夜が明けてなお、屯所内は重苦しい空気に包まれている。
暗い表情の男たちが集結している座敷内を見回し、新八はそっと息を呑み込んだ。
近藤をはじめ、幹部たちから監察方までもが広い座敷に集まっているのは、同じ気持ちからだろうと新八は推測する。きっと、ひとりでいるには不安が大きすぎるのだ。この、動きを封じられ、なす術もない状況が。
昨夜、密談の疑いありと副長ふたりと共に出動した一番隊から、土方が敵に捕らわれたとの一報が屯所に入ったのは、夕飯を終えて誰もがひと息ついていたときだった。
そのまま一番隊と三番隊、および銀時により市中の捜索が行われ、同時に四隊による緊急配備が敷かれた。新八はじめ、屯所に残った隊士たちは、近藤とともに気を揉みながら情報を待っていた。
――大丈夫だ、トシは大丈夫。坂田も総悟もいるんだ、大丈夫だ。
引きつった笑顔で、それでも隊士たちを安心させるように近藤はそう繰り返した。その言葉を、自分に言い聞かせるように胸中で反芻したのは、新八だけではなかっただろう。
だが、真選組屯所に届けられたのは、吉報ではなく警告だった。
――副長の命が惜しければ、軽挙妄動は慎むよう。
そう書かれていた手紙の意味するところはすなわち動くな、という一点だ。そのときの憤慨と絶望感は、全員から言葉を奪った。目の前が暗くなったような感覚を覚えている。
近藤により屯所に呼び戻された沖田たちからは焦慮が垣間見えた。目の前で土方を連れ去られた上に、今まで市中を駆け回っても手がかりらしいものひとつ掴めなかったというのだから、無理もないだろう。
ひとり戻りの遅かった銀時に至っては、ゾッとするような、殺気にほど近い気配をたずさえていた。誰もが――あの沖田ですら息を呑み、気圧されたほどの。
その銀時は、開け放たれた障子にもたれ、感情の読み取れない顔で外を眺めている。あの逃げ出したくなるような気配は鳴りをひそめているが、今の静かすぎる銀時も近寄りがたいものがあった。
横目で銀髪を見やり、新八がそっとため息を落としたとき、バタバタと廊下を駆けてくる足音が聞こえた。座敷の全員がすっと緊張を漲らせたのを感じる。
「失礼します! たった今、投げ文が――」
息を切らせながら座敷に駆け込んだ隊士が、握り締めた文を近藤に手渡した。それが土方を連れ去った連中からのものであることは疑いようもない。
満座が注視するなか、近藤は強ばった表情で文を開いた。
「明日、二十時。局長近藤と副長坂田のふたりだけで護国寺本堂まで来られたし。なお、一番隊から十番隊、少女隊の隊長、隊士全員、及び監察方、勘定方の誰ひとりとして屯所より出ることあたわず。これを破りしときは、土方十四郎の命尽きること、努々忘れぬよう――クソォっ!」
読み上げた近藤が、怒りを隠すことなく手紙を握り締めたままの拳を座卓に叩きつけた。
「気持ち悪りィくらい細かく書いてらァ。ムカつく」
「それだけ隊の内情に詳しい――って言いたいんですかね、脅しとして」
「軽挙妄動を慎め、ってあたりからして、屯所が見張られてんのは間違いないだろうな」
堰を切ったように苛立ちや失望の声が落とされる。周囲の空気が殺気立った焦燥で満ちるなか、ピラリラ、と突如鳴り響いたふざけた音に、思わず新八は首を竦めた。それは新八の携帯電話が奏でる音だ。
集まる視線に狼狽えながら、新八は慌てて携帯電話を取り出した。
「すみませんすみませんッッ――あれ?」
ディスプレイに表示されている番号に、新八は首をひねった。覚えのない番号だ。
誰だろう、と訝しんでいたら、背後から伸びてきた手にひょいと携帯を取りあげられた。
「おー、俺おれー」
通話ボタンを押して暢気な声をあげたのは、銀時だった。
全員の非難の目が集まるなか、意に介することなく「んでどーよ」と気の抜けたいつもの調子で会話を続ける。「あー、あと虫が飛び交っててうぜーんだけど。掃除くらいちゃんとしとけコノヤロー」などと言い放つあたり、親交の深い相手なのだろう。
