其ノ参「残月」 10
――アイツは来るぜ。
昨夜、そう扉越しに届けられた声が、くつくつと哂いをこぼす。
「そいつにそこまで期待しちゃいねーよ」
気負うでも嘲るでもなく投げられた声に見やった先には、派手な柄の着物をまとった男がいる。
薄っすらと哂いを浮かべているその顔は、手配書でよく見かけるものだった。
高杉晋助――もっとも危険でもっとも過激な攘夷浪士として、幕府からも真選組からも追われている男だ。
まさか絡んでいたのが高杉だったとは――土方はひやりと冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
よりによってこんな物騒な男が出てくるとは、と苦々しく思う反面、江戸城を攻撃するなどという荒っぽい真似を仕出かそうとしたのも、この男が後ろにいたというなら得心がいく。
途端、空気が緊迫したものに変わるなか、高杉は土方を一瞥し鼻で笑うと、川南に視線を向けた。
「目障りな狗一匹消せねーようじゃなァ」
「ご期待に沿えず済みません」
川南が淡々と謝罪するが、その様子からは、詫びを入れているようにはとても見えなかった。
「約束通り、あとは貴方にお任せします。お好きになさったらいい」
高杉にそう言い、川南はふいと傍の扉へ姿を消した。
追うべきか動かないべきか、と高杉を睨んだまま土方が逡巡していると、隣から銀時の低い声がした。
「――土方」
呼ばれ隣を見ると、銀時は高杉を見据えたまま、硬い声を出した。
「川南の方頼むわ。あっちは俺が引き受ける」
「――わかった」
以前、桂たちと対峙したときとは別の不安がよぎり一瞬躊躇したが、土方は川南を追って扉をくぐった。
銀時なら幾通りもの意味で大丈夫だろう――そう自分に言い聞かせる。
壁のない通路に出て辺りを見回すと、下方の甲板にその男はいた。顔をあげ、じっとひとつところを見つめて佇んでいる。その視線が向けられる方角には城があるのだろう――何故かそう思えた。
甲板に降り立ち、その背に歩み寄る。あと数歩で背中に手が届くだろう、というところで、ずん、と重低音が響き、船が揺れた。
沖田たちが動力を壊したのだろうと察する。
「てめーらの目論みは全部潰れた。諦めてお縄につけ」
背中に刀を突きつけて土方が言うと、川南は昏い目で緩慢に振り返った。そんな目で薄ら寒い笑みを浮かべる。
「――本当に、どこまでも憎たらしい…貴方も、あの傀儡も。どこまでこの世界を憎ませれば気が済むのやら」
傀儡――と、将軍のことを言っているのは疑うまでもない。
今まで無血開城だの、将軍はどう判断するか、などと口にしていたくせに、やはり天人の傀儡だと思っていたか、と土方は目を眇めた。
「だから最初からありえるワケねーっつってんだろうが」
「知っていますよ」
肯定を返しながらも、その目にはかすかに悲観が見えた。
まさか――と土方はわずかに目を見開く。
「…本当は信じたかった――いや、叶ったらいいと思った、とでも言いやがんじゃねーだろうな」
土方の予感を、川南はまさか、と一笑に付した。
「そこまで愚かではありませんよ」
うっそりと笑うが、その姿には絶望が色濃く滲んでいる。
「死に場所を探していた男が、道連れを作りたかっただけの話です。憎い幕府と真選組――その象徴を道連れに、とね」
それは本音だ、と直感した。
男の言葉はいつでも空々しくて嘘ばかりだったが、根底には峻烈なほどの怨嗟が渦巻いているのを感じていた。
だが、それでも。
もしかしたら、ありえもしない望みに賭けていたのではないか――とも思えて、土方は眉をひそめる。
その表情で土方の心中を計ったのか、川南は顔をしかめた。
「――だから大ッ嫌いなんですよ。貴方も――この世界も」
言うと、川南はひらりと空中に身をひるがえし――飛び降りた。
下方から隊士たちの狼狽した声が聞こえた。
身を乗りだして下を覗くと、地面に倒れている男に隊士たちが慌てて駆け寄るのが見える。流れる血の量からも、絶命しているだろうと推測し、土方はへりから手を離した。
船体だけでも随分な高さがある上、吊り上げられている分を考えれば、息があるとは到底思えない。
――バカが。
大嫌いで結構――男の最期の言葉を脳裏でなぞり舌打ちをすると、土方は深く息を落とした。
* * *
高杉と対峙しながら、銀時は間合いを測っていた。
お互い飄々とした表情を浮かべているが、その実いつでも斬りかかれる緊張を背に佩いている。
高杉の手は刀に掛けられていないが、その抜き打ちの速さを知っているだけに油断はできない。
