっくりと足を進める。なにげない素振りを装いながら周囲に視線をめぐらせ――見えた姿に土方は思考も足も固まってしまった。土方に気づいた男がへらりと笑う。
「遅ェよ」
そう言い、楽しそうにコップ酒を揺らしているのは、あとで四分の三殺し、とひっそり心に決めていた男――銀時だった。
「なんでてめェがここに――」
何故銀時がここにいるのか、と目をしばたたかせ――土方は全てを悟った。ぐっと拳を握り締め、山崎あとでぶっ飛ばす、と不穏な誓いを立てる。
怒りを抑えながら見下ろすと、木の根元に座っている銀時は休みの日によく見かける和洋折衷のけったいな格好をしていた。ひくりと土方の頬が引きつる。
「てめェ、しご――」
「あ、俺今日は午後から半休だし、書類ならぱっつぁんが仕上げて提出してくれっから心配ねェよ? 勉転党の連中はさっき全員とっ捕まえて沖田君が連行してるところだし、報告書は明日中に仕上げりゃいいだろ?」
「……どこまで巻き込んでやがんだ、てめェ……」
さらりと新八や沖田の名前を出されて土方は顔をしかめたが、銀時は意に介した様子もない。まあいいから座れって、と飄々と促されて、土方は渋々隣に腰をおろした。
「総悟まで使うたァな。アイツは高くつくぜ」
土方が苦々しくこぼしても、銀時はくつりと喉の奥で笑っただけだった。
「そこはまァ、あの子も結構いい子だよね、ってことで」
訳のわからないことを言い、銀時がコップを差し出す。首をかしげながら受け取ると、なみなみと酒を注がれた。既にできあがっているのか「かんぱーい」などと陽気な調子で銀時が自分のコップをぶつける。
半ば自棄気味にひと口呷り、土方は深いため息をこぼした。
「――で? 昼間っから酒飲むために、勝手に半休にしやがったのか?」
じとりと横目で睨むと、銀時はがくりと肩を落とした。
「っとに仕事バカはこれだから……」
ため息まじりにそう言うと、銀時は上うえ、と指で頭上を示す。
なに、と訝しみながら上を見上げ――土方は瞠目した。
はらりはらりと舞う白く小さな花弁のその向こうに、桜の花が今を盛りと咲き誇っている。その花の存在に気づいた途端、サアと視界が開けたかのように一面の花景色が眼に飛び込んできた。
「――あ」
今さらのように知覚した周囲の光景に、息を呑む。満開の桜が晴れ渡った青空との対比でいっそう白く艶やかに見えた。
こんなにも、春に溢れていたのか――土方が呆然と頭上を覆い隠すかのような、満開の白を見つめていると、間に合ってよかったわ、とどこかホッとしたように銀時が笑った。
「この前の花見んときは、おめーは屯所に残って来なかったし、去年は去年で喧嘩した覚えしかねェしよ」
と土方のコップに酒を注ぎ足す。その言葉に、そうか、と土方は銀時を見やった。
銀時が山崎たちを巻き込んで土方をここへ来させたのは、この光景を一緒に見たかったからなのか――思い至り、土方はわずかに顔をほころばせた。
「――そういやァ去年は飲み比べして潰れたんだったか」
「おめーがな」
「いや、先に潰れたのはてめーだろ」
「いやいや土方君、記憶を改ざんしちゃァいけねーよ」
笑みを滲ませた穏やかな声で言い合いながら、酒を酌み交わす。ふと辺りを見ると、まだ昼間だというのに酒を喫している花見客は思いのほか多かった。
先ほどからずっと賑やかな声がしていたが、あれも花見の酔客だったのか、と思っていると、
「あー、副長もいらしたんですねー!」
背後の賑やかな集団から突然声をかけられた。
振り返ると、私服姿の隊士たちがいい感じに酔っ払って「あー土方副長ー」「お疲れさまっすー」などと陽気に笑っている。
その顔ぶれを見回し――気づいて土方は隣の銀髪をバッと見やった。銀時はただ笑っている。
背後の陽気な酔っ払い集団は、先日の花見に参加できなかった隊の面々だった。自分から辞退して屯所に残った土方と違い、シフトの関係で参加できなかった連中だ。だからこそ別日にその機会を与えようと思っていただけに、お前が?、と目を丸くして銀時を見つめる。
土方の視線に銀時は、いやさァ、と髪を掻き回した。
「お前とお花見デートするっつったら沖田君がさー、昼間からふたりでしっぽりなんてさせてやるワケねェだろう、って。コイツら押しつけられた」
くい、と親指で後ろの集団を示しながら、銀時が苦笑する。
「――ま、おかげでゴリの奴からあっさり休みもぎ取れたんだけどな」
――あの子も結構いい子だよね、ってことで。
先ほどの言葉を思い返し、土方は意味を解した。
「……コイツら花見に連れ出すのが条件か……」
あの総悟がな、と親心にも似た感慨を噛み締めていると、あのなァ、と隣から苦々しげな声が届いた。
「言っとくけど、それだけじゃねーからな。あのドS王子、全員分の花見団子だ酒だって、しっかりふんだくってったからな! おまけにコイツらのことだって、アッサリ俺らをふたりっきりにさせるのが面白くねェから、ってのもあるからな、アイツ!」
いい子だって思わなきゃやってらんねーっつの、と苦虫を噛み潰したような顔で銀時がぶちぶちとこぼす。ああ、アイツならそれくらいやるな、と土方はアッサリ納得した。むしろそれくらいやらない訳がないよな、と感慨を抱いた自分を早まるな、と諌めたいくらいだ。
「ま、コイツらは早々に帰すからいいけどな」
まァ食え、と団子を差し出しながら銀時が言う。後ろの集団を窺えば、既に全員乱酔状態で、この調子ならそろそろ潰れるだろう。土方は呆れまじりの息を落とし――ん?、と眉をひそめた。
「コイツらは?」
頭の中に浮かんだのは、残してきた書類の山だった。土方の咎めるような気配を察したのだろう、銀時が呆れたような目をよこす。
「俺は半休だし、おめーはもともと休みなんだ、なんも問題ねェだろ? たまにゃあきっちり休め、この仕事バカ」
「てめェがサボりまくってっからこっちに皺寄せが来んだよ」
「そのまんまゴリラの方に皺寄せとけ」
「あの人に任せてたら余計滞るわ」
言い合いながら、土方は書類の提出期限を思い起こした。一番の懸念だったものは、銀時が言うには心配ないのだろう。残りの期限を素早く逆算し、土方は隣の銀髪を睨んだ。
「……てめー、当分休んでる暇なんかねェと思えよ」
「ま、しゃーねェか」
言外にお前もやれ、と告げると、銀時はやってやらァ、と笑った。
「だから明日の朝までは、俺もおめーも完全オフな。仕事の話は一切ナシな」
「……わかった」
朝まで、と強調する銀時から視線を逸らして不承不承を装ったのは、未だ気恥ずかしいからにすぎないのだが、そんなことは読まれているのだろう。目を向けなくても笑っているのが気配でわかり、土方はごまかすように酒を呷った。
サアと渡る風に小さな花弁がいくつも舞う。
ひらりひらりと散る桜を眺めながらわずかに体を寄せれば肩が触れた。銀時は楽しげに微笑んでいる。
その銀色の髪に、白く小さなひとひらがはらりと舞い降りた。