何故新八の携帯電話に――と疑問が浮かんだが、銀時が以前「携帯は持ち歩け!」と土方から怒鳴られていたことを思い出し、なんだかわかった気がした。
しばらくして、じゃーなー、と通話を終えた銀時に、近藤が珍しく怒りに満ちた目を向ける。
「坂田……こんなときに」
「時間がねェだろ」
なじるような近藤に返す銀時の声は、先ほどまでとは異なり低く苛立ちを帯びていた。
「――奴らの組織に名前はねェそうだ。リーダー格が川南って奴で、便宜上「川南一派」ってェ呼ばれてるらしい」
ぺい、と無造作に携帯を放り返すと、銀時は再び入口近くに腰をおろす。慌てて携帯を受け取った新八がじとりと睨むのと、山崎が「あ!」と声をあげたのは同時だった。
「川南――聞いたことあります! 確か奴は穏健派で、今までテロ行為や暴動などを起こしたことはないはず――」
山崎が記憶を手繰るように口にすると、では、と近藤が眉をひそめる。
「奴は本気で城を明け渡して権利を手放せ、と言ってるのか……?」
「そいつはどーだかな。川南の奴、ひと月くれェ前にめちゃくちゃアブネー奴と一席設けて、どーやらそいつのアブネー思想に引っ張られちまったらしいぜ」
外を眺めながら銀時が返す。皆が首をかしげるなか、問うたのは沖田だった。
「誰ですかい? そのアブネー奴ってなァ」
「――高杉だ」
銀時の告げた名に、座敷が低くどよめいた。それは攘夷浪士の中でも最も危険な男の名前だ。
ハッとして、山崎が手元の帳面を繰りだした。心当たりがある新八の顔も歪んでいく。
「――すみません、確かにひと月ほど前、高杉の姿が江戸で目撃されています……」
「――そりゃあ一番情報が入り乱れてたときだな」
悔しげな山崎の言葉に、近藤は仕方ないと言うようにうなずいてみせる。だが、新八も山崎も、高杉の目撃情報に江戸の町を走り回ったことを思い出し、口惜しさに唇を噛みしめた。
結局そのときは高杉の影武者だだの、上方で目撃されただの、疾うに地球を出ているだのという情報に引っ掻き回され、本当に高杉本人が江戸に現れたのかどうかの裏が取れなかったのだ。
「それもアイツらの手だろうよ、どーせ」
銀時が冷ややかに言い放つ。慰めるかのような言葉だが、そこには新八たちへの配慮よりも、高杉たちへの憤りが窺えた。
高杉が絡んでいると口にしてから、銀時のその表情も気配も、固く強ばったように感じる。
「でも、そのアブネーのが絡んでるとして、一体――」
なにが目的なんでい――沖田の言葉に、室内がまた黙り込む。
陰鬱とした重苦しい沈黙を破ったのは、銀時のため息だった。
「……なんにしろ、今の内にやれることはやっとかねーとな。――ゴリ、松平のとっつぁんの方はどーよ」
「ああ、昼過ぎには一度こっちに顔出すそうだ」
松平には昨夜のうちに報告がなされている。無血開城などという馬鹿げた要望を告げられた長官は、さぞかし困惑し、立腹していることだろう。
無血開城――そんな突拍子もない、けれど国の一大事であることを、わずか一日で決めろ、など。どだい無理な話だろうに、と新八は歯噛みした。そんな要求など建前で、最初から土方の命をとる腹積もりなのでは、とすら思う。
――このままじゃ、
嫌な――最悪の予感ばかりが脳裏をよぎり、新八は縋るように銀時の背中を見やった。
松平からじきに到着する、との連絡が入ると、それと入れ違いに銀時は自室にさがってしまった。
沖田が銀時を追ったのは、彼が何を考え、どうしようとするのか――それが気になったからだった。
たとえ身動きできない状況であっても、銀時がこのままおとなしく敵の条件を飲むようなタマとは思えない。きっと何か仕出かすだろう――それを知りたかった。
銀時の部屋の前でかち合った山崎も同じことを考えたのだろう。「沖田隊長も?」と目を丸くされた。それを無視して障子を開ければ、今度は部屋の主――銀時が目を丸くする。
「オイオイ、なんだーお前らまで。揃いも揃ってひとりが淋しいってタマでもねーだろ」
「まで?」
