其ノ参「残月」 05
夜が明けてなお、屯所内は重苦しい空気に包まれている。
暗い表情の男たちが集結している座敷内を見回し、新八はそっと息を呑み込んだ。
近藤をはじめ、幹部たちから監察方までもが広い座敷に集まっているのは、同じ気持ちからだろうと新八は推測する。
きっと、ひとりでいるには不安が大きすぎるのだ。この、動きを封じられ、なす術もない状況が。
昨夜、密談の疑いありと副長ふたりと共に出動した一番隊から、土方が敵に捕らわれたとの一報が屯所に入ったのは、夕飯を終えて誰もがひと息ついていたときだった。
そのまま一番隊と三番隊、および銀時により市中の捜索が行われ、同時に四隊による緊急配備が敷かれる。
新八はじめ、屯所に残った隊士たちは、近藤とともに気を揉みながら情報を待っていた。
――大丈夫だ、トシは大丈夫。坂田も総悟もいるんだ、大丈夫だ。
引きつった笑顔で、それでも隊士たちを安心させるように近藤が繰り返した。
その言葉を、自分に言い聞かせるように胸中で反芻したのは、新八だけではなかっただろう。
だが。真選組屯所に届けられたのは、吉報ではなく警告だった。
――副長の命が惜しければ、軽挙妄動は慎むよう。
そう書かれていた手紙の意味するところはすなわち動くな、という一点だ。
そのときの憤慨と絶望感は、全員から言葉を奪った。目の前が暗くなったような感覚を覚えている。
近藤により屯所に呼び戻された沖田たちからは焦慮が垣間見えた。
目の前で土方を連れ去られた上に、今まで市中を駆け回っても手がかりらしいものひとつ掴めなかったというのだから、無理もないだろう。
ひとり戻りの遅かった銀時に至っては、ゾッとするような、殺気にほど近い気配をたずさえていた。
誰もが――あの沖田ですら息を呑み、気圧されたほどの。
その銀時は、開け放たれた障子にもたれ、感情の読み取れない顔で外を眺めている。
あの逃げ出したくなるような気配は鳴りをひそめているが、今の静かすぎる銀時も近寄りがたいものがあった。
横目で銀髪を見やりため息を落とした新八の耳に、バタバタと廊下を駆けてくる足音が届いた。座敷の全員がすっと緊張を漲らせたのを感じる。
「失礼します!たった今、投げ文が――」
息を切らせながら座敷に駆け込んだ隊士が、握り締めた文を近藤に手渡した。それが土方を連れ去った連中からのものであることは疑いようもない。
満座が注視するなか、近藤は強ばった表情で文を開いた。
「明日、二十時。局長近藤と副長坂田のふたりだけで護国寺本堂まで来られたし。なお、一番隊から十番隊、少女隊の隊長、隊士全員、及び監察方、勘定方の誰ひとりとして屯所より出ることあたわず。これを破りしときは、土方十四郎の命尽きること、努々忘れぬよう――クソォっ!」
読み上げた近藤が、怒りを隠すことなく手紙を握り締めたままの拳を座卓に叩きつけた。
「気持ち悪ィくらい細かく書いてらァ。ムカつく」
「それだけ隊の内情に詳しい――って言いたいんですかね、脅しとして」
「軽挙妄動を慎め、ってあたりからして、屯所が見張られてんのは間違いないだろうな」
堰を切ったように苛立ちや失望の声が落とされる。
周囲が陰鬱とした空気に満ちるなか、ピラリラ、と突如鳴り響いたふざけた音に、思わず新八は首を竦めた。それは新八の携帯電話が奏でる音だ。
集まる視線に狼狽えながら、新八は慌てて携帯電話を取り出した。
「すみませんすみませんッッ――あれ?」
ディスプレイに表示されている番号に、新八は首をひねった。覚えのない番号だ。
誰だろう、と訝しんでいたら、背後から伸びてきた手にひょいと携帯を取りあげられた。
「おー、俺おれー」
