其ノ参「残月」 04
市中を駆ける沖田たちに近藤から「全員屯所に戻れ」と命が届いたのは、日付が変わる直前のことだった。
土方を連れて行った浪士たちの情報を得ることもできず、焦燥を抱えながら沖田たちが戻ると、苦渋の色を浮かべた近藤たちが待っていた。
見れば、銀時以外――否、銀時と土方以外の全員が揃っている。
「――緊急配備はどうしたんでい」
苛立ちを完全には隠しきれずに沖田が低く問うと、近藤が一枚の紙切れを差し出した。
「さっき、コレが届いた」
そこには「副長の命が惜しければ、軽挙妄動は慎むよう」などと書かれている。
チ、と舌打ちして紙片を近藤に突き返した。
こんな脅しを送ってよこすからには、屯所は見張られているのだろう。猶予は一日――男はそう言っていたが、身動きが取れないのでは猶予も何もあったもんではない。
銀時が戻ってきたのは、沖田たちに遅れること二時間あまり経ってからだった。
いつもの人を食ったような笑みが消えた顔はわずかに疲れの色を帯びているが、全身にまとっているのはぞわりと総毛立つほどの凄みだった。
その姿から、彼もまた手がかりと呼べるようなものを掴めていないと知る。
「――旦那」
何を言いたいかもわからずに、それでも沖田が声をかけると、銀時が目をあげた。近藤が無言で紙片を手渡す。
感情の掻き消えた顔で手紙を一瞥すると、銀時はそれをぐしゃりと握りつぶした。
* * *
ふうと意識が浮上するように目が覚めた。体も頭も鉛のように重い。
まだ茫とする頭で土方は辺りを見回した。
見慣れない殺風景な部屋に、自分がどこにいるのかわからず、内心首をかしげる。
視線をめぐらせても、ここがどこなのか知れるような手がかりはない。すでに陽は昇っているのだろう、薄暗いその部屋の高窓から、筋となって光が差し込んでいる。
身を起こそうとして、金属性の太い綱のようなもので上半身と足を拘束されていることを知る。
次の瞬間、はっきりと覚醒した脳裏で記憶が途切れる寸前のことを思い出し、土方は内心ほぞを噛んだ。
やはり罠だったか、と苦々しく思う。
それも読んだ上での捕り物だったが、いいようにしてやられたのは失態でしかない。
天人製だという薬を噴きつけられ、全身から力が抜けていった。強引に引きずり落とされるように意識も遠のいたが、それでもなんとか知覚を保った耳に届いたのは、呆れるような言葉だった。
無血開城――今時そんな言葉を聞くことになるとは思いもしなかった。
アホか、と銀時が吐き捨てていたが、土方も同感だった。夢物語にもほどがある。
まして、そう言いのけた男はともかく、その周りの獰猛な目をした男たちがそんなことを望んでいるようには到底見えなかったのだから、なんの冗談だとすら思った。むしろあれは血なまぐさい力尽くのやり方を好む連中だろう。
それを鑑みれば、未だこうして五体満足に生かされていることが信じられないくらいだ。人質として取り引きに使われるのだろう、と男の言葉からも予測はつくが、だとしても土方の身が無事である必要はないだろうに。
もっとも、黙って使われてやる心積もりなどない。
近藤たちの足枷になるくらいなら、暴れるだけ暴れて、果てる方を選ぶ。ついでにひとりふたり道連れにできれば上出来だ。
土方がそう心を決めると、ガラリと扉が開いた。
ぞろぞろと現れた不穏な風采の男たちのあいだから、ひとり異彩を放つ男がついと歩み出る。
「お目覚めですか?」
乱暴に引き起こされた土方を覗き込み、男が温和な口調で問う。
「なにが目的だ」
低く問い返す土方に、男はただ薄っすらと微笑む。この場にそぐわない笑みを見返しながら土方は再び問うた。
「無血開城だかなんだか知らねェが、叶うとでも本気で思ってんのか?」
「さあ――それはお上しだいとしか」
飄々と返す男からは、その真意が読み取れない。ふざけるな――土方は目を眇めた。
「最初からありえねェのが、わからねーワケでもあるまいよ」
「そしたら江戸を火の海に変えてやるだけだ」
勝ち誇ったように笑うだみ声があがると、そうだそうだ、と他の男たちが追従する。
やっぱり最初からそれが目的なんじゃねーか、と土方は呆れ果てた。だが、そちらの方がわかりやすい分、得心できる。だからこそ、こんな無駄なことをする意味がわからなかった。
冷ややかに見やる土方に、男がまあ、と柔和な笑みを向ける。
「江戸はともかくとして、真選組はもはや機能しなくなるでしょうね」
貴方がいないのだから、と続ける男に、土方はアホか、と半眼になる。
「俺ひとりいなくなったところで、ウチは揺るがねェよ」
「ご謙遜を。貴方ひとり盾にしただけで、真選組の皆さんは随分おとなしくなってくれましたよ」
男の言葉に、土方の顔がわずかに歪んだ。
土方になど構わずに討ちとればよかったあの場面で、けれど銀時たちが動けずにいたのを思い出す。
やはりこのままでは枷にしかならないのだと、改めて実感した。