呆れたような銀時の言葉に引っかかりを覚えて覗き見れば、部屋の隅で神楽が身を縮めるようにして寝ている。道理で喧しいその姿を見なかったはずだ、と沖田は呆れる思いでその姿を見下ろした。だが同時に、下手にぎゃんぎゃん騒がれるよりはマシか、とも思う。
むしろ、動くに動けない状況なのだから、寝ていた方が無駄に体力を損なわない分、得策なのだろう。
「暢気なもんでい」
内心を隠しながら憎まれ口を叩くが、銀時には読まれているのだろう。「おめーらも寝とけ」などと返されてしまった。それには聞こえないふりを通して、沖田は銀時の正面に腰をおろす。
「寝れるワケ、ないですよ」
沖田の隣に座った山崎が、沈痛な面持ちで内情を吐露する。素直にそんなことを言いのけられる山崎が羨ましくもあり、鬱陶しくもあった。
「……土方さんは、大丈夫なんでしょうか……」
近藤の前では言えなかったのだろう、山崎がぽつりとこぼす。
「殺ろうと思えばできたってェのに、あそこで殺さなかったんだ。明日までは生かしとくんじゃねーか?」
淡々と返す銀時からは、その内心など読み取れない。だが、銀時の土方に対する感情を多分誰よりも早く察し、知っている沖田は、彼が平静でいられる訳がないと確信している。
今の言葉も、山崎への返答というより、そう自分に言い聞かせているかのように感じた。無事であってほしい――と。
もっとも、銀時の心情に勘づいているからといって言葉を選んであげられるほど、沖田も平静ではないが。
「そいつが腑に落ちねーんでさァ、旦那。野郎殺すにゃ千載一遇のチャンスだったってェのに、なんで生かしておくんで」
「まさか、将軍の覚えもめでたく――とか、本気で信じて……?」
山崎が恐る恐るといった態で訊ねる。アホか、と沖田が冷ややかな目を向けるのと、思っちゃいねーだろ、と銀時から否定が返されたのは同時だった。
「そんな確証もねーような噂ひとつに、てめーらの命賭けるほど、バカな奴らじゃねェ。無血開城、ってのも時間稼ぎだろうな、どうせ」
男たちが告げた言葉の全てを斬り捨てるような冷徹さで、銀時が言い切る。高杉が絡んでいるからか、銀時の口調には斟酌がない。
――貴方のお気に入りの命が惜しくば、
男のセリフが空々しく蘇る。
「じゃあそいつは噂ネタにした騙しだと?」
なんのために、と眉をひそめる沖田に、銀時が感情を削ぎ落とした表情で返す。
「もしくはホントの目的から目を逸らさせるための擬餌、か。ついでに俺たちの足止め――こっちに関しちゃ、噂がホントだろーが嘘だろーが効果はあるんだ、そりゃ人質に連れてくだろうよ」
「ホントか嘘か、って、アレですかィ、野郎がいなくなりゃあ真選組は瓦解するとかなんとか、ってヤツですかい」
「――ったく、あんな見え見えのエサに食いつくんじゃねーよ、アホかっつーの」
吐き捨て、銀時が苛々と髪を掻き回す。その常にない様子に、沖田はぴんと直感した。
「――まさか、その噂、土方の野郎がテメーで撒いたってんですか?」
「広めたのはジミーと新八だけどな」
銀時が言うと、山崎は申し訳なさそうに目を伏せた。広めたのも土方の命令によるものだろうに、「すみません……」と、肩を落とす。
「なんだってェそんな真似――」
意味がわからねェ、と首をひねる沖田を、ちらりと銀時が見やる。
「お前さんも言ってたじゃねーか。全部が同じ時期に始まってるってよ」
銀時の意味有りげなセリフから、何かがあると確信する。
何か――何があった。それらが聞こえ出し、サイト騒動が起こった、ここふた月のあいだに。
その間に起こったことを記憶の中から手繰りよせ――沖田は瞠目した。
「……近藤さんの襲撃事件……」
それしかない――と思い至る。近藤よりも、自分に狙いが集まるように。あの男が考えそうなことだ。
「ったく……気に食わねーよなァ、オイ」
低い銀時の声には、あきらかに怒気が滲んでいる。それが何に起因するものなのか正確に感じ取り、沖田はため息をついた。
存外嫉妬深い男だ、と呆れる反面、意外な一面に驚いて、
――ん?
