其ノ参「残月」 02
見廻りを終えて屯所に戻った土方は、その足で近藤の部屋へと向かった。
カラリと障子を開ければ、既に土方以外の面子は揃っている。近藤と銀時、そして副長ふたりの直属の監察である山崎と新八の四名だ。
その顔ぶれを見やり、土方はあいている座――銀時の隣へと足を運んだ。
集まった顔ぶれで行われるのは、ここひと月あまり日課ともなった、日毎の報告だった。
「すまない、遅くなった」
「気にすんな、俺も今帰ってきたばかりだ」
土方が座りながら言うと、上座の近藤がいいからいいから、と笑う。その言葉に土方は眉をひそめた。
「帰ってきたばかり、って。オイ、近藤さん。まだ出歩くのは――」
「なーに、もう傷は塞がってるんだ、大丈夫だって。心配性だなートシは」
からからと笑う近藤とは対照的に、土方の顔はしかめられていく。
何があったか忘れた訳でもあるまいに、大丈夫な訳があるか――ふた月前の事件を思い返し、土方はいっそ恨めしい思いで上司を見やった。
ふた月前、近藤が襲撃された。
松平に呼ばれ、近藤が警察庁に出向いたときのことだ。
用を終えた近藤が建物を出て車に乗るまでの、そのわずかな時間だったという。遠方から狙撃され、左肩を撃ち抜かれた。
四方手を尽くしたが、未だ狙撃犯を捕まえるに至っていない。
どこの組織の仕業かもわかっていないのは、近藤襲撃と前後して不逞浪士の密談や潜伏、襲撃のネタが山のように飛び交っているためでもある。
その数はデマと疑わしいものとを篩にかけるだけでもうんざりするほどのものだった。
その裏付けだけで監察は忙殺され、連日多忙を極める山崎と新八はげっそりとやつれてしまい、疲れきった表情を浮かべている。
「心配とか、そーいう問題じゃねーだろ」
「本人がいいって言ってんだから、ほっとけほっとけ」
近藤を諌める土方に、面白くなさそうな声を投げたのは銀時だった。じとりと土方が睨めつけるのも介さず、いいからさっさと始めよーぜ、などと続ける。
銀時の声に山崎がハイ、と姿勢を正すのを、この光景にも大分慣れたな――と土方は苛立ちながらも思った。
本来ならばこうした監察の報告は個々に行われる。土方が山崎から報告を受ける際、銀時たち、ましてや局長である近藤が立ち会うことはない。山崎の情報を吟味してから、近藤や銀時に土方が報告するのが通例である。
こうして雁首揃えるようになったのは、真偽が定かでない数多の情報が入り乱れてからのことだ。
その数が多すぎて、ときには土方や銀時が裏を取りに動かざるを得ない場面が出てきた。そんな状況に、のちの報告だのを考えたら最初から全員で行った方が早いだろう、と銀時が言い出し、まとめて行うことになったのだ。
えーまずは、と居住まいを正した山崎が手許の書面を繰る。
「尾海屋は白でした」
それは、明日、料亭尾海屋で攘夷浪士たちによる密談が行われるというネタだった。
土方は斜向かいの山崎をちらりと見やる。
「根拠は?」
「店が閉まってるんですよ。なんでも昨日からお店の主一家と使用人たち全員で伊勢参りに出掛けてるそうで、帰りは三日後になるとか。伊勢の宿にも裏を取りましたが、皆さん到着してるそうです」
言うと山崎は、これが尾海屋の従業員名簿と宿の情報です、と封筒を正面――銀時の前に置いた。へー、と銀時はそのままそれを土方の方へと滑らせる。
目ェくらい通せ、と呆れながら土方は封筒から紙の束を取り出した。すると土方の肩越しに覗き込んでくるのだから、訳がわからない。
書面には、店の主やその家族、従業員の氏名から生年月日、住所に至るまで書かれている。
従業員はおよそ三十名。
不審な点はないかと通覧する土方の視線が下部で止まった。
赤く引かれた斜線、それが引っかかる。
「――どうかしました?」
土方の様子に目聡く気づいた山崎が訊ねる。土方は書面を示した。
「コイツは?」
「――ああ、一週間ほど前に辞めたそうです。なんでも郷里のおっかさんが倒れたとかで」
気になりますか――土方の目を覗き込み訊ねる山崎は、優秀な監察の目をしていた。
* * *
口うるさいほどに近藤を諌めた土方が部屋を辞したのは、他の三人が退室してしばらく経ってからだった。
もっとも、土方が幾ら言ったところで頓着しない近藤には暖簾に腕押し状態だったが。
遣り切れない思いを通り越してひたすら疲れた土方は、そのまま自室へ向かおうとしたが、あと二間というところでカラリと開いた障子の中に腕を引かれた。
そのままとさりと畳の上に引き倒される。それでも大して背中が痛まないのは、土方を押し倒した男の腕が、畳につく直前やんわりと土方の体を引きあげたからだろう。
妙なところで気を遣うくらいなら最初からこんな真似をするな、と見上げれば、土方の腕を掴み中に引き込んだ部屋の主――銀時の顔が間近にある。
「――なにしやがんだ」
「なにさせてくれんの?」
睨みつける土方に、銀時はにんまりと笑って返す。
それは人を馬鹿にしたようないつもの笑みのようでいて、その実苛立ちを押し殺している――ように感じ、土方は顔をしかめた。