突如、張りつめた空気が轟音で震えた。ずず、と足許から伝わる振動に、無事船の動力が破壊されたことを知る。
「わざわざ江戸までなにしに来たか知らねーがな、この船はもう終わりだ。さっさと帰って寝ろ、おめーは」
銀時が言うと、高杉は喉の奥で哂った。
「言われなくても退いてやらァ。俺ァ祭り見に来ただけだ、そいつがしめーなんじゃ、興も醒める」
「どーせおめーが奴を唆したんだろ」
なにを他人事のように、と銀時が睨めつければ、人聞きの悪いこと言うんじゃねーよ、と高杉は嘯いた。
「この世界に嫌気がさして死にたがってたから、ちょいと背中押してやっただけよ。――どうせ死ぬなら、最期にでかい花火打ち上げちゃどーだ、ってな」
「死にてェんなら勝手に野垂れ死んでろ。こっちゃあ関係ねェんだ、巻き込むんじゃねーよ」
吐き捨てるように言うと、高杉がくつくつと厭な哂いをあげた。そんなんじゃねーだろ、と愉悦を滲ませた目を向けてよこす。
「アレを巻き込むな、ってェ素直に言やぁいいだろうに」
高杉の言葉に銀時の目許がひくりと引きつる。この男には反応を返さないのが一番だとわかっていても、触れて欲しくないところを平気で抉られると、ざわりと感情が波立ち、面に出てしまう。
案の定、高杉は銀時の表情にうっそりと微笑んだ。
「夜叉が惚れたは修羅が鬼――たァ、随分と笑わせる話じゃねーか」
「人の恋路笑いに来たってか。相変わらず嫌な野郎だな、おめーはよォ」
銀時が顔をしかめると、高杉はほう、と馬鹿にしたような声をあげた。
「察しがいいな。珍しいこともあるもんだ」
「ヤな奴な、お前。知ってたけどよ。ホンっト、ヤな奴な」
苛立ちから、柄を握る手に力がこもる。それを見て高杉がオイオイ、とわざとらしく目を見開いた。
「アレに免じて今日は退いてやろうってんだ。てめーらもおとなしくした方が身のためだぜ。――もっとも、どうしても殺り合いてェってんなら、話は別だがな」
高杉の言葉に、銀時は奥歯を噛み締めた。
この男のことだ、兵隊を突入させる手筈くらい整えているだろう。こちらへ連れて来た隊士の数を考えれば、おとなしく行かせた方が得策だ。
だが、アレに免じて――そのひと言が嫌に引っかかり、銀時は素直にうなずけなかった。
「おめーがおとなしく退く、っつーのが薄気味悪ィんだよ」
帰れ、などと言ったものの、高杉が何もせずに退散するなど、裏を勘繰って当然の事態だ。
だが、高杉はにやにやと哂いを浮かべると、退いてやらァ、と再び口にした。
「面白ェもん聞かせてもらったからなァ」
その笑みも言葉も、神経を逆撫でるものでしかなかった。考えまいと思考から排除していた嫌な想像を刺激され、銀時は顔をしかめる。
なんのことだ、と、この男に訊く気はない。捕らえた者をいたぶる方法など、幾らでもあると知っている。
それらを思い浮かべ、土方の負った傷があの口の端のものだけならいいのだが、と、それだけを案じた。
「――さっさと帰れ」
怒気を押し殺し低く言うと、そういやァ、と高杉が突然間合いを詰めて踏み込んできた。とっさに体を庇い構えた刀が、高杉の刃を受け止める。押し合う刀が耳障りな悲鳴をあげた。
「アレはひとつ、思い違いをしてやがったな…。銀時ィ、てめーアレの前じゃあ随分猫かぶってるみてーだなァ」
「あァ?なんの話だ」
「ハナから持ち合わせちゃいねェ、ときた。そんなワケねーのに、なァ――白夜叉」
覗き込んでくる眼が、殺意に似た狂気で銀時を射抜く。過去の記憶を引きずり出されそうな戦場の匂いにぞわりとそそけ立ち、銀時は強く刀を握り締めた。
「ぐだぐだ意味わかんねーこと言ってんじゃねーよ!」
力任せに刀を押し返し、真横に薙ぐ。高杉はその刃をひらりとかわし、にぃ、と愉快そうな厭な笑みを浮かべた。
「今のてめーのツラァ、見せてやりてーもんだぜ」
誰に、など、言われなくても容易に知れた。
「忘れんじゃねーぞ銀時ィ、おめーは一生「白夜叉」から逃げらんねーんだよ。アレがどう思おうとなァ」
嘲るように哂い、高杉はふいと身をひるがえした。
隊士たちに囲まれた船から逃げる手立ても打ってあるのか、気にした様子もなく、土方たちがくぐった扉から悠々と出て行く。
叩き斬りたい衝動を抑えながら、銀時はその背を見送った。
――おめーは一生――
銀時はきつく目を閉じると、耳に残る高杉の嘲笑を振り払うように、刀を強く振りおろした。
(10/11/21)
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