眉をひそめる。銀時の言葉に、もうひとつ引っかかりを覚えた。
「ってェことは、まさか例のファンフォーラムも――?」
「ああ、俺ら。でも今はソレ関係ねェから、あとで土方にでも聞いてくれ」
あっさりと認め、銀時はひらりと手を振る。話す気はない、という態度で告げられた言葉に、沖田はやはり――と目を見開いた。
あとで土方に聞け――ということは、やはり取り戻すつもりなのだ、この男は。
何もできないこの状況から、無理なんじゃないか――と、悲憤を噛み締めながら諦めかけているのは、沖田だけではないはずだ。屯所内に満ちている空気が、それを如実に伝えている。
けれど銀時は、迷いなく取り戻そうとしている。そのための何か、を、今必死で探り、掴もうとしているのだろう。恐らく打てる手を、昨夜の内にきっと打っている。先ほどの電話のように。
今一番欲しいのは、情報だ。その情報を敵に操られている、などという思わしくない状況であっても、敵の目的が読めない以上、何がきっかけになるかなどわからないだろう。
だから、とにかく自分たちが――特に山崎たちが得ている情報を出揃えさせようと、沖田は口を開いた。
「川南の野郎は一体なにをしようってんで? 旦那の言う通り、これが時間稼ぎだとしてもそう長いこと持ちゃしねーのは野郎だって承知でしょうに。なんの時間を待ってるってんでい」
「明日、二十時――でしたよね」
確認するように呟いた山崎が、そういえば、と何かを思い出したように顔をあげた。
「明日は幕府のお偉方が全員登城する日ですよね。そこで無血開城するかどうか決めろってことですかね?」
「こんな大それたことを、昼の話し合いで夜までに決めろってかィ? そいつァ気の短ェこって」
沖田が呆れて返すと、いや、と銀時がそれを打ち消す。
「多分、呼び出しの時間はアテにできねェだろーな。場所を指定してくんのが早すぎる。だからきっと、八時にゃ全部が終わって、る――」
不自然に萎んだ言葉尻に何事かと目を向ければ、銀時が苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちしたところだった。
「あ――……そーいうことかよクソッタレ」
「なんか思い当たる節でも?」
「半分な。もう半分は――」
すう、と銀時の赤い眼が、何かを探すように動く。
「護国寺ってか。どっから目ェ逸らさせてェんだか……や、こっちからじゃねー方が早ェのか……」
視線を流しながら、銀時がぶつぶつと独り言ちる。その姿は、会議などで良く目にする銀時とは異なり、余裕がないように見えた。
いつもなら、銀時が何かを言えばそれに対し土方が返す、あるいはその逆の遣り取りが繰り広げられ、いつのまにかふたりのあいだで策が出来上がっている。まるで、互いのあいだで転がされた雪玉がしだいに大きくなるように。
もどかしいのだろう、と沖田は思った。
ここに土方がいないことが――その土方を押さえられていることが。
考え込む銀時をじりじりとした思いで見つめていると、不意に騒々しい気配が賑やかな足音と共に近づいてくるのを感じた。その騒音の源は、部屋の前に辿り着くなり、スパン、と勢い良く障子を開け放つ。
「なんだァおめーら、こんなとこに隠れやがってコンチクショーめ。オジさんが来たってーのにツラも見せねェつもりか、あァ? 泣くぞーコラァ、オジさん泣いちゃうぞー」
「うるせェェェ! てめーの声聞いたら最高潮にイライラすっから避難してたんだよ!」
突然現れたのは松平だった。姿を現すなり尊大に言い放つ。
そのふざけた発言に反射のように怒鳴り返して、銀時の動きがはたと止まった。松平の濃い顔をまじまじと見つめるその目が、瞠られる。
「――ソレか」
なら場所は――と呟いた銀時の眼が光ったように見えた。何かが閃いたのだろう。銀時の思考を邪魔させたくなくて、沖田は代わりに松平を引き受けた。
「とっつぁん、近藤さんとの話は終わったんで?」
「いんやァ。部屋ァ行ったらムサいゴリラしか居ねーからよォ、可愛い神楽ちゅあーんを探してたってェワケよ」