通話ボタンを押して暢気な声をあげたのは、銀時だった。
全員の非難の目が集まるなか、意に介することなく「んでどーよ」と気の抜けたいつもの調子で会話を続ける。「あー、あと虫が飛び交っててうぜーんだけど。掃除くらいちゃんとしとけコノヤロー」などと言い放つあたり、親交の深い相手なのだろう。
何故新八の携帯電話に――と疑問が浮かんだが、銀時が以前「携帯は持ち歩け!」と土方から怒鳴られていたことを思い出し、なんだかわかった気がした。
しばらくして、じゃーなー、と通話を終えた銀時に、珍しく近藤が怒りに満ちた目を向ける。
「坂田…こんなときに」
「時間がねェだろ」
なじるような近藤に返す銀時の声は、先ほどまでとは異なり低く苛立ちを帯びていた。
「――奴らの組織に名前はねェそうだ。リーダー格が川南って奴で、便宜上「川南一派」ってェ呼ばれてるらしい」
ぺい、と無造作に携帯を放り返すと、銀時は再び入口近くに腰をおろした。
慌てて受け取った新八がじとりと睨むのと同時に、山崎が「あ!」と声をあげる。
「川南――聞いたことあります!確か、奴は穏健派で、今までテロ行為や暴動などを起こしたことはないはず――」
山崎が記憶を手繰るように口にすると、では、と近藤が眉をひそめる。
「奴は本気で城を明け渡して権利を手放せ、と言ってるのか…?」
「そいつはどーだかな。川南の奴、ひと月くれェ前にめちゃくちゃアブネー奴と一席設けて、どーやらそいつのアブネー思想に引っ張られちまったらしいぜ」
外を眺めながら銀時が返す。
皆が首をかしげるなか、問うたのは沖田だった。
「誰ですかい?そのアブネー奴ってなァ」
「――高杉だ」
銀時の告げた名に、座敷が低くどよめいた。それは攘夷浪士の中でも最も危険な男の名前だ。
ハッとして、山崎が手元の帳面を繰りだした。心当たりがある新八の顔も歪んでいく。
「――すみません、確かにひと月ほど前、高杉の姿が江戸で目撃されています…」
「――そりゃあ一番情報が入り乱れてたときだな」
悔しげな山崎の言葉に、近藤は仕方ないと言うようにうなずいてみせる。
だが、新八も山崎も、高杉の目撃情報に江戸の町を走り回ったことを思い出し、口惜しさに唇を噛みしめた。
結局そのときは高杉の影武者だだの、上方で目撃されただの、疾うに地球を出ているだのという情報に引っ掻き回され、本当に高杉本人が江戸に現れたのかどうかの裏が取れなかったのだ。
「それもアイツらの手だろうよ、どーせ」
銀時が冷ややかに言い放つ。
慰めるかのような言葉だが、そこには新八たちへの配慮よりも、高杉たちへの憤りが窺えた。高杉が絡んでいると口にしてから、銀時のその表情も気配も、固く強ばったように感じる。
「でも、そのアブネーのが絡んでるとして、一体――」
なにが目的なんでい――沖田の言葉に、室内がまた黙り込む。
陰鬱とした重苦しい沈黙を破ったのは、銀時のため息だった。
「…なんにしろ、今の内にやれることはやっとかねーとな。――ゴリ、松平のとっつぁんの方はどーよ」
「ああ、昼過ぎには一度こっちに顔出すそうだ」
松平には昨夜のうちに報告がなされている。
無血開城などという馬鹿げた要望を告げられた長官は、さぞかし困惑し、立腹していることだろう。
無血開城――そんな突拍子もない、けれど国の一大事であることを、わずか一日で決めろ、など。どだい無理な話だろうに、と新八は歯噛みした。
そんな要求など建前で、最初から土方の命をとる腹積もりなのでは、とすら思う。
――このままじゃ、
嫌な――最悪の予感ばかりが脳裏をよぎり、新八は縋るように銀時の背中を見やった。
(10/11/16)
【←|→】
【Novel Top】【Top】