「なにもさせる気は――」
「あ、ダメだ、やっぱ聞きたくねーわ」
土方の言葉を遮ると、銀時は顔を寄せて唇を塞いできた。
自分で訊いておいて聞きたくないとは何事か――呆れながらも、土方は黙って目を伏せた。
――またか。
いい加減、怒って殴りかかるのも抵抗するのも馬鹿らしくなるような、単なる悪癖としか思えない行為に内心ため息をこぼす。
土方が何もさせてやる気などなくても、いつだって好き勝手にしているのは誰だというのか。
自分が抵抗をやめたことがさらに増長させているのだとわかっているが、茶化すような態度の銀時に腹を立てて斬りかかったところで、からかわれているのを実感するだけだ。そんな不愉快な思いをするくらいなら、唇を甘受していた方がましだった。
舌を絡め取られ甘噛みされて、ふるりと体が震える。
それでも、いつもなら特に何かを感じるようなことはなかったというのに、何故か今日に限ってぞくりと背筋を這い登る感覚を覚えた。それがなんなのか知りたくなくて、きつく目を閉じる。
いつもと同じ、ただの戯れだ――。
頬を押さえる手のひらがするりと肌を撫でただけでもその感覚が強くなったように思えて、土方は自分に言い聞かせるように心の中で繰り返す。
常と違うことといえば、銀時が憤りを抑えているのを感じるからか――そう思い至ったら不意に、心を乱す感覚を打ち消すほどの、むかつきが込みあげてきた。
銀時が何に腹を立てているのかは知らないが、それをぶつけられても土方の苛立ちが募るだけだ。ただでさえ、浪士どもにいいようにされている現状に憤り、それ以上に疲れているというのに、その上八つ当たりの槍玉になどされて面白い訳がない。
「――いい加減にしろ」
土方は力尽くで銀時を引き剥がして身を起こした。
んだよ、と銀時が面白くなさそうに顔をしかめる。その表情にふざけんな、と吐き捨てた。
「ムカついてんのがてめーだけだと思ってんじゃねーぞ」
「いや、俺のとおめーのとは、ぜってェ違うから、コレ。だっておめーのせいだし、コレ」
「あァ?なんで俺のせいなんだよ、意味わかんねーこと言ってんじゃねーぞ死ね」
「死ね言うな!なんだよ、急に八つ当たりかよ、イラチかよ。カルシウム足りてねーんじゃね?」
「八つ当たりしてんのはテメーだろうが!」
小馬鹿にしたような態度に怒鳴れば、銀時は怒りを煽るようにわざとらしくため息をついて肩を竦めた。
「あーやだやだ。なににムカついてんのか知らねーけど、人に当たるのやめてもらえませんー?」
「ふざけんな、そりゃこっちのセリフだ!浪士どもの動きもおめーのふざけた天パもサボってばっかの総悟も、全部ムカつくんだよ!」
「天パ関係ねーだろ!ふざけてねーし!」
がなり返した銀時が唐突に「あーそういや」と打って変わって気の抜けた声を出した。
「沖田が怪しがってたぜ、おめーの噂ばっかじゃねーか、つって。なーんかちょーっと拗ね気味っつーの?コレ、ホントのとこ知ったら、ぐれるんじゃね?アイツ」
「あ?いつ言ったんだよ、んなこと」
「今日」
少しばかり気勢を削がれながらも土方が訝ると、銀時はあっさり答えた。
今日、ということは――。
「あの野郎、ちょっと目ェ離した隙にいなくなりやがったと思ったらそっち行ってたのかよ!!」
途端、怒りが爆発した。
苛立ちを引き起こす全ての要因に、怨嗟の念が湧き起こる。どうどう、と銀時が宥めるように抱き込むが、あやすかのような気配にすら腹が立った。
やってられっか、と煙草を咥え、気持ちを鎮めようとする土方に、でもよォ、と銀時が眉根を寄せる。
「やっぱおかしいだろ、おめーに関することばっか流れてんのは」
「あァ?おめーのもふざけたヤツが流れてんじゃねーか。つーか否定して回れや」
なにがベタ惚れだふざけんな、と土方が睨むと、なんだよー、と銀時は口を尖らせた。
「いいじゃねーか、アレくらい。副長ふたりが恋人同士ー、ってヤツはそっこーで立ち消えたって言うんだからよーチクショー」
「信憑性がなさすぎんだよ」
「まさか山崎あたりに火消しさせたんじゃねーだろーなァ」
じとりと睨めつけてくる赤い瞳を無視し、素知らぬ顔で煙を吹き出す。
半分は正解だった。だが、山崎を動かすまでもなく自然消滅していったのも事実だ。
けれどそれを口にしたところで不毛な言い合いになるだけだろう。冷静さを取り戻した頭でそう思い、土方は矛先を逸らすことにした。
「それよりも、明日ちょっと付き合え」
「え、なになに、デートのお誘い?」
わざとらしいまでに顔を輝かせて、銀時が土方の顔を覗き込んでくる。
「ああ――たっぷり楽しもうじゃねェか」
懲りもせず唇を寄せてくるその顔にぺしりと封筒を押しつけ、薄っすらと笑う。
途端、やっぱそっちかよ、と銀時が半眼になって不満をあらわにしたが、土方はそれを無視した。
(10/11/10)
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