「いっぺん捕まれ、変態オヤジ」
ふざけたことを平然と言いのける松平に苦々しく返しながらも、銀時は「まだなら丁度いい」と、寝ている神楽に手を伸ばし、その肩を揺すった。
「起きろ神楽。会議始めっぞ」
銀時の呼びかけに、んー、と愚図るような声をあげて神楽が目を覚ました。伸びをひとつすると、少女はまだ寝ぼけたままの顔に、に、と笑みを浮かべる。
「ニコ中奪還作戦アルな」
奪還、と、疑いもなく口にされたその言葉になんだか負けたような気持ちになり、沖田はぐっと奥歯を噛み締めた。訳もなく苛立ちが込みあげる。そんなことを無邪気に信じていられる神楽にも――諦めかけていた自分にも。
そんな複雑な心情に沖田が顔をしかめていると、おお、と返した銀時が神楽の頭にぽんと手を乗せた。
「おめーにも働いてもらうからなー覚悟しろ」
「おー、ここに居たのかーァ。んー、お昼寝中だったのかァ、かんわいーいなーァ」
神楽の姿を認めた松平が、かーぐらちゅあーん、と駆け寄り抱きつこうとする。
捕まれジジイ、と沖田が八つ当たり気味に苛立ちを向けるなか、慌てた山崎や呆れた銀時が止めるよりも先に、神楽本人が動いた。張り飛ばされた松平が床に沈む。
「セクハラオヤジは消えろヨ」
「ひとりが淋しいってェガキがセクハラたァ笑わせるぜ」
転がる松平を冷ややかな目で見下ろす神楽に、へん、と笑って言う。すると、寝起きの少女はぱちくりと目をしばたたかせ、違うネ、と沖田を見上げた。
「淋しかったのは銀ちゃんアルヨ」
その言葉に、沖田は目を瞠った。
あの、奥底に憤りを湛えていたような銀時を、淋しい、と評するのが意外でもあり、それでも――正しいように思えた。
そーかい、と思わず呟く。
「旦那は淋しかったのかィ」
「そうネ」
銀時には聞こえないよう落とした声に神楽がうなずいたとき、廊下を駆ける騒々しい足音が近づいてきた。見れば、新八が携帯電話を手に向かってくる。
「銀さん! さっきの人から、銀さんにです!」
新八から携帯電話を受け取り、銀時はあいよー、と気の抜けた声をあげた。
「――おう、わーった」
短い会話で通話を終えると、銀時は「新八ィ」と、彼の監察を見やった。
「地下の皆さんにも動いてもらうぞ、様子見ててきとーに人集めとけ」
「わかりました!」
沖田にはわからないことを瞬時に理解して、新八が来た道を戻る。
銀時はその背を見送ると沖田たちを振り返り、にやりと笑った。いつもの笑みだ。
「うぜェ虫も消えたことだし――やるとすっか」
――動く。
銀時のその表情と言葉に確信し、沖田は自分が高揚していくのを感じた。
昼間――だろう、という予測だが――土方の前で揉めた男たちが、結局川南と呼ばれた男に制され出て行ってから、かなりの時間が経つ。日は既に沈み、月すら出ていない空では灯りになるものなどなく、室内は闇と同化しそうな暗さになっている。
極力何も考えないようにしていた土方の耳に、カラリと扉が開いた音が届いた。
「今ごろどうしているでしょうねェ」
床に伏したまま目だけ上げると、姿を現したのは川南だった。供もたずさえずひとりでやって来た男は、手燭を床に置き、土方の前にしゃがみこむ。
「既に知らせは届いていることでしょう。貴方を取って城を捨てるか、それとも見殺しにして自分の立場を護るか――あの将軍はどうなさるんでしょうね」
相変わらず笑みを浮かべたままそんなことを嘯く川南に、土方は半眼になる。しつこい。むしろ嫌がらせなんじゃないかとすら思う。
「アホか。そんなの決まってんだろーが」
妙な夢想を抱くまでもない。そんな、決まりきってることを確かめたいとでもいうのか。
「質が俺じゃあ取り引きにもなりゃしねーよ。大体、事実無根だっつってるだろ」
「――それは将軍とのことですか、それとも白夜叉との?」
「両方に決まってんだろ」
苛々しながら吐き捨てると、またまた、と川南が笑う。
「昼間は面白い話を聞かせてくださったではないですか」
「面白くねーよ、ちっとも面白くねーよ」
「随分と信じていらっしゃるように聞こえましたが?」