「真選組潰すのが目的なら、なんで生かしておく」
こうして土方が生かされている方が不都合なのだとは隠して問うと、そうですね――と、男は微笑んだ。
「貴方とこうしてゆっくり向き合いたかったのかもしれません。将軍の寵を受け、あの白夜叉に恋い慕われているという貴方と」
男が嘯くように言うと、周囲から下卑た笑いが起きた。
瞬間的に湧き起こった殺意を押し殺し、土方は冷静を装う。過剰な反応を返せば面白がらせるだけだ。
「あいにくだが事実無根だ。名誉毀損で訴えるぞ」
「とんでもない。あの白夜叉がこれほどまでに誰かひとりに執着しているのは、とても珍しいことなのだそうですよ」
わざとらしく驚いたような素振りをみせる男に、土方は眉をひそめた。「あの白夜叉」などと言いながら、男の口ぶりは誰かから伝え聞いたものとしか思えない。
「――そう言ったのは、誰だ」
銀時を――白夜叉を知る人物が、絡んでいるのか。
土方が睨みつけると、男はふわりと笑った。土方の切り返しが気に入ったといわんばかりだ。
「貴方が知らない白夜叉の姿を、良く存じている方ですよ。――残念ながらお会いさせることは叶いませんが、あの方も貴方には興味を抱いておられます」
「興味だァ?」
薄ら寒さに土方が顔をしかめると、そりゃそーだ、と嘲るような笑いがあがった。
「どうやってあの白夜叉をタラシ込んだのか、知りてー奴はごまんといらァ」
どっと沸いた嘲笑に、知るか、と内心怒鳴り返す。
タラシ込んだ覚えもなければ、そんな事実もない。
拘束されてなければ全員叩き斬ってやるのに、と土方が怒りを抑えていると、ぐいと顎を掴まれた。睨みつけた先で、ひげ面の浪士がにやりと口許を歪める。
「なァ教えてくれや、あの戦場の武神をどーやって骨抜きにしたのかをよォ」
好色な笑いにおぞ気が走る。反吐が出そうになるを堪えながら、土方は嘆息した。
白夜叉白夜叉と、うるさいにもほどがある。
対外的には知らぬ存ぜぬを通しているというのに、何故わざわざその名を聞かせるのか。
人の苦労をなんだと思ってやがる――と八つ当たり気味に思いながら、土方は口を開いた。
「さっきから聞いてりゃあご大層なこと言ってやがるがな、『白夜叉』ってェのがどんだけ凄かったか知らねーが、アイツはそんなんじゃねーぞ」
あの白夜叉――などと呼ばれているのを聞いても、どうにも普段の銀時とは結びつかない。
豪く腕が立つのは認めるが、その部分だけが強調されて美化されているとしか思えなかった。
「ちょっと目ェ離しゃあすぐにサボろうとするわ、なんにでも小豆かけて食うわ、糖尿一歩手前なくせして糖分摂れなきゃ死ぬとか駄々こねるわ、ドSだわ」
淡々と言い連ねる土方に、男たちが呆気にとられるのがわかった。土方にしたら、こんなことで目を丸くする男たちの反応にこそ唖然としてしまう思いだ。
きっと、それが土方と男たちとの認識の違いなのだろう。
そんな、常態の銀時を知らないから、攘夷戦争の英雄の如く祭りあげられるのだ――無責任に。
「確かに剣の腕は立つがな、てめーらとは違うんだよ」
違うんだよ、と、真っ直ぐに睨みつける。
男たちがわずかに怯んだ。
「平気で一般市民犠牲にできるてめーらと一緒にするな」
静かな、けれど強い口調で言う。
「黙れ!」
土方を押さえていた男がいきり立ったかと思うと、拳を振りおろした。ガツ、と骨と骨の当たる音がして、脳髄が揺れる。
ぐらりと床に倒れ込み、鉄錆に似た味が口の中に広がるのを感じていると、襟元を掴まれ引き起こされた。
「幕府の狗が偉そうに――」
「やめなさい!」
それまで穏やかな調子だった声が鋭く制止する。再び殴られるのを覚悟していた土方は、どさりと床に落とされた。
「だが川南さん――!」
「もういーじゃねぇか!」
目的は果たしたのだから生かしておく必要はないだろう、と詰め寄る男たちに、川南と呼ばれた男は、いけないの一点張りだった。
土方は馬鹿馬鹿しい思いでその諍いを聞いていた。いっそ、このまま仲間割れでもしてくれればいいのにとすら思う。
床に転がったまま、どこへともなく彷徨わせた視線が、高窓から見える空に密やかな姿を見つけた。
あと数日で新月を迎えるだろう、下弦よりも幾分痩せ細った白い月が、青い空に溶け込みそうな儚さで薄っすらと浮かんでいる。
その姿は、夜の闇に置いてけぼりをくらったような頼りないものだが、一度気づいてしまえば、そこにいるのだと弱い叫びをあげているようにも思えた。
昼の明かりに掻き消されることなく、そこにいるのだ、と。
その姿は何かに似ているように思えた。
過去に葬らせてもらえない「白夜叉」か、それとも時代に取り残された目の前の男たちか――。
わからずに土方は目を閉じた。
(10/11/13)
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