「単なる事実だ。そんなんじゃねェ」
土方が低く言うと、川南はわかりませんねェ、と手を伸ばした。土方の首を掴み、ぐ、と力をこめる。男の顔に貼りつけられた笑みのその奥に、薄昏い怨嗟が垣間見えた。
「では何故、白夜叉は真選組などに身を置いているのです? 天人に迎合した憎い幕府の狗などに未だやつしているのは、貴方が引きとどめているからではないのですか?」
問い質すというより、そうであって欲しいとでも言っているかのような響きの言葉は、その表情といい、男の真意が滲み出ている気がした。
白夜叉が真選組になど与しているのが許せない。だから、それは土方のせいであって欲しい、と。許せない――憎むべき対象を土方にスライドさせたいのだろう。
銀時に――否、「白夜叉」に何を期待し、偶像視しているのかは知らないが、土方にとっては傍迷惑な話でしかない。
「――俺がなにか言ったところで、それを聞くような奴じゃねーよ」
「あの白夜叉が、自分の意思で真選組にとどまっていると?」
「そんなの本人に訊きやがれ」
何故、未だ真選組にとどまっているのか――そんなこと、土方の方が聞きたいくらいだ。
息苦しさを表に出さないよう返すと、川南がわずかに顔を歪めた。ややして興味をなくしたようについと視線を逸らすと、土方の首から手を離した。
「――さすがの白夜叉も牙を折られたというわけですか」
遠くを見るような目でぽつりと落とされた言葉に、土方はがっくりとうなだれた。どこまでも噛み合わない――精神的に疲れ果てて、思わずため息がこぼれる。
「お前の言う牙ってのが、体制に噛みつくためのもんでしかねェんなら、そんなもんハナから持っちゃいねーだろうよ。――アイツが持ってんのは、真っ直ぐな魂ひとつだけだ」
そして、それだけで充分なのだ。それが銀時にとっての牙であり、それこそが銀時たらしめるのだから。
わずかに目を丸くした川南がまじまじと土方を見つめる。その顔に、再びあの空々しい笑みが戻った。
残念ですね――真意の読めない表情で、心のない言を紡ぐ。
「明日には全てが終わりとなる――。もう少し、貴方と話していたかったのですが、時間がありません」
「――なにをするつもりだ」
本当に江戸を火の海にするつもりなのだろうか。だとしたらどうやって――と睨みつける土方を笑顔でかわし、川南は出口へと向かう。
「あの方は貴方を救いに来ますかねェ」
「知るか!」
扉を閉める寸前、問うように振り向いた川南に、苦々しく吐き捨てた。おやおや、と川南が癪に障る笑いを向ける。
「今の内に期待くらい、なさったらいい。明日まで時間はないのですから」
忌々しく睨みつけた先で、扉が閉められる。途端、どっと疲れが押し寄せて土方は床に額を押しつけた。
こんな、苛立ち、精神的に疲れるような目に遭うくらいなら、殴られた方がましだ。精神的疲労にため息しか出てこない。
――明日には全てが終わりとなる――
脳裏で男の言葉を反芻する。
明日、何かを仕出かすというのか。圧倒的に足りない情報を掻き集めながら、土方は唇を噛んだ。
何をしようと、精々暴れてその邪魔をしてやるだけだ――そう思いながらも、頭の片隅では、もしかしたら、とそれを抑制する声がしていた。
もしかしたら銀時なら――ここへ辿り着くのではないか。
――救いに来ますかねェ。
そう馬鹿にするかのように訊ねた川南の言葉に、来る、と故もなく感覚が即答していたのだ。
――なにバカなことを……。
「――アイツは来るぜ」
楽観的とも言える己の感覚を自嘲していたら、扉の向こうから哂いを含んだ低い声が、土方の感覚を支持してきた。さっと全身に緊張が走る。
「――誰だ」
銀時を――「白夜叉」をアイツ、などと呼ぶということは、この声の主が、川南の言っていた「白夜叉を良く知る人物」なのだろう。
土方の誰何に、くつくつと哂う声が返される。
「精々そこに転がってバカども相手に吠えてな。明日にゃあ面白ェもんが見れるだろうよ」
揶揄するような声もまた、明日、と言う。
不吉な推測しか浮かばず、土方は盛大に顔をしかめた。